井60 サリーとその仲間たち②
黒魔術界のプリンセス、マリー・ウェンズデーの裏切りにより、心を引き裂かれる『闇の幼馴染み』、ラペル・サラマンダー役 早見恋歌は、
自分のベルソナに近い、この役柄を、より完璧に演じる為に、
なるべく出演者の誰とも口をきかないようにしていた。
早見恋歌。別名、闇の煉獄ちゃん。頬骨の目立つ痩せた白い顔に、漆黒のショートボブの髪型。目力の強い大きな目の上には、太い睫毛と、濃いめの眉。仕事以外では決して微笑むことがない、色の薄い唇。
恋歌は、そのどこかエキゾチックに見える風貌と、確かな演技力で人を魅了する今人気の中学生子役だった。
普段の彼女は、目立たない黒かグレーの服を着ていて、大抵、肩だけにフリルレースのついたTシャツに、脚や腰の形がしっかり出るスパッツというようなシンプルな出で立ちで、
今日もその格好に着替えて、更衣室で帰り支度をしていた。
「あの…」
振り返ると、目の前に、ふわふわのピンクのカーディガンに、3段レースの白いウェディングケーキのようなスカートを履いた共演者、 真咲瑠香が立っていた。
……真咲瑠香。恋歌と同じ中学一年生。今回の舞台の一般公募枠のオーディションを勝ち抜いてきた実力者で、なかなかの美少女。演技は棒。声は大きい。身振り手振りは大きく、まあ、舞台映えはする方ではないかと思う。
彼女の役は、あの人気キャラ、ルーラ・ローラだ。
ルーラは白魔術側の生徒で、真面目だけど世間知らずな箱入り娘。その天然発言と純真な性格で、主に男性ファンの心を鷲掴みにしている、人気ランキング上位に居座り続ける常連キャラだ。
私こと、ラペル・サラマンダーが魔術の実験の為に飼っている二十日鼠の可愛さに、ルーラはメロメロになり、それをきっかけに彼女に接近してくることになる。
ルーラは、ラペルがその鼠を可愛がっていると勘違いしており、黒魔術師ラペルのことを本当は心優しい性格だと思っているのだった。
真咲瑠香もまた、多くの他の出演者と同様、今回の役に合わせて、自分の髪型、洋服などをキャラクターに寄せていた。まあ、本番ではカツラを被るのだけど、要は気分の問題よね。前髪ぱっつんのクレオパトラヘアーの方が、あなたも気分は出るわよね。
真咲瑠香は、大人っぽく見える、それなりに整った顔立ちをしていて、
今着ているようなブリブリのロリータ服を着こなすには、ちょっとだけ育ち過ぎているようにも見えたが……まあ、やっぱり予選を勝ち抜いてきただけあって、可愛いわね。美人さん、と呼びたくなる佇まいに対して、ちょっとだけ舌足らずな喋り方。例えるのが難しいけど、『ハキハキしたいのにモジモジしちゃう』その感じ。わかるかなあ……。
「恋歌ちゃん……」
真咲瑠香は、恋歌と同い年だとしても、新人である自分をわきまえているような雰囲気で、上目がちに、遠慮がちに話しかけてきた。
「あの……、恋歌ちゃんが役作りの為に、みんなとあまり喋らないようにしているってことは、……わかってるつもりなんだけど…どうしても話しかけたくて……」
恋歌は表情を変えないで瑠香のことを見た。
「やっぱり、私の役……、難しくって。きっとね?恋歌ちゃんの演技が上手過ぎて、私が、ただのおバカさんみたいに見えてる気がするの……、ううん、違う。私が下手くそすぎるせいだよね?……こんなんじゃ私…原作ファンの人たちに怒られちゃうよ……。」
……ルーラ・ローラはバカだから男受けがいいのよ……。と恋歌は心の中で思った。あと、その、さも原作ファンのことを考えて、『自分なんか……(涙)』て卑下するところ……、あなた、かなり役を掴んでない?と、言うかあなた、ルーラ・ローラそのものよ。
……まずい……逆に私が喰われるわ……。
今回の舞台の出演者……、あのヘンテコ吸血鬼、振琴深海とか、その他大勢もくせ者揃いだし、何と言ったって、森の妖精、如月ひみこが看板女優でしょ…?まだほとんど練習に来てないけど、アイドル畑からの参戦とは言っても、あの人を食ったような人外幼女、私の闇の煉獄を持ってしても、苦戦は必須。
一番芸歴の長い私が、まあ、サリー・ホッパーのブラックスワンたる、闇の幼馴染みを演じるのは当然として……、
その前にこの、目の前のたんこぶを潰しておいた方が良さそうね。
恋歌は、特別表情を変えずに、真咲瑠香の目をじっと覗き込むと
「……じゃあ、これから、私のうちに来て自主練をしない?」と言った。
「え?ほんと?うれしい!!
私ね、ずっと恋歌ちゃんに憧れていたの!!同い年なのに、小さい頃からテレビに出たりして、スゴいなって!恋歌ちゃんの黒魔術コーデもミコ☆ポチで見てたし!私の下手な演技で恋歌ちゃんに迷惑かけてるんじゃないかって、私、ほんとに怖くて。……でもうれしい!
ほんとにいいの?私なんかが恋歌ちゃんのおうちに行ってもいいの?ウレシイ!!」と大はしゃぎし始めた瑠香を見て、
恋歌は、(この子マジっぽくて、ちょっと判断に迷うわ。演技?計算?それとも天然?)と警戒しながら彼女を観察し、
……舞台の外でも戦いは続くのね……と諦めたように首を振っていた。
*************
「どうぞ。今の時間、まだ誰も帰ってきてないから。……遠慮しないで。」
と恋歌は出来るだけぶっきらぼうに聞こえるように瑠香を案内し、静まりかえった玄関で、恋歌の分まで綺麗に靴を並べる彼女の背中を見下ろしていた。
……あなたには悪いけど、ちょっとばかり私の恐ろしさを見せつけて、恐怖心を植え付けさせてもらうわ。…私が闇属性だと言われる由縁を思い知るがいいわ。でも、まあね、そのことであなたの演技には深みが出るとは思うの。私だって舞台までは失敗させたくないし、逆に成功させたいとしか考えていないからね。あなたの演技が良くなるようにはしてあげるわ。
た、だ、し。
……ただではそれを教えてあげるつもりはないわ。勉強代は高くつくものなのよ。
「どうぞ、こっちよ。」恋歌は階段の手摺に掴まりながら、手のひらで上を指し示しつつ、表情のない顔で瑠香のことを見つめた。
瑠香は、自分の靴下が廊下に湿った足跡を残すのを気にするように、軽く爪先立って歩き、静かな家に呼吸音が聞こえるのをごまかす為に、小さく「んん、」と咳払いをした。
最小限の照明しか付けていない薄暗い廊下で、恋歌は「ここよ。」と言って、扉のノブに手を掛ける。
瑠香は寒そうに体を震わせて、努めてにこやかに「おじゃまします」と言って、気持ち背中を丸めながら、窓からの明かりだけに照らされた、仄暗い恋歌の部屋への入り口をくぐっていった。
「?!」
先に部屋に通した瑠香の体が、完全に入り切るのを確認して、恋歌は照明のスイッチを入れ、ほぼ同時に背中で扉をぱたんと閉めた。
………瑠香の目の前には……、2段に積まれた水槽が横に3列に並んでいて、その中には乾いた葉っぱが敷き詰められているのが見えた。
「これ……」戸惑ったような、不思議そうな、どんな顔をすればよいかわからない、といった表情の瑠香が、こちらを振り返る。
ふふふ……いい反応ね。さあ、恐怖しなさい。私の可愛いこどもたちに……。
闇の煉獄ちゃんの認定保育園へようこそ!
水槽の中では、かさかさと蠢く何かが、枯れ葉を揺らしており、所々に湿った黄色い脱脂綿や、腐った小魚の屍体が転がっていた。
恋歌が「私の可愛い子たちよ?見る?」と言って、ぐいっと瑠香の背中を押し、彼女の体を強制的に水槽に近付ける。
その中には、
被膜のある羽をてからせたチャバネゴキブリの成虫たちが、活発に動きまわっていた。人のリズムではない不規則な揺れを刻みながら、細い触覚があちこちに動く。
「あら、見てごらんなさい、赤ちゃんよ」
恋歌が指さした先には、小さな黒い体に黄色の斑の線が入った光沢のある幼虫が、丁度、自分の脱皮殻を食べているところだった。ツンと突っ張った身体を背中側に反らせて、柔らかいお腹をヒクヒクさせる、飴色に透けたゴキブリの幼虫が、水槽の床に散らしてあるティッシュの隙間から、
見ると20匹以上、体を寄せ合って、まだ死にきっていない成虫の太ったお腹を喰い荒らしているところだった。
部屋にはうっすらと腐肉臭が漂っていて、静まり反った部屋にはカサカサカサカサ…と柔らかで乾いた音が絶え間なく続いていた。
「か、か、かわいい………」
………。………え?
「恋歌ちゃん、こ、この子たち、すごっく……カワイイです………」
え?可愛いけどさ?え?本気で言ってる?
……ちょ、ちょっと待って。あなた?
「こ、これ見てみなさい、こっちの水槽、ほら、濡らした段ボールの穴の隙間に、びっしり!」そこには黒い体の真ん中に白い線が入ったクロゴキブリの小さい幼虫が、溢れ出してきていた。どう?キモチワルイデショ?!
「この子たちもカワイイですね!黒のドレスに白い襟、まるで振琴深海ちゃんみたい!」……それ、怒られないかしら。
「か、可愛いのは確かだけどさ!……あなた、これ、平気なの??」恋歌は思わず瑠香に向かって大きな声を出してしまっていた。
「え?なにがですか?」
……ちょ、ちょっと、この子ほんとに天然なの??そ、それとも、ルーラ・ローラの役に入り込んで、ラペルのペットを可愛いって言ってるだけ?
それとも、私の嫌がらせ(いやがらせって言っちゃったよ。この子たち可愛いんだからね?)をわかったうえで勝負を挑んできてるとか??
……わからない。この子、わからないわ……。
…………。
………。
……。
「………わ、私の闇の眷属たちに怯まなかったのは……
……あなたが最初よ……」と、
とうとう恋歌は、頭を垂れて、瑠香に敗北宣言とも取れる言葉をかけた。
その言葉をきょとん、とした顔をして聞いていた真咲瑠香は、(ああ、そういうことですか!)と手のひらの上で拳をポンと打つと、
「ああ、恋歌ちゃん、あのね、実は私もね、やみのけんぞくを持ってるんだよ?」と言った。
「そ、そうなの?」「うん、私もね……、実は普通の人とは違うんだ。」「と、言うと?」急に瑠香の身体から、何か禍々しいオーラが発せられてきたような気がして、恋歌は身構えた。
「ほんとはね……、私にも遣い魔がいて、邪悪な存在を、隷属させている、って言ったら、恋歌ちゃんはどう思う?
……言うのはまだ早いかなあ、て思ってたけど……。今日の恋歌ちゃんのお部屋を見せてもらったら確信したよ。」「な、なにをよ?」
「私とあなたは、舞台の役なんかは越えて、本当の結び付きを作ることができると思うの……。」
瑠香から感じられる邪悪な気配がどんどん増していき、突然水槽の中のゴキブリたちが羽を開いて飛び立ち、透明な壁に衝突しながら、バタバタとあちこちに方向を変えながら飛び続けた。
「私たちは闇の契約を結ぶのよ……。あなたにはその覚悟がある?」
「あ、あなた、な、何者なの??」
ふふふ。と瑠香は笑い、「今、ここで決めてほしいな。あなたは、私と、同じ遣い魔を、その身体に宿す覚悟が……あるのかしら?」と言った。
……身体に宿す??どういうこと?
もはや、瑠香は笑顔の奥にある邪な表情を隠そうとはしていなかった。
「闇の煉獄よ……、私の真名を教えよう……私の、本当の名は、マサキルカ……逆から読むと、カルキサマ……。そう、私の名は、『カルキ様』。私は、常に邪悪な存在を身体の中に消毒して飼っていられる、
……魔族の末裔なのよ。」
「ま、まさか、あなた……?!もしや、……全国で2016年に一斉廃止された、あの悪しき風習のことを言ってるんじゃ……」
「借りるわね」そう言って、瑠香は、学習机にあるセロテープカッターから片手でテープを切り取ると、
バサッとスカートを膨らませながら一気にしゃがみ込み、同時にもう片方の手で腰の布を下ろすと、セロテープの粘着側を上にして持った手を、身体の下側に素早くあてがった。
《ペリッ》
瑠香は、立ち上がると、白く曇ったセロハンテープの切れ端を指に乗せ、恋歌の目の前に差し出した。
恋歌は後退りしながら「あ、あなた……ぎょう虫がいるのね……」と呟いていた。
瑠香がふふっと笑う。
「後はあなたの自由よ。そのかわいらしい卵たちがついたセロテープを……、どう使おうともあなたの自由。おまかせするわ。…ただ、保証はしないわよ。この子の破壊衝動に、果たしてあなたの身体が堪えられるかしらね……?
まあ無理はしないことね。」
『カルキ様』こと、真咲瑠香は、水槽の一つの蓋を開け、素早く掴んだ一匹のチャバネゴキブリの背中を、指先で優しく撫でながら言った。
「この子たち、全部お部屋に逃がしてあげようかしら?」「や、やめて………」
「うふふ、……闇の煉獄ちゃん?」
「………。」
「煉獄ちゃん?」
「お、おやめください……カルキ様……」
「うふ、わかったわ。この子だけにしておいてあげる。」そう言うとカルキ様は指に掴んだゴキブリを、ポイっと恋歌のベッドの方に投げ捨てた。
「もし、あなたが、この子の赤ちゃんを受け入れることが出来たとしたら……、」カルキ様は自分のお腹を愛おしげに撫でながら言った。「次の練習の時に、ちゃんと教えてね?」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
真咲瑠香の去った後の部屋で、早見恋歌は呆然と立ち尽くしていた。(カサカサカサ………)
……今回のサリー・ホッパーの舞台、黒魔術の特異点になっている可能性があるわ……。
どうしてこんなことに……。
活発な黒魔術の動きに反応して、強大な白魔術側も動き出す可能性だってある。……以前から界隈ではサリーの原作者の無神経な魔術への扱いを危惧する声はあった。
まさかこんな形で、極東の島国の芸能界で物事が収束していくとは………。『カルキ』とはサンスクリット語で「破壊するもの」という意味もある。(◎キペディア参照。)
これは、舞台を超えた、全面魔法戦争に発展する可能性だってあるわ。(カサカサカサカサ………)
恋歌は、階下から持ってきたゴム手袋をした手で、 密閉式ビニールの中にセロテープの欠片をしまい、
(振琴深海も、あの黒い風貌のせいで、カルキ様に狙われる可能性がある。先に情報共有をしておく必要があるかもしれない……だが白魔術側には、まだこの情報を洩らしてはいけない気がする……舞台の稽古も今まで通り行うのが安全だわ…)と考えていたのだった。
(カサカサカサカサカサ……)
次回、『サリー・ホッパーと検査の医師』
…言いたかっただけです。
カレイドスコープ先生に励ましのおたよりを出そう!!
『さよなら少女壊滅戦争』の感想と似顔絵も待ってます。




