井59 サリーとその仲間たち①
サリー・ホッパーを虐める上級生、マリー・ウェンズデー役、振琴深海は、
如月ひみこ以外では、今回の舞台に参加している唯一のパンドラプロダクション所属のアイドルだった。
マリーは、黒魔術専門の由緒ある家柄を背景に持つキャラクターで、白魔術のサリーの家と対立している。ただシリーズが進むごとに、2人はかけがえのない友情を育んでいき、いつしかお互いが、自分の命を賭して守り合う仲にまで発展する、というおいしい役どころだった。特に、高飛車マリーお嬢様の、下級生サリーに対するツンデレぶりが、百合界隈の二次創作をはかどらせ、この関係性を起点に、サリー・ホッパーシリーズファンの方向性が定まったと言っても過言ではない。王道過ぎて最近の流行りからは外れてきてはいるが、やはりこの2人は今でもシリーズ屈指の人気カップリングと言えた。
……社長は無理を承知で今回の配役に、アタイのことを捩じ込んでくれた……。
振琴深海は、パンドラプロダクションの17階休憩室のえんじ色のカーペットの床に膝をつき、縦巻きにしたツインテールを顔の前に傾けて、祈りを捧げるようなポーズをして目を閉じ、瞑想していた。
到底、普段着とは思えない、艶のある真っ黒な衣装。首もとに付けた蝙蝠形のリボン。足には、鎖の付いた厚底ブーツと網タイツを履いていて、マントっぼい肩かけの下には、ひだのいっばい入ったゴスロリドレスを着ている。そのコルセットスカートの上にあるのは、犠牲者の鮮血が映えそうな純白のブラウス。それは天井の明かりを反射させ、彼女の蒼白い顔を怪しく照らして出していた。
彼女は自分を、現代社会に身を隠すバンパイアの一族だと考える、重度の中二病患者……に憧れるヤンキー少女だった。
……わが一族の名に懸けて、アタイはこの舞台を必ずや成功へ導いてみせるわ……。
何故なら、あの方が、この劇場の中心に配役されているのだから……。
ああ、如月ひみこ姐さん……。
あの方は表向きは小学生の幼女。その実は……、
ふふふ、ある程度、ひみこ姐さんの軌跡を知っている者なら、デビュー当時から逆算して彼女の本来の年齢を知ってるわ……そう、14歳、中学2年生……。アタイの一つ年上さ……。
姐さんは妖精?いいや、あの方は永遠の命を生きる、まごうことなき吸血鬼。尊敬するバンパイアの先輩。容姿の衰えない、花のように麗しいかんばせと、波打つ長い髪。
いつも百合のように白く、ガーゼのように軽い服を、ふわりと開いて立つ、微笑みの権化。白い吸血鬼。
……なんて恐ろしい人…。あの微笑みのうちに秘められた毒牙で、何人の少女達が犠牲になったのだろうか。永遠の若さの代償で、ひみこ姐さんは日光の元に立つことは出来ない。( 作者註:ネット中心の夜型生活)
アイドルにしては全身鏡を嫌っているように見えるのは、(作者註:主に自分の体型からの現実逃避)鏡に自分の姿が映らないことを隠す為。
ニンニクが苦手。(作者註:単純に好き嫌いが激しいだけ。他にも嫌いなものはいっぱいあります)
まあ、十字架とか?銀製品が弱点とかは?検証していないから、アタイも知らねえけどさ、そもそも設定上私も苦手なんだし、確かめること自体が難しいわ。考えに合わないものは都合良くスルーすんだよ、文句あっか?!
そして聖水……。て、なに?まさかあの聖水のこと?…違うとは思うけど、そもそも、これ、好きな人いる??私もパンプロからデビューした当時、先輩方から紙マスクがなんたらかんたら…と、新人いびりの洗礼を受けた口だけどさ……、
あんなのバカ正直にやってる人いんの?あほらし……。パンプロは介護老人の巣窟かっての。
……おほん。話が逸れたわ。きょ、今日は、ひ、ひ、ひ、ひみこ姐さんが……このアタイと、プライベートで台詞合わせをしてくださる日なのよ!!……そ、それも!パンプロ内のアタイの部屋で!
ぶっちゃけアタイは、ひみこ姐さんを崇拝している。最近、ぽっと出てきた天埜衣巫なんて目じゃないね。
アタイはね、『ひみつのひみこのぱ邪馬台国』を初回から、ほぼ欠かさず見てんだからね。
そんじょそこらのにわかファンと一緒にしてもらったら困るってわけよ。
姐さんの吸血鬼としての秘密、永遠の命を持つ者の生態を探るために、アタイは動画をくまなくチェックしている。
今までもちょこちょこ画面の端々に見えていたひみこ姐さんのお部屋の様子だけれど、
先日の、『ひみこの普段の1日』、には興奮したねえ!あれで、アタイの部屋は、ようやく、
完璧に、姐さんの部屋の間取りを再現することが出来た。……苦労した甲斐があったわ……。ククク………。姐さんきっと驚くだろうな……お、そろそろ約束の時間ね。おっと………。深海は、休憩室の全身鏡に映った自分の姿を見て、(まだまだね……アタイ、もっと鏡に映らない練習をしなきゃ……)と考えていた。
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パンドラプロダクションのスーパーアイドル、如月ひみこは、片手に黒い缶のエナジードリンクを握りながら、
ふらふらと休憩室に入ってきた。
……昨日から今日にかけて…なかなかハードな1日だったわ……。新曲の録音、年末ライブの衣装合わせ、動画の起業案件の打ち合わせ、ディーヴァ関連の海外からの取材、企業側の都合によるシャンプーのCMの撮り直し、夜の動画配信、寝る暇もなくエゴサーチ……。誰がひみこの人気が衰えた、なんて言ったのよ?まだまだ大人気じゃない?……相変わらずスレは伸びないみたいだけど……。
ふう、早く帰ってシャワーを浴びたいわ。あ、でもまだ駄目か。
振琴深海と台詞合わせをする約束になっていたんだったわ……。あ”あ”…正直ダルいわ……。それに、あの吸血鬼かぶれ、ちょっと怖いのよね。言葉の端々に、スケバン(死語)みたいな雰囲気があるし、……小動物みたいにか弱いひみこちゃんを、いじめるつもりじゃないでしょうね?最近、後輩がみんな怖いわ……。
グビグビとエナジードリンクをあおると、ひみこは、プハーっと言って、手の甲で口の周りを拭いた。
目が血走っている。喉の奥の奥の方で、軽く、聞こえるか聞こえないくらいのゲップが、スウッと空気になって抜けていく。うはっ、くさっ!と、ひみこはパタパタとワンピースの襟を摘まんで風を送り、何故か湧き出してくる笑いを抑えながら、エナジードリンクをもう一口飲んだ。
ひみこはそのまま、乙女にあるまじき、がに股でドスンドスンと、休憩室に入っていき、「振琴深海ちゃんはどこぉ??いる?!ほら、如月ひみこちゃんが到着しだわ”よお!!」と大声で叫んだ。
一瞬、驚いたような顔をして、深海が顔を上げる。その後すぐにひみこが手にする15歳以上推奨のエナジードリンク、『ブラディ・バンパイア』を見て、……やば、荒ぶっておられるわ……と、思わず自分の首すじを手で隠すようにして抑えていた。
「ひ、ひ、ひ、ひみこ姐さん、今日は宜しくお願いいたします……」
ひみこの目には「ヒ、ヒ、ヒ…」と魔女のように笑う黒ずくめの少女が映っていた。
……こ、怖い。早く終わらせましょう。急に涙目になったひみこは、深海の手袋をした手に引っ張られて、彼女の自慢の部屋へ案内されていくのだった。
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部屋に入る前に、ひみこはもう一度、エナジードリンクをあおった。喉が焼けるように熱くなる。体の中では、胸から胃の上辺りまでを垂直に熱湯が落ちていくような感覚がして、それと共に勇気が沸いてきて、
ひみこは自分から扉を開けて深海の部屋に入っていった。
………。………。………?………??
「あの……、深海ちゃん?……これって…?」
「はい!これって、それです!気に入ってもらえましたか?」
「気に入るっていうか……あなた………、もしかして………私のファンなの……?」
ひみこは、自分の部屋そっくりな深海の部屋を見て、すげ~~、と辺りをキョロキョロ見回していた。て、ここ、ホントに私の部屋じゃないわよね?……どうして??どうやって??
「はい!」と、ニコニコした深海が、ひみこの心を読んだように答えてくる。「ひみこ姐さんの動画だけだとわからない部分もあったんですけど、多分……姐さんが部屋作りの参考にしてそうな雑誌とか、インフルエンサーなんかも調べて、……結構そのまんまなインテリア例なんかもあったから、わからない部分は全部それで埋めました!」
て、あんた、鋭すぎでしょ??心は兄、体は弟、名探偵ジナンかよ?
怖いんですけど??………でも、ま、まあ、ひみこちゃんのことが大好き過ぎるのは、よく伝わったわ。今まさに目減りを続けるパンドリータの現状を思えば……こんな子でも大切にしといた方がいいんだろうな……。
グビグビグビグビ………。
「お、姐さん!いい飲みっぷりですね?さすが大人!15歳以上推奨のそれを嗜むなんて……。」
「ま、まあね?私なんて、もう、ほとんど15歳みたいなものだからね?こんなの余裕よ。」ドカリと座り慣れた形のソファに腰を下ろし、ひみこは胡座をかくと、裸足の足首をポリポリと掻いた。
「姐さん、実はアタイもそれ、冷蔵庫にいっぱい入っているんです。でもアタイ、ほら、強がってもまだ13歳じゃないですか?買ってはみたものの、飲む勇気はなくて………。姐さん?……それってやっぱり、血の味なんですか?」彼女もブラディ・バンパイアを持ってきて、合わせた両手の指の間にそっと持つ。
「お?深海くん?ひょっとしてまだ、君、血の味を知らんのかね?」目の座ったひみこが、横にちょこんと腰掛けてきた深海の肩に肘を置き、ニヤニヤと顔を覗き込んだ。
蒼白い顔を真っ赤にした深海も、手にしたエナジードリンクに口を付けると、ギュッと目を閉じて一口飲み込んでみる。
「は、はい、姐さん……お恥ずかしながら……アタイは、その…、鼻血はまだなんです。」
「そうか、そうか、」ガハハとひみこは笑って深海の背中をバンバンと叩いた。「そういう、姐さんの方は、どうなんです?や、やっぱりもう……」
「え?はい?あ、私?ああ、そうそう、そうね。もちろん!モチのロンよ!もう、毎週のように、鼻血はドバドバ出してるわ!多い日も安心~、なんてね?あは、あは、あは、あは……」
「あれって毎週出るものなんですか……?」
「え?あれ?違ったっけ?アハハ、も~う、深海ちゃんたら!そんなこと聞かないの!お、ま、せ、さ、ん?」
その後も2人は仲良くエナジードリンクを飲み交わし、台詞合わせなど、どこ吹く風。ひみこはワンピースから白い脚をはだけさせ、深海は「実はアタイ、ニンニク大好きなんですよね~、食べられないのつらいわ~」などと言いながら、夜が更けていくのであった………。
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………翌朝。
小鳥の鳴き声と共に目を覚ました、如月ひみこは、もぞもぞとベッドから抜け出すと、
……どこか違和感を感じながらあくびをし、
隣に眠っている、黒い服の固まりには気付かず、ボサボサになった頭を掻きながら、
ペタペタ…と、まったいらな足の裏を床に吸い付けて浴室の方へ向かっていった。
そのまま小一時間シャワーを浴び、頭にタオルを巻いただけで、後は身体に何も身に付けず部屋に入ってくると、ソファにドスンと腰を下ろした。うっ、なんか気持ち悪い……。ひみこはテーブルに転がった4本のエナジードリンクを見て、私……いつの間にこんなに飲んだのかしら?と考えていた。昨日はえらく疲れていたし……私、いつ帰ったんだっけ……。
さてと、と………。
ひみこは最近の日課である血行促進のマッサージを始めることにした。
……毛根への刺激で栄養を行き渡らせ、発毛を促すのよ。
頭に巻いたタオルをふわさっとほどいたひみこは、
ソファの上でM字に脚を開き、自分自身の身体の中に俯いて、
指の腹で、発毛を期待している皮膚の周辺を、下から上の方へ向かって優しく揉みほぐし、また上から下に向かって、柔らかく圧迫していった。
次にひみこ自身のてっぺんや、体の中心から左右に分かれた盛り上がりのツボを、中指を使ってぐいぐいと刺激して、外側に向かって開いたりもしてみた。開け、私の成長線………。
お風呂あがりで柔らかくなった皮膚に、汗をかきながら、ひみこは一心に、弧を描くようにしてマッサージを続ける。
……さあ、早く、早く、育ってね……私のかわいいシロガネアの森……。
今度は少し強く、手のひらを使って全体をぎゅうっと押し込んでみる。手のひらから伝わる体温が、本来あるべきところに何もない皮膚の、上全体を熱く覆っていく……。
そこで取り出したのが、テーブルに置き放してあった、いつも携帯している鞄に収納されていた秘薬『うるつやの杜の巫女』。それを手の中に少量垂らして、血の巡りが良くなった辺りに、ゆっくりゆっくりと丁寧に塗り込んでいく。そして最後に指を突き立てて、周辺の皮膚から中心に向かって、とんぼの目を回すようにくるくると、乳液を引き伸ばしながら内側に向けて掻き回していった……。
……その姿を、寝室の扉の陰から、一人の少女が呆然とした表情で見つめていた。
……ソファの上で、背中を丸めた肌色の少女が……、長い髪の毛を身体中に散らかしながら、一心不乱に自分自身の真ん中にあるものを弄り続けている……
……堪らず、彼女は吸血鬼の衣装の下に、手袋をしたままの手を差し入れ、もう生え揃った自分の13歳のシロガネアの森に想いを馳せながら、
………かつてないくらいに、……役作りをはかどらせてしまった……。
………全てが終わると、振琴深海はベッドに戻り、頭から毛布を被る。と、……わざとスマホのアラームを大音量で鳴らした。
隣室で慌てた気配、なにかをひっくり返す音、テーブルにぶつかる音、激しい衣ずれの音がして、
……やがて、しわくちゃのワンピースを着て、頭から所々髪を飛び出させた如月ひみこが、ベッドルームに入ってきた。
「…あ、あら、今起きたの?」動揺を隠せないひみこの声を聞いた深海が、う、う~んと伸びをしながら、 毛布から顔を出す。
「あ、ひみこ姐さん、オハヨウゴザイマス……。あれ?今何時ですか?」
「8時よ……。」疑うような顔をしたひみこが、深海の顔をじぃっっっ…と見つめる。
深海はカーテンから差し込む朝の光に目を細め、「焼け死ぬ………」と言って再び布団に潜り込むと、
暗闇の中で、……ひみこ姐さん、アタイ、あなたに一生ついていきます………。と考えていたのだった。
次回、『サリーとその仲間たち②』




