井47 舞踏会への招待
……今日の来客の予定は、全部キャンセルだわ。
メールを見ながら、パンドラプロダクション社長、雨宮世奈は、不機嫌そうに机の上を指で叩いていた。
備え付けのコーヒーメーカーで淹れた、濃い目のエスプレッソを、ずずずと啜り、眉間を指で摘まむ。
……あの女はいつもそう。人の都合なんて考えやしない。
う~ん、参ったわね。まあ、正直予定の方はどうにかなるのだけど、単純に、あの女と会うってのが疲れるわ。
飛ぶ鳥を落とす勢い、向かうところ敵なしの敏腕経営者、雨宮世奈が、こうまで恐れる相手とは……、
かの宍戸家の現当主、宍戸かぐやであった。
う~ん、台風でも直撃してキャンセルにならないかしら?いったい何の用があって、わざわざうちに出向いてくるのよ。ああ、憂鬱だわ。……もっと濃いコーヒーが欲しいわ……。
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11時の約束から遅れること、20分。パンドラプロダクションの地下駐車場に、宍戸家の車が到着したと、オフィスの内線に連絡が入った。世奈は、金髪の髪を後ろでギュッと結び、幸運のお守りである銀色のブレスレットに、そっと手のひらの熱を乗せて、唇を真一文字に結んだ。
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「久し振りね、かぐや。」世奈は背すじを伸ばし片手だけを腰にあてて、ハイヒールを履いた片足を、アン、ドゥオール…といった感じで踏み出した。
部屋に入ってくるなり、宍戸かぐやは、ふんと鼻を鳴らし「ええ、久し振りね」と言った。
着物で来たかあ……。世奈は心の中で、ゲゲっと思い、改めて宍戸かぐやの姿を上から下まで眺めた。
髪型は昔ながらのオールバック。シニヨンはふっくらとしていて、うえっ、趣味の悪いパールの髪飾りを付けているわ。
青みがかった薄灰のお召し物は、まあ、大柄の花模様と相まって、なんとも、品のあるお品物でございますこと、オホホホ、さぞかしお高いんでしょうね?
西陣織の袋帯も、素敵であらせられますこと……。まるで昭和のデパートの御歳暮みたいですわねぇ…。世奈はこめかみにいかりマークを浮き出させて、にっこりと微笑んでいた。
「今日はわざわざ、こっちまで出てくるなんてどういう風の吹きまわしなのかしら?」10秒ほど笑顔で睨み合った後、世奈が最初に口を開いた。
かぐやは、その質問には答えず
「……相変わらず、あなたの幼稚園は繁盛しているようね?まあ、なによりだわ。私も自分の幼馴染みが、路頭に迷うようなことになっていなくて、単純に嬉しいわ。」と言った。
抑えろ、抑えろ……。世奈は呼吸を整え、肩の力を無理矢理抜くと、「……それで、今日はなんの用なの?メールじゃダメだったの?」と聞いた。
「……そうね。まあ、私にだって礼儀はあるわ。実は今回はお願いがあって来たの。」「お願い?あなたが?」世奈が心底驚いたように目を見開く。
「そうよ。お願い、よ。昔のよしみで、出来れば穏便に済ませたくてね。」「……なによ、その含みのある言い方は?場合によっては、私、怒るわよ?」
「うふふ……。怖いわ。」と、かぐやは静かに、そしてどこか寂しそうに笑った。
その様子を見て一瞬怯んだ世奈だったが、「(オホン)いいわ、言ってごらんなさい。」と言って、プイと横を向いた。
「今年の宍戸家の舞踏会なんだけどね……、一時だけ、三上来栖を返してほしいの。」
「…………。え?ちょっと待って……?それは…、その、むしが良すぎない?」世奈が真顔で言い返す。
「ええ、わかっているわ。」かぐやが淡々とした様子で返す。「舞踏会までの間、借りるだけでいいの。」「百歩譲って……、クリスティーヌを貸すとして……、いったい何故?なんで今さら…」
「今年の舞踏会は、特別なのよ。うちのあきらが許嫁をお披露目する会になるの。」「は?まだあんた達、そんな旧態依然としたことやってるの?……ま、まあ、でも、あれね…、あのあきら君がね、へえ、ひとまず……おめでとう。」
「ありがとう。」とかぐやが、やけにしおらしく答えた後、「まあ、問題は相手の方なのよ。あの子があきらと釣り合う子だってのを周りに納得させなきゃいけないのよね……。」
「はあ??ちょっとちょっとちょっと??まず、どこから突っ込んでいいことやら?……え、あんた?そんな性格だったっけ?あんたの性格からして、あきら君に釣り合っていない女の子を、助けようなんて、悪いけど信じられないわ!第一あんたらしくなくない?
て、言うか、そもそも釣り合ってないって何よ?許嫁を決めたのはあんたらじゃないの?その子も可哀想よ!
……で?ミカミッチをその子の教育係にしようっての??は?
あんたらの舞踏会とやらは、審査員でもいるコンテストなの?ワケわかんないわ!」一気に喋りきった世奈は、ゼえゼえと肩で息をしながら「チョッと座らせて……」と言うと、ソファにどすんと腰を下ろした。
「あなたも歳を取ったわね」とかぐやが言う。「は?あんたも同い年でしょうが?」すかさず世奈はそう言ったが、ソファから立ち上がろうとはしなかった。
「まず、最初の質問?に答えるわね。」かぐやは部屋の中央に立ったまま、白に金糸のビーズ刺繍が施されたハンドバッグの口を掴みながら言った。
「許嫁は、あきらには不釣り合いよ。才能も、容姿も、性格も、何もかも。私の見る限り、財力以外あの子に取り柄はないわね。」「酷い言いようね…」「でもね……、あきらは…あの子を愛してしまったかもしれないの。」
まあ……と、思わず世奈が口を押さえて頬を赤らめる。
「私のことを鬼か何かだと思ってない?」……思っているわ。
「私だって、あきらには幸せになってほしい。」「……あんたがそうだったように?」
一瞬、かぐやはぼんやりとした目をして、世奈の顔を越えて、壁よりももっと先を見つめていた。「……そうね。あなたとの友情に免じて、そういうことにしておいてあげるわ。」
世奈も一瞬何かを言いかけたが、やはり気が変わったのか、何も言わずに黙っていた。
「二つ目は、……許嫁を決めたのは私ではないってこと。正確に言うと、私だけではない、というところかしら。あの人の亡き今、宍戸家といえど絶対ではないわ。隙あらば、寝首をかこうとしてくる連中だっている。……まあ、許嫁を決めるのは基本的に味方で平和な連中だけどね…。それでも、私の意志が全て反映されるという訳ではないのよ。どう、意外だった?」
……あんたの家はマフィアかなにか?今更ながら怖いんですけど……。私、いつか●ろされたりしない?
「あと、許嫁に選ばれたあの子は…、可哀想じゃないわ。あの子も心からあきらのことを愛しているわ。あれは多分間違いない。」
まあ……(×2)²
「で、最後の質問はなんだったかしら?…ああ、今日の一番の本題だったわね。三上来栖を、そうね、あきらとあの子のダンス教育係として雇いたいわ。」「…その名前で呼ぶと彼女、怒るわよ?て言うか彼女の意思は無視なの?」
かぐやがフッと笑う。「多分、あれは喜んで戻ってくるんじゃないかしら。」
「……クリスティーヌがさやかちゃんと会うことになるわよ?それでいいの?」世奈が真剣な顔に戻って言う。
かぐやは表情を曇らせた。「さやかは……、駄目ね。」「え?」「さやかは……、もう昔のあの子ではないわ。」「……どういうことよ。」「う~ん、あなたに言ってもわからないと思うけどね、……さやかは、自分が素晴らしい許嫁を得た幸運を、理解していないようなの。」「は?さっきのあきら君の時の話に比べて、なんか様子がおかしくない?」
「あんたさ、さやかちゃんは、その…許嫁のこと……どう思っているのよ?」思わずソファから立ち上がった世奈が言う。
「どうもこうも、あの子は彼を愛しているわ。」「まかさ、あなた……。自分の雪仁さんとの幸せな記憶を、子供達にも無理矢理当て嵌めているんじゃないでしょうね?……お相手は一体いくつなのよ?」
「……あなたには、関係ないわ。だいたい、今回の件は、さやかのことと何の関係もないわけだし。」「ちょっと、あんた?さやかちゃんに、何があったのよ?!あの、さやかちゃんが、駄目ってどういうことよ?」
かぐやが冷たい目をして、「その様子じゃ、今回の私のお願いは聞いてもらえそうにないわね?」と言った。
帰ろうとする旧友に、世奈が大きな声を上げる。「ちょっと待ちなさいよ!誰が聞かないって言ったの?!」「?」かぐやが黙って振り返る。
「私はまださやかちゃんをアイドルにする夢を諦めていないわよ!あの頃はさやかちゃんだって、それを望んでいた!」世奈が叫ぶ。
「なにをまだ……。」「クリスティーヌがいいと言うのなら、彼女にあなたの所に行ってもらってもいいわ!その代わり……」と世奈は言って机をバンッと叩いた。
「クリスティーヌをさやかちゃんと会わせてあげて!」
かぐやは、少し考え込むような顔をして、襟合わせを整え直しながら「……あの子は、きっと会わないと思うわよ?」と言い、「まあ、でもあなたがそれで三上来栖を貸してくれると言うなら……会わせるのは構わないけど?」と続けた。
「契約成立ね?」「待って。今すぐクリスティーヌに確認してみるわ。」世奈がスマホを取り出して、画面を数回タップした後に通話ボタンを押す。
プルルルル……プルルルル……
『ハロ~、どうしたの?急に。』
「ミカミッチ?今いい?」『なによ?そんな切羽詰まった声を出して。』
「いいから聞いて。」『ハイハイ、あ~怖いわぁ、どうしたの?』
「今目の前に宍戸かぐやがいるの。」『おおっと?』
「あきら君のダンスレッスンの為に、あなたを貸し出すことにしたわ。」『………あらまあ、それはまた急に……』
「ごめんなさい、あなたの気持ちも考えずに、勝手に決めてしまって……」『まあ、それは、いいんだけどね……?…あ、でも気にしないで。あの頃のこと、ワタシはもう、なんとも思ってないからね?』
「それでね、あなたにさやかちゃんと会ってほしいの。」『…おや……まあ。……う~んと、そうね……、わかったわ。了解よ。……また後で話しましょ?』
「ありがとう。じゃあね。」プチン。
「話は終わった?」かぐやが退屈そうな顔をして聞いてくる。
……なんで今の展開で、そんな退屈そうな顔が出来るのよ?もう、この女、イヤ!
「じゃあ、来週の土曜日から三上来栖には来てもらっていい?舞踏会まで、そんなに日がないから、もっと早くても構わないわよ。」と、かぐやは言って、最後に「お礼は、三上の分も含めてあなたの口座に振り込んでおくわ。」と付け加えた。
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ふう……、終わったわ。もう勘弁してほしいわよ。
世奈は冷めてしまったコーヒーをぐいっと飲み干し、うーーんと伸びをすると、オフィスを出て、そのまま御手洗いに向かった。
向かい合わせの御手洗いの入り口に差し掛かったところで、片側の旧男性用御手洗いの方から、
天埜衣巫が飛び出してきて、世奈とぶつかりそうになる。
衣巫は、おかめのお面を被った顔をこちらに向け、「す、すみません……!!」と言うと、慌てて走り去っていった。
なにを慌てて……と世奈は、小さくなっていく衣巫の背中を見送っていたが、ふと、すれ違い様の彼女の靴が濡れていた?ような気がして、
衣巫が出てきた御手洗いの方へ入っていった。
内部を何となく見回すと、ずらりと並んだ縦長の陶製の白い器のうち、端にある、手摺付きの物が立っている場所の床が、掃除をした後のように水浸しになっているのに気付く。
その水は、そのまま足跡になって、出口まで続いていた。……衣巫?あなた、ここで何をしていたの……?
いや、まさかね、え?いやいや。あり得ないって……。私はなに考えてるのよ。
……うふふ、私ったらバカね……そんなこと、絶対あるはずないのに。
世奈は首を振り、外へ出ると、向かい側の女性用御手洗いに入っていった。
次回、『まなちゃんとわかなちゃん』




