井44 先輩と後輩
日曜日は雨だった。
雨宮世奈は喪服のような、黒に近い紺のスーツに、白い襟つきのブラウスというコーデで、
上からボア生地の暖かいボレロを羽織っていた。隣には赤いロングコートを着た三上クリスティーヌが黒い雨傘をさしてくれていて、
片方の手をポケットに突っ込んで、颯爽と歩いている。
「……衣巫ちゃんはもう着いたの?」とクリスティーヌが歌うようにして言う。
「ええ、タクシーでね。用心して、早い時間に来るよう手配しておいたから、もう着いて、お面を着けて待機してくれているはずよ。」「衣装も着てるの?」「ええ、身内であっても、天埜衣巫には、見せられる私服などないわ。フリフリのキャっわいい、真っ白な、ひめひめした服を着てもらっているわ。オホン……」
「衣巫ちゃんの伝説のデビューライブから、もう一週間ね。」クリスティーヌが感慨深そうに言う。「衣巫ちゃんには宣材写真もないけど、ほんとにこのままでいくの?」
「ええ。あの子はパンプロの戦略を、更に一段上へ引き上げてくれたわ。天埜衣巫は、素顔を隠しているにも関わらず、映像ですら見られない門外不出のアイドルよ。御神映を作るなら、それ相応の扱いが必要ね。」
「オホホホ、流出させたら、不敬罪ね」クリスティーヌが、手に持った傘を少し世奈の方へずらす。「あら、気を遣わなくてもいいわよぉ、あなたも肩が濡れちゃうでしょ?」と世奈も笑いながら言う。
傘に雨が跳ねる音と、濡れたアスファルトに車が行き交う音が、途切れない雑音となって、二人の歩く空間を包み込んでいる。
「……次のライブ、ハードルが相当あがったわね。全く予想外の展開だったとは言え、神がかった演出となったわけだし……かと言って、前回と同じことをやれるはずもなく……、う~ん、さて……、次はどんなふうに仕掛けていくつもりなのかしら?」クリスティーヌが正面を向いたまま、しっかりとした声で言う。
「ミカミッチ?雨だからって、あんまり大きな声を出さないでね?誰が聞いているかわかったものではないわ。」「あら、ごめんなさい?ワタシも力が入っちゃって…」「それは、私も同じ。まあ、でも、私達は私達で万全を期すけれど、後はあの子の持つ力に頼らざるを得ない側面もあるわよね。」「なあに?アナタらしくもない。珍しく弱気になっちゃって!」とクリスティーヌが傘を傾けて、世奈の綺麗に染めた金髪の頭頂へ水を垂らす。
「ひゃっ?!やめてよね!」オホホホホ……とクリスティーヌが逆手にした手の甲を口に寄せて笑う。
「でも、そうね、… まずは、今日の会合で、何らかの化学反応が起きることを期待しましょう。」世奈はそう言うと、「じゃ、また後で」と手を振り、クリスティーヌを後ろに残してパンプロの本社ビルへ入っていった。
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……兎のようにフワフワした白いフード付きケープと、綿のボンボンをいっぱいぶら下げたワンピースを着て、何故かおかめのお面を被った少女が、応接室のソファに、ちょこんと腰掛けていた。
えーーっと…………。
如月ひみこは、緑色のパーカーと膝上の赤いプリーツスカートという、ある程度ラフな格好で、髪を簡単に後ろに縛ってきただけの自分の姿を見下ろして、
えーーっと……、ともう一度考えていた。
おかめのお面を被った少女が、すくっと立ち上がる。立ち上がるだけで、優しいクチナシのようないい香りが、微かに、ひみこの鼻をくすぐる。
お面からはみ出した栗色に近い柔らかそうな髪が、部屋の照明を受けて鈍く輝いていた。
「はじめまして。わたしは天埜衣巫です。」 喉にひっかからない透明な声が、ひみこの耳をくすぐる。かと言って、甘えたり、媚びたりすることのない、強い声。何だか学級委員に叱られてるみたい……。と、ひみこはすでに気圧されながら「こちらこそ、はじめまして。如月ひみこです。」と自分も自己紹介をしていた。
並んでみると、ひみこの方が拳ひとつぶんくらい背が低かった。
一応、私、赤と緑の服で、クリスマスカラーをイメージしたし、髪ゴムには星も付けてきたんですけど……、社長は、気軽な座談会だって言ってなかった?うーんと、ちょっと待って。この子のファッションはどうなってるの??これ、私服?可愛いすぎませんか?
だいたい、そのおかめのお面は何よ??要素盛り過ぎなんじゃない?
……こほん。
「変わった名前ね?それ、芸名?誰がつけたの?そのセンス、雨宮社長っ(ぽいよね)」
「本名てす。」「あ……、そう、なの?」ひみこは途中で言葉を遮られてあたふたとして、早口で言葉を続けた。「あ、あのさ、私のひみこってのは勿論芸名。そんな名前の人いないよねーアハハ……」
微笑むお面のはずなのに、……何故か冷たい視線を感じる……アハハ……。お面越しに感情を伝えるなんて…この子なかなかやるわね。
「私の真名は、雛咲御影。なかなかカッコいい名前でしょ?……ところがね、検索するとヤバい意味なのよねー、アハハ、名字も名前もアウト!親を恨むわあ……」
一層冷たい空気が部屋を流れ、ひみこは震えながら自分の肩を抱いた。
「あ、あなたってさ、最近パンプロアイドルの最終兵器だって話題の子でしょ?ファーストライブで何か凄いパフォーマンスしたらしいじゃない?まあ、でもたった100人の会場でしょ?体調不良で途中退場?……フッ…まだまだこれからね。まあ、もし先輩たる私のアドバイスが…」
天埜衣巫から感じる空気が変わって、ひみこはぎょっとして、思わず後ずさった。こ、この子、年下?それとも年上……?…なんか、こ、怖い……。
衣巫は、綿毛の付いた手袋をした手で、見えない肩の埃をパッパと払い、微笑むおかめの顔をこちらに向けた。
「先輩?今度の永久のディーヴァのことですが…。」
「あ、その件?」ひみこが自嘲するように顔を歪ませる。
「痛いとこ、突いてくるわねえ。」「?」その反応に衣巫が首を傾げる。
「大炎上中よね……。私みたいな子供には、ユグドルは向かないとか……、キャラデザインに比べて、わたしの存在自体が軽いとか……、アハハ、私と違い、キャラの方には身体の丸みがあるとか……アハハハ……。」ひみこがソファに座り込み腿に肘をついて、手のひらで顔を覆った。
「先輩……炎上、気にしてたんですか?」衣巫が逆に優しい声になって、ひみこの横に腰掛ける。
「…あなたはどう思う?」ひみこがそのままの姿勢で、首だけをこちらに向けて聞いてきた。
衣巫が答える前に、ひみこが勝手に喋り出す。
「悪いけど、私、もう中2だかんね?あなた、いくつよ?……私、小4じゃないっつうの。」「あ、あの、あんまりエゴサとか、しない方がいいんじゃないですか?よくは知らないですけど……。」「はいはい、社長もよく、そう言いますけどねー。あなた、私の評判見たことある?」
「あいつら、もう言いたい放題よ。まったいらの扁平足とか、まだ生えてないとか……」「え?先輩、中2でまだ、は、生えてないんですか?」「生えてるっつーの、永久歯の10本や、20本くらい!な~にが、ひみつのひみこちゃんの、つるつるの乳歯よ?!人をバカにして!」
衣巫は困惑したように、ひみこの横顔を見て、手袋を外した手を、彼女の肩辺りでふらふらとさ迷わせていた。
「ヨダレくさいお口の子は、興味ないってか?それならなんで、私に寄ってくるんだよ?ふ、ざ、け、る、な!……私は!もう!鼻血だって始まってんのよ?!
私が背がちっちゃくて、声も高いからって!も~う、ロリコン共、キモいんだよ!キ、モ、す、ぎ、ん、だ、よ!」
はあはあと、肩で息をしながら、ひみこが額の汗を手の甲で拭く。
ひ、ひみこ先輩?ぶっちゃけ過ぎでは……?
ひみつの、ひの字もないのでは……。
「だいたい、社長も社長よ。私にだってパンドリータがいるはずなのに、もう数が増えないからって見切りを付けて、
パンプロ初の男性ファン向けのアイドルとして、私の売り方を路線変更しようとしてくるし……。」
「サリー・ホッパーの舞台の件は、…そういうことだったんですね?ひみこ先輩は、男性ファンに売られようとしている、と……」
「その、言い方……。」
衣巫は、ずれてきたおかめのお面のあごを、つまんでくいっと引き上げた。「じゃ、じゃあ、永久のディーヴァのお仕事が入った経緯は……?」
「さあ?社長が取ってきた仕事だからね。どうして、そんなに気になるの?てか、あなたホントにいい匂いね……」衣巫が慌てて、ひみこから離れる。
「今回のユグドルは、私とイメージが重なるんだって。あんまり言うとネタバレ、と言うか守秘義務違反だかんねぇー。いくら口の軽い私でも言えないわー。」
……わたしみたいな生粋のディーヴァファンだと、今ので何となく察してしまったわ……。
劇場版AQDVで新登場するユグドルは、失われた4人目ではなくて、
若返ったディーヴァの姿ではないかしら?
ミンコフスキーの砂時計の力で再生される、とか、十分あり得そうな展開ね。年老いた姿から段々と若返っていき、最後は子供に戻る……とか。そうなったら、かなり胸アツな展開ね……。
……まあ、なんと言うか……、なんか、もう劇場版ディーヴァの方は先輩に任せるわ……。
今のわたしは、天埜衣巫。
わたしは、わたしのレーヴァテインステッキを探せばいいのよ。なんか、この先輩を見ていると、映画の役柄のことなんて、どうだってよくなってきたような……。わたしは、本当の意味で、きっとジェネシスに比肩するアイドルになれるはずなんだし………そうよねジェネシス?
「先輩、」「ん、何よ?」「劇場版AQDV の先行上映チケットとか貰えませんか?」「………考えとくわ…。」
「それにしても、あなたはいいわねぇ。
見たわよ、ネット上でのファンの大騒ぎ。……あんたのファン、100%パンドリータじゃない。」「でもまだ、100人ですよ?」
「贅沢言わないの。あなた、パンドリアンの毒牙から守られてるわよ?社長も、贔屓しないで私のことも守ってほしいわよ……。」ひみこは頭の後ろで手を組んで、バランスを取りながらソファの上で脚をぶらぶらとさせた。
「……それにしてもさ、そのおかめのお面、…外して見せてくれないの?」
「ダメです。雨宮さんから止められていますから。」
「ふうん?……代わりに今度のディーヴァのストーリー、教えてあげよっか?」
「それ、契約違反では?……それに、たとえディーヴァのことを教えてくれたとしても、お面は外せません。」
「じゃあ何をすれば素顔を見せてくれるの?」
「そうですね……」衣巫がお面の下で、悪戯そうに笑うのが雰囲気でわかった。この子、本当に感情表現がうまいわね。なんで伝わるのよ?
「先輩は真名をパンドリアン達に明かせますか?」
(ひ、ひなさき……み、み、み、みかげちゃん……て、おなまえなんだ?……みかげちゃんは、そ、そのいみ、しってるのかな……?)
「……う~ん、ちょっと嫌かも…。て言うかゼッタイにイヤ!」
「先輩?」「なによ?」「先輩のこと、ヒナちゃん、って呼んでいいですか?」
「な、なんでそうなるのよ?!」ひみこの顔が赤くなる。
「わたしのことは、イヴって呼んでください。」ぐふっ。お、おう……。
この子、ヤバいわ……。いい匂いすぎる。抱き締めちゃダメかな?
「ヒナちゃん」「は、ハイ?」「思ってたイメージよりも、なんかちっちゃくて可愛いから、ギュッとしていいですか?」はい???え?そっちから?
如月ひみこは、天埜衣巫に抱き締められながら、ぽわんと口を開けてほっぺたを真っ赤にしていた。
……やりすぎたかな?と赤城衣埜莉は考えていた。先日、クリスティーヌのダンスレッスンを受けている時、この会合の予定を話したところ、
『如月ひみこちゃんは、ああ見えて面倒見の良いところがあるから、味方に取り込んでおいた方が得策よ~』と聞いていたので、
ディーヴァの件でのわだかまりが解けた今、この厳しい?アイドル業界、味方は一人でも多い方がいいだろうと、衣埜莉は、先手を打つことにしたのだったが……、
「ちょ、ちょっと何すんのよ?!いくら、私がちっちゃくて、可愛いからって、図々しいわよ!」と言って、ひみこが両手を突っ張って、衣巫の体を引き剥がした。
……怒らせちゃったみたい。まあ、可愛さは、わたしの方が一枚上手だけどね。正直、恐るるに足らないわ。
「先輩、ごめんなさい。」「え?なに、ヒナちゃんでいいんだけど?」…あ、そうなの?
「まあ、あれね……。先輩として、色々と教えてあげるから。イヴ!困ったことがあったら、何でも言いなさい。」と、ひみこは、エヘンと鼻を上に向けて言い、
思い出したように、後ろで縛っていた、実は腰まである長い髪をふわさっと下ろした。
確かに、妖精ね………。衣巫はひみこの真の姿を見て、やはり侮れないわね、と考えていた。
次回、『アイドルのいろは』
アイドル編は面白いですか?GWも終わりましたが、まだ続きます。
登場人物も増えてきたので、どの子の話が読みたいとかも教えていただけると嬉しいのですが…。
いつも読んでくださってありがとうございます。引き続き宜しくお願いいたします。




