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井42 衝撃のデビュー


天埜衣巫あまの いふデビューライブ当日、都内某ライブハウスには、厳戒態勢が敷かれていた。


ピリピリした空気の中、幕を張られた裏口に到る通路に、IDカードを首から提げた女性スタッフが、緊張した面持ちで立っている。

……新人アイドルにここまでの厳重警備とは…、今回社長が、この天埜衣巫にどれだけ賭けているのかが伝わってくるわね。


謎のアイドル。


デビュー前から各メディアに種を蒔き、最初は知る人ぞ知る、パンプロ期待の新人という売り出し方から始まり、

それがいつの間にやら、社長自らプロデュースする、パンプロの最終的兵器と呼ばれるに至っていた情報操作の手腕は、

……流石(さすが)と言える。


でも、ここまで期待値を高めちゃって大丈夫かしら?言っても新人でしょ?うちには看板アイドルの如月きさらぎひみこがいるのに。

まあ、卑弥呼(ひみこ)に匹敵するスーパーアイドルってことなのかしら。天埜衣巫の名前は天鈿女命(アメノウズメノミコト)からきてるってことだし、まあ、でも、新人アイドルの名前を…古事記から引っ張ってくるなんて、何とも(おそ)れ多い話ね……。


まだ誰も、天埜衣巫の姿を見たことはない。

それなのに、そのままデビュー当日に初ライブ。恐ろしい倍率の抽選を勝ち抜いてきた、たった100名のパンドリータ(※パンプロの女性ファンの別称)達が、

いまかいまかと開幕を待ち構えている。


持ち物検査も徹底していて、入り口でスマホの電源もオフにさせるのは勿論のこと、広帯域受信機、金属探知機、何やら怪しげな機械がずらりと並んだ中を通過していかなければならない。更にあり得ないほどの予算がかけられていて、実はオーディエンス約3人につき、1人の女性警備スタッフが観客席に入り、

この定員150人のライブ会場を満席にしているのだった。


会場の外を囲むのは、目が血走ったパンドリアン(男性ファン)達。ライブハウスのスタッフ用入り口付近には、暴力団と見紛うばかりの強面(こわもて)の男性警備員達が配置されていて、殺気立ったドルオタ達を一歩たりとも寄せ付かせないようにしている。


天埜衣巫の会場入りのタイミングは、スタッフにもギリギリまで知らされていなかった。


「ちゃぁおっ!」絵に描いたように、肘にもう片方の手の甲をあてがい、頬の横で指先にしな(▪▪)を作りながら、

パンプロ専属ダンストレーナー、三上クリスティーヌが歩いてくる。「皆さま、ごくろうさま!」

……今にも警備員に投げキッスでもしそうな勢いね……。

この5年間、彼女(かれ)の振り付けで、幾多のパンドル(パンプロアイドル)達が、舞い踊り、多くの人々を魅了してきた。

最近は忙しくなり、後進の育成に専念していたと聞いていたのだが、今回の天埜衣巫プロジェクト(通称、岩戸(イワト)案件)には、全面バックアップの体制で関わっているらしい。

ほんと、どんだけ力が入ってるのよ……。まあ、かくいう私も、パンプロの一ファンとして、ワクワクが止まらないんだけどね。


************


急に周囲が慌ただしくなる。


前後2台に挟まれた、黒塗りのフリウスが乗り付けられ、駆け付けた警備スタッフ達によって人の壁が作られる。

押し寄せようとするパンドリアン達。だが、彼らの熱意も虚しく、警備員の片手1本で押し戻されてしまう。興奮した1人のファンが奇声を上げた瞬間、音もなく2人の警備員が飛び出してきて、静かに彼を粛清(▪▪) していった。


異様な熱気が会場周辺を包む中、フリウスの扉が開かれる。『うぉぉぉぉぉぉ……』と、パンドリアン達が怒号のようは雄叫びを上げる。

連行される犯罪者のように、毛布に包まれた小さな人影が、屈強な女性2人に抱えられながら、

小走りに駆け抜けていく。


今日のイベントに、生配信はない。パンドリアン達は当然として、抽選に外れた多くのパンドリータ達も、天埜衣巫のライブを有料配信で見ることが出来るまでには、一週間以上を待たなければならない。


否が応でも期待値が高まる中、会場の入り口は完全に閉鎖され、いよいよ大小のメディアも、完全にシャットアウトされた。


……さあ、始まるわ……。

裏口に立っていた女性スタッフは、自分のような末端の人間ですら緊張のあまり、気分が悪くなってきたことを感じ、

こんなプレッシャーの中、歌わなければいけないアイドルというものは、とてもじゃないが常人では勤まる仕事ではないな、

と今更ながらに感じていた。


ーーーーーーーーーーーーーー


……さあ、始まるわよ、天埜衣巫あまの いふ。パンドリータ達に見せつけてやりなさい。あなたの全力を……。


雨宮世奈あめみや せなは、緊張から沸き上がってくる変な笑いを噛み殺しながら、サウンドチェック室に付いたモニターを凝視していた。この場にはクリスティーヌですら入ることを許されてはいない。彼女(かれ)は別な部屋に隔離され、やはりモニターでこの状況を見守っている。

今日のライブは、衣巫の母親でさえも見に来ることが出来なかった。

…今回のライブ参戦に、特別枠は存在しない。

全てが厳正なくじ引きで行われたものなのだ。



開演のベルが鳴る。



………今、ここに1人のアイドルが生誕する。


その名は、天埜衣巫(あまの いふ)……。



暗闇の中、シンプルなスポットライトが舞台の中央を照らし、

……気付けば、少女は、そこに立っていた。


ざわつく会場の女性達。

……え?なに?

……あれが、天埜衣巫?

………どういうこと?

…………変なお面を被っているけど?

……………顔は?どうなってるの?顔を早く見せてよ?!


下ぶくれの頬をした白いお面(おかめ)を被った少女は、ピンクのラナンキュラスのようなドレスを着て、マイクを持った手を胸の前で組んで、

じっと立っていた。


何枚も重なったフリルの花びらが、繊細に、震えるように、微かに、1ミリだけ動く。


すうっと息を吸い込む音をマイクが拾い、観客達が注目した瞬間、


爆音と共に、耳をつんざく高音のピアノが鳴り響き、階段を駆け上がるような音階の後に、悲しげな、どこか懐かしい旋律が流れた。生バンドではない、ただの録音。だが、それは……、

舞台に立つこの少女、天埜衣巫の存在以外、他に何もいらないのだということを、観客達に雄弁に物語っていた。

不気味に微笑んだおかめの面が、観客達を見下ろすようにしてライトアップされる。

衣巫は軽く肩を揺すりながら、音楽に合わせて徐々にステップを踏み始め、

やがて激しく左右に体を振り始めた。


貴婦人のスカートが、衣巫の動きに合わせて、胞子を撒き散らす(きのこ)の笠のように跳ね踊る。

一気に衣巫の世界に惹き込まれたパンドリータ達が、歓声や拍手などの、何らかの反応を返そうとした矢先、

衣巫がマイクをお面の口元に近寄せて、透き通る高い声で歌い出した。


『♫……わたしの声をきいて。今すぐに……ほら』キャアァァァァァァァァァ…………!!!

歌が聞き取れないほどの絶叫が、会場中を覆い、正気を失ったパンドリータ達が、30人以上いる女性警備員達の制止を振り切って、舞台側へ殺到しようとした。


会場は、汗のにおいと、女性達の髪のシャンプーのにおいと、熱気と、喧騒が入り交じって混沌とした様相を呈していた。


………今日は、高校生以下は入れないようにしておいて正解だったわ……。

雨宮世奈は、モニターを見ながら考えていた。


……あらまあ、さっそくワタシの振り付けを無視しちゃって……、衣巫ちゃん?アナタってば……、最高ね?

三上クリスティーヌも、世奈とは別な部屋でモニターを食い入るように見つめていた。


曲は3曲。全てが今日のために書き下ろされたもので、完全に未発表の新曲だった。


1曲目を歌い終わった衣巫は、肩で息をしながら、舞台の中央でしばらく静止して、歓声を一身に浴びていた。


おかめの面からはみ出した長い栗色の髪には、大小様々なリボンが散りばめられていて、その中でも一場大きな赤いリボンの中央に輝く多面体のプラスチックが、

照明の光に反射してキラキラと明滅している。


音響スタッフは、衣巫の呼吸が整って、次の動きに移るのを待っていた。三上クリスティーヌの演出に沿って、衣巫が動き出さない限り、2曲目を始めないように、と厳重に注意されていたからだった。


30秒……、1分、90秒………。


衣巫は動き出さなかった。


……徐々に会場は静まりかえっていき、いまだ微動だにしない、おかめのお面の少女に全員の目が集中する。

衣巫の体が、ガクッと手前側に折れ、それを合図に、優しげなメロディーが流れ始めた。


だが、衣巫はそのまま、しゃがみ込み、お面を着けた顔を幅広いセーラー襟の中へ(うず)めていた。


一場手前で見ていた観客が、異常に気付く。


「あ……あれ、」


衣巫のおかめのお面の(あご)の下辺りから、ひとすじの糸のようなものが見え、それはスポットライトに反射して、ぼんやりと光りながら、

淡いピンク色の、天使を連想させる可憐な衣装の上に垂れ落ちていた。


音楽が唐突に止まる。


……美しい絵画に閉じ込められた少女は……、

多くの観客の視線が注がれる中、

自分の体温と同じ熱い淀み(▪▪)によって、

女の子の憧れが詰まったように、ふわりと膨らんだドレスの前側を……勢いよく汚していきながら、体全体の筋肉が、赤ちゃんのように(ゆる)んでいくのを感じていた。


御手洗いに行かせてもらえなかった……。……おかしいよ……マスクにするなんて、…出来ないよ………。 御手洗いに行かせてもらえなかった……。わたしのせいじゃない……。御手洗いに行かせてもらえなかった………。御手洗いに行かせてもらえなかった……。


照明が、ガタンと落とされて、舞台のそでから黒い人影が駆け寄ってきて、真ん中の小さな人影を抱き上げて運び出していく。


しばらくすると、観客席側に照明が灯り、困惑した聴衆達のお互いの顔がはっきりと見えるようになった。ざわつき始めた女性達は、今起きた出来事を口々に話し始めていた。




……か、完璧だわ………。

雨宮世奈は、モニターの前で呆然とした様子でソファに深く身を沈めていた。

これ以上のデビューライブは望めない……。

天埜衣巫は、やってくれたわ……。あの子は…、多分…………、そう、神格化される(▪▪▪▪▪▪▪)わ。

パンドリータ達のあの顔をご覧なさい。ほとんど恍惚としているわ。これ (▪▪)を見られたことを、ある種の啓示として受けとっているはず……。


私にはわかる。彼女達は、このことを決して口外しない。強い結びつきで、天埜衣巫を守りながら、また、今日のことを(さげす)み、同時に憧れることになるだろう。


この有料配信は封印する必要があるわね。ただ………、何があったのかを匂わせるだけの、最低限の情報を……、パンドリアン(男性ファン)達には撒いておきましょう。


まあ、たとえ今日のパンドリータの中から裏切り者が出た場合でも、天埜衣巫のブランドに傷が付くことはないわね。

観客席の様子を見てご覧なさい………もうすでに、あの子の不可侵の伝説は始まっているわ。

……後は、今日の出来事が、誰にもバレて(▪▪▪▪▪▪)いない(▪▪▪)ということを、衣巫に信じ込ませ、情報の方も、徹底的に統制する必要があるわね。正直、これが一番の難題かも。まあ、何とかするわ。後ですぐにクリスティーヌと作戦を練ることにしましょう。


念のため、今日の100人のパンドリータ(女性ファン)達には、途中でライブが中止になったことを謝罪し、次回のライブには全員を必ず招くことを約束しておくわ。

これからも天埜衣巫が見たいのなら、この秘密同盟に参加してほしい、と仄めかせば、まあ、彼女らはイチコロよ。

雨宮世奈は、ククク、と(こら)えきれないように笑い出し、


あの、おかめのお面……、将来、とんでもない値段がつくかもね……。などと考えていた。


次回、『伝説の始まり』


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