井41 新しいディーヴァ
「え?如月ひみこちゃんって年上なんですか? 」
赤城衣埜莉が、肩にかけたタオルで額の汗を拭きながら言った。
「そうよ?
ああ、まあ、あれね、パンプロは基本、アイドルの年齢を公開していないからね。衣埜莉ちゃんが知らないのも当然よ」
背の高いダンストレーナー、三上クリスティーヌさんが、広い肩幅を狭めるように背を丸め、
体にしなを作りながら言う。
「ひみこちゃんは特別。あの子は出会った時から、ぜんっぜんっ変わってないわよー。あれはね、永遠のニンフェットってやつね。うらやましいわぁ。」
「そ、そうなんですか?……ところでクリスティーヌさんは、いつからパンプロでダンスを教えているんですか?」
「まあ、ワタシは最初からパンプロ専属ってわけではなかったけどねえ。え~っと確か5年くらい前からだったかしら?」クリスティーヌは、パーマのかかった黒い艶髪を後ろに撫で上げ、刈り上げた後頭部の汗を軽く手で拭った。
「だいたいね?ほら、ワタシ、この通り見た目は男でしょ?パンドラプロダクションの本社には、一度も入れてもらったことはないのよ?それでも、世奈ちゃんが、ワタシを気に入ってくれてね、こうやって専属のトレーナーにスカウトしてくれたってわけ!」
クリスティーヌが人差し指を立てて、パチリとウィンクをする。……わあ、ウィンクが上手!
「でも、そのおかげで、わたしは地元の近くで、こうやってダンスを教えてもらえるから、ラッキーですね!」と衣埜莉がニッコリと笑って言う。……わたし、この人、なんか好きだわ……。
「あら、カワイイこと言ってくれるじゃない?……まあ、でも、休憩はこれくらいよ!さあ、さっきのところ、もう一回!」「はあい。」
小一時間踊った後、衣埜莉はさすがに息が上がって、スタジオの床に脚を投げ出して天井を見上げながら座っていた。
「衣埜莉ちゃん、」「は、はい?」「アナタ、なかなかいいわよ。」「あ、ありがとうございます……はあはあ。」
「世奈ちゃんが、アナタにどんなダンスをさせたいのか、まだわからないけど…、アナタ、なかなか有望よ?自信持っていいわ。」「は、はい、自信は…持ってます…」
「おほほほほ、いいわね、いいわね、ワタシ、ちょぉっと楽しみになってきたわぁ」
ピリリリリ…………
アラームのような着信音がして、クリスティーヌがとてとて…と小走りで、床に置かれたスマホを取りにいく。
「あら、もう着いたの?え?もう、すぐそこ?いやだ、今、汗クサイから着替えるわあ。」
クリスティーヌが慌てたようにこちらへ戻ってくると、衣埜莉に制汗スプレーを投げて、「ほら、すぐ着替えなさいな、世奈ちゃんがこっちに来るわよぉ」と言った。
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「どう?新人ちゃんの様子は?」
雨宮世奈が、にっこりにっこりしながら、クリスティーヌの真横まで歩み寄り、拳で肩を軽く小突く。
「なかなかいいわよ?」とクリスティーヌがとぼけた顔で言い、目を見合せると、二人は小さな女の子のようにクスクスと笑った。
「て、いうことは、かなりイケるってことね?……衣埜莉ちゃん、あなた凄いわねぇ、ミカミッチにここまで言わせるなんて、相当なものよ?」世奈がそう言うと、
衣埜莉は涼しい顔をして、「先生がいいからですよ。」と返した。
「歌の方もいいらしいわね?相澤先生も、発声方法を少し改造すれば、ライブもいけるって言ってたわよ?…あなた、どれだけ高スペックなのよ?欠点はないの?」
……ないと思いますけど、どうだったかしら?えーと、何か苦手ってあったかしら……?
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「なんだか、すでにいい仕上がりみたいだから、」世奈がクリスティーヌに目で合図を送りながら言う。「ちょっと、衣装を合わせて踊ってみてくれない?」「あら、そうね、ジャージとは感覚も違うし、一度試してみる?」
「え?で、でも汗、かいたままでいいんですか?」衣埜莉が咄嗟に自分の体のにおいを嗅ぎながら言う。
「いいの、いいの、このスタジオにある衣装は元々、練習用だから。逆にちょっと臭うかもしれないわよ。」
「衣装が臭うってのも、まだ売れないアイドルあるあるだから、経験しときなさいな。」クリスティーヌが笑いながら言う。
「じゃあ、早速。」と世奈が手を擦り合わせると、舌なめずりをする勢いで、衣埜莉に迫ってくる。「さあ、向こうへ行きましょうか?」「ちょ、ちょっと待ってくだ……」
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……。
スタジオの中央に立たされた衣埜莉を、少し離れて囲いながら、世奈とクリスティーヌが、腕を胸の前に組んでじっと見ていた。
「これは、…可愛い、わね……。」「な、なんか、可愛くて、見てられないわ……。」
……スタジオの中央には、ピンクと白のチェック柄の入った、長袖のドレスワンピを着た衣埜莉が、自分の体の前を両腕で隠すようにして立っていた。
ワンピースの膨らんだ長袖は、ほおずきのように中が空洞になっていて、内側に外気を孕みながら、衣埜莉の肌を包み込んでいる。そのフリルの付いた袖口は、細いリボンで強く絞ってあり、華奢な白い手首が、痛々しく拘束されているようにさえ見えた。
衣埜莉の折れそうな細い首を、大きなピンク色のリボンが締め付けている。
リボンの絞首刑……。世奈はふと、恐ろしい連想をして、背すじを寒くしていた。
緞帳に似たひだを垂らした重いスカートが、埃っぽい舞台の幕のように、衣埜莉の汗で湿ったペチコートを覆い隠している。
髪の毛は、クリスティーヌが即席でセットをしたもので、前髪をふわりと上に上げて額を見せるようになっていた。その柔らかい髪の光沢の上に、蝶々が飛んだ軌跡のように細い線状のリボンが絡まっていて、その最後に、大きな黄色いリボンの蝶々が、耳の上で羽を休めているのが見えた。
衣埜莉の顔は、異様なまでに赤く紅潮していた。
首の辺りは斑に赤くなり、鼻の頭が汗でてかりを帯びている。
「て、手をどかしなさいな、全体が見えないわよ。」とクリスティーヌが言うと、衣埜莉がふるふると黙って首を振り、涙目になって唇を噛んだ。逆に、彼女を見つめる二人の大人の目は、吸い寄せられるように、舐めるように、この少女の身体を凝視してしまっていた。
「な、なんか……、ワタシ、は、恥ずかしくなってきたわ……。」クリスティーヌが自分の頬を両手で包んで(いやだわ)と呟く。
とうとう衣埜莉は体を丸めるようにして、その場にしゃがみ込んでしまった。
そこで「オーケー、わかったわ!もういいわよ、十分だから!」と世奈が満足そうに微笑みながら、大きな声で言い、手をパンッと叩いた。
衣埜莉が、クリスティーヌの用意した、大きめのタオルに身体を包まれながら退場していく。
しばらくすると、ジャージ姿に戻った衣埜莉が、クリスティーヌに連れられて恥ずかしそうに戻ってきた。
「……課題と、今後の展望が見えてきたわね。」と世奈が自信に満ちた笑顔で、後の二人を見つめて言う。
「あらなによ?聞かせて聞かせて。」とクリスティーヌが言う。
「…ミカミッチ、私、実はね…すでに面白いことを思い付いていたの。ねえ、衣埜莉ちゃん?」「は、はい……」「あなたの売り出し方法だけどね……。」「はい」
「……『素顔を明かさない仮面のアイドル』でいくわ!!」「ナルホドね!」クリスティーヌが胸の前で指を交差させながら、ぴょんと跳ねる。
「衣埜莉ちゃん。そうすることで、あなたは恥ずかしがらずに、アイドル衣装を存分に人前に見せて、歌って踊ることが出来ると思うの!
……ただね、最終的には、どこかのタイミングで素顔は明かすことになるわよ!
それまでに、幾多の可愛い衣装に慣れておきなさい!」
……か、仮面のアイドル?そ、それってまんま、永久のディーヴァ※じゃない?
※(井13 登場人物紹介・用語解説を参照)
衣埜莉はそう考えて、胸の鼓動を早めていた。
「そうだ、ねえ、衣埜莉ちゃん?あなた……この前、説明した、マスク、まだしてないでしょ?今はいいけど、本当にダメよ?盗撮は、絶対対策しなきゃダメ。……確かにこのスタジオは、大丈夫だけど…。でも、こういった場所は、かなりの例外だから。普通、外で御手洗いに行ける場所はないと思っておいて。……それに、女の子は体調が悪い時は必ずあるから…。マスクには必ず出来るようにしておきなさいよ?
あ、あとマスクの処分についても、くれぐれも気を付けておいて!外では絶対に捨てないように。顔を隠してアイドルするにしても、仕事中は同じだからね?なんなら、仮面を着けている間の御手洗いは、より気を付けなきゃいけないくらいよ。」
話している間、気を利かせてこの場から離れていたクリスティーヌが、(話は終わった?)と笑顔で戻ってくる。
入れ替わりに「実は、もう仮面の試作品は用意してあるの。なかなか斬新なアイドルになるわよ…」と言って、世奈は入り口に置いてきたスーツケースを取りに戻っていった。
…斬新て……。顔を隠すアイドルってそれなりにありがちじゃなかったかしら?
衣埜莉がそう考えていると、
世奈が悪戯そうに微笑みつつ、スーツケースを引いて戻ってきた。
「はい、これ。着けてみて。」
世奈がスーツケースから取り出したものを、衣埜莉とクリスティーヌが並んで、上から覗き込んだ。
…………。
そこには、
…真っ白な丸い顔、鼻が低く、真ん中分けの髪の毛と、下ぶくれの頬、…垂れた細い目の女性のお面が乗せられていて、彼女は、困り顔の丸く薄い眉と、紅を差した小さな肉厚の唇で静かに微笑んでいた。
こ、これって、…その……お、おかめ……ですか??
「どうかしら?」世奈が上気した顔で二人のことを見返す。
「面白いわね!!」クリスティーヌが両手の指を頬の横で噛み合わせて、体全体でS字を作りながら、くねくねとして、動きで喜びを表現する。
「お、面白いって、ちょっと?!わたしを使って、あ、遊んでませんか?」衣埜莉が後ずさりしながら言う。
「え?…私は大真面目よ。衣埜莉ちゃん……あなたね、正直、可愛すぎるのよ。これくらいのデバフをかけた方がいいわ。
それにね、天下のパンプロが売り出す、大型新人よ?!」世奈は、頭頂まで綺麗に染まった金髪を輝かせて、芝居がかった様子で腕をガバッと広げた。
「おかめ顔の下には美少女がいるに決まってるじゃない??」
「これは話題になりそうね!」クリスティーヌもつられて、くるりとピルエットをした。
「「さあ、着けてみて!」」二人が揃って衣埜莉の両肩を掴む。
え?え?こ、こんなのアリ?
衣埜莉は、あれよあれよという間におかめのお面を被せられていた。
「「え~~!!きゃわい~いぃぃ!!」」
二人の大人が、向かい合って手を繋ぎ合い、ぴょんこぴょんこと跳び跳ねる。
「……真名は、まだ明かすべきではないでしょうから……仮初めの名を決める必要があるわね。」世奈が思案顔をして、おかめのお面を被って直立する衣埜莉の姿を見ながら、周りをぐるぐると回る。
「う~ん。ミカミッチは何かアイデアある?」「そうねぇ…」
「あ、あの……」真っ直ぐ立ったままの衣埜莉が、片手を肘から上だけ挙げて発言を求める。
「ん?なあに?」「あの、わたし、名乗りたい名前が有ります……」「なに?言ってごらんなさい?」
衣埜莉は深呼吸をしてから、透き通る声で言った。
「イヴ……。」
世奈とクリスティーヌが顔を見合せる。
「イヴ…、創世記の、最初の女性……その語源は、息をする…生きる…からきているとされる……」
いつの間にかスマホを片手に ◎キペディアを見ながら、世奈が呟く。「禁断の果実……楽園からの追放……う~ん、素敵だけど、なんかちょっと違うかしら?」
「そうね、名前とこのおかめちゃんとの間に、どう整合性を持たせるか、が問題よね?」クリスティーヌがひらひらと指ダンスを披露しながら言う。
「おかめと言えば、天鈿女命。芸能の神様としても祀られているわね。」「えーっ、天の岩戸ねぇ……でも、ちょっとばかりエロチックなイメージになりすぎない?」「そうねえ、……まあ、この子はロリータ服で推すから、露出は控えめ。逆にファンの妄想が膨らむわね!」
……ぜ、全部◎キペディア頼みなのね……。衣埜莉はおかめの表情のまま、二人のことを眺めていた。
「……よし、決まったわ。」
世奈がメイク台に置かれたメモ帳に、置かれていた口紅で何かを書いて戻ってくる。
「ジャジャーン!!」
雨宮社長が手にした紙を二人が覗き込むと、そこには大きく
『天埜衣巫』
と書かれていた。
…な、なんか寄せ集めの漢字みたいな名前だけど、大丈夫かしら?まあ、一応、みんなの希望と、わたしの名前も入ってるみたいだけど……。
「いふちゃんねっ!……もしものifと、畏怖するの、いふと、創世記のイヴ。なかなかいいんじゃない?」クリスティーヌがニヤリと笑う。
雨宮社長の表情が急に厳しくなる。「あなたの素顔を知る者は、ここにいる私と、ミカミッチだけとしましょう。…今、この瞬間から、パンプロ内の他のアイドル達にも、完全なる秘密とします。」「トップシークレットね!」とクリスティーヌが嬉しそうに言う。
「衣巫?」「は、はい。」「これからガンガンいくわよ。覚悟しなさい!」「はい」
赤城衣埜莉改め、天埜衣巫は、スタジオの大鏡に映ったおかめ姿の自分を見て、
……これってほんとにありなんでしょうね??と考えていた。
次回、『衝撃のデビュー』
引き続きGWスペシャル、アイドル編をお楽しみください!




