井36 上映会
早川雄大は、前髪だけを少し長く伸ばしたツーブロックの髪型から、付き出した耳を真っ赤にさせて、廊下を直進していた。
手には、茶封筒に入った小さなUSB メモリが握られている。
帰りの会が終わった後、雄大は東三条先生からこれを受け取っていた。
先生曰く、「見せられる部分は一部だけだから編集したけど、これが君の見たい情報だと思う」とのこと。あと、これは必ず村田さんと一緒に見るように、とも言われていた。
詳しくは見てから、と先生は言っていたが、
ここに御手洗さんの謎に迫る何かが映りこんでいるに違いない。そう思うと、雄大は一刻も早く家に帰ってパソコンで確認してみたかった。
「村田!」 「は、はい?」「さ、早く帰り支度をしろ!」
雄大がクラスのみんなの前で村田知佳に声をかけているのを見て、一部の女子達がひそひそと何かを話している。
「ちょ、ちょっと、秘密探偵団じゃなかったの?」と赤面しながら知佳が言う。
「あ、そうか、じゃあ村田、エッチの映像の件だ!校門のハナミズキのところで待ち合わせだ。いや、やっぱりあそこは目立つ。ツバキのところに変更。」と、すれ違いざまに囁くと、恥ずかしすぎて涙目になっている知佳を残してスタスタと歩み去っていった。
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「一回家に帰らないで、直接うちへ来いよ。」と雄大が言う。「これ、早く見たいんだ。」
知佳はカーディガンの上から胸を押さえて「うん…あまり遅くならなければ大丈夫かも……」と言った。
道すがら雄大が興奮して話しかけてくる。「これで、場合によっては双葉や高嶺をぎゃふんと言わせられるな!」「で、でも、そこに映ってる映像が…その……わたし達が思っているようなものだったとしたら、どうするの?それを双葉さんとかに言うのって……、よく考えたら、その……、触れてはいけないことなんじゃないかな?」
「う~ん。」雄大が腕を胸の前で組んで考え込む。小さな滑り台しかない公園の前で二人は立ち止まり、ツバキの生け垣に沿った緑色の柵に寄りかかっていた。
「まあ、確かにな。」雄大が真面目な顔をして言う。「御手洗さんが本当にいるとしたら、それはもしかしたら、人が触れてはいけない領域の話なのかもしれないな。
もし……、もしもだよ?七つ目の不思議が、本当なら、
…人を死に至らしめるような超常的な力が、七不思議にはあるのかもしれない。
考えてもみなよ、」「ちょ、ちょ、ちょっと待って?早川くん、なんの話をしているの?ミ、ミタライさんって誰?……あと、前から思ってたけど、その七不思議ってなに??」
「え?村田こそ、なに言ってんだ??」
「……わ、わたしだってわかんないよ。そ、その映像には、なにが映ってるの?」知佳が汗で眼鏡を曇らせながら言う。
「それは俺にだってわからないよ。ただ、これだけは言える。東三条先生は、学校の七不思議を解明するために動いているんだと思う。」「へ?」
すぐ先の道路を、ツグミかヒヨドリかムクドリか何かの小鳥が、地面を這うように移動していく。どこかで救急車が走る音が聞こえ、その後に電車の通り過ぎていく音が、冬の空気を振動させて伝わってきた。
「秘密少年探偵団、団長として言うけどさ、お前ってなんだか頼りなくない?」と言うと、雄大は頭をポリポリと掻いて、知佳の方へと向き直った。
「東三条先生は、俺と同じで、この学校の七不思議を調査しているんだよ。まあ、あの頭のいい先生のことだ。俺よりも先に進んでいるはことは十分にあり得るけどな。」
「そ、その七不思議っていうの、もう少し詳しく説明してほしい……。」
「やれやれ、これは我々の一番の活動内容だぜ。だいたい、この探偵団は、このために結成されたと言っても過言ではない。」
「あ、じゃ、や、やっぱり、秘密少年探偵団について教えて。そもそも秘密少年探偵団って、なんなの?」
知佳は、こんなにいっばい人と喋ったことがなかったため、
生まれて初めて、喋るのにマスクが邪魔だということを意識していた。
「え?知らないの?秘密少年探偵団は、利根川弎歩の推理小説だよ。怪盗四十面相と荒地探偵。」
「そ、それをなんで早川くんが、や、やってるの?」
「う~ん、かっこいいから?」え、それだけ?
「まあ、とにかく、俺は以前から興味のあった学校の七不思議の謎を解明するために、この団を結成することにした。」「だ、団員は何名いるの?」「えーーーっと、そのぉ、なんだ?…約1名?ほら、お前を入れて1.5名?になるのかな。」
「そ、それでその、七不思議っていうのは……?」
小さい子供を連れた若い母親が公園に入ってきたので、二人は歩き出す。背中に無邪気に笑う子供達の声を残して、雄大と知佳は、畑と住宅の間のアスファルトの道を並んで歩いていった。
道すがら、雄大は学校の七不思議の説明を行った。知佳は感心したり、驚いたり、怯えたりして、その理想的な反応に一層得意気に雄大は身振り手振りを交えて話し続けていた。
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「ただいまー!」 雄大が靴を脱ぎ散らかしながら玄関に上がると、「おかえり。あれ?誰?え?女の子?」と言いながら威勢のよさそうな女性が顔を出した。
「はいはい、ジャマジャマ!向こう行った、向こう行った!」と雄大が母親のことを押し退けながら、「お、おじゃまします……」と言って俯いてくっついてくる知佳を、片手で守るようにして2階へ通した。え……なに?うちの子もすみにおけないじゃない。ま、まあ、なんか?目立たない女の子みたいだったけど、それも含めてどことなく可愛いかった、ような気がする?かも…。ムフ、ムフ、と雄大の母親は笑って2階へ続く階段を見上げていた。
部屋に入ると知佳は、緊張した面持ちで隅っこに立った。
「ちょっと待ってて、すぐに準備するから。」雄大は知佳に椅子を差し出して、自分は中腰になってパソコンに向かった。
「ねえ、早川くん……」「ん?」パソコンが立ち上がるまでの間、雄大が苛々とデスクを指で叩いていると、知佳が話しかけてきた。
「……あのね、もしかしたら…、この動画、早川くんが、思っているような、も、ものじゃないかも、しれないよ……?」「ん?というと?」
「多分、それに入っている映像は、み、御手洗さんとかじゃない、と…思うの…」そう言いながら知佳は急に怖くなってきている自分に気付いた。
なんだか、今、映像を見ることで、ほんの短い間に出来上がった雄大との、この関係を崩してしまうような気がして、
それを自分は望んでいない、と痛いほど感じていた。
「…ね、ねえ、早川くん?い、今更だけどさ、み、見るのやめない?」「え?」 「なんか、見ちゃいけない……気がして…」
雄大がマウスを握った手を一度止めて「もしかして怖くなったの?」と優しく言った。
「……うん」雄大の椅子に背中を丸めて座り、パソコンの画面の光に顔を照らされている知佳の背中側から、手を回してマウスを掴んでいる雄大は、
ふと彼女のカーディガンの襟首を見て、
……そこに真っ白な細かいフケが散っていることに気が付いた。
マスクをかけた耳たぶの後ろは、皮膚が荒れてカサカサになって捲れていて、どこか痛々しく見えた。
「本当に怖くなったら止めるから。」と雄大は言うと、「心配しないで。」と自分にも言い聞かせるように呟き、
……えい!と強くマウスをクリックした。
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『ガサガサ』とマイクの擦れる音と共に、開いたウィンドウの画面一杯に、仄暗い白い色が映し出される。
知佳は、自分の顔のすぐ横に身を乗り出してきた雄大の横顔を、ちらっと見て、鼓動が早くなるのを感じていた。
「なんだろう……?」雄大がぽつりと言う。またガサガサとマイクの擦れる音がして、白い色が画面の下にずれる。
すぐに丸い黒い闇が迫ってきて、密集した毛と、そこに絡まったゴミのようなものがアップで映し出される。ゴッゴッと空気が流れるような音がして、次に急に画面が回転してパキーンと何かが弾ける音がした。
視界が急に広くなり、斜めになった床と、陶器の便座の足元が映る。
「あ……」と知佳が声を出す。
……こ、これはわたしが芳香剤を落とした時の映像かもしれない……だとしたら……さ、最初に映っていたのは……、
匂いを確認した時の、わたしの鼻の穴??
咄嗟に雄大の横顔を見るが、彼は気付いていないようだった。
「なんだろう?……村田、お前わかるか?」
画面が急に切り替わる。
『……3階の御手洗いの3番目の個室、定期的に確認をお願いするよ。』『………はい、わかりました。大丈夫です。』『……引き続きお願いするよ。わかっているね?君の紙マスクのこと……クラスのみんなに言われたくなかったら、黙って言うことを聞くんだよ?』
雄大は、はっとして知佳を振り返った。
「こ、これ音楽室でお前と東三条先生が話していた時の会話だ!あの時もカメラは動いていたんだな?いったいどこに隠してたんだ?」
知佳はそれを、自分のハンカチポーチに隠していたのだが、何も答えなかった。
(…ん?ところで紙マスクってなんのことだ?)雄大がそう言おうとした時、
動画の中で東三条先生の声が聞こえた。
「早川雄大くん。ここからは特典映像です。 私が見込んだ君のことですから、きっと気に入ってもらえるかと思います。では、どうぞ!」
パッと画面が切り替わり、そこに映し出されたのは、
テーブルの上に広げられた布の映像だった。
「ん?なんだ?」東三条先生に見込まれた雄大は、これを挑戦状と捉え、じっと集中して見ていた。
知佳が「は、早川くん……、これ、ち、違う……お願い……もう、や、やめよ?」と言う。
「ん?どうした?」と雄大が言い、マウスをクリックし、動画を止めようとする。
「あれ?」カチカチカチカチ。「おかしいな、止まらないぞ。」ウィンドウを閉じようと✕をクリックするが、反応しない。「あれ?どうなってんだ?」
そうしているうちに、布の画像がアップになり、その中央に、
スパゲッティかカレーを拭いたようなオレンジ色の薄い沁みがついているところが映し出された。
「なんだこりゃ、
え?…これ、もしかしてハンカチか?うわ、汚ねっ」と雄大が言う。
「おかしいな、壊れたかも…」雄大がマウスをぐるぐると動かす。
次に映ったのは、裏返しになった不織布のマスクだった。「なんだよ、これ??」
マスクは使用済みのもののようで、黄ばみの中に、緑色の黴が斑に発生していた。
「うえっ、これキモいなっ!なんで、こんなもん見せられてんだ?!臭そ~」
……ふと、知佳の様子が気になって雄大が横を向くと、
知佳がぶるぶると震えながら、眼鏡の中で上目を剥いていた。「お、おい!ど、どうした?!」
慌てて雄大が知佳の肩を掴んで、体を支える。知佳は脇を絞めて、両手の拳を赤ちゃんのように顔の横で握ったまま、「う、うぅ、う、うう、ぅ、うっ」とマスクの内側で唸っていた。
……ま、まずいぞ…!これは、御手洗さんの呪いかもしれない!
パソコンも、まるでウィルスに感染したようにフリーズしている!!
「ま、待ってろ!すぐに母さんを呼んでくるから!」雄大が部屋から飛び出そうとすると、袖を強い力で掴まれて、その場で首だけ振り返った。
「……嫌いにならないで ……お願い……嫌いにならないで……」目からとめどなく涙を溢れさせた知佳の姿が視界に入った。
「良かった!意識が戻ったか!」と言って、雄大が再び知佳の肩を支える。
「村田……、ごめん、こんな危険な目に遭わせるつもりはなかったんだ……御手洗さんのこと、俺、完全に甘く見ていた……本当にごめん……。ごめんな……」気付けば雄大の目にも涙が浮かんでいた。
知佳はその瞬間。
雷に打たれたように体を仰け反らせ……、
蛙のお姫様から、人間の女の子に戻っていた。
知佳は、雄大の腕に抱き止められながら、ぐったりと全体重をかけて目を閉じた。
「ねえ……早川くん……」「ん?どうした?大丈夫か?」「あのね……」知佳が静かに目を開けて、頭を雄大の手に預ける。
「……わたしね、早川くんが望むなら………、
御手洗さんに…、なってあげても、いいんだよ?」そう言うと、知佳は目を細めて笑った。
雄大は、恐怖に怯えた顔をして、……大変なことになってしまった……と考えていた。
次回、『呪いの正体』
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