井32 和歌名ちゃんの悩み
「え?真愛ちゃんて、もうコンタクトしてるの?」
双葉和歌名は、自分の学習机の回転椅子に腰掛けながら、正面の床に座ってクリーム色のクッションを抱き締めている高嶺真愛に向かって言った。
「うん、和歌ちゃんはまだなの?」
真愛がきょとんとした顔で言う。
「うん、わたし、まだ裸眼だし。」と和歌名が恥ずかしそうに顔を伏せる。
「ねえ、コンタクトって痛かったり、目がゴロゴロしたりするとか言うでしょ?真愛ちゃんは……、その、平気なの?」和歌名が、顔の前で人差し指同士をつんつんと合わせながら言うと、
真愛は(その、ジェスチャー、漫画みたい……)と思いながら、「うん、わたしも最初は不安だったけど、今はそうでもないよ。逆にないと不安なくらい。」と言って、
ニカッと八重歯を見せて笑った。
「そっかあ……、和歌ちゃんはまだかあ。」と真愛はクッションを抱えたまま、お尻で上手にバランスを取って、オキアガリコボシのように上体を揺らす。
急に「わたしの見る?」と言って真愛が膝をついて体を起こし、人差し指であっかんべーをした。
「え?いいよ。……それに真愛ちゃん……?ベロを出す必要はないよ……」
「じゃあさ、じゃあさ、わたしがさ!不安な和歌ちゃんに、先輩として色々と教えてあげるよ。…まず、何が聞きたい?」
「え?えーっと……、急に言われても。」和歌名が視線をさ迷わせて頭の後ろを掻く。今日の和歌ちゃんは、癖っ毛の後ろが若干寝癖のように跳ねていた……。
「まずね、初めてのコンタクト選びは、お母さんと行くといいと思うんだけどさ。色々と測ってもらわなきゃいけないの。……なんか、専用の器械で測るんだけどね、もちろん、女の人にやってもらうんだけど、周りに人が一杯いて…もう、最初はめっちゃ恥ずかしかったあ!
…それでね、コンタクトにはサイズがあるの。わたしはソフトタイプを使ってるんだけどね、
一般的には直径ってのは、だいたいみんな同じで変わんないの。でもね、…わたしは半分外国人でしょ?『ベースカーブ』って言って、コンタクトの湾曲の度合いが、人とは少し違うの。」
「ふうん」和歌名が一生懸命メモを取っているのを見て、得意気に指を顔の横で立てて説明していた真愛は(和歌ちゃん…メモ取る必要はないから……)と思ったが、
気を取り直して説明を続けた。
「そのベースカーブの数値がね、わたしは小さいの。小さいほど膨らみが大きいってことね。普通、日本人なら8.7㎜くらいかなあ。」
「真愛ちゃんのサイズはどのくらいなの?」
「え?……もう!和歌ちゃん!?やめてよー、恥ずかしいじゃん!」真っ赤になった真愛がげんこつを作って、ポカポカと和歌名の腕をぶつ。
「ま、まあそれでね、」コホンと真愛は咳払いをするまねをした後、あぐらをかいた脚の間に突っ込んだクッションに、手をギュッと差し入れて、説明を続けた。
「…このサイズがね、ちゃんと合っていないと、さっき和歌ちゃんが言っていた、目がゴロゴロしたり、ひどい時は傷になっちゃったりするの。」
「怖いね」和歌名がメモに赤線を引く。
「大丈夫だよ。わたしも最初のやつは違和感があったから、交換してもらったんだ!
…わたしも最初からそうしておけば良かったんだけど、和歌ちゃんも選ぶ時は、体をよく動かすから、スポーツする人向きのワンデイを選ぶのがいいと思うよ。」
「ワンデイって?」
「1日で使い捨てにするやつ。二週間で使い捨てにする2weeksっていう種類もあるよ。あと、使い捨てじゃないハードタイプってのもあるけど、それは試したことない。あとね、コンタクトケースには、一杯かわいい種類があるから、選ぶのが楽しいよ!
わたしの初めてのやつは、水色ので、星が一杯印刷されてるやつだったよ。」
「…ふうん。」和歌名はわかったような、わからないような顔をして、メモパッドにぐるぐると意味のない線を引いた。
「あのさ……」
「……真愛ちゃんはさ、もうコンタクトしているじゃない?」と和歌名が少し言いにくそうにして、目を逸らしながら言う。
「ん?」真愛がツインテールを斜めにして首を傾げる。
「あのさ……、真愛ちゃん…、嫌だったら答えなくてもいいんだけどさ」「?」「その……、変な意味じゃないからね?」「な、なあに?」真愛も何だか若干緊張してきて、正座をして膝の上にクッションを乗せる。
「あの……、真愛ちゃんて、もう鼻血始まった?!」
思わず裏声になってしまった和歌名は、首まで真っ赤になって俯いてしまった。
真愛は最初、驚いたような顔をして、次に恥ずかしそうに顔を赤らめ、最後にぷっと吹き出すと、和歌名に向かってぱふんとクッションを投げつけた。
「もう、なに?和歌ちゃん、今日はどうしたの?」真愛がそのままクッションを掴んで手元に戻そうとすると、
思ったよりも深刻そうな和歌名の表情が見えて、真愛も真顔になって、膝で立ち上がった。
「和歌ちゃん…?」真愛の声色に気付き、逆に慌てて和歌名が顔の前で手を振りながら「ごめん、ごめん、今のなし!忘れて!」と言う。
真愛はゆっくりと立ち上がり、和歌名の肩を抱くように手を伸ばそうとしたが、思いとどまって、どこか寂しそうに微笑んでこう言った。
「…うん。わたし、もう、鼻血始まってるよ。」
真愛の言葉を聞いて、和歌名が「あ、そうなんだ、やっぱりねー、アハハハハ……」と笑う。
「やっぱさ、もう綿ポンとか使ってるの?あれって鼻から抜けなくなっちゃったりしないの?やっぱり、鼻血の日は調子悪かったりする?……アハハハ、ごめんねー、わたし何も知らなくってさー、アハハハ……」
和歌名は回転椅子の上で勢いをつけて、くるくると回ってみせた。
「和歌ちゃん」「ん?」「和歌ちゃん」「なあに?」「和歌ちゃん……」「もう、真愛ちゃん!なあに?」
突然、真愛は和歌名の首にギュッと抱き付いてきて目を閉じた。「和歌ちゃん…」「え、真愛ちゃん?もう、いったいどうしたのよ?わたし、別に……」「あのね、鼻血が多い時はトランサミンを飲むんだよ。」「…そうなの?」「コンタクトはね……、目が乾くの。」「そう、なんだ……?」「乾いたら、目薬を使って潤すの。」「へえ…」「嘘っこの涙みたいだよね。」「真愛ちゃん?」
真愛の頬を本当の涙がつーっと伝っていった。
「え?真愛ちゃん?泣いてるの?どうして?」
「わかんない。わかんないよ。」真愛はぽろぽろと大粒の涙を溢していた。
《うわあぁああぁぁん…………》いつしか真愛は大きな声を上げて泣き出していた。
(……泣きたいのは、こっちなんだけどなあ…。)和歌名は困ったような顔をしたまま、この大好きな親友の背中を、優しく撫でてあげることしか出来なかった。
……ホルモンバランスとかが崩れると、気持ちが不安定になるって言うし、…真愛ちゃんも、そういうやつなのかな?
真愛ちゃん……なんか、大人だな……。
まあ、わたしなんかは、いまだにバランスばっちりで、片足で目を閉じていたって、一時間くらいは余裕で立っていられそうですけどね!
……わたしってまだ子供だな……。一方の真愛も温かい和歌名の腕の中でしゃくりを上げながら、大好きな親友の袖に爪を立ててしがみついて考えていた。
……なんか体ばっかり、先に大人になっていくような気がするよ…。なんでだろう?今、急に和歌ちゃんが遠くにいってしまうような気がして、すごく不安になった。
……そんなこと、あるわけないのに。だってこんなに近くにいるから。
「ねえ、真愛ちゃん?」和歌名が小さく耳元で囁く。
なあに?和歌ちゃん。(ぐすん。)
「……コンタクトしたら、その、瞳が大きく見えるかな??」
はい?
「わ、わたし、ほら、瞳が小さくて、女の子っぽくないじゃん?」
「………」
「な、夏のプールの時とかさ、更衣室でコンタクト外してる子とか見てたら、わたし、目が小さくて、なんか、恥ずかしくってさ……」
和歌ちゃん、そういうこと…?
真愛は泣いた側から今度は「あははは…」と肩を揺らして笑い出し、「そういうのを気にするなら、カラコンにしなきゃ!」と言って、手の甲で涙を拭った。
「それに、和歌ちゃんはそんなの気にしなくていいよ!」「なぜ?」笑われた和歌名は、ちょっと膨れっ面をして、まだ抱き付いている真愛のツインテールの髪を、半分ふざけた様子で邪魔!というようにはたいた。
「和歌ちゃんは、今のままでも充分!」「なにそれ?あー、自分ばっかり先に進んでさ、人の気も知らないで!」ぷんぷんと、和歌名が腕を組む。
「そんなことないよ。わたし、和歌ちゃんがまだ裸眼だなんて、ちょっとうらやましい。」
真愛がぐいっと、和歌名の目の前に顔を近付けてきて、瞳を覗き込んできた。
「ちょ、ちょっと?」
逆に和歌名は、間近で真愛の緑色の瞳に被さった、うっすら水色をしたレンズの輪郭を確認して、(…あ、綺麗……)と考えていた。
みるみるうちに、真愛のブラウンの肌が内側から赤く染まっていく。真愛は、和歌名の男の子みたいに薄い色の引き締まった唇を見て、自分の唇がむずむずと動くのを、
…我慢するようにしてそっと噛んだ。
「真愛ちゃん…」
「は、はい?!」
「真愛ちゃんはさ、その……、どんどん女の子らしく、その、綺麗になっていくけどさ?」
え?
「ずっとわたしのお友達でいてね?」
お、お、むふ……は、はい?いま、き、き、きれいとか言いました?
「わ、和歌ちゃん!大好き!」ガバッと真愛は和歌名の首にもう一度抱き付いた。さっきよりも、強く、深く…。
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しばらくそうしていると、やがて和歌名がポリポリと、人差し指で頬を掻きながら言った。
「鼻血ってさあ、毎月同じ日に出るの?」
…はい?
「鼻血が出るのって1日だけ?」
…おっと?
「鼻血が出そうになったら、御手洗いまで我慢すればいいんだよね?」
…ちょっと?
「鼻血の時、気持ちが落ち込むとかって言うけどさ……、わたしは結構、気の持ちようだと思ったりするタイプから、……大丈夫だよね?」
スリーアウト!…て言うかフォーアウト!
「わ、和歌ちゃん?ちょっと、さ?こ、これから勉強しよっか?」
真愛は和歌名の学習机の棚から、保健体育の教科書を引っ張り出すと、目次を確認し、眉間にしわを寄せて、目を閉じながら「はい、教科書12ページを開いてー!」
と言った。
次回、『学校の七不思議』
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…引き続きお楽しみに。




