井3 衣埜莉ちゃんの部屋
わたしは、赤城衣埜莉。
小学5年生。どこにでもいる、平凡な女の子。これといった取り柄もなく、勉強が出来るわけでもない。かと言って、人と比べて特別、容姿が優れているわけでもない………、
……というのは冗談。
わたしは、スポーツも勉強も出来る学級委員。正直なところ、わたしは、この学年で一番可愛い女子ではないかと思う。うぬぼれ……?いいえ、違う。わたしが、普通の人より自己評価が高いのは認めるけど、決してそれだけではない、…と思う。だって冷静に、客観的に、総合的に見て、クラスの全体写真を見ても明らかな通り、
わたしは、顔立ちが整っている。
艶のある少し栗色がかった、真っ直ぐな髪の毛。北欧の血が入った色素の薄い、透明感のある肌。身長は、高すぎることもなく、低くすぎることもない。丁度、可愛らしい背丈。
わたしは痩せている。だからママみたいに、女性らしい身体の丸みがないけれど、
将来はきっと、『そういった綺麗さ』も身に付けるだろう、とママが言っていた。
……でも、正直『そういった綺麗さ』をわたしが身に付けたいのか、と言われると、実はそうでもない気もする。
ママの言う、女性らしい身体のライン、というのは、要は脚が太くなるとか、いらないところに脂肪がつく、とか、そういったことだ。……それは、可愛くない……。
今日は色々あって、いつもより遅くなり、ようやく学校から帰ってきたところだ。
わたしは、ランドセルを勉強机の脇に掛けると、
2階の自分の部屋で、オーク材で出来た三面鏡の前に座って、髪の後ろに留めたリボンの位置を直していた。
…本当はもっとお姫様みたいに白くて飾りのついた鏡がいいのに。でもママはこっちの方が高級なのよ、とか言っていた。…はあ。そういうことじゃないのに。
……正直、ママはちょっと、ばばくさい。
……それにしても今日は、あの、さやか嬢が、まさかあんなことになるなんてね。
鏡の中のわたしの顔に、自然と笑みがこぼれる。
これで目障りだった女子が、一人脱落したわけだ。
正直、うちのクラスには、こんなに可愛いわたしでも、うかうかとしていられないくらい、可愛い女の子が多い。……それは認める。認めるしかない。
まずは、高嶺真愛ね。
……確かフランス人のおじいさんがいるとかで、肌の色がブラウンだ。わたしの、肌の白さとは、また違った意味での可愛い色。チョコレートみたい。あれは反則だ。単純に競い合うことが難しい。
それにしても、なにかと、わたしに突っかかってくるのは、わたしのことをライバル視しているからだろうか。……油断ならない。
次点で、宍戸さやか。あの子は、普段からあまり目立たず、いつも、地味な印象の服ばかり着てきていたが、……なんと言うか、『真面目なお嬢様オーラ』が凄まじかったのだ。
暗く無表情な印象のせいで、クラスでは、気づいていない子も多いと思うが、
顔も相当可愛い。
ただ本を読んでいるだけで、目を引いてしまう、清楚な佇まい。
正直、わたしには、あの子が属する『ジャンル』内では、太刀打ちできる気がしない。悔しいが、宍戸さやかは、いわゆる奥ゆかしい和風美人。わたしは……西洋のお嬢様路線?あっちが自己主張してこないぶん、こちらから喧嘩を売る以外に、相手を蹴落とす手段がないということからわかる通り、相当やりにくい相手だった。
……でも、それも今日までのこと。
自然と頬が緩んでしまう。『可愛いさやか嬢』は、今日でもうおしまいね。授業中にジュースをこぼすなんて……、ちょっと、恥ずかしすぎる。
ふふふ。
…あ、そうだ、それにしても、今日の、双葉和歌名。あの子、正直、今までも気になってはいたけど……、要注意ね。
あの、見た目と雰囲気…。妙に男らしいと言うか、女の子らしくないのだが、なにかが、どこかが、気になってしまう。女子の、『可愛い』とは、また違う、不思議な魅力?に胸がざわつく。
今日も双葉和歌名は、高嶺真愛とつるんでいた。あの子が側にいることで、高嶺真愛を付け上がらせているように感じる。
白馬の王子様にでもなったつもり?……気にくわないわ。
鏡の前に座って、あれこれと考えながら、わたしは、手の甲を化粧水付きのティッシュで拭いて、鏡台の二番目の引き出しを開いていた。
……そこには、綺麗にたたんで敷き詰められた、沢山のハンカチがしまわれている。
洗濯された後に、全てが折り目正しくアイロンがかけられていて、優しい柔軟剤の香りがする。
きちんと並んだ淡いパステルカラーの布。あまり主張のしない、さりげない小花の柄。綿の優しい手触り。レースがあしらわれた白いハンカチもある。タオル地のものもある。星柄。水玉。ストライプ。イギリス風のチェック柄。小さい頃に使っていた、サリリオのハンカチも、引き出しの奥の方にしまわれている。同年代の女子は、プニキュアのハンカチを持っている子も多いと思う。わたしは、恥ずかしいから、キャラクターものは使わない。
学校では、女子は皆、腰にクリップで留めた『ハンカチポーチ』を使っている。
わたしのポーチは、どれも、髪と同じでリボンがついているデザインだ。
わたしは毎日、今日はどのハンカチを持っていこうかと考えるのを楽しみにしている。
……もっと、もっと、可愛いハンカチが欲しいな……。
「…衣埜莉ちゃん」軽いノックの後に、部屋の扉の外、廊下側から、ママの声が聞こえた。
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「なあにママ?」「お友達が遊びにきたわよ。」
「はあい。」
ああ、もう、こんな時間か。学校から帰って宿題を終えたら、うちに集まってみんなと遊ぶ予定だった。宿題には全く手を付けていなかったが、まあ、夜にでもやればいいだろう。わたしは、引き出しをそっと閉じた。
遊ぶメンバーはいつも決まっている。
クラスメイトの、斉藤水穂ちゃんと、井上咲愛ちゃんだ。
二人とも、クラスの中では成績上位、見た目もそれなりに可愛くて、自分たちも可愛いものが大好きで、いつもわたしの味方で、いつもわたしのことを可愛いと言ってくれる『大切な友達』だ。
わたしたちは、なにをするにも一緒に行動した。それと同時に、水穂ちゃんも、咲愛ちゃんも、なにかをする時は必ずわたしの意見を聞いてくれた。そのうちに、自然とわたしは、この二人のリーダーのような存在になっていた。
二人は、高嶺真愛や、宍戸さやかのような女子達とは違う。二人は、わたしのことが好きなのだ。
だから、わたしも、水穂ちゃんと咲愛ちゃんのことが大好きで、二人だけを、特別に家に招いてあげたりもしている。
「おじゃまします。」二人が、部屋に入ってきた。
「ああ、衣埜莉ちゃんのお部屋って、」
「やっぱり、いい匂い……」水穂ちゃんが、早速、といった感じで、定位置のわたしのベッドの上に腰掛けて、紫色のハート型のクッションを胸に抱き締める。
水穂ちゃんは、わたしをまねて、いつも髪にリボンを付けている。それでも、付ける位置はわたしと違い、耳の上辺りだ。
「ねえ、ねえ、衣埜莉ちゃん、今日の宍戸さん!」
「まじ、ヤバかったね!」咲愛ちゃんが言葉を被せる。
咲愛ちゃんは、毛先のカールしたショートボブの髪を人差し指で、弾く癖がある。今も弾力のある黒髪を弾きながら、「ヤバいよね、見てて、こっちが恥ずかしくなっちゃった」「宍戸さんって、やっぱりおうちでは、まだスタイしてるんじゃない?」と言って、クスクスと笑った。
「えー、やめてよ。」わたしは、そう言いながら、自分の顔が赤くなるのを感じた。
「でもさー、でもさー、」スカートをひらいて、床にペタンと座った咲愛ちゃんが、上半身を、一段高いところに座る水穂ちゃんの脚に押し付けて、じゃれ合いながら言葉を続ける。
「宍戸さんって、おうちでは、まだジュースこぼして、お母さんに拭いてもらってたりするのかな!」咲愛ちゃんが膝をついて立ち上がり、水穂ちゃんの口のまわりを拭くようなジェスチャーをする。「やだ~、やめてよ~」「みずほちゃん~、こぼしたら、めっ、でちゅよ~。」
「……ねえ、咲愛ちゃん、水穂ちゃん……そんな子供っぽいこと、もうやめない?」わたしが、呆れたような顔をして一声かけると、二人はすぐに、その遊びをやめた。
一瞬の気まずい沈黙の後、ベッドから立ち上がった水穂ちゃんが、わたしの鏡台に興味をしめす。
「あ、可愛いー。」水穂ちゃんが見ていたのは、台の上に並べてある、沢山の香水のガラス瓶だった。
「これ、また増えた?すご~い!」
「どれか、ひとつ、試してもいいよ。」わたしがそう言うと、 咲愛ちゃんも近くによってきた。
「なにこれ、かわい~」
…甘い香りを閉じ込めたエジプトのガラス細工。小さなシャンデリア。クレオパトラの涙。内側が砕けたビー玉、ビーズ、異国の貝殻。
カチン、とガラスがあたる音に小さく驚き、そっと机に瓶を戻す咲愛ちゃん。
手荒に扱えば、割れてしまう、繊細な小物たち。
咲愛ちゃんは、ほうっとため息をついて、そっと机の表面を小指で撫でただけで、香水を試さなかった。
ピンク色の爪が光を反射する。
「……衣埜莉ちゃんって、大人っぽいよね。」
「この鏡、アンティークなの?」
……いえ、これらはママのばばくさい趣味よ。
「あ、これ懐かし~。おばあちゃんちにあった、かわい~。」
水穂ちゃんが見つけてきたのは、ママが一時期はまっていた、プリザーブドフラワー入りのハーバリウム。
…とろんとまどろんだようなオイルの中で、いつまでも年を取らない紫色の紫陽花とかすみ草。
ママのお下がりの、バレリーナがくるくる回る小さなオルゴール。クッキーの缶にまとめられた、小さい頃から少しずつ集めたリボンの切れ端。
え?大人っぽいを通り越して、おばあちゃん?
わたしは、部屋を見回して、ばばくさくないものを探した。このままじゃ、わたしのイメージにかかわるわ。
あ、そうだ、クローゼット、みる?
可愛い服のファッションショー。きっと二人は気に入る。
わたしが、クローゼットの、鐘の形をしたアンティークのと取手を、掴もうとした時に水穂ちゃんが言った。
「……衣埜莉ちゃん、趣味が渋いよね」
「確かに。こういうのも、すごく可愛いけど」咲愛ちゃんは、ハーバリウムや壁のドライフラワーを指差して言った。
「衣埜莉ちゃんてさ、もぉっとー、…何て言うかさ、『可愛いの』が似合うと思うんだ」
「なにそれ?意味わかんない。」わたしは、落ち着かなくなって、髪の後ろのリボンを触った。
……まずい。わたしって、ばばくさいと思われてる?言われてみれば、水穂ちゃんも、咲愛ちゃんも、明るい色の服を着ている。わたしは、いつも紺色とか、茶色とかが多い。
「まあ、子供っぽすぎるのは問題だけどね」
咲愛ちゃんが、曲げた人差し指を唇にあてがって、クスッと笑った。
「どうしたの?」水穂ちゃんが咲愛ちゃんに抱きつく。水穂ちゃんの耳の上で小さな水色のリボンが曲がった。
「アハハ、なんでもない。でもね、ちょっとね、思い出しちゃったの。」「なにを?」
「高嶺真愛。」
その名前を聞くと、水穂ちゃんが「なんかあの子、最近なにかと、私達につっかかってこない?」と怒ったように言い捨てた。水穂ちゃんは、わたしに同意を求めるように、こちらをちらっと見てきた。
わたしは、無関心を装おったが、話の続きが気になったので、黙って咲愛ちゃんの方に向き直っていた。
それを合図に、咲愛ちゃんは早口に話し始める。「…それがさ、高嶺真愛、なんか、いつも偉そうにしてるわりに、」 笑いを堪えるように、息を吸い込む。「筆箱の中身、ぜ~んぶ、名前書いてあんの!」
「マジ?ウケるんですけど。」と水穂ちゃん。
「そうなの。鉛筆も、ハサミも、消しゴムも、定規にまで……!」「あはは、」「ガキかよって!」
わたしは、みるみるうちに、自分の額が汗ばんでくるのを感じていた。
「みずほちゃ~ん、リボンにも、おなまえかいてあげまちょか~」「あはは、やめてよ」リボンを触ろうとする咲愛ちゃんから、逃げようと、水穂ちゃんが体を捻る。
「……いい加減にして」
うつむいたままのわたしが、そう口にすると、水穂ちゃんと咲愛ちゃんが、体を固くするのがわかった。
「…もうその話、つまんないから、やめて。」 「ご、ごめんね?…衣埜莉ちゃん、ごめんね?」
謝る咲愛ちゃんの声が震えていたせいで、逆にわたしは、気持ちが少し落ち着くのを感じた。
「もう、いいよ」「ごめんね」「ご、ごめんね」咲愛ちゃんも、慌てて謝ってくる。「もう、いいよ、こっちこそ、ごめんね。」「ほんっと、ごめんね」「もう、いいって。」
………………、
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その日の夕方、すぐに仲直り?した二人は仲良く帰っていき、わたしは、夕御飯の前に宿題を終わらせていた。
お風呂から出たわたしは、髪にタオルを巻いて部屋に戻ると、鏡台の引き出しを開けていた。
……どうしよう。ハンカチ、全部、名前が書いてある……。どうしよう。
明日のハンカチを、わたし、どうしたらいいんだろう……。
……ママが全部悪い。どうしよう……。
次回、『衣埜莉ちゃんの災難』




