第9話 『やっぱ近くでしたいよね』
「そろそろって話だっけ?」
「そろそろって話になったねえ」
「なんだかんだ三か月付き合っているうちに、周囲がだいぶ煩くなってきてるよね」
「おかみさんとかねえ……まあそれもあるけど啓吾さん、やっぱりおばあちゃんにも式出て貰いたいらしくってね」
「そりゃそうだよね、おばあちゃん子だったら」
いつものように平日の誰もいない店の喫茶コーナーで、今日は打ち水した方が良いかなとひふみが外を眺めながら呟く。
いつものごとくひふみの淹れたコーヒーを飲みつつ、気付けば自分より先にゴールしそうな親友の横顔をハルカは眺める。
「それでまあ出来そうなら年内どこかでって話になったんだけど、場所がねえ……」
「あー、田舎あるあるだね」
「昔は家で披露宴とかあったそうだけど、それは親戚とかが皆近くにいたからだろうし」
「一番遠いの大阪だっけ?」
「うん。他に熊本と岡山だったかなあ?啓吾さんの方も県外の人いるだろうし、滝原でやろうとしたら、泊まる所がさ、場合によっては滝原ビレジになるかもなんだよ」
「ビレジって……あそこ学生向けの合宿所だよ?」
「そうなんだよう……」
「じいちゃんばあちゃんにはきついよね」
「そうなると市内だけど、あっちは人数が一番多いここいらの親戚が大変だろうし」
「そもそも二人ともここに住んでるしね。市内でやったら『なんで?』とかになりそうだね……まあ式は別にして、披露宴出来るところ限定で近くを探すのが無難かな」
「そだね。そうなるよねえ……」
「あ、ひふみんは白無垢とウェディングドレスどっちにするの?」
「借り物で良いけど断然白無垢だね!お母さんの写真もめっちゃ綺麗だったし、ドレスはまあ、適当でいいや」
「そういう割り切りひふみん潔いよね。私は結構悩みそう」
「ハルちゃんどっちも似合いそうだしなあ」
「いやいや、ひふみんこそどっちもいけるって」
「いやいやいや」
「いやいやいや」
そんな事をダラダラ話しながら、ハルカはスマホで検索かけていろいろ探してみた。
途中で神楽イベントのサイトに流れてしまい、いや今はそれじゃないと思い直してブラウザバックしようとした指を止めた。
「あ、二宮神楽館なんか、結構いいかもしんない」
「にのみや?……あー、五箇荘の神楽ドームあるとこ?」
「そうそう。レトロな門前町あるんだけど、飲食も宿泊も温泉もアリだから、話し早いかも」
「おー、それはいいかも。行った事ないけど」
「何回か神楽見に行ったけど、結構雰囲気良いよ」
「へーえ」
ハルカのスマホを覗いてその二宮神楽館をひふみも見てみた。合併前の五箇荘町が観光目的で作ったらしいのだが、町営にしては確かに雰囲気も良さそうだし、神楽と温泉というお年寄り受けする施設もあるので結構流行ってる場所らしい。
今度啓吾と行ってみるという事になり、早速ひふみもお出かけのお誘いメールを啓吾に送った。
そこでふとハルカはさっき後回しにした式をどこでするのかが気になってきた。
「そう言えばひふみん、式はやっぱ美鈴八幡とかで挙げるの?」
「ええとねえ、甘露寺で出来そうだから、そこでやろうかって二人で話しててね」
「は?お寺?」
「うん、お寺。檀家さんだし、どっちの家も」
「てかお寺って結婚式やるの?」
「なんかね、昔はしてたってさ。住職さん、先代の頃にやったの見た記憶があるって言ってたし」
「先代って……そもそもお寺って葬式とか法事やる所って思ってた」
「私も―」
のほほんとそう言うひふみに、ハルカは親友の選択肢は相変わらず自分の意識の外からやって来るなと感心してしまう。
後日越智家で行われた両家顔合わせで、ひふみと啓吾は式と披露宴について家族に相談した所、満場一致で希望通りになったそうだ。
どころかその後の両家家族の勢いは凄まじく、来年春位かなと思っていた式も、本人たちの預かり知らぬ所でどんどん段取りが進んでしまい、十二月には執り行う運びとなった。
「知らないうちに予定表がびっしり埋まってて、気が付いたら当日になりそうなんだよ。ハルちゃんも気を付けなよー……」
十一月ごろ、いつも通り店に遊びに行ったハルカに、ひふみは力なく笑いながら珍しく愚痴をこぼすほどだったという。
「いやあ、ひふみんやっぱ綺麗だった」
「ありがと」
佐伯ひふみから越智ひふみになっても、あまり日常に変化はない。
変化と言えば、住む場所が滝原の実家から是政の越智家に移り、通勤方法が徒歩から自転車になった程度だ。
そして現場が雪に埋まって仕事が中止になる事が増えたハルカは、ここのところ結構な頻度でひふみの元を訪れていた。
ストーブの上の薬缶が噴き出す蒸気の音を聞きながら、ハルカは飽きもせずスマホの中のひふみの晴れ姿を何度も見直す。
「なんでハルちゃんが啓吾さんより私の写真見てニヤニヤしてるの?」
「そりゃあ白無垢のひふみんなんてもう二度と見れないし、綺麗なものは見たら嬉しくなるもんでしょ。披露宴のカラードレスも捨て難いけどねー」
「まあ花嫁衣裳は何度も着る機会あったら困るよね」
「ひふみんならあるかもよ?」
「ハルちゃーん、新婚さんに言う事じゃないよー」
「確かに」
そう言って二人でくすくす笑う。ひふみも結婚して初めての年末年始を無難にやり過ごし、最近は少し落ち着いてきていた。
戻ってきた日常にホッとしつつ、そうなると他人の事が気になるのが世の常というもの。
「私が結婚したとなると、今度はハルちゃんの周りが煩くなりそうだよねえ」
何の気ないひふみのその一言に一瞬ハルカが眉根を寄せ、冷めたコーヒーをぐいっと呷る。そして大きく溜息を吐くと、テーブルに突っ伏した。
「……もうなってる」
うんざりしたハルカの顔にあらあらと笑いながら、高宮家の様子をひふみは想像した。
そして年始の挨拶に来た穴太慶彦とハルカが二人で並んで座らされ、いつ結婚するんだとその場にいた親戚家族から詰められたのだという、ひふみの想像通りの話を聞く。
「慶彦君可哀相に……」
「お酒入ってるのもあって皆止まらないんだもん……途中でキレて慶くん連れて逃げる羽目になったんだよ」
「高宮家お酒入ると怖いもんね、酒豪揃いだし」
「車で来てるって言ったのに飲ませようとするし……そんなこんなで実はまだ家族とは喧嘩中」
横目で思わずひふみはカレンダーを見る。もう松の内は過ぎているのにその状況とは、ハルカも相当頭に来ているのだろう。
「今夜うち泊まる?」
「新婚さんの家に泊まるなんて、そんな根性ないです」
「自分がリフォームした家なんだし、使い勝手試せばいいのに」
結婚式に間に合わせるようにと越智家の納屋を二人向けにリフォームし、僅か一月半で仕上げたハルカは壮絶だった現場を思い出し身震いする。親友とはいえひふみは仕上がりや要望に容赦というものは無かった。
「泣きながら徹夜で手直ししたの思い出すからしばらく行きたくない」
「でもおかげで住み心地最高だよ」
「お客さんの笑顔が何よりの栄養剤だよ」
そう言う割にハルカの言葉に感情は無かった。
とはいえ最近は、結婚についてハルカも本腰入れて考え始めていた。実家で焚き付けられたこともあるが、ひふみの晴れ姿を見て、心の底から良いと思えた事も後押ししている。
先立つ結婚資金も事業資金に手を付ければ何とかなりそうだったが、慶彦にその話したら本気で怒られてしまい、考えがあるからと保留にさせられて早一週間が経過していた。
「はぁーあ、あの時のひふみん綺麗だったなー」
「なんかその言葉って、私のお悔やみにでも来てるみたいだよ、ハルちゃん」
苦笑いを浮かべて親友を眺めるひふみは、もう一杯淹れますかと言いつつ席を立つと、ハルカも力なく自分のも頼むと注文が入り、あいよと軽く返事を返す。
いつもと比べると少しだらけ気味の二人の年始の光景、しかしその光景はひと月後に一変する事になる。
山の残雪もほとんど消えて、二月も終わり頃になった。
三週間前に深刻そうな声の慶彦から呼び出しを受けたハルカは、何事かと駆けつけてみれば、二人が出会った神社の境内で指輪と共にいきなりプロポーズされた。
ハルカはボロ泣きしてそれを受けたのだが、その後の展開はまさに怒涛のようで、ひふみの忠告空しく、その後流れに流され訳が分からなくなりつつあった。
「平家谷神楽団の人たちがさあ、お祝いに舞うから舞台のある所にしろって煩くて……」
ハルカが足取り怪しく店にやって来て、コーヒーを運んできたひふみが向かいに座った瞬間呟いたのは、そんな言葉だった。
「慶彦君大丈夫?主にお財布の中身が」
「そこらはまあ、実家に土下座して何とかするらしいけど……事がどんどん大きくなりつつあって、ここの所ちょっと怖くなってきてねえ」
「最初は身内でこじんまりだっけ?」
「うん。写真だけ撮ってお互いの家族だけでやろっかって話してた」
「今どきはそんなもんだよね。でも二週間前に親戚が物申したんだよね?」
「一族期待の星のお祝いさせないなんてなんて事だって騒いでさ……酒飲むネタ欲しいだけだろっての」
「一週間前に親方とか慶彦君の仕事先の人が騒いだんだっけ?」
「親方はカンパするから俺も混ぜろとか言い出して……慶彦君の職場乗り込んで一緒にお祝いしようぜって意気投合してるらしくてさあ……」
「あははは、笑っちゃうくらい見事に話が大きくなってるね」
「どこでやんのよこんな大所帯の披露宴……」
「骨は拾うからね、ハルちゃん」
「くっそー……一足先にお気楽になったひふみんが憎い……」
参加者は親戚と一部友人程度で済ませたひふみの披露宴からすると、その規模は軽く倍くらいになっていた。
そうなるとひふみの使った二宮神楽館ではキャパオーバーになってしまう。いっそ『市内』のホテルと覚悟を決めようとした時、ハルカのスマホに着信があり、神楽団の人が小原の町民センターを抑えたと伝えてきた。調べてみれば建物も新しいしステージもあるしで、披露宴に使えるなら確かにいい場所だった。
だが日取りもまだ決めてない筈なのにとハルカが戸惑っていると、高宮家と穴太家に神楽団から直接連絡を取り、すでに色々段取りを進め『られて』いた事が判明する。
「どっかで見た光景だなあ、しかもつい最近」
「私と慶くんの結婚式なのに―!」
「まあまあどうどう……ハルちゃんの気持ちも分かるけどね、一応さ、お祝いしてくれるつもりで皆動いてるから、要望伝えてお願いする位のノリの方が楽だよ?」
「そういうもの……なのかなあ?」
憤慨するハルカだったが、ひふみが式に向けた準備に使っていたスケジュール帳を見せられて、慶彦と二人で主導する事を諦めた。
思い通りにいかなかったり、煩わしい事もあるが、誰かの力を頼った方がスムーズに進むと納得したからだ。
その後式は神楽シーズン前の六月に行うという事で正式に決まり、ハルカは一時期のひふみ並みに疲弊しながら日々を過ごす事になる。
神楽団ゆかりの神社で白無垢で式を挙げ、披露宴ではウェディングドレスを着て登場する頃には意識は半ば朦朧としていたそうだ。
両親の手紙で号泣してしまったのは、感動したからかこれで解放されると感極まったのか、ハルカ自身も判らなくなっていた。
後日、ハルカに式当日の事をひふみが色々聞いたのだが、どれもこれも要領を得ない。
僅かに覚えていたのは、披露宴でお願いしていたプランナーさんやケータリングの会社の担当さんと、終了直後に抱き合って泣いていた事や、当日飛び入りでやってきた仲のいい神楽団のメンバーが、調子に乗った挙句に骨折して、大慌てで運び出されて行った事くらいだった。
そんなこんなの怒涛の日々も終わり、梅雨空の雨音を聞きながらハルカとひふみが店の中でコーヒーを飲みつつまったりしていると、不思議そうな顔をしたおかみさんが工場の方からやって来た。
「ひふみちゃんもハルカちゃんも、新婚旅行行かんの?」
「え?」
「あ……」
二人の夫も何も言わないからすっかり忘れていたが、そう言えばそんなイベントもあったなとようやく思い出した二人は、どうしたものかと考えながら互いの顔を見合わせた。
つづく