第7話 『春が来た』
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「あーあ……」
「どうしたんねひふみちゃん、最近よう溜息つきようるけど」
「ハルちゃんに春が来た」
「へ?」
「ハルちゃん彼氏出来てから、あんまり遊びに来なくなった……」
最近確かにあまり来ないなとおかみさんも納得する。
その後いつも通りひふみコーヒーを飲みながら、おかみさんは愚痴とも独り言ともつかない話を聞く。
去年ひふみが色々付き合わされたハルカとの神楽巡りだったが、神楽となるとやたらアグレッシブになるハルカに付き合いきれず、たまに降参してハルカ一人で行ってもらった事もある。
その一人でハルカが行った神楽の競演大会で、演者の一人と仲良くなったのが付き合い出すきっかけだったとの事。
「平家谷の人らしいんだけど、神楽の話で意気投合して……結構遊びに行く予定とかキャンセルされて、ちょっとへこんでます」
「それならひふみちゃんもええ人そろそろ見つけたら?もう23歳でしょう」
「ん-、コンパとか苦手だしな―。時々帰ってくる同級生とか知り合いも町に残る気無さそうだから、付き合うとなると遠距離だろうし……アレはしんどいからもうしたくないからなあ」
「若い子はみんな大きい町へ行きたがるけえねえ」
おかみさんは眉毛をハの字にして、地元を離れていくばかりの若い世代を思い浮かべて溜息を吐く。ひふみが遠距離恋愛となれば結婚するときは地元を離れる事になる。
店としても商店街としてもそれは避けたい所だ。そのためおかみさんはあまりこの話題を突っ込んで聞かずに、その場の沈黙をやり過ごす事を選んだ。
静かな店内に、時折吹く風が外を走る電線を鳴らす音が響く。
ひふみは屈託なく笑うハルカの笑顔を思い浮かべる。
ハルカが亀屋あさひ堂に来る頻度は減ったとはいえ、全く来なくなった訳ではない。三日に空けず来ていたのが週一程度になり、週末はデート優先しているというだけのことだ。
良くある付き合い始めの一番楽しい時期の、少々のぼせ上りながらお互いに夢中なカップルというだけの話。
ひふみもハルカを取られたヤキモチみたいな感情はあるけれど、親友の幸せそうな顔や楽しそうに話すノロケ話を聞きながら、心から良かったねと言えるだけの余裕はあった。
ただ、今までハルカと過ごすのが当たり前になりすぎて、ひふみには彼女のいなくなった時間の埋め方が少々分からなくなっている。
ひふみはこれまでこの町に帰って来て、不満や寂しさなんか感じた事は無い。今の仕事場も町での暮らしも気に入っている。
今日も冷たかった風が時折和らぎ、低く垂れ込めた雲が一瞬切れて青空を見せるのを眺めながら店にやって来た。
春先の少しそわそわした空気を感じたり、ようやく梅の蕾が綻びだしたのを見つけたりして、些細な事にいつも通り幸せを感じてもいる。
そんな何でもない日々の変化に共感してくれていたハルカが寄り付かなくなったのが、思いの外堪えて居るのを自覚しながら、ひふみは思考に沈む。
他に同じ様に考えて、いや、自分の感じた事や思った事を受け入れてくれるような人がいてくれたらいいのにな……と、そんな事が思いを巡る。
今は仕事中だったり、隣でおかみさんが少し心配そうにひふみのことを見ているのも、段々と意識から外れていった。
ハルカに彼氏が出来ていいなあと思いつつも、自分に同じ事は出来ない気がした。
なんだかハルカはあのまま結婚してしまいそうな気もするし、そうなったらダブルデートもいいなと思いつつ、自分にはパートナーいないから無理かなどと、思考がぐるぐる回る。
「いっそお見合いでもしてやろか……」
誰に聞かせるでもなく呟いた一言に、おかみさんの目の色が一瞬で変わる。
「ひふみちゃん、その気あるんね?」
「へ?」
一瞬で思考の渦から呼び戻すおかみさんの勢いある言葉に、ひふみはきょとんとする。
「お見合いする気あるんかって聞いとるんよ」
「はあ……まあ、ない事もないかなって感じで……」
鼻先二十センチの距離でおかみさんがフンスと鼻息荒く目をギラギラさせている。
「ほいじゃあ知り合いにええ人おるか聞いてくるけえ、ひふみちゃん釣書用意しときんさい!」
「え?釣書?なんで?」
「そりゃあ見合いするんなら釣書が要るよね!」
「見合いに釣書……なるほど」
おかみさんの勢いに呑まれ、そもそも釣書って何かを考える間もなく、釣書に記載が必要な事柄や、一緒に付ける写真について次々と指示を受ける。
ひふみは何が何だかわからないまま「はい、はい」と返事をしながらメモにペンを走らせた。
ひふみがおかみさんとのやりとりを反芻して、『自分がお見合いしたいとおかみさんに言ったから、あっという間にその流れになってしまった』と思い至ったのは、家に帰って晩御飯の時に家族に顛末を話して、呆れ半分の母親から説明を受けた後だった。
「それでひふみん、お相手決めた?」
「決めきれないからハルちゃんに手伝ってもらおうと思ったのー」
久々にハルカが呼び出しを受けて訪れたひふみの自宅で、ひふみは途方に暮れた顔で玄関に上がったばかりのハルカに抱き着いた。
お相手の情報は軽くひふみから聞いてきたのだが、年齢層は二十代後半から五十代、初婚からバツ二までより取り見取り。大概が跡取り息子で実家住み、必然的に義理の両親と同居という事になりそうなラインナップ。
地方山間部で嫁の来手がないというのは良く知っていたが、現実問題として自分が直面すると正直ビビッて前に進めないと説明するひふみは、珍しくパニック状態だ。
おまけにおかみさんの顔を潰す真似も出来ないから全部お断りも無理……そんな事をひふみが泣きそうな声で言うものだから、ハルカもちゃんと対応しないとえらい事になりそうだと気を引き締める。
「それにしても……お見合い話になって何日くらいだっけ?」
「先週の水曜にそういう話になって、今日日曜……」
「四日でそんな釣書来るの?」
「おかみさん金曜と土曜あちこち駆け回ってて、嫌な予感したんだよう」
ひふみの部屋に入ると、ひふみは机の上に放置されていた封筒の中身をラグの上に出す……
広げられた十数通の釣書を前にハルカも圧倒され、言葉を失う。
何通か釣書に目を通すと、ひふみの言った通り実家住みの長男が多く、その後やって来る現実を考えるとおいそれとお勧めも出来ない。
当初案外面食いなひふみを唆し、見た目重視で選べばいいかと安直に考えていたが、軽く考えて選んでしまえば、その後がっつり食いつかれて断り切れない予感もしてくる。
履歴の中身は良いのに年齢がずいぶん高かったり、なんで離婚歴があるのかとかお察し出来てしまう内容もちらほらあった。
「昨日五人分くらい見て、なんか頭くらくらしてきて何も考えられなくなってね……」
こんな事を半ば泣きそうな顔で言うひふみも随分暫くぶりだなとハルカは現実逃避しながら考えた。
見合いの相手を親に決められる訳ではないからまだ良いとはいえ、『大滝在住の年頃の女性が見合い相手を探している』という話に、宝くじ感覚で釣書をねじ込んできたんではないかというハルカの予想は、そんなに外れていない気もした。
こんな田舎住まいでも、結婚相手を見つけてくる跡取り息子は結構いたりする。
つまりこういう釣書をねじ込んでくるタイプは確実に地雷だし、他の可能性としては女性が苦手だったり、それ以前に人付き合いが苦手といった類ではないかと思える。
釣書をあれこれ手に取って中身を見ながら、ハルカはふと疑問に思ってひふみに聞いた。
「ひふみん、お見合い相手の条件とかちゃんと言ったの?」
「んー、そもそもお見合いのシステム自体良くわかんなくて……おかみさんには何も言ってないかなあ?」
「いやそこ大事なとこ」
「だってすごい勢いで話すすめるんだもん。何も考えられないってば」
おばちゃんの突進力に意外と免疫のないひふみには、言われるがまま話が進められてしまい、更に余裕が無い所に追い込まれていったようだった。
存外押しに弱いところを見せる姿に、いつも悠然と自分本位だったひふみの記憶が強いハルカには意外な展開に感じている。
とはいえ親友が面白い事になっている以上に、この状況を何とかしないといけないと思ってハルカは思考を巡らす。
うんうん考えながら釣書を眺めていて、そもそもひふみの要望を何一つ聞いていない事を思い出す。
「ひふみん、まずはお断りの条件作ろ」
「えーでも、後出しって失礼じゃないかなあ?」
「意外と律儀よねそういう所。でもこれ全員に会う訳に行かないでしょ?」
「まあそうだけど……」
ちょっとまごつくひふみを急き立てて、ハルカはテーブルにそこいらにあった紙を広げ、ボールペンを構える。
観念したひふみはそれから条件にしたいと思った事をつらつら話し出し、ひふみは曖昧なものにはツッコミを入れつつ書き出していった。
「まーこんなもんか」
そう言ってハルカが書き直し3枚目の紙に書き並べた項目は、穏便におかみさんの顔を立てつつお断り出来そうなものになった。
「自分勝手じゃないかなあ?」
「いやあ、お見合いって結婚前提のお付き合いだからさ、ここで妥協したら一生引き摺るよ?私はひふみんの『こんなはずじゃなかった』って顔見ながら会うの嫌だもん」
「そっかあ、……なんか、そう言ってもらえると、じんわり嬉しくなってくる……」
先刻まで青白い顔だったひふみの表情に朱が差す。強張った表情も幾分和らいで、ようやくいつものひふみらしくなってきたのにハルカもホッとする。
「そんでは条件に合わない釣書はバンバン排除しよっか」
「全部残らなかったらどうしよ……」
「おかみさんの行動範囲だし、それはないんじゃない?」
そう言ってハルカは釣書の住所を確認し、まずは町内と町外に振り分ける。
ひふみが今後も亀屋あさひ堂に通えるかどうかは、結婚相手の住んでいる所に左右される。同じ町内でも広域合併でえらく広くなった町域を考えると、字が峠二つ越えるような所も珍しくない。おかみさんにとっても、ひふみが店に残るかどうかは結構な死活問題なのに目を付けた訳だ。
他の条件はその『通えるところに住んでいる所』からさらに絞り込めば、言い訳も立つしお断りも穏便に出来ると踏んでいた。
そういう打算でより分けて残り二通となった所でハルカの手が止まる。
「どうしたのハルちゃん?」
釣書を見ながら何かを思い出そうとするハルカの仕草にひふみが声を掛ける。
「いやあ、なんかこの人、見た事あるようなないような……」
そう言ってハルカの差し出す釣書と写真は、釣書の束の最後の方だったこともあり、ひふみも初めてちゃんと内容を見るものだった。
「是政ってとなりの字だし、年も28歳ってギリギリ小学校とか一緒に通ってるかもだし……」
「越智啓吾さん……んー、なんか知ってるような知らないような……」
「だよねだよね!私らの頃も学年一クラス十人もいなかったんだから、知ってるはずなんだけど……」
一緒に通ったとしても一年生と六年生。一年生だった時の自分たちは、面識どころか名前すら認識していたかも怪しい。
それからうんうん悩みつつ、接点があったとしたら誰か考える。
あるとすれば登下校。六年生は低学年の子たちを引率して学校に行くから、六年生なら是政の集落から大滝に何人か引き連れて来ていた筈だった。
「あの時の登校の時、男女結構分かれてたよね」
「そうそう、大滝に入ったらなんだかんだ人数いたから、男子班女子班あった」
「女子班は美佳子姉ちゃんだっけ?」
「うんそう、みか姉ちゃんだ。面倒見良い人だったから、みか姉ちゃんみか姉ちゃんって皆集まってさ、高学年のみか姉ちゃんたちが終わるまで、ゴム飛びよく一緒にやってたー」
「ひふみん途中で高さ変えるし、男子が邪魔しに来る……あ」
そこでハルカが何かに気付き、そういう事かという顔をする。ハルカの様子を見て当時の事を思い出していたひふみも、写真に残る当時の面影と記憶が一致した。
「わかった!」
顔を見合わせた二人は同時に同じ名前を叫んだ。
「お邪魔虫の啓ちゃん!」
その後ハルカは条件を書き出した紙をゴミ箱に丸めて放り込み、ひふみは越智啓吾さんの釣書だけを残して残りを封筒に入れた。
大滝近郷、年齢が近く結婚歴もない。何より面識がありどういう人物かある程度知っているので不安も少ない。それに全部お断りというおかみさんのメンツをつぶす真似もせずに済む――――
これはこのまますんなり行くかもなとハルカは思いながら、その後ひふみの家でアルバムを引っ張り出して雑談をして家に戻った。
後日、おかみさんは越智啓吾さん以外のお相手の仲人にお断りに行ったのだが、勢い余って釣書を集め過ぎ、『そのやり方は結婚相談所だろ!』と方々から苦言をもらう羽目になり、突っ走りすぎた自分の所業を激しく後悔する事になったらしい。
つづく