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第1話 佐伯ひふみと高宮ハルカ

3/5 投稿の仕方を変更。3話分割→1話一括

「こんちゃ、ひふみん」

「ハルちゃんおかえり。今日は早めに上がり?」

「うん、親方が我慢できなくなったみたい」

「あー……、パチンコか」

「そ、いそいそとプラザの方に行っちゃったよ」

「懲りないなあ」

「ホントホント。あ、ひふみんのコーヒー飲みたい」

「あいよ」

 平日水曜日の昼間に、過疎地の商店街に人影はなく、旧街道沿いのこの店の軒先を通過する車もない。そんな車はずいぶん前に出来たバイパスにみんな流れてしまっていた。


 中国山地の脊梁がピークに達する手前のこの小さな元宿場町は、通り過ぎる観光客もなく、交通網の主役が近くを通る高速道路に取って代わられて久しい。

 佐伯(さえき)ひふみは、そんな小さな町のこれまた小さな和菓子屋さんの店番を始めて一年ほどになる。

 店の奥にはお菓子を製造している小さな工場が併設されていて、看板商品をはじめとしたさまざまな商品の在庫を、かき入れ時に向けてせっせと積み上げていた。


 高宮ハルカはカウンタの向こうでコーヒーを淹れる作業をしている親友のひふみの背中を、イートインっぽい配置に並べられた席の一つに陣取って眺める。

 高校卒業後、男女問わず友人がことごとく町外に出てしまったハルカにとって、ふらっと去年ひふみが帰って来たのは望外の喜びだった。

 僅かでも都会に触れれば、転職するにも仕事もなかなか見つからない田舎に帰って来る友人はいない。

 そんな中ひふみは何でもないように実家に戻り、暫くのんびりすると、あっという間に今の仕事を見つけてこの店に納まった。

 いつこの店に来ても当たり前のようにそこにいるので、親友のハルカですら高校卒業以来ひふみがこの店でずっと働いているような錯覚に陥る事がある。


 ひふみは手馴れた感じでネル式ドリッパーにポットのお湯を注ぐ。

 ポットから注がれるお湯をコーヒー豆が吸い込むさまが楽しいらしいのだが、ハルカにその感性は理解できない。

 ちなみにコーヒーを淹れるための道具一式は、すべてひふみの私物を持ち込んだものらしい。


「なんかね、最近二人でこうやってコーヒー飲んでるでしょ?」

「うん、飲んでるね。三日に空けず」

「社長さんがね、『コーヒーに合うお菓子とか……作った方がいいかなぁ』とかこの前言ってた」

「ひふみん、会社の人にもコーヒー淹れたりしてるの?」

「うん、最近みんなだよ」

「相変わらずだなー、そうやってじわじわとファン増やすの」

「いやぁ、ハルちゃんいっつもそう言うけど、自覚ないからわかんないや」

「あはは、まあ、ひふみんはそれでいいよ」

「デ、アルカ」

 いつものような他愛もない会話を交わしつつ、ひふみがマグカップにコーヒーを注いでトレーに並べると、カウンターの向こうからこちらにやってくる。

 年季が入りすぎて所々仕上げが剥げている床は、こまめにワックスを掛けているせいで鈍い光を放つ。通り過ぎるひふみの影を拾って、反射する光が時折遮られてゆらりと影を落としていた。


「ちゃんとお金払ってよ?」

「いつものあさひ饅頭はともかくとして、メニューにないひふみ珈琲はいくらすんのさ」

「時価です」

「こえーよ、値段書いといてよ」

 実際のところひふみというか店としてコーヒー代を取った事は無いのだが、結構な頻度でやって来るハルカもそれでは気を遣うので、コーヒー豆は頻繁に差し入れをしていた。

 実際ひふみのコーヒーの淹れ方が丁寧で、ハルカも自分で淹れるよりは美味いなと思いながら、あちこちで買った豆を差し入れては淹れてもらっていた。

 ハルカの向かい合わせにひふみも腰を下ろし、そっとマグカップを手に取る。香りを楽しみながらコーヒーを一口飲むと、ふうと一息ついて表情を緩めた。

「ハルちゃん、弟君来年卒業だっけ?」

「うん、父さん母さんが必死で奨学金とか調べてる」

「あー、やっぱ大学進学か」

「まあねえ、やりたいのは剣道の指導員らしいんだけど、道場開くほどの実力じゃないしねえ。スポーツインストラクター的な仕事本職にして、それで剣道続けたいんだって」

「その心は?」

「大阪でキャンパスライフ楽しむんじゃ―!だと思うよ、間違いない」

 まあそうだろうなとひふみは頷く。


 その後もハルカからスポーツ推薦は微妙という話を聞いたり、警察官になれば剣道は続けられそうという話を両親が弟にしたらしい。案の定まだ働きたくないとごねられ、大喧嘩になったらしいが。

 大学に入ってやりたい崇高(すいこう)なお題目が、『結局四年間遊びたいがための言い訳』でしかない事は聞かなくても分かる。

 ただそれは今どきな高校生のごく平均的な態度と希望だ。

ひふみやハルカみたいに、家の事情というわけでもなく、端から進学の意思がない学生だったのが今日日珍しいのだ。


「私は大工になるつもりで親方の仕事は中坊の頃から手伝ったりしてたし、大学どうでも良かったけどさ、ひふみんは何で就職希望だったの?」

「んー、別に大学で学びたい事が無かったというか、資格の勉強なら仕事しながらでもできそうだったし」

「でも成績良かったじゃん。推薦とか取れたっしょ?」

「就職希望者にそんなのいらんし」

「まあそうだけどさ……ひふみん変わってるよね」

「小学生の頃から大工になると言い続けてた女の子には言われたくないかも―」

「なんで?大工おもしろいよ!」

「面白いけどさー、変わってると思うよ」

 そう言ってけたけた笑いあう二人を、店の奥からおかみさんが出てきてちらっと見たが、いつもの二人と確認するとまたすぐ奥に引っ込んだ。特に客もいない平日昼間の暇な時間なら、特に(とが)められることもない。

「まあ実際、学歴を上積みと言いながら、大学進学って十代二十代の四年間を不真面目に過ごすようにしか私は思えなかったんだよね」

「真面目に勉強する人はまあ置いといて、だよね?」

「だよ」

「高校にもたまに先輩の進学体験報告的なのやってたじゃん」

「あったねー」

「大学の勉強の話よりサークルだとか短期留学だとかバイトだとか、そういう話が九割くらいなんだもの。何しに大学行ってんのこの人とか思ってた」

「そこはねー、普通の高校生は楽しいキャンパスライフに胸躍らせるとこなんだよ、一般的には」

「うん知ってる。だから『あと四年位遊びたいですぅ』ってなんでみんな開き直らないんだろって思ってた。同級生も親も先生も、なんか色々言い訳並べてさ、それらしい格好つけるのに必死な風に見えてねえ……」

「ヒネてるよねひふみん、そういうとこは」

「はーい、自覚はしていまーす」

 そういうと反省の欠片も見せずにひふみはお皿に乗っていたあさひ饅頭を一つ口の中に放り込んだ。


 子供のころからなじみの味と大きさの饅頭は、年を取るにつれて不思議と常備しておくのが当たり前な気にさせる存在だ。決して派手さはなく、知名度も正直微妙。

県内には全国区の銘菓が他にいくつもあるから、あさひ饅頭の存在は完全に後塵(こうじん)を拝している。

 けれどこのへんでは菓子籠の中から無くなっていると、家人の誰かが何時の間に買ってきて補充をしている、そんなお菓子だ。


「そういえばひふみん、高校出た後就職先を選んだ基準ってなんだったっけ?」

「んとね、一つ目は大体定時で上がれる所、二つ目は(まかな)いがついている所、三つ目は資格取得の支援制度がある所――――だったと思うよ」

「改めて聞くとさあ、将来の希望と不安に胸膨らませる若者の対極にいるよね」

「夢なんて、現実の枠に自分を嵌め込む前にしか見れないんだよ」

「やめてっ!たとえそうだとしてもみなまで言わないで!」

「んふふ、ハルちゃん意外と夢見る乙女だもんねー」

「ひふみんがリアリスト過ぎるだけだよ。たまに何が楽しみで人生生きてるのか判んなくなる事あるよ……」

「いやいやいや、結構楽しんでるよ。日々何の気なしに生きるんでも変化なんて毎日あるし、昨日と今日が同じ事の繰り返しなんてこともないし、中々刺激的な毎日……」

「あぁそう。相変わらずその感性わかんない」

「うんまあ、理解されないって自覚あるからダイジョブ」

 ハルカにはそのどこに楽しみや幸せがあるのかいまいち理解できない。

 店の壁一枚向こうで、郵便局のカブが交差点を曲がって事務所の入り口に向かっていく。


 少しして工場の方から配達員とおかみさんのやり取りが聞こえてきた。おかみさんも暇だったのか、配達員さんを捕まえていつもより長めの会話のラリーが続いている。

「だから、さあ」

「うん」

 ひふみは最後の一口を飲み干すと、おかみさんお手製のコースターにマグカップをそっと置く。

「別に学歴いらないって思ったの、自分の幸せに」

「うんまあ、ひふみんの言いたい事はよーくわかる」

「ハルちゃんも関係ないじゃん、学歴」

「おっしゃる通りだよ。大工の腕に関係ないからね。完全な実力主義だ」

 むしろ人より四年出遅れるから、大学卒は不利になるって親方に言われた事をハルカは思い出す。

「学校としては進学実績上げたいからどうしても私に受験して欲しかったみたいだけどね」

「進路指導の三上先生、私にまでひふみんの事ぼやいてたよ。進学メリットいっしょけんめ説明しても全部反論されるって」

「実際しました」

「うん知ってる。クラスで二人で話してて周りにドン引きされてたのよーく覚えてる」

 高校三年になって進学組との温度差がどんどん大きくなるクラスの空気を二人で思い出しつつ、ひふみは淡々と、ハルカは苦虫噛んだ表情でその後も思い出話に花が咲いた。


 そんないつもの退屈で和やかな時間が終わりを告げたのは、店の外から中をのぞく人影がひふみの視界に飛び込んで来た時だった。

「あ、お客さんだ」

「なんと!そんじゃ撤収する」

 戸が開いて店の中に入ってきたのは、ドライブ中といった感じの三十代くらいの夫婦のようだった。手提げ袋がなんちゃって道の駅と地元で呼ばれている本郷プラザの地場野菜だったりするのを見ると、休憩で立ち寄って序でに商店街散策をしているように見受けられる。

 こういう通りすがりの人が店に寄るのは珍しい。

 一応ホームページに店舗紹介と共に住所も載っているから、全然来ないわけでもない。

 しかし平日は馴染み以外来客は絶無と言っても過言ではなく、見られる前にマグカップやコーヒー道具を奥に隠せてひふみは内心ほっとする。

 とはいえさっきまで飲んでいたコーヒーの香りなんかは誤魔化しようもなく、店内にはお買い上げのお菓子に飲み物が付きそうな雰囲気だけは残っていた。


 ハルカが自宅の茶請(ちゃう)け用にあさひ饅頭のばら売りを購入して、またねと挨拶する。

 珍客の二人組は続いてひふみの所に向かい、何点か商品を注文すると(つい)でといった風ににっこり尋ねる。

「あの、この店喫茶もやってるんですか?」

「あ、すいません、やってないです」

 店の出入り口をきちんと閉めた後、ハルカは物腰柔らかなのに取り付く島のないひふみの態度を思い出し、車に着くまでくすくす笑い続けた。


つづく

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― 新着の感想 ―
あらすじのおしゃぶりを取り合った仲という表現が素敵だなと思って見てみました。文章のところどころでインテリジェンスを感じることができ、第三者視点から織りなす2人の和やかな会話がとても心地よかったです。
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