昇華
(ああ、聴こえるよ。あなたの歌が聞こえる……)
***
ブロンシュは、来る日も来る日も枯れた噴水の縁に座り、歌を歌う。
大きな噴水の真ん中に立っているニンフが持っている壺から水が出なくなって久しい。燐光がちらちらと光る中、そのニンフたちにも枯れた蔦が伸びていて哀しげに見える。
*
グザヴィエと婚姻をして幸せだった日々。
祝い事があると催しをした。この庭も華やかに飾り付けをし大勢の客で溢れた。吟遊詩人や道化師を招いて場を盛り上げた、楽しい時間。
中でも二人が好きだったのは歌だった。
吟遊詩人に気に入った曲の演奏を教えてもらい、グザヴィエがリュートを弾きブロンシュが歌った。その中でもよく歌ったのは『黒騎士と雪姫の恋』。二人で赤くなりながら『まるで自分たちのようだ』と寄り添うようにして歌った。
……ブロンシュは歌う。あの頃の幸せが消えないように。自分がどんな姿になろうとも、リュートを弾くグザヴィエの美しい笑顔を忘れないように。
*
(体が……動かない)
百年戦争が終わってすでに二十年以上経った。魔女は伝説となり贄を捧げられる頻度も減った。その上、最近はますます城の周囲の森も深くなり、迷い込む人もいなくなった。
天井を見上げてベッドに横たわるブロンシュの赤い目に、じわりと涙が滲む。
(待つと約束したのに……。もう無理かも)
ブロンシュは胸の上で手を組みペンダントの上に置いた。そっと目を閉じると、目尻から涙がこぼれる。
この期に及んで神に助けを求めるのは烏滸がましいだろう。けれども、願わずにはいられない。
(どこかにいるグザヴィエさま。こんなわたくしをお許しください。神よ、グザヴィエさまをどうか幸せに……)
「ブロンシュ!」
ブロンシュは重い瞼を上げて声のする方を見た。
扉を大きく開けて立つ青年は、焦茶の髪に青い瞳。だが、ブロンシュに近づいてくるごとにぱりぱりと薄い殻を破るように姿を変え、漆黒の髪にペリドットのような新緑の瞳を持つ若者へと変化した。
夢か幻か。それでもいいとブロンシュは小さく呼びかけた。
「グザヴィエ……さま……?」
ブロンシュは体を起こし、見開いた赤い眼から涙を溢れさせて両腕を前に大きく突き出した。するりとペンダントが床に落ち、きらりと輝く。
グザヴィエはブロンシュの体を受け止めるように抱きしめた。
感触がする。温もりを感じる。
夢でも幻でもない。
「そうだよ、グザヴィエだ。ブロンシュ。遅くなってごめん……!」
「いいえ、グザヴィエさま。わたくし、ちゃんと待っていたわ……!」
ブロンシュの金色の髪に顔をうずめるようにするグザヴィエにはっとして、ブロンシュはグザヴィエの体を押した。
「ブロンシュ?」
「わ、わたくし、こんな醜くなって……」
異形の魔女の姿をした姿をグザヴィエだけには見せたくなかった。グザヴィエは優しく目を細め、青くなって震えるブロンシュの両の頬を大きく暖かい手のひらで包んだ。
「あなたが異形なら私は『悪鬼』だ。どんな姿になろうともあなたは誰よりも可愛らしい」
ブロンシュは、恐る恐る顔を上げ涙に濡れた顔でグザヴィエを見た。
「ブロンシュ、私を喰らうがよい」
「……!? なにを……」
「あなたはただ私のことを愛し待ってくれていただけ。誰がその罪を問えようか。……罪は、あなたを残し自害した私にある。あなたが私を許せぬのであれば喰ろうてくれ。私が全て引き受けよう」
「でき……ませぬ。あなたを喰らうなど……できませぬ……!」
ブロンシュの脳裏にモリーや迷い込んだ旅人たちの姿が浮かび上がる。
「あなたを憎んでも恨んでもおりません。でもわたくしは……たくさんの罪を犯しました。わたくしは……」
「私もたくさんの罪を犯し『悪鬼』となった。そして百年彷徨い罪を償った。その百年、私はあなたのことを忘れ、ただ焦燥感と罪悪感だけを抱いていた。それがなんであるかも分からずに……」
グザヴィエはそこで言葉を切り、深く息をはいた。
グザヴィエは魂だけとなって天と地の間を漂っていた頃、ブロンシュの存在を忘れていた。だが確かに半身をもがれたような苦痛を感じ、その苦痛は自分が犯した罪ゆえであることは理解できていた。
誰に対してかわからないまま、償いたい、謝りたいと切望しながらの百年であった。
そして生まれ変わってからも、ほんの三日前まで忘れていたのだ。この愛しい人を。なんと罪深いことをしたのか。
『異形』となってしまったブロンシュの気が済み救われるならば、自らの血肉を捧げたいと願うほどに。
「あなたは百年の孤独に耐え、すでに罪を償っているのだ。そして私たちはようやく会えた。私にはあなたに対してのみ罪が残っている。だからあなたに対する罪を償おう。……長い間、待たせて悪かった。あなたの魂を救えるならば、私は喜んでこの血肉を捧げよう」
「嫌です! ならばわたくしはあなたの罪もろとも地獄へ堕ちます!」
ブロンシュが絶叫すると、異形の姿をしたブロンシュがブルートパーズとペリドットが溶け合ったような淡い光に包まれた。
捻れて鋭い角は消え、キバは真珠のように白く輝き丸みを帯びる。血のように赤い瞳はブルートパーズのような透き通った深い水色の瞳になり、皮膚をも切り裂く爪は桜貝のごとく桃色の繊細なものになった。
目を見開いて自分の両手を見ていたブロンシュは、輝くような笑顔をグザヴィエに向ける。
「ブロンシュ……」
「グザヴィエさま……。お帰りなさいませ」
「うん。今、戻った」
***
吟遊詩人は歌う
リュートの音色にのせて
幾千もの星が降る下『忘れられた森』に隠されるように佇む古城が、抱擁する恋人二人を包むようにさらさらと砂になりその姿を消したという
哀しくも幸せで、美しい恋の歌を
【終わり】
これにて完結です。
ありがとうございました。