テオという少年
セザールとネージュ、そして馬のクロニテはブロンシュの城からさらに丸二日かけて故郷の村に戻った。
幼い頃に出奔したセザールの突然の帰還に驚いた村の者たちだったが、貴重な働き手としてのセザールと、愛嬌があり働き者のネージュを喜んで受け入れた。
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「セザール、こっちを頼む!」
「おう」
セザールは未だ慣れない農作業をしながら、経験を活かして猟師として害獣駆除を請け負っている。今も大きなイノシシを二頭、仲間とともに下処理をしているところだ。
「立派なイノシシだ。これで村中が美味い肉にありつけるな。塩漬けも作れるぞ」
「セザールも身重の奥さんに食わせてやれよ」
「悪阻で肉は食えねぇらしい。さっきプラムがなっている木を見つけたから、それを採って帰るよ」
「愛妻家じゃねえか! じゃあ今ここで肉を焼いて食おうぜ。酒がないのが残念だがな」
猟師仲間が豪快に笑いながらバンバンとセザールの背を叩く。セザールは苦笑しながら村の一員になれたことに安堵した。
火を起こし、肉の一番いいところを焼く。仲間が余った肉を隣の村に売りに行くか塩漬けにするか算段している横で、セザールは香ばしく焼かれた肉を頬張った。
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セザールは熟れたプラムを三個、潰さないように大事に持って家路を急ぐ。年老いた両親は兄の家族と住んでおり、セザールたちは村外れの小さな家に住んでいる。
あの時のペンダントがあれば、もう少しましな家に住めたかもしれないが、あの時はあれが最善だと思った。
ブロンシュに渡した瞬間、あのペンダントが帰るべき場所に帰ったような気がしたのだ。
今でも時々ネージュと話す。自分たちはあの城に導かれて行ったのかもしれない、と。
「ただいま」
「おかえりなさい、うっ」
「あ、イノシシの臭いがするか? すぐ水浴びしてくる。これを」
机の上にプラムを置く。
「ありがとう、ごめんね!」
ネージュは鼻の上に皺を寄せながら微笑むという器用なことをしながらお礼を言った。そんな妻にセザールは笑いながら再び家を出て裏に回る。
服を脱ぎ、水を溜めてある樽から水を掬って頭からかぶる。ついでに汚れた服も洗いながらセザールは幸せを噛み締めていた。
*
しばらくするとネージュの悪阻もおさまりお腹の膨らみも目立ってきた。セザールはネージュと生まれてくる子供のために懸命に働き、村にとってなくてはならない存在になっていた。ネージュもセザールの母親や義姉ともいい関係を築き出産の準備をしている。
平凡で幸せな日々が続くはずだった。
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秋が過ぎて冬がきて、年を越してしばらくしてからネージュは一人の男の子を産んだ。
生まれたのはセザールにもネージュにも似たところがありながら、おそろしく美しい子であった。
テオと名付けられた子は、セザール譲りの焦茶の髪とネージュ譲りの青い瞳でありながら高貴さを感じる美しさと聡明さを持っていた。
テオは父母や祖父母に伯父一家、さらに村中の人々から愛され可愛がられすくすくと育った。
三才になると、一人で村の中心にある教会に行き神父に読み書きを教えてもらうよう頼んだ。
驚いた神父は戯れに教えることにしたが、砂に水が染み込むように吸収するテオに驚愕した。難易度を上げていくと、テオはすぐに経典さえもすらすらと読めるようになった。
興奮した神父は教会へと勧誘したが、焦ったセザールに「長男に馬鹿なことを言わないでくれ」と断った。それでもしつこく勧誘は続いた。
テオはそんなことは素知らぬ風に、一通りの読み書きができるようになると教会内の本を読み尽くした。特に興味を持ったのは歴史で、百年戦争に関する本は何度も読み込み、気になるところを自作の木の板に細く固く練った木炭で書き込んだ。
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「こういうのを『トンビが鷹を産んだ』って言うのか?」
「うるせぇな。賢さはネージュに似たんだ」
「綺麗さは誰だ?」
「ネージュだ!」
(それにしても、だ)
文字の読めないセザールとネージュはテオのしていることはちんぷんかんだ。そしてテオの後に生まれた次男も長女もそこまで聡明ではなく、テオだけが異質だった。
なんのためにそれほど勉強するのかテオに聞いても、困った顔をして「わからない」と言う。
「なぜかわからないけど、知りたいんだ。大切なことを忘れている気がするから」
「けどさ、将来はこの田舎で農業やるんだぞ? 学は必要ねぇ」
「……うん、わかってる」
「それより剣を教えてやる。獣を倒すのにも役に立つ。父さんはこれでも褒賞を貰うぐらい腕の立つ傭兵だったんだぞ」
セザールの言葉にテオがぱっと視線を上げた。
「教えてほしい、父さん! お願いします!」
思いのほか強く興味を示したテオに面くらいながら、セザールは喜んで剣を教えることにした。
セザールが手作りをした木製の剣での練習だったが、テオの剣技はめきめきと上達した。がっちりとしたセザールとは違い、テオは線が細いがその分俊敏に動く。
勉学と同様に剣の才能もあるテオにセザールは舌を巻いた。
が、同時に恐れもした。
愛する息子のテオがどこか遠くに行ってしまいそうで。
不安と焦りを感じながらも、なにかに追い立てられるように縋るように学び剣の腕を磨くテオを、セザールとネージュは見守ることしかできなかった。