古城の魔女
二話投稿します!
全七話です。よろしくお願いします。
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『行ってくるよ、愛しい人。必ず戻るからここで待っていて』
『待っているわ、愛しい人。あなたが無事に戻るまで』
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太陽が傾き、木々の間から夕焼けが差し込む。
鳥たちが一斉に羽音を立てて飛び去る森の中を、一頭の栗毛の馬に跨った男と女が進む。
「明るいうちに森を抜けたかったが、もうすぐ陽が落ちるな。大丈夫かい? ネージュ」
ネージュと呼ばれた女は小さくて丸い顔を上げ、男を見上げる。
「私は大丈夫よ。クロニテは?」
手綱を握るがっちりとした大柄の男が馬のクロニテの首をぽんぽんと叩く。
「こいつは俺と一緒に戦った軍馬だ。一晩中でも走り回れる」
若い男女と荷物を背に乗せた、軍馬と言うにはいささか貧相なクロニテは、ぶるると鼻を鳴らした。
馬のクロニテを操るセザールは、ほんの少し前まで傭兵だった。百年戦争と呼ばれた戦で歩兵として少しずつ功績を上げ、馬を賜るまでになった。
終わりが見えないかと思われた長い戦争も終結して平和になり、今は妻となったネージュを伴って故郷に帰る途中だ。
*
セザールは少年の時に故郷を飛び出して傭兵となり、それ以外の生き方は知らない。
雇用主である騎士たちに従い転戦し、怪我をした時に運び込まれた村で手当てをしてくれた村娘ネージュと知り合い恋に落ちた。
怪我が治った頃には陣営は移動しており、また戻ってきた時に合流すればよいかとネージュの家の畑を耕し家畜の世話をしているうちに、つくづく自分はこういう生活の方が合っているのだな、と実感した。
それが嫌で故郷を飛び出したというのに、結局自分の中に流れている血は農夫だったのだ。
十年の傭兵生活でいくつかの軍功も立てたが、疲れてきていたのもあったかもしれない。のどかな生活をしているうちに『戦場にはもう戻りたくないな』という気持ちが膨らんできた。
そして気持ちが固まった頃、幸いにも約百年続いた戦争は終わり、ネージュにプロポーズをして生まれ故郷に戻ることにした。
*
セザールの故郷である村はネージュの住む村から『忘れられた森』を抜け、馬で三日ほどの場所にある。今夜は森を抜けた宿場町に泊まるつもりだ。
*
『忘れられた森』は長く続いた戦禍にも巻き込まれずに残り、今では領地と領地の境界でもあった。広大だがそれほど鬱蒼としているわけではなく、馬が通れるほどの小道もある。
しかし、どこかで道に迷ったようだ。
(あの時の分かれ道か? この森は小道も獣道も違いがないからな……)
太陽が西に傾き空が朱に染まりつつある頃、セザールは腰の剣を確認する。なにかに襲われたとしても十年戦地にいたセザールは切り伏せることができるだろう。ただ妻となったネージュを危険に晒すわけにはいかない。
どこかで野営できないか視線を動かす。朝が来れば方角もわかるだろうし森を抜けることもできるだろう。ただ今夜だけしのげる場所があればいい。
そんな時だった。
「セザール」
「うん、歌声……かな?」
どこからか澄んだ歌声が聞こえる。
「『黒騎士と雪姫の恋』だわ」
ネージュがセザールの服をぎゅっと握り、セザールは手綱を引いてクロニテの鼻先を歌の聞こえる方へと向けた。
「人家があるのかもしれない。行ってみよう」
陽も落ちかけ暗くなる寸前、目の前に城が現れた。
「古城……?」
周囲に張り巡らされた石造りの塀は所々崩れ落ち、半開きになった錆びた鉄製の門扉にも蔓性の植物がまとわりついている。その奥には廃墟のような城がひっそりと建っていた。
「こんなところに……」
それほど大きくはないが砦のように武骨でかなり古い。だが雨風がしのげるのであれば、とセザールはクロニテから降りて手綱を持ち、ギイギイと音を立てて揺れる背丈の二倍はあるであろう堅牢な門扉をくぐった。
すると、また歌声が聞こえる。セザールとネージュは顔を見合わせ、お互いの体をぎゅっと抱きしめ合いながら声のする方へ進んだ。
荒れ果てた庭の、かつては噴水だったと思われる石段の縁に少女が腰掛け、歌を口ずさんでいた。
かさり、と馬が立てた足音に少女が振り向く。
腰まで届く白に近い金色の髪はゆるく三つ編みにして前に垂らしてあり、ぱちりとした大きな水色の瞳は宝石のように澄んでいる。
まるで妖精のように美しく可憐な少女が驚いた顔でこちらを見た。
「……だあれ?」
一瞬、声を失ったセザールとネージュに少女はもう一度声をかけた。
「お客さま? かしら」
「え……、と。その、森で道に迷ってしまって……」
ようやく絞り出したセザールの声に少女はばあっと微笑んだ。
「ああ、たまにいるのよ。道に迷ってこの城に来る人が。あなたたちもそうなのね。いいわよ、今夜は泊まって行っても」
少女が一人合点して頷き、立ち上がって建物の方へ歩いていく。
セザールとネージュは戸惑いながらも、その後をついて行った。
*
城の中は閑散としており、少女に案内され進む廊下には埃が溜まっていた。それでもかつての栄華を思い起こさせるほど豪華な意匠が施されている。
辿り着いた広い居間はゆったりと過ごせるように整えられ、大きな窓からはほのかに夕暮れの光が差し込んでいる。
ブロンシュは慣れた手つきで蝋燭に灯りをともした。
「えーと、名前は?」
「あ、俺はセザールで彼女は妻のネージュです」
ネージュがぺこりと頭を下げる。
「雪ね! さっきの歌は知ってる?」
「は、はい。『黒騎士と雪姫の恋』ですよね?」
少女はにっこりと笑った。
「そう、わたくしの大好きな歌なの。わたくしの名前はブロンシュ。かつては雪の妖精っていう二つ名をつけられていたのよ」
ブロンシュは頬を染めて「ふふふ」と笑う。
『黒騎士と雪姫の恋』は、大昔にできた吟遊詩人による歌曲で、それだけでも完成度が高く今でも人気がある。ネージュは農家の娘であるが、村の冬祭りで演奏されたこともあり、自分の名前が『ネージュ』だということでなんとなく覚えていた。
「あのね、申し訳ないんだけど、この城には今食糧がないの」
ブロンシュが頬に指を当てて申し訳なさそうに首を傾けた。
セザールとネージュは(食糧がない?)と目を見開いたが、セザールは自分の荷物を軽く持ち上げて少女に見せた。
「お構いなく。旅の途中なので食糧は持ち合わせています。あの……、それよりこの城に他に人は?」
少女は困ったように眉を下げて首を振った。
「わたくし一人よ。他にはだぁれもいないわ」
再びセザールとネージュは衝撃を受けた。
目の前にいるブロンシュの名乗った少女は「お姫さま」と呼んでもいいぐらいの貴族然としている。農夫であるセザールとネージュに貴族の格好などよくわからないが、レモンイエローのコタルディの生地は精密な模様が織り込まれ、襟や裾に施されている刺繍を見るに、相当高価だと思われる。
なのになぜ、この可憐な少女はこの城にたった一人でいるのか?
ブロンシュは、そんな二人の戸惑いを感じたのか、にこりと笑って立ち上がった。
「この居間と、二つ隣にある客間は好きに使っていいわ。わたくしは自分の部屋に戻るわね」
「ま、待ってください!」
ネージュが咄嗟に声をかけた。
「あの、一緒に食事はいかがですか……?」
ブロンシュが一瞬きょとんとしたが「ああ」と微笑んだ。
「わたくし、今はお腹がすいていないわ。ではね」
ブロンシュはそう言って衣擦れの音をたてながら部屋を出て行き、残された二人は呆然とその後ろ姿を見送った。
注)ブロンシュの髪型について
本来なら髪の毛は三つ編みにして左右にくるくるとまとめて「ヴォワール・アン・ギンプ」という頭巾を付けたり「エナン」という帽子に隠すのが正式なのですが、自分でできないので「まあいいか」と三つ編みを垂らした姿でいます。
以上、ミニ情報でした。