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埋もれた短編

どうやら両生類

作者: 平松冨永




 目を開けると、青い世界だった。

 頭上は不規則にきらめき、泡と流れと静けさがあった。ちかちか、と彼方で瞬くのは魚群の鱗の反射だろうか。

 足の下に大地はなく、底は見当たらなかった。


 首もとから胸へ、当たる水が体内を通り抜けていく。妙に長い指でそっと触れると、表皮には大きな切れ込みが入っていたが、伴う痛みはなかった。

 傷口かと思ったそれらには硬い覆いがあり、一定のリズムで開閉を繰り返していて──おそらく水中と思われるのに、息苦しさはまったくなかった。

 どうやら(えら)呼吸ができている、らしい。

 自分のセミロングの髪の先が、視界の端でとろとろと揺らめいている。気合いを入れて染めたインナーカラーの赤毛は、一房詰まんで眼前に持ってきても、よく分からなかった。


 それより、指先だ。

 付けた覚えがないのに鋭く、長さがある見知らぬ爪。角度を変えると、随分と厚みがあって、装飾はない。

 人の爪はこんな風に伸びないんじゃなかったっけ、と思い手を動かすと、関節はちゃんと曲がる。ただし頑丈な爪が長すぎて、グーの形に握り込むことはできなかった。

 便利なのか不便なのか、分からない。


 私は全裸だった。体型やパーツの大きさは、覚えている自分のサイズ感というかバランスと、そう変わらない。そこまで大きくない胸を見下ろし──哺乳類の印がないなあ、と他人事のように嘆息した。口から小さな泡が出た。

 もみあげから下に、体毛は生えていなかった。

 爪に注意しながら股間に触れ、体を丸めて覗いてみる。なにもなかった。硬質化して鱗状になったところをつついたら、鰓のようにぱか、と──。


 総排泄孔、なんだろうなあ。

 どうやら私は、めでたく人外に変身したらしい。モザイク不要な体躯は、鰓以外はマネキンっぽかった。




 しばらく周囲を泳ぎ、観察してみた。意図して飲んだ水は辛いから、淡水でなく海中じゃないかな、と知れた。


 ちぎれて漂う海藻らしきもの、分解されかけてる流木片、濁った流動体はプランクトンかなにかの集まりだろうか。

 イメージする海、より透明度は高いけど、プールのような澄んだ水ではない。小さな色んなものがあるんだなあ、と見渡し、好き勝手に潜り、流れに身を任せたり、逆らって泳いだり。

 どうやらこの体は、以前よりずっと浮きにくく、水泳に適しているらしい。底を確かめてみよう、と翻り、水を掻くと──延々と深く潜り続けられたので、怖くなってやめた。

 上を目指そうとするけど、水面が遠い。疲れて四肢を投げ出すと、とてもゆっくり、じわじわ浮上していくことに気付けた。

 どうなってるんだろう、私の体。


 寝返りを打つ感覚で、横向きになったり、仰向けになったり。水泳の授業で潜水した時のことを思い出すけど、微妙に違う感覚。慣れなきゃ生きていけないだろうから、過去は努めて忘れようと思う。

 そういえば今の海中温度が分からない。汗ばむ暑さや凍える寒さではないけど、何度なんだろう。ってか、今の私に汗腺はあるんだろうか。ない気がするんだけど。体毛も頭部だけだし。

 というか、ここは太平洋なのか日本海なのかオホーツク海なのかも、分からない。


 気になったので、水面まで浮かんでいった。

 ちゃぽ、と頭を海中から出す。鼻と口で呼吸ができて、苦しくない。


「べんりー」


 出た声は自分のものだったけど、妙に遠かった。耳に水が入ったかのような、ぶわん、と脳に響く感じ。

 鼓膜を突き刺さないように、耳に指を入れて頭を傾けてみる。何度か振るうちに、聞こえやすくなった。


「あーあーあー」


 発声練習。うん、良好。早口言葉を幾つか言って、滑舌を確かめた。

 ちゃんと喋れた。


 気になったので、口腔に触れてみた。爪がかなり邪魔で、歯医者での検診時より大きく口を開けなきゃ、指の腹で確かめられない。

 唇、歯並び、舌、うん、覚えている限りの自分と同じサイズ。

 そのまま、海風を受けて乾きかけている顔面も触った。鼻には穴が二つ、頬骨、耳たぶ、まつげと目蓋がある双眸。眉毛、髪の生え際。

 なんとなく、昨日までの自分と同じ顔、だと思った。

 濡れ髪が貼り付く違和感は、なかった。




 顔を海面から上げたまま、泳いでいく。水平線の端に見えた、動かない影を目指して。

 人や船はない。

 空はよく晴れて青く、薄い雲がたなびいている。

 太陽の角度で時間が分かったり、星の位置で緯度か経度が測れたりするというのは知っているけど、具体的にどんな道具でどう判断するのかは、知らない。

 魚や海藻の種類で海域の特定ができるのかもしれないけど、以下同文。

 なのでまあ、とりあえず人を探してみようと思う。日本語が通じなくても、片言英単語でどうにかなる、と信じたい。

 喉は乾いていない。海水を飲んで辛いなあ、と思ったけど、即座にじゃばー、っと塩分が抜けた感覚があって、違和感がなくなったからだ。

 どうやら私の体には、真水フィルター?みたいな機能があるらしい。首の鰓から胸の横の鰓に海水が抜けて水中呼吸ができるし、随分と非常識になったもんだ。


 ちょいちょい潮流に流されて軌道修正しつつ、日が傾く前に私は目的地に到着できた。

 島だと思っていたけど、岩だった。小さいし、誰もいないし、木も生えていない。

 フナムシというやつだろうか、ダンゴムシくらいのサイズの、妙にちっちゃくて動きが速いやつがわらわらしていたので、片っ端から叩き潰してみた。伸びた爪でまとめて刺して口に入れたら、磯臭くてじゃりじゃりしてて、あんまり美味しくなかった。


 なんとなく海から上がって、岩場で体育座りをしてみる。できたから、骨格はあんまり変わっていないんだろう。つるんつるんの表皮を撫でて、足指の間に(ひれ)が生えていたことを知る。


「……」


 ゆっくり暮れていく空を見ながら、ちょっと泣いた。

 瞬きはできたし、涙も出た。




 岩場で目が覚めた。身体中が痛い。つるつるの肌には幾つも擦過傷ができていて、日焼けに近いピリピリ感がある。

 ()みるかも、と思ったのに体は勝手に海に飛び込むことを選んだ。どぷん、と飛沫が上がり、視界が泡で覆われる。

 気持ちよかった。

 長時間の陸上活動は、この体では危険だと知れた。


 岩を中心に、周囲の探検と確認に励んだ。おなかがすいたので、漂っていた昆布っぽいものを齧ってみたけど、美味しくない。岩に張り付いてたちっちゃな二枚貝を爪で剥がして、こじ開けて、また爪でまとめて刺してちまちま食べたけど、やっぱりじゃりじゃりしてる。


「魚かなあ」


 仰向けに浮かんで、曇り空を見上げながら呟いた。でも、種類も分からない海水魚の生食は寄生虫が怖い。いや、それを言ったらフナムシや貝はどうなんだって話だけど。今頃、私の内臓になにかが絶賛寄生中ではないかしらん。


 そう考えて、ぞっとする。

 つるんつるんの腹に手を当ててみるけど、痛みはない。でも、潜伏期間中かもしれない。

 どうしよう。

 痛いのも苦しいのも下すのも、死ぬのも嫌だ。


 どうすればいいんだろう、ええと。

 あ、火だ。

 火を通せば、確か寄生中は死ぬから大丈夫。

 火、いや火って、どうやって。

 ライターやバーナー、コンロ、なんてない。マッチもない。虫眼鏡、火打石、あるわけない。でもいる。なんか、なんでもいいから、火、火、火。

 焦っていたら顔を覆っていた左手人差し指が急に熱く、痛くなって。


「火ーッ!」


 いきなり爪先に、小さな火がついた。

 ビックリして海につけたら、じゅ、と消えた。




 なんか、火を操れました。意味分かりません。

 必死に魚群を追い掛けて、右手の爪にプスプス確保した小魚を刺したまま、岩礁に帰る。左人差し指を近付けて「火ー」と念じたら、炎が(とも)りました。

 が。


「痛いよぅ熱いよぅー!」


 バカですねえ、濡れた小魚が即焼けるわけないのに。小魚を火で炙ってたら、刺してる私の爪や指も焼けるのに。

 それでも生焼けの小魚は、ちょっと美味しかった。爪で剥がし損ねた鱗が、ぺきぺき口に残ったけど。




 翌日から私は、空腹に突き動かされつつ、目的を定めて泳ぎ潜った。

 漁は自前の爪でいける。ガチで泳げば、そこらの魚の速度を上回れたので、ぶっ刺し漁に道具はいらない。

 いるのはその後だ。

 無限チャッ○マンな左人差し指があるのだから、焼き串がいる。鱗を剥がす金属片か石片も欲しい。爪は強力だけど、細かい作業には向かない。

 あと、道具を使うことを考えたら、右手の爪は一本残して短くした方がいい。関節一つ分くらいの長さなら、ある程度握れるだろうし。

 でも、爪切りがない。歯で噛んでも負けるかもしれない。ううう、いつかどうにかする!

 いや待て、左人差し指の爪は切ったら火が出なくなるかもしれない予感がある。他の爪にもなんかこう……魔法?的ななんか良さげな効能があるかもしれない。爪を切るのは実験してからだ!


 いるのは食料、串になる棒──は海中にはなさそうだから、あれだ、大きい魚の骨とか沈んでないかな。だったら海底だ、いざ行かん、海底何マイルだったっけ?


 さかなさかなさかなー、と意気高揚ソングを歌うも、海中だったのでガボボゴボボガバゴー、と泡立つだけだった。



 □ □ □ 



 あれから何日経ったかは、分からない。

 すっかりお魚ハンターとなった私は、広大な海を巡回しながら、漂流漁具を拾っては繋いだり、邪魔なごみを詰まんでは岩場に重ねて燃やしたり、鯨の骨を爪で磨いたり、爪で魚を(さば)けるようになったり、釣糸やロープを使って干物を作ったり、できるようになりました。

 干物はたまに腐ります。ちくしょう。


 火傷せずに焼き魚ができるようになりましたが、貝の砂抜きは難しいです。もうジャリジャリ覚悟でたまに()まんでます。


 人間との接触は、諦めました。今は逆に、船影やソナーを察知する度に逃げています。


 もっと早く気付くべきでした。私の目には、人間だった頃と同じ体のバランスであっても──今のこの体は、サイズそのものが違うということに。

 漂っていた定置網のブイを拾ったら、記憶より小さくて、片手で掴める大きさと知った時にようやく察せました。自分にがっかりですよ本当に。


 見付かったらどうなるか分からない両生類モンスターな、半端な巨人モドキは海で静かに暮らします。

 ああ、でも、死ぬまでにもう一回、海鮮丼食べたいなあ。







 


閲覧下さりありがとうございました。

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