ツギハギだらけの音楽隊
時は20世紀初頭。
「長年身を粉にして働いた結果がコレか」
年の頃は四十路過ぎだろうか。
ロクに舗装もされていない深夜の道を型落ちの自動車で走り抜けて行くのは、対抗組織との抗争に敗れ構成員が無残に粛清されゆく中、這う這うの体で逃げ出した一人の男だった。
「まあ五体満足なだけマシだと思わんとな」
元々待遇に不満を持っていた組織だ。壊滅したところで大した感慨も無い。
そんなことよりもこれからの身の振り方だ。あの街にもはや居場所はない。なら新天地を目指すしかない。
そんな男が目を付けたのは遠く離れたブレーメンという大都市。
元所属していた組織など及びもつかぬ大組織が支配する街。だが同時に小規模な組織が乱立している群雄割拠の地だとも聞く。
逃げ出した男に残されていたのは、長年働いた組織の退職金とするにはあまりにも少額な金、そしてトランクに満載された武器の数々のみ。
これを元手にどこかの組織に潜り込むか、新たに組織を立ち上げるか、便利屋のようなことをしつつ組織間で上手く立ち回るか。
いずれにせよ今までの経験が活かせる道はきっとあるだろう。そう踏んでいた
当然そんなに都合良く物事が進むとは思っていない。それでも男の顔に悲壮感は無かった。
生きるため組織に奉仕することを強いられ続け、もとよりいつ失ってもおかしくなかった命。追われる身になったとはいえ、この年にして初めて自分自身のために生きられることに心が躍っていた。
街を出て数時間、組織の隠れ家がある小さな街へ辿り着く。
倉庫を装った長年使われていないはずの隠れ家だ。流石にまだ対抗組織の手も及んではいまい。
男はしばしの休息を得るべく車を走らせた。
街外れにある隠れ家近くに差し掛かった時———倉庫からかすかに光が漏れているのに気付き緊張が走る。組織の生き残りがいたのか? まさか追手が既に?
いずれにせよその正体を確かめねばならない。
離れた場所に車を停めると、懐に忍ばせたリボルバーの感触を確認しつつ、男は静かに倉庫へ近づいていった。
足音を消しながら光の出所である倉庫の奥へ向かう。
「……大丈夫?……」
「……心配するな……」
倉庫の奥の部屋の一つから話し声が聞こえてくる。
扉の隙間から中を窺うとベッドに腰かけている男が一人、男に寄り添う女が一人。
「動くな。手を上げろ」
リボルバーを構え、なるべく静かな声で呼びかけつつゆっくりと室内へ踏み込む。
固まる女と対照的に男は枕元の何かに手を伸ばそうとするが———
「動くな。女を撃つぞ」
女に銃口を向けると、男は動きを止め両手を上げた。
男は二十歳前後、女は十代後半といったところか。
「お前らは何者だ? なぜここに居る?」
「てめえこそ一体……って、あんたは『ロバ』? 『働き者のロバ』か!?」
「なぜその名を知ってる。……お前、もしかして『猟犬』なのか?」
組織の尖兵である猟犬。
恐喝、強盗、そして殺人。組織のあらゆる汚れ仕事を担当する集団。
……俺の元居た場所だ。
「ああ、新参者だけどな。しかしいくら現場担当とはいえ、あんたほどの人がなんでこんな所に?」
「それはこっちの台詞だ。この俺ですらやっとこさ逃げてきたってのに、お前ごときがどうやって俺に先んじてここまで逃げてこれたんだ」
「それは……コイツと逃げてきたんだよ」
「ねえ、この人誰なの……?」
灯りの下でよく見ると女の方はかなりの上玉だ。
この若さでこれなら将来は相当数の男を泣かせることになるだろう。
「俺はこの男の上司みたいなもんだ。それより君は?」
「私は……」
「こいつは俺の行きつけの酒場の看板娘だった女さ。
この通りいい女だろ? そのせいで女の嫉妬と男の嫉妬に巻き込まれた挙句殺されかけてさ。襲ってきた奴らは返り討ちにしたんだけど、もうあの街にはいられないから逃げてきたってワケさ」
「その怪我はそのせいか。大丈夫なのか?」
「ああ。数は多いがかすり傷だけだ」
「……ごめんなさい、私のせいで」
「気にすんなって言ってるだろ」
対抗組織絡みじゃなかったことに一瞬安堵しかけるが———
「……待て。誰を敵に回したか知らんが、しっかり追手は撒いたんだろうな?」
「あ、ああ……ついて来てる車は無かったし、大丈夫なはずだ、多分」
「あの、ちょっと待ってください……私を連れ出す時にこの人、この街の方へ逃げるって大声で言っていたわ……!」
「あ!? てめぇ何してくれてんだ!」
「す、すまねえ! こいつを安心させようと思って!」
「あ、あの……もう手遅れかも……」
「「え?」」
ふと気づくとさっきより周囲が騒がしくなっていた。複数台の車が辺りを行き来しているようだ。
「執念深いことだ。何があったか知らんが、その上玉ちゃんはずいぶん恨みを買っていたようだな」
「……こいつは女どもからは美しさを嫉妬されて『雌猫』と蔑まれ、男どもからは言い寄っても靡かないことへの腹いせに『売女』と罵られてきたんだ。生きるために仕方なく夜の街に身を置いていただけなのによ」
「よくある胸糞の悪い話だ。俺らもそいつらを見下せる身分じゃないがな」
「そうだな。でもこいつは違う。こいつはいずれ日の下で大手を振って歩いていける器量なんだ。そのためなら俺はなんでもする」
「あんた……」
「というか売女だのなんだのなんて本当に事実無根なんだよ。だってこいつはバージn……」
「ちょ、ちょっとそんなこと言わなくていいでしょ!」
「静かにしろ」
入り口に人が近づいてくる気配がする。
「まだバレちゃいなさそうだが、このままじゃ時間の問題だな……おい、武器は何がある? 俺はこのリボルバー一丁、弾は全装填されているが予備弾は無しだ」
「俺はこの拳銃が一丁、弾は……残り三発だな。一応ナイフも一本ある」
「俺の車に多少武器は積んであるが、遠くに停めてきちまった。この倉庫内に武器は?」
「飛び道具は一切ねえな。角材とかその辺のものくらいしかねえ」
敵の人数も装備も不明、こっちの武器は心許ないにも程がある。こいつは厳しい状況だ。
「せっかく逃げおおせたかと思ったが、これは厳しい状況かもしれんな」
「すまねえロバ、俺が迂闊だったばかりに……」
「本当だぜ。……まあいいさ。やるだけやるぞ。お前も組織のイヌだったなら覚悟決めろ」
「ああ」
「わ、私も戦います! ナイフちょうだい!」
「「無理すんな」」
こんな状況だってのに空気が弛緩する。やっぱりこの嬢ちゃん大物になるかもしれねえな。生き残れればの話だが。
そうして全員覚悟を決めたその時———
「やあやあ! 紳士諸兄、こんな早朝から我が家に何の御用ですかな!」
外からやけに響く男の声が聞こえてきた。
イヌと顔を見合わせつつ、扉の影から外の様子を窺う。
「何だテメェは。この中にお尋ね者が居るかもしれねえんだ、すっこんでろ」
「何をおっしゃる! ここは私の家だと言いましたでしょう!」
「こんな倉庫がか?」
「そうですとも! 流れ流れて幾星霜、ようやく見つけた我が家! これからそこで見つけたバーボンで一杯やらせていただこうとしていたんです! あなた方がどこのどちらさんかは存じませんが! どうかこの小汚い親父の数少ない楽しみを邪魔しないでいただきたい!」
「……ちょっと待て。ようやく見つけたってどういうことだ?」
「そのままの意味でございますよ! 今晩どこで夜を明かそうかと途方にくれていた所でようやく見つけた我が家! 久しぶりに屋根のある所で眠れそうで私ウキウキしておりますよ! あ、夜を明かすと言いましたがもうほぼ明けておりますね! こいつは一本取られました!」
「よく喋る親父だ……確認するが、ここには誰も居ないんだな?」
「ですからそう言いましたでしょう! なんなら確かめて行かれますかな!? ですがここは私の家、敷居を跨ぐなら手土産の一つももらえるとありがたいですな! 酒はありますから、つまみの一つもあれば最高です!」
「いや……もういい。邪魔したな。おい、行くぞ……」
人の気配が遠ざかると共に、危機を脱した実感から深く息を吐く。
「いやあ参りましたな。せっかく今晩の寝床にありつけたって言うのに。まあなんとか追い払えたことですし、さっそく一杯……」
「誰だか知らんが助かったぜ」
「!? どちら様で!?」
「シッ。あいつらが戻ってくる」
男の口を塞ぎ、落ち着くのを待つ。
「落ち着いたか?」
「(コクコク)」
おそらく五十代といったところか。見るからにルンペンといった小汚いオッサンだった。
「プハッ……驚いた、本当に居たんですねえ。しかしあんなのに追われてる割に落ち着いているご様子ですな」
「まあ俺には関係の無い話だしな」
「? そりゃ一体?」
簡単に事情を説明する。
「なるほど、別々の理由で逃げてきた二組が偶然鉢合わせて、旦那はそれに巻き込まれたと。災難でしたなあ」
「全くだぜ……それにしてもオッサン、さっきのアレには驚いたぜ。あんた命が惜しくないのか? 多分あいつら武器を持ってただろ?」
「あの場面じゃあたしはあいつらの敵でも何でもなかったですからね。『こいつに関わりたくない』とか『こんな奴に弾使いたくない』って思わせればあたしの勝ちですよ」
「それにしたって大した度胸だな」
「まあ今まで詭弁だけで生きてきたようなもんですからね。あんまりにも喋るもんだから昔は雄鶏なんて呼ばれたこともあるくらいですよ」
「あんたにゃピッタリの呼び名だ」
フッ、と笑みが漏れる。
「さて、もう夜が明ける。せっかくオッサンが作ってくれた「我が家」だ。しばらく休ませてもらうとしようか」
「ああ、流石に堪えたぜ……」
「私も……」
「これも何かの縁だ。あたしは一杯やりつつ外を見張っておきますよ」
「感謝する」
こうして激動の一夜が幕を下ろし、俺たちはしばしの休息を得るのだった。
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「さて、それじゃあ出発するとするか」
結局イヌとネコちゃんも俺に同行してブレーメンを目指すことになった。まあこれからまさしく猫の手も借りたいって程に人手が欲しくなるだろうからな。しばらく手伝ってもらうとしよう。
「オッサンにも世話になったな。何の礼も出来ねえが感謝してるぜ」
「それなんですがね、あたしも旦那方に同行させちゃくれませんかね?」
「オッサンもか? なんでまた?」
「いやあ、これから旦那方の居た街の方へ行こうと思ってたんですが、話を聞くにしばらくゴタつきそうじゃねえですか。なら久しぶりにブレーメンに行ってみるのも悪くないかと思いましてね。ブレーメンにも多少のツテがありますから、何かの役に立てるかもしれませんぜ」
「そうか。俺にとっては全くの新天地だからな。詳しい奴が同行してくれるなら助かるぜ」
「そうと決まれば善は急げですな。早速行きましょうや」
まだ追手が居るかもしれない。イヌの乗って来た車はその場に残し、俺の車で移動することになった。
停めてあった車は幸いにも手付かずのままだった。急いで給油と多少の買い出しを済ませ、街を後にした。
「ところで俺は便利屋なり新しい組織なりを立ち上げようと思ってるが、お前らはブレーメンに行ったら何をしたい?」
「俺は……汚れ仕事以外の生き方を知らねえからなあ。とりあえずネコが真っ当に生きられるためなら何でもするぜ」
「あたしは今まで通り好き勝手に生きたいですねえ」
「俺も人のことは言えねえが、本当にお前らロクでもねえな……と、ネコちゃんは?」
そう尋ねるとネコはしばし目を伏せ。
「私……歌手になりたいんです!」
そう言いながら顔を上げた。
眩しいほどに純粋で良い笑顔だった。
「そうか。じゃあブレーメンで成り上がって一番のパトロンになってやらねえとなあ」
「俺は一番のファンになるぜ!」
「人脈には多少自信がありますからね。デビュー出来たらあたしがマネージャーを引き受けてあげてもかまいませんぜ」
「みんな……!」
闇の中でしか生きられないと思っていたが、輝く光の影になるなら悪くねえかもしれねえな。
「とりあえず一つ決まったことがある」
「え?」
「『ブレーメンの音楽隊』。向こうで何を始めることになるかは分からんが、それを俺らの掲げる屋号にする」
「へえ、悪くないじゃねえか」
「なかなか気の利いた名付けですね」
「でも勘違いされて演奏の仕事が来たらどうします?」
「……それは考えて無かったな。まあなるようになるだろ」
車内を笑い声が包む。
こうして誕生したツギハギだらけの音楽隊は、ささやかな希望を胸に第二の人生を求めてブレーメンへ向かうのだった。