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雨宿り

作者: やまおか

 会社からの帰り、私は道を急いでいた。

 最悪の気分だった。予報では晴れといっていたから傘なんて持ってきていなかった。降りだした雨が地面が斑に染めていく。

 しとしとと長雨が降るのではなく勢いはどんどん強くなり、むわっとした湿気が夜気にまじる。とりあえず雨宿りする場所を探した。

 

 駅前の商店街を通り抜けていく。そこには以前はあったはずの活気はない。シャッターが閉まった店ばかりが目立つ。

 

 不良のたまり場や浮浪者の寝床になったりと近づかないほうがいいといわれている場所だった。しかし、ここを通り抜ければ家が近かった。

 近所の学生も利用しているようで、急いで通りぬける姿を見かけていた。

 

 

 商店街の中は日常から切り離されたように静かだった。タイル張りの道を革靴が叩く音だけが響く。

 ぽつぽつとともる街灯を頼りに進んでいくと、ある一軒に目が向く。服屋だったらしく、張り出したカラフルな色合いの屋根の下に体をすべりこませる。


 ぽつぽつと打ち付ける雨の音を聞きながらひとまず落ち着いた。通り雨のようだしここで止むのを待とうかと思ったとき、同じ軒下にもう一人いることに気がついた。

 

「こんばんは」

 

 そういってこちらに顔を向けてきたのはセーラー服の女子学生だった。

 

 焦って駆け込んだせいか、まるでその存在に気がつかなかった。背中まで伸ばした黒髪はしっとりと水気を吸っている。彼女も同じように雨宿りをしているのだと察する。

 近くの学校の生徒だろう。どこかですれ違ったのか、その顔になんとなく見覚えがあった。

 

 一歩分あけた距離に気まずい沈黙が降りる。先に口を開いたのは彼女からだった。

 

「濡れてしまいましたね」

 

「ええ、急に降られてしまって」

 

 ただの確認のような言葉のやりとりだった。だけど、彼女はそのまま会話をつなげていった。この年の少女というのはもっと大人に対して身構えているものかと思っていた。

 

「すいません、人と話すのがひさしぶりだったもので」

 

 私なんかでよければいくらでも話し相手になるというと、彼女はうれしそうによかったと微笑んだ。彼女は最初の印象よりもだいぶ社交的な性格のようだった。

 これだったら友達になりたがる子はたくさんいるだろうに、一人でいるのが不思議なくらだいだった。

 

 雑談をしているうちに時間は経っていたが、まだ雨は止みそうもなかった。屋根から滴り落ちる雨粒を目で追っていく。

 

「雨、止みませんね」

 

 地面ではじけた雨粒を見ながら、なんとなく口にしたつぶやき。

 

「もしかして、お急ぎですか?」

 

「そういうわけではないですが、家に帰ってゆっくりしたいですからね」

 

「そう、ですか……」

 

 特に含みをもたせたつもりではなかったが、私の言葉を聞いた彼女はうつむき気味ににこちらを見る。

 

「もちろん、こうして待っている間も話相手がいることはとてもうれしいことですよ」

 

「……本当ですか?」

 

 彼女は本当にうれしそうな笑顔をうかべた。

 会話を続けながら雨が降り止むのを待った。雨の勢いは弱まることなく、頭上で激しく屋根を叩いている。だけど、これ以上は待ち続けられない。濡れるのを覚悟したほうがいいかと思い始めていた。

 

「やっぱり、行ってしまうんですね」

 

 内心を当てられたようでドキリとする。彼女は表情を暗くしながらこちらを真正面から見ていた。それまで物静かだった彼女が初めて見せた強い表情だった。

 

「濡れるかもしれませんが、すぐにお風呂に入れば問題ないですよ」

 

「そう、ですか……。ここにずっといていただけるかと思っていましたが、わたしの思い違いでした」

 

「あなたもご家族が心配していると思いますよ。電話が通じれば連絡もしてあげられるのですが」

 

 あいにくスマホに表示されているのはずっと“圏外”という文字だけだった。駅前に近いはずなのに。

 

「お気遣いありがとうございます。でも、わたしのことを心配してくれる家族なんていませんから」

 

 そういって彼女は寂しげに微笑んだ。家庭の事情だろうか。あまり踏み込むこともできない。聞き返さずに無難な返事だけをした。

 

「ここまで話し相手になってくれてありがとございました。先に失礼します」

 

「はい……」

 

 うなだれる彼女に罪悪感をおぼえたが、小さく会釈すると雨の中に飛び出た。追いすがる彼女の視線を振り払うように小走りになって家に向かって走り出す。タイルを敷かれた道を革靴で踏んで、水たまりを蹴立てて急いだ。

 

 案の定、すぐに服はびしょぬれになった。体にまとわりつく服と湿った空気が体を重たくさせる。息が乱れ始めても、商店街のシャッターが終わることはなかった。

 

 道の先、店の軒下で雨宿りしている誰かの影が見えた。同じような境遇の人間がいたのかと思いながら通り過ぎ通り過ぎようとしたとき、そこにいたのがあの少女だと気がつく。

 

 道を間違えた?

 うつむいて垂れた前髪の隙間から彼女がじっとこちらをみていた。背中にねばりつく彼女の視線をひきはがし、今度こそはと間違えないようにと進んだ。

 

 雨の中をひたすら走った。やはり人の気配はない。どの店にも明かりはともっていなかった。等間隔にならんだ街灯だけがぼんやりと道を照らしている。

 

「そんな、ありえない」

 

 気がつけばまたあの軒下に戻っていた。勢いのなくなった足が彼女の前で止まる。戻ってきた私を見て彼女は静かに微笑む。

 

「……おかえりなさい」

 

 雨に打たれながら吸っては吐いて、混乱する思考を整えようとする。しかし、どんなに否定しても今の状況が普通ではないことを理解させられていく。

 

「ここで待っていたほうがいいですよ。雨に濡れる心配はありませんから」

 

「あなたは、いつから……」

 

 一人で待っていたのだろうか。この場所で。

 

「わかりません。ずっとです。ここに来たくてきたわけではないのに」

 

 少女の表情にうかぶのはその見た目にそぐわないすりきれて疲れきった微笑みだった。

 

 それからどれだけたったのかはわからない。

 軒下に立っていると、道の向こうから足音が聞こえた。

 自分のように迷い込んできた人だろうか。うなだれて歩いている姿を哀れに思いながらも声をかけた。

 

 しかし、こちらに気づいた様子もなく雨に打たれるままゆっくりと前を通り過ぎていく。余計なお世話になるだろうが、もう一度声をかけようと正面に回りこんだ。

 そうして顔をのぞきこんだとき、思わず声をあげた。

 

 顔がなかった。木のうろのようにぽっかりとくりぬかれてがらんどうになっている。

 ぎょっとして後ずさると、さらに複数の足音が聞こえた。振り返ると何人もの人間がこちらに向かってきている。全員がその顔をくりぬかれていた。

 

 その光景に足をすくませていると彼らは何事もなく横を通り過ぎていった。その背中を目で追っていると、彼らが同じ方向を目指していることに気がついた。

 

 何かがあるのは確かだった。私は少女に彼らと同じ場所を目指すことを提案した。

 

「一緒に行きましょう。きっと出口が見つかるはずです」

 

「でも、わたしは……」

 

「こんなところに一人でいてはだめです」

 

 彼女に手を差し出すと、迷いながらも握ってきた。

 雨の中を黙ってすすんでいく。誰にも使われなくなった建物たちが並ぶ様はどこか墓場を連想させた。

 

 ここまでは先ほど一人で迷ったときと同じだった。

 顔のない彼らを追いかけていくと、以前にはなかった変化があった。それはにおいだった。決していいにおいではない。なにかが腐ったようなにおい。

 

「あの……、本当にこっちで合っているのでしょうか。こっちに行ってはだめな気がするんです」

 

 少女は道の先に進むことをためらっていた。だけど、初めてあった変化だ。もう少し前に進みたいと説得する。

 

「進みましょう」

 

「……はい」

 

 前に進むほどににおいは強くなっていった。

 彼女の歩みは遅くなり、顔色も悪くなっていた。

 

「だいじょうぶですか?」

 

 声をかけるが、彼女は青い顔をしてうつむいている。そうして気がつく。道の先から感じる匂いと同じものが彼女からしていることに。

 

「……そちらにいってはだめです」

 

 この先にあるものを知っているのだろう。

 

「行けば戻れなくなります。わたしと同じ人がたくさんいます。それでも、寂しいところです。もう、一人にはなりたくないんです。……お父さんとお母さんに会いたい」

 

 ようやく思い出した。彼女をどこでみたか。

 近所のコンビニの張り紙だった。

 そして、理解する。彼女がどうしてここにいるのかを。

 

「あなたを家に送ります」

 

「……でも、今のわたしは変わってしまいました。汚れているし、気味悪がられてしまいます」

 

「大丈夫です。言いませんよ。私は絶対に」

 

 つないでいた手をしっかりと握り直すと、彼女もつなぐ力を強くした。

 彼女をつれて、道をはずれて路地裏にはいる。建物の隙間をぬうように入った先に、それを見つけた。




 頬を風がなでて目を覚ますと、私は商店街の路地裏に座っていた。

 あんなに降っていた雨は止んでいた。体も濡れたところなんてない。表通りからは人の声や車の音が聞こえている。それらをぼーっと聞きながら視線を下に落とす。

 

「帰りましょう、家に」

 

 私の手には固く白い少女の手が握られている。汚れて破かれたセーラー服を纏った白骨死体が横たわっていた。

 

 

 あのあと警察から連絡がきた。衣服や所持品が一年前にいなくなった女子学生と一致したらしい。捜索願いもだされて、家族は彼女をさがしてコンビニや電柱に張り紙をしていた。

 

 遺体は家族に引き取られて供養された。

 彼女はちゃんと家に帰ることができたのだろうか。


 この時期にはめずらしく澄み切った空の下、私はあの軒下に来ていた。持っていた傘を立てかけると、その場を後にした。

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