第2話 フェチ
恥ずかしげに伝えた日和も、自分の声を聞かれていたという、少し変わったことをされたことに対して、そこまで問題視する様子もなかった。
少しの間、静寂が生まれる。お互いに話すのは初めてであり、その上でここまで羞恥心に駆られるほどのことが露呈してしまった。もちろん奏の脳内は考えることを止めていた。
「……奏さん?」
流石に違和感が募りに募ったか、日和は純真な眼差しで心配の念を見せつけるように、唯一無二の優しすぎる低音で問う。
「あっ、ごめん……その、なんて言うか……えーっと……フォローしてくれて、ありがとう……」
自分のしたことが恥ずかしすぎて、顔を上げることすら出来なかった。変態とも受け取れることを、性癖だからと言ってくれたものの、未だに本人に見つかったことの動揺は抜けなかった。
「いえ、私も勝手に聞いてしまって申し訳なかったです」
優麗な容姿から見せる、誰からも好かれてしまう笑顔は、その時の奏に罪悪感を纏わせることはなかった。むしろ、楽になるように、気にしないで、と意味を込めて送られていたから、奏は固まった。
ふと顔を上げて、再び目を合わせる。くりっと丸く大きな目に、乳白色の肌。理由は不明だが、真っ白に染めたロングヘア。傷1つない容姿端麗な姿は、奏を恍惚とさせた。
……やっぱり、可愛いな。
思うと首を振る。今は見惚れている場合ではないと、なんとか自分からも弁明する必要があるのだと、即座に傷つけない答え方を探す。変態からの言葉なんて偽りだらけだろうが、少しでも信じてもらうために、その勇気を蛮勇とせぬよう、必死に。
すると、その答えを見つける前に、日和は先程掴んだ、奏の肩をもう1度掴む。
「あ、あの……多分、奏さんは今、私の声を録音して聞いていたことに、誤解だと思うよう何かを考えてるのかもしれませんが、その必要はないですよ」
2度3度、左手で掴まれた肩を、握る感覚が伝わる。間違いなく、日和は意図的に動かした。タイミングが、そう教えてくれる。
日和もどこか落ち着けない様子で、蛇に睨まれた蛙のように、言葉を上手く口に出せないようにも見て取れる。
「どういうこと?」
肩のことも含めて問う。
「えっとですね……実は私も――性癖があるんです。だから、驚きはしたんですけど、嫌だとか、気持ち悪いとかは一切思わないんです。なので、そんなに気にしないでください」
ニコッとする裏には、確実に覚悟が見えた。これを言うことで、奏が何を思うかを危惧して、憚られたのだと、賢くない奏本人でも、容易に理解した。モジモジっと、普段見たことのない姿を見せるのも、その意味の現れであった。
だから奏は――。
「マジで?!」
強く大きく驚いた。日和は、「うぇっ」っと特徴的な驚き方をしてしまい、一歩下がって、崩れないご尊顔を固めていた。
信じれたから、俺と同じだ!と思ったから、本能的に自分と似たようなことを共有出来ると思ったから、咄嗟に出た行動だった。
ヤベッ!
「ごめん、つい……」
行き過ぎは、時に嫌われる一歩目となる。日和の今の一歩の後退が、もしその片鱗だとしたら、そう思うと奏は強い自己嫌悪に苛まれそうになる。
――俺の好きな人に、嫌われるのだけは。
歌枕奏、高校2年生にして初恋である夢咲日和を前にして、自分の在り方を見直すことに。
「……いえ、大丈夫です。驚きましたけど……」
あぁ、悪いけどおどおどした姿、めちゃくちゃ可愛い……。
口に出せるほど、勇気もない。ライバルの多い日和に、手を出そうとすら考えず、未だに傍観者としての立場で満足する奏の、残念なところ。恋に消極的でもなく、積極的でもない。中間で揺れ動く、無意識に恋愛苦手な男子だった。
日和は元の場所に戻り、鷹揚とした性格に似合う、ジト目を大きくして、3度目、肩に手を置いて言う。
「私、人に触れていたいんです」
「……人に触れていたい?」
「はい。――あっ!ごめんなさい、つい癖で!」
サッ!っと、あまりの速さに顎を引いて驚く奏。肩に手を置くことは、無意識だったのだと分からされる。細くて白い、そして華奢。そんな指先が離れることが、名残惜しく感じる。
「ううん。俺が、触れるなとか、言えたことじゃないし、好きなように話してくれた方が、信じれるから」
何かを隠されるより、思っていることを包み隠さず言われる方が、後々視線にも噂話にも、毎回耳を傾けなくて良いようになる。奏は面倒を嫌う。だから、徒労に終わることは全て避けたいのだ。
「……良いんですか?」
「うん。肩がすり減ることはないし」
「……ありがとうございます。では――」
本当に触れているのか、それすらも怪しいほどか弱い。でも、温かさは感じれて、心に直結するように和む。いっそこのまま気持ちを伝えようか、なんてことも。
「それで、その、人に触れたいっていうのは?」
形勢逆転、というのも変な話だが、すっかり咎められる覚悟を消した奏は、自分のことを忘れたかのように、話の主導権を握る。
「そのままの意味です。私、昔から物に触れたくなる衝動に駆られたんです。特にクッションのように、柔らかい物に触れたくなって、いつの間にかそれが当たり前になってました。でもいつからか、クッションでは満たされなくなって、それ以降人に触れることで満たされることに気づいたんです」
言う言葉は、まだ笑える内容ではないのだが、奏はモミモミされ続ける肩の感覚に、思わず笑顔を咲かせる。