防衛戦
高等部のカフェテリアには、先にみやびちゃんが来ていた。「みやび、お待たせ」
「ん」
みやびちゃんは頷いて、ずるずるとメロンソーダをすする。ぱっと口からストローを出すと、ぱちぱちと瞬き、空咳をする。
わたしはみやびちゃんの隣に座った。みやびちゃんはニキビができた顔をこちらへ向け、ぎこちなく微笑む。
「メロンソーダ、おいしいよ」
彼女らしい、喉の奥から聴こえるみたいなちいさな唸り声が、それに続いた。彼女はこれが可愛いのだ。この声を聴くと、平和な場所で戦いから遠ざかっていられるのだと安堵できる。
「じゃあ、わたしもそれにする」
「わたしもそれを戴きましょう」
わたし達はタイプも生い立ちも違うのに、どういう訳か馬が合う。なので、三人でよくお茶をしていた。……これだと、ソーダをする、と云ったほうがいいのだろうか。
マリさんは善波商事という会社の、社長令嬢だ。お兄さんが数人居て、みんな討伐軍にはいっている。規律正しいひとなので、さぞ厳しい家庭に育ったのかと思っていたが、ご両親は地方出身のとても愉快なかた達だった。一度、お宅に招いて戴いて、挨拶をしたのだ。
みやびちゃんは、乙津家という旧家のお嬢さまで、ひとり娘。凄くきれいな和装をして写っている写真を見せてもらったことがある。みやびちゃん自身はそれをいやがっているみたいだったが、可愛いものは可愛いので、わたしとマリさんとで誉めた。それで、みやびちゃんはアルバムを見せてくれなくなってしまった。難しいことである。
噂によると、乙津家には長谷先輩の婿入りが決まっている。長谷先輩は鼓舞型スキルと攻撃型スキル両方を持った、討伐軍にはいったら出世間違いなしのひとだ。乙津家は有用なスキルを持ったひとを婿に迎えたいのだろう。みやびちゃんはわたしとマリさんが訊いても教えてくれないし、長谷先輩にもはぐらかされた。マリさんとみやびちゃんは初等部からの付き合いだそうだが、それでもみやびちゃんは教えてくれないらしい。
わたしは孤児だ。親はファニイの襲撃で死んでしまった。親戚のほとんどがそうだ。
來多伎にはそういう境遇の子が多い。ファニイの襲撃で親を亡くした子は、世界のどこにだって、大勢居る。そういう子達を集めて、スキルが有用なら討伐部隊にいれるのが、來多伎だ。
それを非難する気にはならない。わたし達の働きはなかなかのものだと自負しているし、孔雀門さんのように外れスキルでも戦う手段を教えてくれ、訓練する機会を与えてくれる來多伎は、いいところだと思う。
メロンソーダはぱちぱち弾けて、上のアイスクリームが最高においしい。みやびちゃんが追加で注文したビスケットで、アイスクリームを掬って食べた。
わたし達がビスケットをぱくぱく食べていくのを、マリさんはにこにこして見ている。彼女はくすっと笑った。
「なんですか? マリさん」
「いえ、去年もこうだったと思って。けいとさん、測定の日に、バウムクーヘンを沢山召し上がっていたから」
みやびちゃんと目を合わせた。彼女はぱちぱちっと瞬き、にやっとする。わたしもにやっとした。
ぴーっ、と、警報が鳴り始めた。わたし達ははっとして、席を立つ。「討伐部隊は高等部東館へ。討伐部隊は高等部東館へ。一般生徒と一般居住民は避難を開始してください。初等部体育館より地下へ、初等部本館より地下へ、中等部……」
避難指示が延々と続くなか、わたし達はカフェテリアを出ていく。メロンソーダは諦めるしかなかった。アイスクリームがだたっぷり残っているのにもかかわらず!
「橿原さんは貯水タンクの上」
東館の下へ辿りつくや、長谷先輩がそう云った。わたしはそれに返事をする間もなく、身体強化型のスキルを持った中城くんに抱え上げられ、運ばれていく。楽器ケースはしっかり持っていた。
貯水タンクの上まで運び上げられ、わたしはそこに座る。楽器ケースからヴァイオリンと弓をとりだした。弾ける状態にする為だ。
わたしを運んだ中城くんが屋上から飛び降りた。彼は身体強化型のスキル持ちなので、この程度の高さから落ちたところでなんともない。
孔雀門さんと、勾玉を持たない討伐部隊がやってくる。孔雀門さんは貯水タンクの下から声を張り上げた。
「けいと、準備は!?」
「できてる! なにがあったの?!」
「宇枝先輩のスキルが縮小してる!」
「また?!」
「そう!」
六月に勾玉の供給ペースミスで結界が縮小したばかりだ。それなのにまた?
「勾玉が消えそうになってたんだって! 今、補給が終わったみたい」
孔雀門さんはいらだたしげに云いながら、耳からケータイを離した。「結界の再拡大までに時間がかかる! 初等部を中心にまもってもらうことになったから、高等部ははいらない。街もね!」
わたしは溜め息をこらえ、しっかりとヴァイオリンを抱えなおす。高等部は來多伎でも端のほうにあって、初等部中等部からはなれている。主要なシェルターはそちらに集中させていて、いざとなったら高等部は切り捨てることになっているのだ。
何故か? 高等部は多くの生徒が討伐部隊に所属していて、武器庫もある。戦える状態であるから、砦としてつかうのだ。
結界スキルは発動にも消失にも時間がかかるので、縮小しはじめても完全になくなる前にまた結界を張りなおせば、ファニイ達がシェルターまで辿りつくことはない。ただし、ファニイが居る状態で結界を張っても、ファニイは外には出てくれない。だから、來多伎に迫ってくるファニイ達を駆逐しておかないと、結界のなかにファニイが居座ってしまうかもしれない。結界内部や來多伎の傍での戦いだと、宇枝先輩の「コスト軽減バフ」がかかるから、楽になることはなるんだけど、傷付くひとが増えるかもしれないのがいやだ。
「うそでしょ……」
孔雀門さんがうわずった声を出した。彼女の視線を辿ると、かすかに光を反射しながら、半透明でドーム型の結界が縮んでいくのが見える。宇枝先輩は結界を二重にはることができるので、今現在縮んできているあの結界を維持したまま、あたらしい結界を張ることができる。
その、縮んでいる結界に添うように、外側に大勢のファニイが並び、行軍していた。
「撃て!」
孔雀門さんが厳しい声を出し、耳がどうにかなりそうな音が響いた。貯水タンクの下で、普通人部隊が機関銃をぶっ放している。わたしは勾玉部隊なので、銃など火器にはくわしくない。どういう仕組みかも知らないし、扱う方法も知らない。だが、彼らがスキルを持たないのに頑張って戦っていることはわかる。
「大丈夫?」
孔雀門さんがはしごをのぼってきた。わたしはヴァイオリンを抱えたまま頷く。すでにスキルは発動済みで、わたしを中心に半径三キロメートルに居る味方にバフが、敵にデバフがかかっている。
敵・味方というのは、また、ややこしい。これはわたしの認識嬢の味方、敵、ということでいいらしい。討伐部隊に所属して最初に云われたのは、「人間、もしくは來多伎の制服を着ているのが味方」と思えば間違いない、だった。「人間が味方」だと、勾玉を持った人間を弾いてしまうことがあるらしい。勾玉があるからか、ファニイとして認識されることさえある。バグのようなものなのだろう。
わたしの場合、範囲内の人数はバフの効果に関係ない――ひとによっては、範囲内の人数の多寡がバフ・デバフの効果に関係あることもある――。なので、「來多伎の制服を着ている者」を味方として認識していた。ファニイが來多伎の制服を着ることは不可能ではないだろうが、あの頭から肩にかけてでは合うサイズがない。ファニイの体型に合わせた改造制服はわたしが「制服」として認識できないので、味方にはいらない。
孔雀門さん達は制服を着ている。わたしのバフがかかっている筈だ。彼女はケータイを操作し、それからこちらを見る。ケータイの光で彼女の顔が照らされていた。
もう日は落ちて、西の空にかすかに赤みが残っている程度だ。マリさんはどこで戦っているだろう。みやびちゃんはどこに居るんだろう。
「今、隣に鞠智が配備されたって。もう発動してる」
「よかった」
「うん。円樟先輩も来てるから、善波先輩の肩代わりしてくれると思う」
頷く。鞠智くんはわたし同様バッファーだが、比べものにならないくらいランクが高い。ユニークである。スキルの効果範囲は学園都市全体を覆うほど、なおかつ、バフ・デバフ内容も破格だ。
範囲内に勾玉を埋めこまれた人間の鼓舞型スキルの効果を二倍し、コストを三分の一にする。
鞠智くんの効果範囲内に居るバッファーは、一ランク上のバッファーのような働きができる。しかもわたしと同じで、鞠智くん自身が気を失おうが、死んでしまおうが、戦闘終了まではバフが継続する。武器を手放してしまうと効果が消える場合もあるから、彼は今、隣の建物の上でしっかりと扇を握っているだろう。彼の武器は竹の骨組みに紙をはった扇なのだ。
円樟先輩は、ランクがアブソリュートのタンクである。タンクと云っても、ファニイ達の気をひく必要は彼女にはない。
範囲内の同色の勾玉を持った人間の怪我を半分ひきとる、という、自己犠牲型スキルを持っているのだ。おそらく、マリさんの近くで、コストが軽いかわりに効果範囲がせまい治癒型スキル持ち達とじっとしているだろう。
マリさんのスキル発動に伴う怪我を円樟先輩が半分ひきうけ、マリさんと円樟先輩を効果範囲のせまい治癒型スキル持ちが治療し続ける、という戦法だ。
みやびちゃんはスキルの効果範囲がひろく、効果が高く、なおかつ隠密型スキルも所持しているので、隠密型スキルが発動するまではみんなと一緒に居ても、そのあとははなれたところに移動する。折角の隠密型スキルが無駄になってしまうから。
ひとつところに勾玉持ちがかたまっていると、ファニイが気付きやすい。確定ではないが、そう考えられている。いずれにせよファニイは勾玉に吸い寄せられるように攻撃してくるから、勾玉持ちが大勢で居るのは危険だ。
勿論、ひとりで居たって勾玉を体に埋めこんでいる限りはファニイにしっかり認識される。わたしのようなデコイが居ることで、普通の人間がファニイから逃げる時間を稼げる。
孔雀門さんがはしごを飛び降り、隊員達に指示をする。タンクの上から、こちらへやってくるファニイを目視したのだろう。「撃て!」耳を聾する轟音が響き、なにかが落下するような音がした。
救いはある。今回、飛び道具を持つファニイは少ないらしい。厄介なことにあいつらも武器をつかう。「効果範囲内に居る限り味方は外傷では死なない」というスキルを持っているバッファーが複数配備されているといえ、銃弾や矢が自分の体に命中する感覚は、楽しいものではない。