第9章―3
目覚めると、寝袋の中にアキラの姿はなかった。
朝ご飯でも作ってくれているんだろうか――カスミは鼻をくんくんとさせてみる。食欲をそそるような良い匂いはしてこない。
一斗缶のストーブに火を起こしてくれているのだろうか――少年は火をつけるのが楽しいらしく、自らその仕事を買って出てくれた。だが、耳を澄ましても、がさがさと火を起こす音も、ぱちぱちと火が爆ぜる音も聞こえてはこない。
公園に顔を洗いにいってるのだろうか――ついでに洗濯もしてくれているのかもしれない……。
そんなことを、何度も、幾つも、カスミは寝袋の中で考えた。
怖かったのだ……。
不安だった……。
確認してしまえば、もう本当に取り返しのつかない現実と、カスミは向き合わなくてはならなくなる。
すなわち――。
誰からも振り向きもされない。世界に、ひとり――たった一人、取り残される……。
――あの少年のいない世界……。
別に、誰から忘れられていても構わなかった。歩きスマホをしていようがいまいが、容赦なく向こうの方からぶつかってこられる――そんなのも、もう大したことではない。慣れっこだ。
――でも……。
一人になることが嫌なんじゃない。私は強い――孤独になんか、いくらでも耐えられる。一人でも、この世界でも、私は毅然と凛々しく、生きていけるだろう。
――でも……。
――でも……。
――でも……。
少年がいない……。
そこに、少年はいないのだ……。
のっそりと、カスミは上体を起こした。自分の重さを知ると、目に溜まった雫がこぼれ落ちそうになる。だが、
――まだ……泣くもんか……。
少女は顔を上げ、涙をぐっとこらえた。
――ひとりで勝手に盛り上がっているところに、突然、アキラが現れるのよ……。
そして、こう言って笑うんだ――。
『お姉ちゃん、何ひとりで盛り上がってんの――』
カスミはブルーシートのテントを出た。いつも見かける冬越しのふかふかとした雀達はいない。いつも遠くから聞こえてくる起きたての町の喧騒も聞こえてはこない。屋上は、ひっそりと静まり返っていた。不思議と、そこに寂しさはなく、ただひたすらに無慈悲な静謐さだけが横たわっているように見えた。
食器やタオルは――カスミの勘違いでなければ――昨晩から一ミリとして動いてはいない、無くなってもいない。それでも、
――何かが足りない……。
それは何だろうと考えて――考えた瞬間……もう、少女は我慢できなくなった。その場に泣き崩れる。とめどなく大粒の涙がこぼれ落ち、屋上の乾いたコンクリートに水溜まりをつくっていった。
――匂いがない……。
あの少年の匂いがないんだ……。
遥か上空、大陸から流れ込んだ寒気が大気を凍らし、幾つもの透明な雫の結晶がきらきらと煌めいていた。空を、朝日を、うっすら虹色にぼやかす。
季節が変わったのだと、肌が敏感に教えてくれた。そんな朝の出来事だった――。
少年は、まるで元からいなかったみたいに、綺麗さっぱりと、その姿を消していた。
少女は、季節が少年を連れ去っていったのだと、それが筋違いであることも承知して、恨めしく空を見上げた。
こんな気分にそぐわない、生まれたての太陽がまぶしく東の空に輝いていた。
どこかで、少年も同じ朝日を見ている――。
そんな気がした……。
そう思いたかった……。




