表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/63

第7章―4

「気づいたの……。私、やっと気づいた……この世界の仕組みを……」


 満天の星々が見下ろすビルの屋上で、アキラは一斗缶ストーブに火を起こし終えたところであった。

 階段を駆け上がる音が近づいてきたかと思うと、なりふり構わずといった様子のカスミが屋上に飛び込んできた。はあはあと息を荒げながら屋上の入り口で立ちつくしている。焚き火の灯に照らされた顔は、涙でもうぐしゃぐしゃになっていた。

 カスミはアキラの姿を認めると、さらに気持ちが込み上げてきたのか、堰を切ったように瞳から大粒の涙をあふれさせた。そして、そのまま崩れるように座り込み、顔を手で覆い隠した。

「気づいたの……。私、やっと気づいた……この世界の仕組みを……。どうして、私がみんなから忘れられなければならなかったのかを……」

 無防備に泣きじゃくる幼子の姿がそこにあった。アキラは何も言わず、そっと毛布をカスミにかけてやった。軍手をはめた手で一斗缶ストーブを彼女の方に寄せる。

 毛布にくるまれたカスミの肩が小刻みに震えている。この世界の冷ややかさが身体に浸透していき、今まさに彼女の魂までも凍えさせようとしているのかもしれない。こんなストーブではカスミを温めてやることはできない。そんなことはアキラも重々承知していた。

「私が世界から忘れられてしまったのは……」

 震えながら、カスミは声をしぼり出した。風が吹けば、今にも消え入りそうなロウソクの灯に似て、あまりに悲しく切ない声であった。

「世界から忘れられてしまったのは……私が……私が……誰からも必要とされてなかったからなんだ……」

 カスミがアキラと出会ったばかりの頃、家族や友人から忘れられ、誰からも気づかれなくなってしまう、この異常な状況について話し合ったことがある。ウイルスを介在した病いや社会的実験としての陰謀説……いずれも原因としてはしっくりこないものばかりだった。しかし、思い返してみると、それらはすべて形ある――実体のある理由であった。

 それが、人の気持ちであったり、心であったりと、何やら掴みどころのない虚ろな居場所に原因があるという。こんな話、いったい誰が真剣に聞いてくれるというのだろう。信じてくれるというのだろう。

 もうすぐ、あきれ顔をしたアキラが、いつものように大人びた口調で諭してくれるかもしれない。

 何を夢みたいなこと言ってるの、お姉ちゃん――。

 そんなことあるわけないじゃない――。

 そんな正論でカスミの目を覚ましてくれるはずだ。だが、いつまで経っても、アキラが口を開こうとする気配はなかった。

「私たちは誰からも必要とされない……。いらないのよ……。だから、世界から消えるの……」

 今も、カスミは声を押し殺して泣いているのだと、アキラには分かった。こういうとき、そっとしておいてあげるのが正解なのだろうか。それとも、話を聞いてあげるのが正しいのだろうか。

 分からない……。

 世界の深淵に触れてはいても、人の心はいつも分からないことばかりだ――。

 ならば、自分の心に素直に従ってみようとアキラは思った。

「いったい、どうしたっていうの、お姉ちゃん……。どうして、そんなふうに思ったの……?」

「私は、あそこで止めるべきだったのよ……。友達を……トモコを……。誰にも気づかれないとか……そんなの関係なかったはずなのに……。」

 トモコはときどき嗚咽で息ができなくなりながらも、必死に喉の奥から声をしぼり出し続けた。まるで誰かに述懐するように。懺悔でもするかのように。

「だって、誰にも気づかれなくったって、私はトモコを止められたはずなのに……。誰にも見えてなくったって、私は誰かを押し飛ばすことだって、引き止めることだってできるのよ……」

 カスミは肺の片隅に残った空気さえも使いきり、自分の中に巣食った毒素を吐き出していった。最後まで言葉を綴ることが、自分の責務であるかのように。許されざるとも、それが最低限の贖罪であるかのように。

「気づかれなくたって……体をはって止めることができたはずなのに……。抱きしめることができたはずなのに……」

 カスミは顔を上げた。ぐしゃぐしゃになった顔をアキラにさらけ出した。あさましい自分を、惨めな姿を、洗いざらい目に焼きつけてくれと、その瞳が語っていた。

「トモコを抱きしめてあげられなかったのは……私がトモコのことをその程度にしか見てなかったってことでしょ……。そんな自分を誰が本当の友達だと思ってくれるの! 必要としてくれるの!」

 ――この世界は、よく見ている……。

 私の本当の姿を――。

「誰からも必要とされないなら、存在することに値しないって……。だから、世界は……私をこの世界から消したのよ……」

 ――それが、この世界の仕組み……。

 神様や悪意達がデザインした世界の形……。

 法則……約束事……。

 ――私が消えるのは当たり前のことだったんだ……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ