第6章―5
「平日でも、結構、人いるんだね」
その多くは若者達であった。親子連れの姿は少ない。ビーチというよりは、海水浴場と呼ぶのがふさわしい砂浜だ。昔ながらの海の家が二軒。焼きそばのいい匂いが漂ってきていた。
「なあに、水着姿のお姉さんでも見にきたかったの?」
海辺をじっと見つめるアキラに向かい、カスミは冗談めかして、そう言った。
若い女性達は賑やかな彩りのビキニを身につけている。彼女らの姿は、乾いた砂浜に色とりどりの花を添えていた。
「そんなの見てないよ――」
本当にそんな気はなかったのだが、カスミにからかわれ、アキラは思わず取り繕うように慌ててしまった。その様子が可愛らしくて、カスミは思わず、やわらかな笑みを浮かべてしまう。
――去年買った、私の水着はどんなのだったかな……?
浮かべた笑顔の裏で、カスミは何気なくそんなことを思った。
――思い出せない……。
こうやって、人は一つ一つ何かを失っていくのだろうか?
自分の半身を、気づけばもう、見失ってしまっているのだろうか?
「ねえ、もっと海に近づこうよ」
アキラはカスミの手を引っ張った。二人は海辺の方へと駆け出す。さらさらした砂子がはね、彼と彼女の足跡が、日記の一ページみたいに、砂浜に刻まれていく。
波打ち際に、二人は並んで立った。すぐ足元には、海からの贈り物のように、静かな波が寄せては返していく。見上げると、その向こうに宇宙を透かした青空が、深くどこまでも続いていた。打ち上げロケットが飛んだ後のように、白い入道雲が天まで伸びていた。
「水の中、気持ちよさそうだね」
「でも、みんなみたいに泳ぐのは無理かな……」
「水着がないから?」
「それもあるけど……僕、泳いだことないんだ」
その件については、それ以上、カスミは追及しなかった。聞くべきではないと思ったし、尋ねたところでアキラは何も教えてはくれないだろうから。
ただ何となく、そこに寂しい響きが重なっていたようには思う。少年の表情や声から、そう読み取ったわけではない。声は空気を震わせる。少年とを隔てる距離に生じた欠片のような機微――カスミの肌はそれを鋭敏に感じとっていたのかもしれない。
「泳げなくても、水には浸かれるよ」
カスミは靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、砂の上にそろえた。ズボンの裾を折りたたみ、めくり上げる。と、白砂よりも白い素足がそこにあらわれた。
「ほら、早く!」
カスミにうながされ、アキラも靴を脱ぎ捨て、打ち寄せる波に足を踏み出す。
「冷たくて気持ちいい。それに何だか、くすぐったいよ」
「そう? じゃあ、ほら!」
カスミは波をすくい、アキラに水しぶきをはじいた。
――あ……。
しまったと、思った。
しぶきをかぶせた先もその量も、カスミのイメージとは随分かけ離れたものになってしまっていたのだ。パシャパシャと、まるでカップルがはしゃぐように水をかけ合う光景を思い浮かべていたのに、そこにはいきなり頭からずぶ濡れになって立ちつくすアキラの姿があった。
ダメだとは思いつつ、カスミは堪えきれず吹き出してしまった。
「ごめん、アキラ……。ちょっと濡れすぎたね……」
アキラは無表情のままだ。それが逆に怖い。だが、それでもカスミは、浮かべた笑みを引っ込めることができなかった。
「別にいいんだよ……」
アキラの顔が、にこっと温和な表情に変化した。
――!
その瞬間、カスミは背を向けて一目散に逃げ出していた。
「お姉ちゃん、なに逃げてんの。遊ぼうよ!」
その台詞を追いかけるように、カスミの背後から高波のような水しぶきが襲いかかる。あっという間に、カスミも濡れネズミになってしまっていた。
『こらあ、待てえ――』
『あはは、こっちだよ――』
当初、思い浮かべていた光景はこんな感じのはずだった。だが、カスミもアキラも両手で海水をすくい上げると、容赦なく相手に向かって、バケツをひっくり返したような量の水を浴びせかけていた。
二人は笑っていた。浮かべた表情は底抜けに明るかった。




