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第6章―4

 衣替えの季節がやってきた。ハンガーにかけられたカスミの制服は長袖のままに、町には学生達の白い夏服がまぶしく踊っていた。

 数ヶ月が経ち、カスミ達の生活も大きく変わっていた――と言えれば良かったのだが、残念ながら、この異常な事態も状況も何一つ好転する兆しはない。

 変わったといえば、カスミもアキラも服が半袖になったことぐらい。それでも、容赦なく太陽が照りつけるビルの屋上は、さながら蒸し風呂のような状態で、凶暴な暑さと湿気にカスミとアキラはすっかりやられてしまっていた。二人はだらしなく団扇をあおぎながら、出会った頃のあの肌寒い季節を恋しく懐かしんでいるのだった。

「夏なのに、何も変わらないね……」

 アキラがつぶやいた。

 そこに意図があったわけではない。脳がとけ、いい話題が思いつかなかっただけだ。頭より先に口が動いてしまったというのが本当のところだろう。

「何かしたいこと、ある?」

 カスミもどこまで本気でそう尋ねたわけでもない。その質問に乗っかり、アキラもなんとか会話をつなげていこうと努力はしたが、やはり上手く頭をはたらかせることはできなかった。なにしろ、このときの二人は――相談したみたいに――一緒に脳がとろけてしまっていたのだから。

「お昼から、また図書館にでも行く?」

 アキラからの返事はない。

「海を見にいきたい……」

 何気なく思いついた言葉だった。頭の中で吟味するより前に、それはアキラの口をついて出てしまっていた。まるで孵化直後の幼生が、本能のままに殻を破って出ていくみたいに。

 だが、その瞬間、アキラだけでなくカスミにも、天から啓示を受けたかのように、何かピンとくるものがあった。

「アキラ、なんだか冴えてるね」

「そうでしょ。僕も自分で言ってて、そう思ったんだ」

 かくして二人は、はるか頭上に入道雲を見上げ、その足下で燦然ときらめく夏の海へと飛び出していったのだった。


 ガタン、ゴトン……。二人は電車に揺られていた。

 駅の自動券売機で切符を購入し、自動改札機にそれを通す。滞りなく事は進んでいった。機械は二人を無視できない。プログラムされた手順に従い、相手が誰であろうと――ある意味、これほど公明正大な存在もないだろう――ただただ的確に処理しようと努めていく。

 平日の真っ昼間。車内は閑散としており、二人は遠慮なく座席に座らせてもらっていた。混んでくれば、自分達はあっさりと椅子取りゲームに負けてしまうだろう。だが、そのときはそのときだ。

 アキラは座席に正座して、飽きもせず窓の向こうに流れいく景色を眺めていた。

 ――こういうところは、もう本当に子どもっぽいんだけどな。

 普段の大人びた口調を思い浮かべる。

 精一杯、背伸びをしているのだろうか――。

 カスミは思わず、ふっと微笑んだ。

 いつもなら、そんな些細な表情の変化をアキラは見逃さない。カスミに突っかかってくるはずなのに、通り過ぎていく景色に夢中なのか、アキラは黙々と外を眺め続けている。

「何か特別な景色でも見えるの?」

「ううん、何も……」

 そこまで食い入って見つめる景色は何だろう。カスミも身体をひねり、アキラの瞳に映っているものを、自身の目にもおさめようとした。

「何も特別じゃなくて、何もかもが特別なんだ……」

 アキラが小さくつぶやく。

 ――こういうところが、子どもらしくないのよね。

 そのときのカスミは、つま先立ちまでして背伸びする少年の姿を、そこに見ていた。

 だが、アキラは誰かに向けて、その言葉を発したのではない。自身に向けて――本来なら胸の内に収めておくはずの声を――自分でも気づかず、もらしてしまっていたのだ。

 ――もうすぐ、終わってしまうのかもしれない……。

 不思議と、恐れも悲しみも感じはしなかった。


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