第5章―2
ビル屋上の住処へ帰る道すがら、カスミ達はスーパーに立ち寄った。セルフレジがある、あの馴染みの店だ。
これから他の店も開拓していかなければと思いつつ、さすがに今日は、もうそんな気力は残されていなかった。
「何が食べたい?」
「ハンバーグ!」
アキラに尋ねると、すぐにその答えが返ってきた。
――やっぱり、お子さまだ……。
カスミはスマホでハンバーグのレシピを調べてみた。だが、思いのほか食材が必要であった。
――合い挽きのミンチや玉ねぎはいいとして……。
パン粉なんて、これからどれくらい使うんだろうか。それに卵と牛乳――こんな材料もどれほど日持ちするのか見当もつかない。冷蔵庫はないのだ――。
そして、塩や胡椒……。調味料なんて家にあるのが当然のものだと思っていた。いつかは絶対に必要となるもの。だが、この先のことも考えると、手にしたバイト代だけでは心許ない。カスミには、今日その調味料を購入することさえ、ためらわれたのだ。
「ねえ、アキラ。今日はやっぱりカレーライスでもいい……?」
「カレーも好きだよ。そっちも食べたかったんだ」
険しい顔をして、スマホとにらめっこするカスミの姿を見ていたのだろう。すぐに、アキラはそう答えた。
「ごめんね……。ありがとう」
カスミは商品棚からカレーのルーを手に取った。箱に書かれたレシピをのぞく。
お肉、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん――まとめて買えばお得なことはもちろん知っている。だが、大量に購入したとして、それらはどれほど、もつものなのだろうか。何度も同じフレーズが頭をよぎる。
冷蔵庫はないのだ――。
肉類は論外だろう。野菜だって冷蔵庫がなければ、どれほどの期間、鮮度を保てるのか分からない。カスミにとっては、野菜だって冷蔵庫に入れておくのが当たり前の食材なのだ。
だから、カスミはカレールーの箱に書かれたレシピを参考に、使いきれる量だけ食材をカゴに入れていった。
そうやって、大方の材料を集めきったときのことだ。カスミは、はっとして、自分が重要な問題を見落としていることに気がついた。
なんで、そんな大事なことを思いつかなかったのだろう――。
バイト代が手に入って浮かれていたのかもしれない――。
後になって、カスミはそのときのことをよく回想する。
――お米はどうやって炊いたらいいの?
炊飯器なんてない……。
――お鍋で炊いてみる?
炊飯器でなくても、鍋でご飯が炊けることは知っている。
しかし、知っているということと、やってみるということの間には大きな隔たりがある。氷河に開いたクレバスみたいに、大きな断絶がそこには横たわっている。そして、その境界線を飛び越えるためには、少なからぬ勢いと勇気が必要となるのだ。
――ダメだ……。
お鍋はどうするの?
コンロはどうするの?
カレーを作るためにも鍋はもう一ついる。包丁も、まな板も。すべてがなかった。お皿もスプーンも……。
家にいれば、あるのが当然と思っていたものが何もない。
――ない、ない、ない……。
無いものづくしだ……。
――それらをすべて買えばどうなる……?
大変な思いをして手にしたアルバイト代は、きれいさっぱり消えて無くなってしまうかもしれない。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
固まったままのカスミを心配して、アキラが声をかけてきた。
「ごめん……。張り切って何か作ろうと思ったけど、鍋とかコンロとかなかったんだよね。作りたくても、やっぱり無理みたい……」
「お鍋はないけど――」
フライパンならあるよ。カセットコンロもある。アキラはそう続けた。
カスミは目を見開いて、アキラの顔をじっと見つめた。
それを何かのメッセージと受け止めたのか、アキラは釈明するように、ただちに付け加えた。
「いやだなあ。盗んだわけじゃないよ」
燃えないゴミの日に、捨てられていたものを拾ったんだ。そうアキラは説明した。
「お姉ちゃん、僕が何でもお構いなしに盗んでると思ってる? これでも、申し訳ないって思いながら、必要なものだけ――」
「分かってる――!」
カスミは思わず強く声を張りあげていた。
「分かってるよ。アキラが本当に必要なものしか、もらってないことは……」
その言葉に、アキラの表情がかすかに揺れた。
しばらくの沈黙の後、アキラが口を開いた。
「お姉ちゃん、難しく考えないで。お弁当、買いにいこうよ。今なら値引きされているかもしれない。狙い目だよ」
アキラはカスミの手をとった。




