#5・サイラス=ル=ハーゲン皇太子
ゆっくりと馬車が止まる。
ドアが外から開けられる。
「どうぞ」
スッと手を差し伸べられ、素直にその手を取って馬車から降りた。
−−−とても、澄んだ空気。
「ありがとうございます」
降りるのを手伝ってくれた人にお礼を言うと、一瞬目を丸くしてから、「ありがたきお言葉」と礼をして離れていく。
「−−−ようこそ、ハーゲン国へ」
落ち着いた少し低めの優しい声にわたしは前を向く。
スラリとした体躯だけどそれなりに鍛えている感じが伺える。黒髪の短髪はサラサラ。顔のパーツ一つひとつが整っていて、女の子に人気だろうと思う。
後ろに何人か控えている。
来ている服も一級品で、きっとこの人が皇太子。
「お出迎え感謝いたします」
7日で叩き込んだ付け焼き刃な作法をフル回転させながら一礼する。
「レジナ=ヴィ=ビクトールと申します」
「サイラス=ル=ハーゲンです」
隙のない挨拶に、教養もしっかりと身に着けていると分かる。
(ますます、父が愚かな王だと痛感させられるわ)
そもそも、大国であるハーゲン国を欺こうと考える時点でもう終わりだろう。
ハーゲン国がここまで大きく豊かになっているのも、国民を見れば、そして上に立つ者の立ち振舞を見れば察することができる。
ハーゲン国は、大国になるべくしてなったのだ。
「長旅でお疲れのことでしょう?」
サイラス皇太子がわたしのそばにくる。
エスコートしてくれるような立ち位置に変わる。
「いえ、そんなに疲れてはおりませんわ」
「慣れない土地に来て疲れないわけがない。今日は、ゆっくりと休まれてください」
ニコニコと笑顔の皇太子に、欺いているわたしの胸はズキズキと痛む。
(早く、早く終わらせてしまおう)
「あの、皇太子様」
「どうか、サイラスと呼んでください」
「そんなわたしなんかがお名前を呼ぶ資格なんて」
「何を言うやら、あなたは私の伴侶になるんですよ?むしろ、貴方だけ私の名前を呼ぶ権利がある」
さぁ、呼んでください、と期待を込められた瞳で見られたら、言うとおりにしないわけにいかないじゃない。
「では・・・サイラス、様」
「はい、レジナ。何でしょうか?」
嬉しそうに笑みを深めるサイラス様。
わたしの胸は、痛みを増すばかり。
あぁ、この素敵な人を早くわたしから、ビクトール国から開放して差し上げなくては。
「後ほど、お時間があるときにお話したいことがあります−−−」