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最終章 白黒猫

 翌日の朝、理真(りま)と私は、丸柴(まるしば)(しおり)刑事とともに、(くだん)の工事現場を訪れた。丸柴刑事も理真と懇意にしている県警の警察官で、所属は捜査一課だ。なぜに私たちが、相談を受けた生活保安課の(ふる)()刑事ではなく、凶悪犯や殺人事件を扱う捜査一課の刑事と一緒に来たのかというと……。


「すみません」


 丸柴刑事は、これから現場に出ようとする作業員のひとりを呼び止めた。ヘルメットをかぶったその男性は、煩わしそうに振り返った、が、


「少し、お話を聞かせていただきたいのですが」


 と同時に提示された丸柴刑事の警察手帳を見ると顔色を変えた。


「な、何ですか……」


 明らかに挙動不審になった男性の横を、怪訝な顔をした他の作業員たちが通り過ぎていく。


「単刀直入に言います。この現場に、死体が埋められている可能性があります」


“死体”という言葉に反応したのだろう、近くにいた作業員たちは一様に足を止め、ぎょっとした表情でこちらを見た。


「し、死体……」声をかけた男性は、ごくりと唾を飲み込むと、「そ、そんなものが……ど、どこに……」


 きょろきょろと周囲に視線を泳がせる。その目は、意識的に見当違いの方向に向けられているように思えた。その間に、理真はスマートフォンの画面を見ながら、


「こっちです」


 と歩き始めた。


「ちょ、ちょっと……」


 制止しようとした男性を丸柴刑事が止める。理真は、なおも画面を見ながら歩を進め、


「……ここです」


 と立ち止まった。そこは、取り壊し途中である橋脚の前だった。理真は、まだ真新しいコンクリートの表面を手で触れて、


「正確に言えば、()()()ですね」


 瞬間、男性の顔色が真っ青に変わった。理真は、ざわめく作業員たちが見つめる中、


「GPS付き首輪の反応は、間違いなくこの橋脚の中から出ています」理真は画面から顔を上げ、男性の目をまっすぐに見つめると、「あなたですね、()(まえ)さん。あなたが自分の妻を殺害して、死体をこの橋脚の中に埋めたのですね」


 野前は走り出した。「ひゃっ!」と私は思わず後ずさった。――丸柴刑事が立ちはだかる。「どけぇっ!」怒号とともに突き出された野前の拳をかわすと丸柴刑事は、その腕を取り、同時に足をはらう。野前の体は空中で半回転し、背中から地面に叩きつけられた。


「県警本部まで、ご同行願えますね」


 腕を捻り取られている痛みからか、丸柴刑事の言葉に、野前は呻き声で返答するしかなかった。



 観念した野前は、取り調べを受けて犯行を自供した。

 ひと月前の夜、口論から妻を殺害してしまった野前は、妻の死体を自分が現在関わっている工事の橋脚の中に隠すことを思いついた。妻の死体を車に乗せた野前は、通常の作業開始よりもずっと早い早朝に現場に入り、建設途中であった橋脚の型枠の中に死体を押し込むと、コンクリートを流し込んで隠蔽した。妻と交流のあった近隣住人から妻のことを聞かれると、「実家に帰ってしまった」とばつの悪そうな顔で答えていた。普段から喧嘩の絶えなかった野前家の事情を知っている住人たちは、その言葉を信じ切ってしまっていたのだ。

 その後も工事は順調に進み、橋脚は完成間近。この橋もいずれは老朽化して取り壊されることになり、そのときに白骨化した死体が発見されるだろうが、それは何十年も先の話。その頃自分は生きていまい。野前はほくそ笑んだことだろう。

 ところが、野前にとって最悪の事態が起きてしまった。設計ミスが見つかり、建設途中にも関わらず橋脚が取り壊されることになってしまったのだ。何十年先どころか、数日のうちに、さらには、白骨化もしていない、まだ確実に自分の妻と判別できる死体が、この橋脚の中から見つかってしまう。

 窮地に陥った野前は、橋脚を取り壊しつつ、かつ、死体を隠蔽し続けられる手段を思いついた。それが、大型ブレーカーからワイヤーソーイングへ、取り壊し方法を変更させるというものだった。ブレーカーで橋脚を叩き壊したなら、どうあがいても死体の発覚は免れないが、橋脚をブロック状に切断分割するワイヤーソーイングなら話は別だ。

 まず野前は、偽名を使って現場近くのアパートの部屋を借りた。このアパートに住人がいないため、安価だが騒音と振動を発生させる大型ブレーカー工法が選択されたという事情は、野前も知っていた。ならば、そこに住人が住み始めたとなれば……。野前は自宅からそのアパートへと一時的に住居を変更した。夜や休日だけでなく、工事が行われている平日の昼間にも人がいるぞとアピールするため、有給を取ることもあった。

 アパートに住人がいることを認識した工事発注者である県は、野前の思惑どおり、騒音も振動も出さないワイヤーソーイングへと取り壊し方法を変更した。

 工法の変更が現場に伝えられると野前は、設計部から上がってきた橋脚の分割図面に手を加え、切断位置が死体を避けるように描き直した。死体が入った箇所をまるごとブロック状に切り取って運び出すためだ。死体の埋まったブロックは、あとで密かに処分するつもりだったという。

 計画は万事うまく行く、と思われていたのだが……。



「しょっちゅう散歩に出るキャティのことを心配して、野前さんの奥さんはGPS付きの首輪をキャティに付けたんだろうね」


 丸柴刑事が野前を連行していったあと、公園のベンチに腰を下ろし、理真は私と降乃刑事に話した。


「たぶん、キャティはその日――奥さんが殺されてしまった日――も外に散歩に出かけていって、どこかで木の枝に引っかけるかして、首輪を外してしまったんだね。野前さんの奥さんが付けてくれた、GPS付きの首輪を。家に帰ってきたキャティを見て、首輪をしていないことに気づいた野前さんの奥さんは、首輪を探し、拾って帰ってきた。GPS付きの首輪だから捜索は用意だっただろうね。で、奥さんは拾ってきた首輪をすぐにはキャティに付け直さないで、そのまま持っていたんだろうね。今度散歩に行くときに付けてやればいいやって思ってたのかも。そしてその夜、口論の末に夫に殺された奥さんは、GPS付きの首輪を懐に入れたまま橋脚に埋められることになってしまった。もしも、殺されたその日、キャティが普段どおり首輪をしたまま帰ってきていたなら、野前さんの計画は滞りなく実行されて、事件は闇に葬られていた可能性が高いね」

「そう考えると、不思議というか……なんだか変な気持ちになるね」


 降乃刑事の言葉に、私も頷いた。


「もしかしたらさ」と降乃刑事は続け、「キャティが何かを察して、散歩の途中でわざと首輪を外したとか。自分を可愛がってくれていた奥さんを助けるため……あ、助けてはいないのか。じゃあ、せめて無念を晴らそうと」


 ……さすがにそれは首肯しかねる。……いや。昨日、この公園でキャティと出会ったとき、彼はしきりに私たちに何かを訴えかけるような仕草をしてはいなかったか?

 理真を見る。目が合う。彼女は少し微笑んだあと、さあ? というふうに小首を傾げた。



「……キャティ、来なかったね」


 夕暮れに染まる西空を見て、理真が呟いた。

 私たちは、しばらく公園に佇んでいたのだが、ブチ模様の黒白猫と遭遇することはなかった。事件解決の報告をしようと思っていたのに。

 キャティはどこへ消えたのだろうか。野良でいる身を案じた誰か――先日出会った女性か――が引き取って、自宅に住まわせてくれるようになったのだろうか。動物保護団体にでも保護されたのだろうか。それとも、ご主人の無念を晴らすという大役を勤め上げたことで、いずこかへと去ってしまったのだろうか。

 もしも、キャティが私と理真の前に姿を見せた理由が、その目的――ご主人の死体を発見させ、夫の罪を暴くこと――のためだったとしたのなら、私はこの事件の冒頭に、偉大なる文豪の記した物語と同じ一文を付け加えなければならなくなるだろう。


 今ここに書き記そうとする奇怪この上もない、だが何の虚飾もまじえぬこの物語を、わたしは読者に信じてもらえるとも、もらいたいとも思わない。


 風に乗って――どこかから、にゃーん、という鳴き声が届いたような気がした。

 お楽しみいただけたでしょうか。

 2018年から通例で続けてきた「猫の日ミステリ」も、本作で5作品目、すなわち5周年を迎えることが出来ました。これもひとえに読んで下さる皆様のおかげです。改めて感謝申し上げます。今後とも、猫の日ミステリ及び猫のことをよろしくお願いいたします。

 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


 エドガー・アラン・ポオ作「黒猫」からの引用部分は、創元推理文庫『ポオ小説全集Ⅳ』収録の、河野一郎訳を使用させていただきました。

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