第二章1 『認められない辛さ』
王都ソルは王国屈指の広さを誇る大都会である。
王都と外都と隔てる正門から入場すると真っ先に見えるのは白亜の王城と一本の炎剣を象った紋章が特徴の大聖堂。
王城には建国の祖レニスの後胤たる稀代の賢王レナンドが日々その手腕を振るわせながら、王国の象徴として玉座に座している。
そして「常に王の隣に」を体現しているかのように王城の隣に聳え立つ大聖堂はエスティア教本部。今や人間族の殆どがその信徒と呼ばれているほどの影響力を持つ宗教であり、その歴史の長さから生活様式や儀礼にもエスティア教の教えが往々として見られる。
また人間族支配領域の中の最大戦力と呼ばれる王国軍基地が王都ソル正門横に存在する。
王国軍は主に王立の魔術学院の卒業生から構成されており、長い間共に研鑽を励んだ輩が多いことから団結力と連携力が段違い。加えて一人一人の練度が高いため、他国と比べて同じ軍人の数でもその戦力差は歴然。ちなみに王国軍と王国騎士は別物であり、王国軍は王政に属する機関の一つ。王の勅命一つで動く王国騎士と違い、出動の判断を独自で任されているほどの独立性が認められており、加えて王国軍の長は王国議会への発言権を持つ。
その王国軍の戦力となる人材育成の場となっているのが王立魔術学院ソレイユ。
賢王レナンドがまだ成人したての時に大々的に打ち出した富国強兵政策の産物。貴賤に囚われず有能な人材を育む名目で作られた学院は学費、生活費の一切が免除されるため、毎年競争率は五十倍を超えると言う。また育成の場に留まらず研究機関としての側面も持ち、至上の頭脳と技術を持った者が集まる魔境でもある。
政治・宗教・軍事・教育の全ての主要機関を集結させたのが王都ソルなのである。
余りにも贅沢を詰め込んだ王都には当然余っている土地などはない。王都に住むことが許されるのは政治・軍事・宗教関係者を除けば、多大な税金を納める貴族か独自の店を持つ商売人、または寮暮らしをする学院の生徒だけであり、他は王都外のベットタウンに寝床を持つ。
そう、王都に居住地を持つことが出来るだけで羨望の眼差しを向けられるのに、ましてやその魔術学院に通っているとなればもう並の相手は平伏する。
つまり、学院に通うことが許されているシルクは実は相当優秀なのである。
————学業面においては。
「チェッ。まーた【末席】のシルクヴェントが学年一位かよ」
「聞いたか。あいつ、カンニングしてるって噂だぜ」
「やっぱり。碌な能力持ってないし、実践訓練では万年ドンケツのカーラインがこんな成績取れるはずねぇよ」
「この学院入学も相当な賄賂を……」
「あいつだ……」
「よく恥ずかしげもなく歩けるもんだ……」
「うわ、下向いてやがる。やっぱり後ろめたい事をしたんじゃ……」
雲一つない晴れた朝。
教室前の大掲示板には先日のテスト順位が張り出されていた。
そこに群がる生徒達は皆一斉に上を見上げている。
————一位 シルクヴェント=カーライン 九百点
全九教科百点満点のテストでシルクは全教科で満点を叩き出したのである。
二位のヴォルト=エストリッチは七百九十点。他の追随を許さない彼の学業成績は全生徒の注目を集めた。
それもそのはず。シルクは学院に入学して以来一度も満点以外を取ったことがない。当然それを訝しむ生徒と教師からは疑惑の目が向けられ肩身の狭い思いを彼はしていた。
シルクは【武装顕現】が出来ず、【固有能力】も使い物にはならないため実技では無能を晒す。
学力よりも実技を重んじる気風のソレイユで彼が【末席】の烙印を押されているのは当たり前のことだった。
入学できたのも学院開校以来の学力試験満点合格という偉業を叩き出したからであり、実技試験の結果を組み合わせると合格ギリギリの点数。正直彼にこの学院は分不相応なのである。
「————よう、シルク。不正で勝ち取った一位の座は気持ちがいいか?」
教室で授業の予習をする最後列のシルクをヴォルトとその取り巻きが囲む。
不正、その言葉を聞いた周囲の生徒は一斉に彼らの方へ振り向いた。
「……僕は。不正なんかしていない。言いがかりはやめてくれ」
「ふーん。そんな戯言をぬかすのか。だっておかしいだろ。【末席】のお前が、この【第一席】の俺を差し置いて、毎回満点一位なのはよォッ!! そうだろみんな!!」
「そうだ!!」
「汚いぞ!!」
「最低」
「ゴミクズが」
「マジでありえないし」
「実技がダメダメだからって、試験で不正とか……」
「嫌いだわー」
「最初から胡散臭いとは思ってたんだよね」
「…そんな……僕は不正なんて……」
ヴォルトの煽りが教室中を伝播し、クラスメイトが一体となって大声でシルクに罵声を浴びせる。大勢の冷たい視線がシルクを捕らえていた。
「疾しいことはしていない……皆に置いて行かれないように努力をしているだけなのに…」
ヴォルトの扇動でその努力を真っ向から否定されたシルクは心が引き裂かれる思いをした。
何も出来なければ嘲られ、出来るように努力すれば非難される。
誰も自分を認めない。学院のどこにも居場所を感じることはできない。
シルクは視線から逃れるように俯いて床を見る。眼鏡をしているのに何故か視界が歪む。
ポタポタと床に水滴が落ちているのを見た時、自分が泣いていることにシルクは気づいた。
「おい……まさかお前、泣いているのか? ギャハハハハハッ!! ダッせえの」
「……泣いてなんか……泣いてなんかいない……」
すぐに眼鏡を取ってローブの裾で拭うが決壊した涙腺から次々と涙が溢れる。
シルクを下からニタリと覗くヴォルトは何か思い付いたのか、口角を更に大きく上げた。
「そうかそうか。お前はそれを泣いていないと言うのかシルク。ならみんなにジャッジしてもらおうぜ。お前が泣いていないかどうかをよ!! ————《手を退かして顔を上げろ》」
魔力を込めたヴォルトの声が言霊になってシルクにぶつかる。
その直後、シルクの手が顔から離れ、自分の意思とは関係なく頭が勢いよく振り上げられた。
目を赤くした崩れた泣き顔が周囲に露わになる。
シルクはすぐに隠そうとするも手が言うことを聞かない。
「ウケるんだけど」
「うっわ、泣いてんじゃん」
「この歳で泣くとかありえなくね」
「めっちゃ顔赤いじゃん」
「最初から不正しなきゃよかったのに」
「断罪だよ断罪」
「だっさ」
「————シルクッ!!」
「待ってくださいお嬢様!!」
シルクに罵声を浴びさせ続ける人混みを乱暴に分け、蒼髪の少女が彼らに立ち塞がった。
「シルク、私の背中に。————エストリッチ、これは一体、どう言うこと」
普段は能面のような顔のファルティナが明らかに不快感を露わにしながら睨む。
クラスメイト達はファルティナの凍てつく視線に怯んだのか、罵詈雑言は収まっていった。
周囲に静寂が訪れるのを確認したヴォルトは一歩前に踏み出し言葉をかける。
「よう、ファルティナ。今日もそのゴミの子守か?」
「……名前で呼ばないで。シルクは……ゴミなんかじゃ、ない」
「おう怖い怖い。そんなに睨むなって。俺たちはただそいつに学院に相応しい生徒の在り方ってのを教えてやっただけさ。これはイジメなんかじゃない。集団指導さ」
「なぁ? みんな」とヴォルトは喜劇じみた振る舞いを見せ、周囲に呼びかける。
【第二席】という格上の存在に一矢報いるチャンスと言わんばかりに、「そうだそうだ」とヴォルトに迎合する。彼らは分かっていた。今どちらに与するのが正しいのかを。
「詭弁を……」
「詭弁なもんか。第一、碌に戦えない奴がこの学院にいるのがおかしいん。どうやって入学したんだシルク? ママにでも泣きついて身体でも売ってもらったのか? ギャハハッ!!」
「下衆が……!! ……シルク?」
言霊の力が切れ、ドサッと音を上げシルクはその場に崩れ込み、隠すよう顔を下げていた。
今度は口からうっすら泣き声が漏れていた。自分の不出来で自分だけではなく母親までも侮辱されたのだ。
普通は怒る。激怒し敵に噛みついてもおかしくはない。だがシルクは身を持って知っていた。慙愧のあまり爪が食い込んで血が滲むこの拳はヴォルトに決して届かないことを。
心を蝕む劣等感、無力感になす術もなくただ絶望し涙する。
「……全く情けないシルクヴェント」
主人が助けに入ったというのに、その助けられた当の本人が失意の念に屈するのを見てコルンは声を漏らす。周りには聞こえていない。だが、その言葉は深々とシルクに突き刺さる。
「(なんて僕は……どうしようもない奴なんだ……)」
自分は不正なんかしていない。
母はそんな下劣なことをしてなんかいない。
全て自分の出来る最大の努力によるものだ。
これらのどれでもいいからヴォルトに向かって大音量で叫びたい。
————だが、自分は非力だ。戦闘どころか心も弱い。
『弱き者はただ強き者の前に屈するしかない』
心の奥底で納得してしまっていることに憤りを通り越して悲痛に浸るしかなかった。
「あっれぇー。教室が盛り上がってますねー。もしかして私の歓迎会ですかー?」
場の雰囲気をぶち壊すかのような陽気で明るい声が教室に響いた。
「あっ、シルクさんじゃありませんか。おーい!!」
桜色の髪の少女は敢えて空気を読まずに大きく腕を振る。彼が自分を見ていないのは分かっている。今重要なのは今の流れを完全に断ち切ること。時間は確認してある。これで大丈夫。
「なんだアイツは——————っと?」
ゴーン。ゴーン。ゴーン。
始業の鐘の音が学院に響き渡った。
「チッ、間の悪いことだ。よかったなシルク。これ以上無様を晒すことなくて。————それとファルティナ。お前はもう少し利口になれ。そいつはお前のお株を落とすだけだ。この学院で上手に生きたいなら誰とつるむべきかお前には分かるだろ? 今なら一晩、いや二晩相手するだけで取り巻きに入れてやるぜ。まぁ、もしかしたら俺の美技で奴隷になりたくなるかもしれないけどな。ギャハハハハハッ!!」
「名前で呼ばないで……。汚らわしい……」
まるで品定めをするかのようにファルティナを見るヴォルト。自身を舐め回すその視線にファルティナは不快感が走る。舌舐めずりまでするヴォルトにコルンは主人の前に立ち塞がる。
「不肖、メイドの身である私がご意見することをお許しくださいエストリッチ様。そろそろご自分の席に戻った方が良いかと。そろそろ教諭がいらっしゃる頃です」
「……チッ」
格下、しかも女の給士の分際で自身に意見をするコルンに舌打ちをしてヴォルトは去る。
深々と下げられたコルンの顔には冷や汗が流れていた。
「……コルンありがとう。じゃあ、シルク。私たちもここで」
「……ごめん。ファル……。本当にごめん……」
「……謝らないで」
二人の少女も席に戻り、先程までの剣幕が嘘のように静寂が訪れる。
その場にへたり込むシルクを余所に皆が席に着く中、彼の方へコツコツと靴を鳴らす足音が聞こえた。
「……大丈夫ですか。シルクさん」
少女はシルクにだけ聞こえるよう声を殺し、下向く視線の先に白いハンカチを差し出す。
「……昨日借りっぱなしでごめんなさい。でも、なんか。昨日とは真逆ですね」
『昨日』『真逆』。シルクは何の話だろうと頭の片隅で考える。
シルクは目の前のハンカチを受け取り、持ち主の顔を確認するためにゆっくりと顔を上げる。すると目の前には見覚えのある笑顔を咲かせている少女がいた。
彼女の顔に朝日が差し込む。笑顔が一層照らされてまるで向日葵のように大きく輝く。
「……ミナ?」
「はいっ、ミナです。————立てますか、シルクさん?」




