終章 『手に入れた仲間』
魔族襲撃事件から一週間が過ぎた。
シルクは倒れた後、王国内の病院に搬送され、一級治癒系能力者の治療により一命を取り留めた。
生命の維持にも関与する魔力が完全に空になるのは稀であり、相当危険なのだ。
シルクが目を覚ましたのは事件から二日後。
身体に大事は無く、今は検査入院の形でベッドに横になっている。
シルクが目を覚さない間、世情は大きく動いた。
警備の甘さ、軍の対応の遅さ、異種族から狙われるほどの何かが学院にあること、主にその三点がバッシングの対象になったわけだが、世間を一番驚かせたのはそれらではない。
——————人間の協力者が出た。これが一番の問題だった。
身内にも間者いる可能性を匂わせたこの事件は王国内に留まらず、人間族支配領域全土に大きく広まる。実際ヴォルトは洗脳されていたのだが、彼の証言と現場に残された魔封じの指輪の効力と射程。
これらの証拠からヴォルトは自ら魔族に近づいた線が濃厚となった。
当然ヴォルトは除籍処分。
王国の学院監査で不正や不自然な金の動きの証拠が湯水のように溢れ、エストリッチ家は貴族位剥奪となった。
これからエストリッチ家は詰問され、余罪も見つかるだろう。
見舞いに来たレンとカザリの話によると、序列戦は魔族関与とエストリッチ家の不正の疑いありとして、今回は無効との決定が学院上層部で下されたらしい。
後日通常日程で行われるとのことだ。シルクはともかく、上位入賞を果たした生徒達は悔しさの余り涙を飲んだ。
「今回の王国監査で貴族共の不正が少しずつだが暴かれつつある。不正貴族並びに生徒の一斉処罰の後に王国の息のかかった者が今後監視役として学院に駐在する予定だ。汚れきった学院の浄化。本来の俺らの目的も果たせたってものだ。感謝する。カーライン」
レンとカザリは自ら自身の所属を明らかにした。
そもそもミナスとの不意な発言や関係性から気づけそうなものだが、シルクは大いに驚いた。
「応援に行けなくて本当にごめんね。秘密を明かしたのは……まぁ、お詫びだと思って。まぁ、これがお詫びになるのか微妙だけどね」
「秘密を明かしてもっと親密になりたいってことだ。でも、これは他言無用だぞ」
これが目を覚まして三日目のこと。
ここまでは平和そのもの。病院に相応しい静かな振る舞いを見せた兄妹二人はシルクの身体を労って小一時間程度で病院を去った。
「シルク……はい。あーん」
「なっ!? それは私が剥いたリンゴですよ。どうして貴女がシルクさんに食べさせようとしているんですか!?」
「……誰が剥いてもリンゴはリンゴ。シルク、はい。あーん」
「答えになっていません!! ああもう、負けていられません!! 私もです。シルクさんあーん。あーんです!!」
「ファルもミナも落ち着いて落ち着いて。ここは病院だよ。もうちょっと静かに……」
「「この女が悪い(んです)!!」」
啀み合っているのにこういう時だけ妙にタイミングが合うファルティナとミナス。
最初はミナスがシルクのお見舞いに来た。
今回の事件で自分が狙われていたこと、そしてそれにシルクを巻き込んでしまったこと。
それらに対して責任を感じており、暗い顔をしていたミナスだったが、シルクは、
「大丈夫。気にしていないよ。それに新しい自分が見つけられた気がするんだ。これは高い授業料ってことでいいんじゃないかな」
と、笑顔で一蹴。
思いもよらない返しにミナスは動揺を隠せなかったが、シルクの見たこともないスッキリとした笑顔に彼女の押しつぶされそうな心は救われた。
「ああそうでした」とミナスは袋からリンゴを取り出して、シルクの小腹を満たそうとした。
その時だった。
破砕せんばかりに勢いよく開け放った扉から、蒼い何かがシルクの下へダイブする。
それに伴うように申し訳なさそうな顔のメイドも病室に姿を現した。
「シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク。シルク」
傷は完全に癒えているものの、塞がった傷口を開かんばかりにシルクの腹へその美しい顔を擦るファルティナ。
だらしない顔をしながらシルクの匂いが染み込んだ患者用の一枚服に鼻を当て、久々のシルク成分を楽しむ。
脳に電流が走り、全身に響く悦楽から彼女は、
「………この服。買った……グヘヘ」
「これは病院の服だから買えないからね!?」
抑制していた欲望が思わず声に出る。
「こら、シルクさんから離れる!! まだ安静にしないといけないんですっ」
「私は。シルクの近くにいる方が、安静。ね?」
「……へ?」
「安静にしなきゃいけないのは貴女じゃなくて、シルクさんなんです!!」
ファルティナの襟を掴んでミナスは後ろへ放り投げる。
そして現在に至るというわけだ。
両者はシルクの静止でリンゴの刺さった木串を皿へ置いた。
「……ここで言うのも気が引けるのですが、この女、私のいる間ずっと居座りそうなので言っちゃいますね」
ミナスはファルティナを横目で睨み、シルクに目を合わせる。
「今回の件。シルクさんは大変微妙な立場にいます。学院の生徒でしかも【末席】。そんな人が魔族二人撃破に加えて、学院の一部を丸々消失させるほどの高火力を持った力の放出。王国軍はシルクさんをかなり危険視しています」
「……まぁ、そうなるよね。……少し不本意だけど」
「シルク。カッコいい」
「お嬢様は少し黙ってください」
「————きゅう……」
「……。シルクさんは今、軍で注目の的です。こんな力を持った能力者は見たことがない。なぜ今まで野放しにしていたのか。このまま首輪をつけなくてもいいのか。牙を向けられた時のとこも考えて抹殺した方がいいのではないか。一部は悪ノリした人の噂もありますが、大体これらは上層部で頭を悩ませている人達の言葉だと思っていいです。正直このままでは、シルクさんが保護の名の下に軟禁される可能性があります」
「……それなら。私がシルクを軟き————」
「お嬢様、それ以上はダメです」
「——きゅう……」
「……」
「そ、それで? 僕だって軟禁は嫌なんだけど……」
ファルティナの冗談そうには聞こえない発言を左から右に流し、シルクはミナスに問う。
折角見えた自分の覚悟と志、前向きな考え方。
死地で漸く掴んだそれらをこれから活かさないで一生を束縛されるのは御免だ。
ミナスと他の仲間。
そしてあの剣士に申し訳が立たない。
「はい。なので提案です。——————シルクさん。私の属する隊に入りませんか?」
「え?」
「我々の隊の隊長——————一番上の者がそう提案してきました。カザリちゃんもレン君もいますし、記録の改竄なんて私達の隊ならお手の物です。もしシルクさんが最初から軍の関係者だったとすれば、各位納得してくれるでしょう。今回は潜入していた学生軍人が対処した。そんなオチになります。ですが、こうすればこれから強い言及はシルクさんの下へ来ません。全て我々が対処します。……どうでしょうか? 今すぐに返答を求めているわけではないのですが…」
「ハ? シルクを、囲もうとするなんてグモモモモ」
「お嬢様抑えて抑えて」
緊張感が走る場面なのだろうが、ファルティナの奇行で台無し。
コルンは今にミナスに飛びかかりそうなファルティナをどうどうと抑え込む。
「どうでしょうか。一考してみてください。入隊したら後悔はさせません」
「——————うん。ミナ。僕は軍に入りたい」
シルクは悩む暇も無く即返答する。
迷いのない澄んだ瞳を真っ直ぐ向けて。
「——————いいんですか? もう少し考えてからでも……。いえ、私は嬉しいのですが……」
シルクはベッドから降りて、ミナスの前に立つ。
日が彼の顔を優しく照らし、映る覚悟の決まった双眸にミナスはどこか惹かれた。
「人助けがしたい、と言う気持ちもある。でも一番、僕は君に恩返しがしたい。君に救われた分、君の手助けがしたいんだ」
「……え」
「それに、僕と君の能力は相性がいい。上手く使えば大勢の人を助けることが出来るかもしれない。君の……その人を助けたい気持ちの一助になれたらなって。……どうかな?」
頬をポリポリと掻いて、少し照れ気味にミナスを見つめる。
ミナスは日に当てられたからか顔を赤らめ、呆然とする。
「無謀だって、止めないんですか? もしかしたら今回のシルクさんの一件みたいに大事にしてしまうかもしれないんですよ? そんな面倒臭い女の手助けをしてくれるんですか?」
「うん。ここに君に救われた男がいるわけだしね。無茶な部分は僕がどうにかしてみせる」
「……はじめて」
「ん?」
「……。……初めて『救われた』って言われました。なんか、とても、その。……嬉しいものですね」
「うん。これからよろしくね、ミナ」
「はいっ!!」
シルクの伸ばした手にミナスは握り返す。
ミナスの目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「じー」
「「!?」」
二人の世界に入り込んでいたシルクとミナスは厚く重い視線に思わず握った手を放す。
視線の主は疑う余地も無くファルティナで、押さえ込んでいたコルンは何故か四肢拘束され、猿轡までされている。
「話はもういい。……んでシルク」
「な、何かな……?」
「結局、どっちのリンゴを食べたいの?」
「そうでした!! シルクさん、どっちがいいんですか? いえ、勿論これからパートナーになる私のですよね? ね?」
「黙れ、乳女。ここは、生涯のパートナーの、私が優先される、べき」
「なぁぁぁにが生涯のパートナーですか!! ずっと言いたかったんですが、シルクさんへのストーカー紛いの行為やめた方がいいですよ。ハッキリ言って迷惑です!!」
「んなっ!? この乳が……!!」
「まぁまぁ、落ち着いて。ね?」
「「これが落ち着いていられますか!!(いられない!!)」」
怒りで魔力が漏れ出し、冷気を振りまくファルティナと睨み返すミナス。
一触即発のこの状況でシルクは間に入り、宥めようとする。だが、
「私も聞きますが、そもそもシルクさんはどっちのリンゴが食べたいんですか!?」
「うん。ハッキリ、すべき」
「え……」
「「どっち(なんですか)!?」」
二人の美女に詰め寄られる勇者は魔王よりも乗り越えるのが困難な窮地の前に立ち尽くした。
決めかねるシルクは今にも爆発しそうな二人から目を離し小さく呟く。
「二刀の剣士も絵本の勇者も、こればっかりは正しい道に導いてくれないんだなぁ……」
窓から覗く空には澄んだ青空が広がり、直視が厳しい太陽が存在感を放っている。
病室に入ってきた風がシルクの顔を強く殴り付けた。
まるであの剣士が「そんなものは自分で解決しろ」と言っているように。
「僕は——————俺は頑張るよ。もう逃げない」
シルクの瞳には小さな炎が宿っている。
彼の両手は刀を握っているかのように手で空間を作り、強く力を込めた。
微かな橙色の粒子が彼の両手を包むように舞っていたのだった。




