第六章7 『堕ちた人間』
ピルトが佇む廊下の横。
そこから姿を表したのは黒ローブを羽織った銀髪の少年。
人間族、ヴォルト=エストリッチ。
目が血走っており、既に【武装顕現】は済ませてある。
剣は一層邪悪なオーラを放ち、可視化されている紫紺の魔力はまるで周囲を汚染しているよう。
「ヴォルト……。なんで……」
「では、私はここで失礼します。ヴォルト君、健闘を祈りますよ。ここが貴方の人生の最後の晴れ舞台なのですから」
「観客も少ねぇって言うのに晴れ舞台とか。意味分かって使っているのか? ア? もういい、さっさとその女連れて行け」
ピルトは浮遊した球体とともにこの場を去った。
三人は圧から解放されて体が自由に動くようになる。
「エストリッチ。アイツらを手引きしたのは貴様だな。そもそも学院に容易に入れるはずない、それに加えてこの迷宮のような学院を網羅したかのような後去り。お前が教えたんだな?」
「雑魚には興味ねェ。用があるのはそこの【末席】だ」
「僕……? 僕に何の用があるって言うんだ!!」
ワナワナとヴォルトは震え、怒号と共に剣を一振り。
その一振りは空気を割き、振動がシルク達の下まで伝播した。
「アァ!? 俺の華々しい経歴に泥を塗った。それだけでお前は重罪人だろうがッ。たかが平民、たかが【末席】が貴族で【第一席】の俺に恥をかかせやがった!! 処刑だ処刑。俺はオマエを、オマエヲココデ、ショケイスルッ!! コレハセイギダ。オレハワルクナイ!!」
壊れたテープレコーダーのように徐々にヴォルトの挙動がおかしくなる。
体もガタガタと機械みたいに震わせている。
彼の普段以上の異常さを感じ取るには三人にとっては容易だった。
「アレは、洗脳されているな。能力にアイツは操られてる。恐らくカーラインの憎しみの部分を突かれて洗脳を施したんだろう」
「ならお兄ちゃん。またシルっちの時のように『霧散』させれば……」
「……いやそれは難しい。俺とアイツの能力は相性が悪い。今までは不意をついてアイツとカーラインに能力を行使したが真正面の戦いになると部が悪いのは俺の方だ」
エストリッチの戦闘能力は不正無しに【第一席】級。
いくら相手の魔力を霧散し【武装展開】や【固有能力】を解除できる【魔力霧散】が使えるレンでもヴォルトだと相手が悪い。
レンの能力は相手に触れなければならない。
だが、ヴォルトの【言霊】はレンの腕が身体に触れ切るまでにどうしても食らってしまう。
無論その言霊の命令自体も霧散できるのだが、一瞬にして意識を刈り取ってしまう命令をされたらいくらレンでも太刀打ちが出来ない。
今までシルクに対して嗜虐指向を見せていたヴォルトだが、今の洗脳状態では本気で相手を死に至らしめる命令をしてもおかしくない。
【言霊】とは本来それほど危険な能力なのだ。
ヴォルトを相手取れるのは射程外からの攻撃が出来る間合いと予測、反応で音を超えるスピードを出せるシルクのみ。
「ここは僕が……僕が適任だ。僕が此処を食い止めるから二人はミナを追って欲しい」
「何を言っているカーライン。さっきのことを忘れたのか」
「そうだよシルっち。私がいたから良かったけど、今度こそ取り返しがつかなくなるかもしれないんだよ? ダメだってそんなの。ミナちゃんだってそんなの願ってないよ」
「だけど、ヴォルトを止められるのは『彼』しかいない。早くしないとミナが……」
シルクは彼此二回経験した自身の魂が侵される感覚を思い出す。
耐え難く防げない、我慢のしようがない激痛に狂気。自己を分解され、他者が器に割り込むそれはもう経験したくない。
シルクに脂汗が浮く。
苦痛と自分に希望を与えてくれた少女。
それを天秤にかける前に彼の中では答えが弾き出されている。
だが、言葉にしたはいいものの、自分を捨てる覚悟の一歩が踏み出せない
。誰もが硬直しているあの場でミナスがやってのけたその一歩がとても重い。
「————その勝負。私が引き受ける」
声の主の方へ三人が顔を上げ、ヴォルトは振り返った。
階段から上がってきたのは蒼髪で長身痩躯のレイピア持ち。
体の至る所には道中倒した魔物の体液が散見され、レイピアからはそれらが滴り落ちている。
彼女は顔を歪め、コツコツと音を立てながら姿を表した。後ろにはオマケにメイドもいる。
「シルク。先へ行って。エストリッチと、話がある、から」
「皆様、お先へどうぞ。此処はお嬢様が対処いたします」
周囲を凍てつかせる冷気とともに参上したのは、ファルティナとメイドのコルンだった。




