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ダイエット␣魔術␣恋

作者: 春名功武

 【使用上のご注意】

・当エクササイズは、体重40㌔以下の方は、決して行わないで下さい。

・過度な使用は危険をともなう恐れがありますので、月に一度を目安に行って下さい。

・トレーナーの指示に従い、危険ですので絶対に反抗しないで下さい。

・使用後に心身に異常を感じたときは、二度と行わないで下さい。

・他人を近づけず、ひとりの時に行って下さい。

・他人には一切話さないで下さい。


 陽がいつの間にか落ち、暗くなった室内にノートパソコンのディスプレイの明かりだけが灯っていた。L子は背中を丸め、パソコンの前に座っている。年期の入った猫背は、縦にも横にも大きな体を隠したいという気持ちの表れだろう。


 ユーチューブでダイエット法を探していたのだが、スタイルが良くキラキラと華やいだ女性トレーナーが教えるエクササイズしかヒットせず、L子にはどうも肌が合わなかった。「私を見てって感じが鼻につくのよね」


 ユーチューブに見切りをつけると、検索サイトを立ち上げ、検索バーに[エクササイズ 楽]と入力して検索をかけた。超簡単ダイエット法なるものや、始めやすくて、続けやすい! ズボラさんにオススメダイエット法なるものなどがヒットした。


 いくつか閲覧したが、どれも1日3分から5分は体を動かさなくてはならないものばかりで、超一級品のズボラであるL子は、それすら億劫だと感じていた。もっと簡単に痩せる方法がないかと考え、検索バーに[ダイエット 魔術]と入力して検索をかけた。別に「魔術」などの類のものに興味があるわけではない。こんなに様々なダイエット法があるのだから、食べて痩せる魔法のダイエットがあってもいいだろうと「魔法」と打ち込むつもりが、間違えて「魔術」と打ち込んだだけのことであった。すると「魔人体操」というヘンテコな名称のサイトがヒットした。


 L子にとって、痩せたいと思ったこと自体が、生まれて初めての事だった。幼い頃からずっと肥満児で、痩せている自分を想像すらしたことがなかった。高校3年生の時に100キロを超え、今は105キロある。女性が痩せたいと思う理由と言えば1つしかない。L子は大学の吹奏楽部のS先輩に恋をしていた。


 S先輩の何気ない発言が、L子をときめかせた。L子が吹くトロンボーンの音色が好きだと言ってくれたのだ。それ以来、いつも、フルートを吹くS先輩の横顔に見惚れてしまうのだった。


 L子は「魔人体操」なるサイトを開いてみた。どのサイトも変わり映えしないエクササイズばかりで、ちょうどうんざりしていたから、箸休めテキな感覚だった。サイトが開くと、【使用上のご注意】が現れたので、軽く目を通して、右上の「×」で閉じた。


 画面に「魔人体操」とおどろおどろしいフォントの文字が現れた。左上のMENUをクリックして、体操の内容を確認する。〈一から十三まであるポーズを連続で行い、後は身をゆだねる〉とだけ記載されてあり、何だか分かったような、分からないような曖昧な内容だった。何処か外国のエクササイズで、変な日本語訳になっているのだろうと思った。


 十三のポーズの解説には、古代壁画のような絵が使われていて、とても滑稽に見えた。制作者の拘りなのだろうか。


 L子は画面に映る十三のポーズに目を向けていると、なぜだか体を動かしたい衝動に駆られた。超一級品のズボラであるL子には、珍しいというか、初めての事であった。


 L子は重たい体を椅子から持ち上げると、パソコン画面に映る最初のポーズに取り掛かった。


 一、ニワトリのポーズ。右手を頭の上に乗せ、掌を開いてニワトリのトサカを表す。次に左手をおしりにあて尾を表し、腰を落として、その場を3回まわり、クックーエーココーコと2度雄叫びを挙げる。


 【使用上のご注意】にあった〈他人を近づけず、ひとりの時に行って下さい〉というのは、うなずける気がする。滑稽だ。


 一のポーズだけでも、100キロを超えるL子にとっては、かなりの重労働であったが、何とかやり遂げた。もうこれ以上はいいとサイトを閉じようとしたのだが、次の瞬間にはなぜだか次のポーズも試してみたくなってくる。


 二、牛の顔のポーズ。座った状態で足を組み膝と膝を中央で重ねる。この時、左右の座骨に均等に体重をかける。右腕を上から背中側に回し、左腕を下から背中側に回し、両手をつなぐ。


 これはキツイ。どうやっても手なんて繋げない。それでも投げ出すことなく、何とかやり遂げた。そして気づいたら、L子は次のポーズにも取り掛かっていた。


 三、猿の睾丸のポーズ。仰向けに寝転び、両膝を折り曲げて両手で軽く抱く。両膝を抱き寄せ膝を胸に近づける。


 L子は自分でも驚いていた。ズボラでぐったらだった自分が、こんなにも精力的に動くなんて。恋は人を変えるって本当だったんだわ。全てやり遂げたら、どんなふうに変わっているのだろう。少し楽しみになっていた。


 L子は次々とエクササイズをこなして行く。四、アワビのポーズ。五、鹿のペニスのポーズ。六、イソギンチャクのポーズ、七、ゾウの鼻のポーズ……


 堅く重たい体を必死に動かし、汗だくになりながら続けていく。そしてラスト、十三、太陽のポーズ。全てやり遂げた。


 L子は、床に大の字に倒れ込む。こんなに動いたのは、生まれて初めてかもしれない。清々しい気分だった。それでもL子の体は先程と、何ひとつ変わっていなかった。そう簡単に痩せるわけはないのが現実だ。無理がたたり、意識が朦朧としはじめる。瞼が重い…


「おい、起きろ。女、起きろ」

 遠くの方から声が聞こえてきた。それはだんだんと鮮明になっていき、L子が目を開けると、見なれぬ相手の顔があった。皮膚の色が赤紫色をした堀の深い男で、上下セットのトレーニングウエア―を着込んでいた。L子を覗きこんでいる。「キャ~」と悲鳴を発したL子は、慌てて上半身を起こして、遠ざかる。

「だ、誰?」

「ハァ!?お前が呼び出したんやろう」

「よ、呼び出した…」

 L子には、さっぱり意味が分からなかった。男は面倒臭そうに発する。

「魔人や、魔人でんがな」

「ま、魔人…」

 L子は、まじまじと男を見た。額に2本の角が生え、耳が鋭く尖っていて、しっぽがあった。人間でない事は一目瞭然。夢か妄想かと思った。

「何をジロジロ見とんや。お前が呼び出したんやろ。違うんか?」

「ち、違います。そんなの、呼び出したりしません」

「じゃ誰が呼び出したいうねん」

「私はただ魔人体操というエクササイズを…」

 L子はそこまで言ったところで口をつぐむ。嫌な予感がした。

「やっぱりお前やんけ。儀式してるやんけ」


 予感が当たり、L子は嘆く表情を浮かべた。あの一から十三あるヨガみたいなポーズは、エクササイズではなく、魔人を呼び寄せる儀式だった。まさかそんな事って。信じられるわけがなかったが、現に目の前には人間とは思えぬ男が立っている。


「私、知らなくて、そうとは知らずに…」L子は呼び出したくて呼び出したわけではない。魔人になんて用はないのだ。だから恐れながらこう続けた「あの、呼び出しておいて、何なんですが、帰ってもらってもいいですか」

「ハァ!?せっかく来て、何でもう帰らなあかんねん。冗談は顔だけにせえ。さ、立て。さっそく始めるぞ」

「…」L子は不思議そうに首を傾げる「始めるってなにを」

「お前、痩せたいんやろ。寝てて痩せるわけないやろ。早よ立て、殺すぞ」

 魔人は眉間に皺を寄せ、睨みつけてくる。L子は恐ろしくなり、疲れ切った体を無理に持ち上げた。


「魔人体操とは、元々魔界で行なわれていた、新人悪魔を短期間で鍛え上げる集中トレーニング方法をもとに開発したエクササイズなんや」

 そう簡単に説明を終えた魔人は、中指と親指を弾き、パチンと音を鳴らす。すると何処からともなく軽快な曲が流れ始めた。魔人は音に合わせて、その場で足踏みを始めた。まだ事態に付いていけずに呆然としていたL子に、魔人の怒号が飛ぶ。「何ボケっとしとんじゃ。やらんかボケ」

「あ、は、はい」

 L子は、慌てて足踏みする。

「ええか、ただ突っ立ってるだけで痩せるほど、人間の体は万能やないぞ。ダイエット嘗めんなよ。ほら、いくで」


 魔人は、体をひねりながら、パンチやキックを何度も繰り返す。L子も見様見真似でやる。すぐに息が上がってくる。魔人の動きが、さらに激しくなる。スクワットをしてからのパンチのコンビネーション。L子も必死にやる。殺されたくないから。L子の体から汗がドバドバと流れでてくる。息も絶え絶え。ちょっとくらいサボってもいいだろうと思い両手を膝に着き休む。すぐさま「ワレ、やらんかい。休むな」と、魔人の容赦ない言葉が飛ぶ。L子は辛すぎて「あんたは鬼か」と思わず口をついていた。「誰が鬼やねん。魔人じゃ」鬼扱いされた事が不愉快だったのか「ワレ、そんな減らず口叩く余裕あるんやったら、覚悟しや。地獄の腹筋じゃ」と、魔人は腹筋をはじめる。L子もやるしかない。永遠に続くのかと思うぐらい何度も何度もやらされる。


 そして、立ち上がるように脅され、ふらふらになりながらも何とか立ち上がったL子の手には、いつの間にか、鬼のこん棒のような道具を持たされていた。魔人もこん棒を持っており、「やっぱり鬼じゃん」とL子は思ったが、今度は口にしなかった。


 ここからが本番とばかりに、魔人はギアを上げて二の腕のシェイプアップ運動を始めた。こん棒を握りしめ腕のアップダウン、足でステップを踏みつつ腕のアップダウン、ジャンプを取り入れながら腕のアップダウン。「おら、燃焼しろ、燃焼せんか、まだまだ燃焼たりんぞ。お前の燃焼はそんなもんか。燃焼カモン!」


 アップダウンの連続で、腕がもげそうだ。足も言う事をきかない。そもそも魔人を呼び出す儀式の段階で、すでに限界だった。それを殺されたくないという思いだけで、動かしていた。火事場の馬鹿力的なものなのだろうが、それももうすっからかんに…


 L子は意識を失い倒れてしまう。それでも魔人の罵詈雑言はやまない。「誰が寝てええ言うた。寝るな。そんなんやから、脂肪ばかり付くんじゃ。脂っこいんじゃ。胃がもたれるやろうが。アホ、立て。起き上がれ。起き上がらんかい。アホンダラ。しばくぞ。ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたろかい」


 鼻の中に流れ込んできた食事の香りがL子の目を覚ました。胃が音を立てる。だるくて重たい体を必死に持ち上げ、匂いのする方へと近づいていく。テーブルの上に、ハンバーグが二人分並んでいた。


「起きたか。ちょうど良かった今出来たところや。食べよか」

 魔人はそう言うと、テーブルの前に座り、L子が席に着くのを待った。L子は戸惑いながらも魔人の向かいの席に座ると、出来立てのハンバーグに視線を向ける。表面についた香ばしい焼き色が食欲をそそる。

「あの、これは…」

「ハンバーグや。知らんのか」

「知ってます。でも何でハンバーグが」

「俺様が作った。感謝しろ」


 魔人が作ったハンバーグ。毒が入っているんじゃ…いや、入っていないわけがない。毒を混ぜ込んだ、魔界産毒100%俺様の毒バーグ。見るからに美味しそうだけど、口にした瞬間、一巻の終わりに決まってる。


「おい、毒入ってると思っとんちゃうやろうな」

 魔人がL子の心を読んで言った。まんまと心を読まれたL子は「まさか。思ってません、思ってません」と否定するが明らかに動揺していて目が泳ぐ。

「入ってるかい!」魔人の渾身のツッコミが入る「あのな、お前なんか殺そう思ったら、この爪で一突きじゃ。わざわざ毒なんか使うかい」と鋭く尖った爪を掲げる。筋の通っている説明にL子のハンバーグを見る目が変わった。じゃ食べられるんだ…

「ただ毒は入ってないけど、肉も入ってないで」そして魔人は料理の説明を始める「これな、カロリーオフの豆腐ヘルシーハンバーグなんや」


 L子は肉でない事にガッカリした。顔に出てしまったのか、魔人はピックと血管を浮き立たせた。しっまた、また怒鳴られるとL子は構えたのだが、

「お前、ダイエットしてんねやろ。脂っこい肉食べてどないするねん。まぁええわ。とにかく食うてみ。美味いから」

 と、さっきとは打って変わった魔人の言葉が返ってきた。少し優しい感じがした。L子は空腹過ぎて、もうあれこれ考えられる余裕がなくなっていた。フォークとナイフを手にすると、豆腐ハンバーグを口に入れる。体に電流が走る。何これ。本当にこれ豆腐なの。口の中にうま味が広がり、食堂から胃に辿り着くまで全てに味が染みわたっていく。感動レベルの美味しさだった。


 あっという間に平らげた。料理の余韻に浸っていたL子だったが、突然魔人が立ち上がったので、ビクッと体を揺らして警戒する。魔人はゆっくりと、L子に歩みよって来る。L子は慌てて立ち上がり、後退りしていく。壁際まで追いやられた。魔人はL子の目の前にやってくる。すごく距離が近い。魔人とL子が見つめ合う形になる。よく見たら、魔人はとても美男子であった。L子はポッと頬が赤らむ。魔人はL子の耳元に顔を近づけると、かすれる吐息で囁いた。

「本当、よく頑張ったな」

 魔人の甘い声がL子の耳を愛撫する。さらに赤らむ顔。そして、次の瞬間、魔人はL子の唇に唇を重ね合わせた。生まれて初めてのキス。L子の体に電流が走る。豆腐ハンバーグを食べた時とは違う種類の電流。身体がとろけてしまいそうな感覚。味わったことのない甘く危険な味がL子を支配する。


 よく日。大学から帰ってきたL子は、真っ先に姿見の前にやってきた。映し出された丸い体は、鏡の面積のほとんどを占領した。これじゃあ気が付かないか。誰も何も言ってくれなかった。

 今朝体重計に乗ったら10キロも痩せていた。105キロあった体重が95キロになっていた。信じられなかった。一回で10キロも痩せる事があるのだろうか。これが魔人の力。

 全身筋肉痛の体に鞭打って大学に行ったのに、10キロぐらいじゃ何も変えられないんだわ。このままじゃ、S先輩に振り向いてもらえる事なんて夢のまた夢。もっと痩せないと。


 L子はパソコンの前に座ると、電源を入れ、起動させる。検索サイトを立ち上げて検索バーに[魔人]と打ち込んだところで、キーを打つ手を止める。魔人の罵詈雑言が脳裏に浮かんだのだ。あの非道でハードな仕打ちを思い出すだけで、震えあがってしまう。しかしL子の頭の中には、もうひとつ正反対の想いが存在していた。あの刺激的なキスの体験が脳に張り付いて取れないのだ。それに、サイトを開いた時に現れる【使用上のご注意】にあった〈過度の使用は危険をともなう恐れがありますので、月に一度を目安に行って下さい〉という一文も気になる。


 どうすればいいかと、せめぎ合った結果、キーを打つ手を再開させ、検索バーに[魔人体操]と最後まで入力してサイトを開いた。魔人にもう一度会ってみたいという思いが勝ったのだ。


 魔人を呼び寄せる儀式に取り掛かる。一、ニワトリのポーズ。二、牛の顔のポーズ。三、猿の睾丸のポーズ。一から十三のポーズを息も絶え絶え、何とかやり切ると、L子は床に大の字に倒れ込む。筋肉痛のせいで、昨日よりも辛かった。


「おい、起きろ。女、起きろ」

 いつ現れたのか全く分からなかったが、魔人がL子を覗き込んでいた。昨夜のキスを思い出し、L子の顔がポッと赤らむ。覗き込む魔人の顔はやはりとても美男子であった。


「いつまで寝ているつもりや。さっさと立ち上がれ豚野郎。それともお前は豚肉か。ちゃうやろ。人間やろ。ほら、立て。殺すぞコラ」

 鋭く尖った爪がL子の顔の目の前に掲げられる。ヒィ~と悲鳴を上げ、筋肉痛の体を無理に立たせる。魔人体操がはじまる。何処からともなく流れる軽快な曲にあわせての足踏み。体をひねりながら、パンチやキック。さらに激しく、スクワットをしてからのパンチのコンビネーション。汗がドバドバ、息も絶え絶え。両手を膝に着き休む。「ワレ、やらんかい。休むな」魔人の容赦ない言葉。地獄の腹筋。永遠に続くのかと思うぐらい何度も何度も繰り返す。やっと終わったと思ったら、こん棒を使っての腕のシェイプアップの運動。腕のアップダウン、足でステップを踏みながらの腕のアップダウン、ジャンプを取り入れながらの腕のアップダウン。「おら、燃焼しろ、燃焼だ、燃焼カモン!」腕がもげそうだ。足も言う事をきかない。立ってさえいられない。何もかもすっからかん。意識を失い倒れてしまう。食事の匂いに誘われ目を覚ます。魔人お手製料理。肉ではないカロリーオフのヘルシーな料理。感動レベルの美味しさ。優しい魔人。そして甘く危険なキス。身体がとろけてしまいそうな感覚。目を開けると、魔人は消えている。朝、体重計に乗ると、また10キロ減っていた。ただ、もう二度とあんな辛い思いはしたくない。心身ともに耐えられない。それでも次の日には、キスを思い出し、魔人に会いたくなってくる。飴と鞭。完全に魔人の術中にはまっている。また魔人を呼び寄せる儀式に取り掛かる。一から十三のポーズをこなし、床に大の字に倒れ込む。いつ現れたのか、魔人が覗き込んでいる。そして始まる魔人体操。


 L子は、大学のキャンパスで専攻する授業を受けていた。随分久しぶりな感じがした。魔人体操漬けの日々を過ごしていた事で、時間の感覚が狂ってしまった。実際には5日ぶりの学校だった。それにしても、L子はさっきから誰かに見られているような感覚に陥っていた。「気のせいかしら」


 気のせいでもなんでもなかった。現にL子は見られていた。元々目鼻立ちがはっきりとした綺麗な顔立ちをしていたL子は、体から大量の脂肪をそぎ落としたことで、誰もが振り向く良い女へと変貌していた。細くスラッと伸びた長い脚、キッとしまったウエスト、くっきりと見えた色っぽい鎖骨。45キロという理想的なモデル体型となっていた。しかし誰もL子だとは気が付いてはいない。


 専攻する授業を終えたL子は、吹奏楽部の部室に向かう事にした。講義棟を出て校庭を歩いて行く。吹奏楽部のみんな、痩せた事に気が付くかしら。気が付かないわけはないわ。だってこんなに痩せたんだもん。これなら、S先輩も私の事を好きになってくれるかもしれないわね。デートに誘われたりしたら、どうしましょう。


 そんな事を思い描きながら、角を曲がったら、近くのベンチでS先輩がフルートの練習をしていた。じっとフルートを吹くS先輩の横顔を見ていたら、視線に気が付いたのか、S先輩がL子の方に顔を向けた。S先輩とL子が見つめ合う形になる。どうやらL子だという事には気が付いてないようだ。照れたような顔を作ったのは、S先輩の方だった。しかしL子の方は視線を逸らし、浮かない顔になった。


 そんな事知る由もないS先輩は声を掛けようとベンチから立ち上がると、L子の元に近づいて来る。L子は踵を返し、逃げるようにその場から去っていく。乗りたかった電車のドアが目の前で閉まったような、カッコが付かないS先輩。「え~と、そっか…なるほど」


 L子の心には魔人が居座っていた。大学に来て先輩の顔を見れば、心から魔人が消え失せるものだと思っていたが、消えるどころか、より強くなっていた。ずっとおぼろげに思っていた事が、はっきりと答えが見えたのだ。昨夜会ったばかりなのに、会いたくて、会いたくて、仕方がなかった。


 部屋に戻ってきたL子は、魔人を呼び寄せる儀式に取り掛かる。一、ニワトリのポーズ。二、牛の顔のポーズ。三、猿の睾丸のポーズ。一から十三のポーズをあっさりとやってのける。今のL子にとっては、この程度の運動は容易かった。いつの間にか魔人が現れる。そして魔人体操が始まる。L子は、息も乱れることもなく、前のように汗だくになることもなく、こなしていく。体操を終えると、魔人は台所に立ち料理を作り始める。L子はシャワーを浴びて汗を流し、今日帰りに買ってきたばかりのドレスに着替え、ユーチューブでメイク動画を見ながら、いつもより念入りにメイクをして、テーブルに着いた。テーブルには、魔人お手製料理が並ぶ。肉ではないカロリーオフのヘルシー料理。二人で向かい合い食事をする。感動レベルの美味しさ。幸せに満ちて時間。そしてL子は魔人にこんな事を聞いた。

「ねぇ、魔人。あなたの好きなタイプってどんな人?」

「タイプか。痩せた筋肉質の女やな」

「痩せてるって、何キロぐらい?」

「そら、40キロ以下やろ」

 L子の現在の体重は45キロ。今日やった魔人体操で、明日の朝には35キロになっているはず。

「そんな女性が目の前に現れたら、どうする」

「まぁ平静ではおられへんやろなぁ。お持ち帰りしてまうかも」

「へぇ~、そうなんだ」

 L子は冷静を保っているつもりだったが、舞い上がっていた。


 魔人は食事を済ませると、いつものようにL子にキスをして帰って行く。ひとりぼっちの寂しい時間。長かった夜が終わり、朝を迎える。L子は体重計に乗る。35キロになっていた。魔人好みの女性。メイクをしてドレスに着替え、魔人を呼び寄せる儀式に取り掛かる。魔人が現れる。


「35キロやな。よう頑張った。ふくらはぎなんか見してみ。引き締まって美味そうや。ええ肉になった。今、魔界は美食ブームでな、痩せ型筋肉質の人間の肉でないと、卸業者も相手にしてくれへのよなぁ。ほな、行こか」


 数日が過ぎた。娘と連絡が繋がらなくなった両親は、マンションの管理人と共にL子の借りていた部屋を訪れる。家具や荷物はそのままに残っていたが、L子の姿は何処にも見当たらなかった。両親は捜索願を出した。次の日、警察官は手掛かりを求めてL子の部屋にやってきた。室内をくまなく調べたが何も出て来なかった。ひとりの警察官が、机の上に置かれたパソコンを調べ始めた。起動させ、履歴を調べると、「魔人体操」なるサイトを頻繁に閲覧している事が分かった。サイトが開くと、【使用上のご注意】が現れたので、軽く目を通して、右上の「×」で閉じた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] あー 凄く面白い! 終り方 超好き 人を変えるのは  恋なんすね L子の シャワーを浴びてから舞い上がる迄のシーン 高揚感が伝わってきます。 [気になる点] ヘルシー料理 食べたい …
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