38章 同じ日に生まれた二人
月日が流れ――キルシェは、大きな姿見の前に立っていた。周りを馴染みの仲間のラッシュ、フローレ、ワート、ルイゼルが囲んでいる。
「キルシェ、すごく似合ってるぞ」
「ほんと、キルシェにしては上出来って感じ」
ラッシュとフローレがキルシェの姿を見て、うんうんと頷いた。
今のキルシェが着ているのは、白い衣だ。上と下に分かれており、上衣は袖口と胸のところに、下衣は両側面に、金色の糸で神鳥のしるしが刺繍されている。黒い革の靴はぴかぴかに磨き上げられている。背には、ふちの部分に白い毛皮が縫い付けられた、青いマントをつけている。即位の際につけたものよりは短く、床にぎりぎりつかないくらいの長さになっている。花婿がまとう装束だ。
今日は島中が待ちに待った、キルシェとエレアスの婚礼の儀が執り行われる。
「……キルシェ、ものすごく緊張していませんか? 僕まで足が震えてきそうですよ」
ワートに痛いところをつかれ、キルシェは小さく呻いた。
「即位式の時はここまでじゃなかった。……今まで生きてきた中で一番緊張してる」
まだ始まってもいないのに、キルシェの心臓はすでに早鐘をうっている。昨晩も寝付くのにかなり苦労した。
楽しみなのはもちろんだが、エレアスにとって最も大切な日になるのだ。粗相をしてしまったらと思うととても落ち着いていられなかった。
「大丈夫? 始まる前に倒れちゃうんじゃない?」
フローレの言葉が冗談に聞こえない。
その様子を見かねてか、ルイゼルが軽くキルシェの肩を叩いた。
「キルシェ、余計なことを考えるのはやめましょう。貴方は今日、世界で一番美しい女性の隣に立つ幸運な人です。それだけを考えて胸を張りなさい」
「そうそう、今日の主役はエレアス様で、キルシェは引き立て役なんだから。もっと力抜いて!」
「キルシェ、こういう時は深呼吸だ。落ち着くぞ」
「僕たちはお二人を心から祝福しています。焦ることなんて何もないですよ」
友人たちに励まされ、キルシェの気持ちはいくらか落ち着いてきた。今日という日は二度と来ない。精いっぱい楽しまなければ後悔してしまう。
「……皆、ありがとう。もう大丈夫だ」
その時、部屋の扉がノックされ、アルフィオンが入ってきた。
「キルシェ、準備はできたか?」
「ああ、完璧だ」
「なら、出発してくれ」
花婿は先に祭殿に向かい、花嫁を待つことになっている。
「よし、俺たちも行くか」
「キルシェ、あたしたちがちゃんと席で見てるからね!」
ずっと準備を手伝ってくれていたラッシュたちが部屋を出ていく。
いよいよその時が来た。キルシェは大きく息をつき、一歩を踏み出した。
***
その頃、エレアスも同じく、大きな鏡に自分の姿を映していた。
「エレアス姉さま、本当に、とっても綺麗だわ」
「お話の中に出てくる人みたいです」
横で見ているセシェルとティーナが、うっとりと褒めてくれる。
「……そうかしら」
今のエレアスは、花嫁衣裳に身を包んでいる。簡素だった守護者の服に比べると、豪華すぎるほどだ。純白の長袖ドレスは上半身からひざにかけては細く、ひざから裾にかけて魚の尾のように広がっている。胸元には、中央に大きな青色の宝石をあしらった金の首飾りが輝いていた。色とりどりの花が使われた冠を被っており、ゆるく編みおろした髪にも小さな花が結わえてある。
今まで一度もしたことがなかった化粧を施された顔は、まるで自分ではない誰かのようにエレアスには感じられた。
「あの人に変だと思われなければいいのだけれど」
キルシェには、幼い頃からの自分を知られている。今になって、こんなに着飾ったところを見せるというのも少し恥ずかしかった。
「変だと思うはずがないわ。兄さまのことだもの、きっとこの姿を見たら感動して泣いてしまうはずよ」
「エレアスさんはいつでも綺麗ですけれど、特に今日のエレアスさんを悪く言う人は絶対にいません」
エレアスを励ましてくれる二人の少女も、今日は特別な役目を持っている。
花嫁は、二人の若い女性に先導されて、祭殿で待つ花婿のもとへ向かうのがこの島の習わしだ。先導する女性は、花嫁の親しい友人が選ばれる。
今回その役割に抜擢されたティーナとセシェルも、相応に着飾っている。白い花でできた小さな冠を被り、ティーナは水色、セシェルは薄い緑色の、膝丈のふんわりとしたドレスを着ている。
「二人とも、とてもよく似合っているわ。引き受けてくれてありがとう」
「昨日の夜からすごく緊張してて……転んだりしたらどうしよう」
「大丈夫よティーナ。わたしたちたくさん練習したもの。絶対にうまくいくわ」
「……そうだよね。エレアスさんが一番緊張してるはず。わたしたちがしっかりしないと」
ティーナの言うとおり、エレアスは平静を装うのがやっとだった。心臓の音が、頭の中にまで響くような感覚だ。
セシェルが、エレアスの手をそっと握ってくれた。
「エレアス姉さま、今日は今までで一番素敵な日になるわ。楽しみましょう」
「大丈夫です。わたしたちがついていますし、何よりキルシェが一緒ですから」
「……ありがとう。セシェル、ティーナ」
彼女たちに向けて微笑むと、程よく体の力が抜けていった。
部屋の戸を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
セシェルが答えると、扉が開き、アルフィオンが顔を覗かせた。
「キルシェが待っている。もう準備は大丈夫か?」
「ええ」
エレアスが頷くと、アルフィオンが部屋の扉を大きく開いた。
セシェルとティーナに続き、エレアスは花婿が待つ祭殿へと向かった。
***
即位の儀を行ったときと同じく、祭殿には島中の民が集まっている。
正面の壁、神鳥が描かれた石板の下に、祭司長が立っている。その手前で、キルシェは花嫁の到着を待っていた。
祭殿の扉が開く音がした。場にいる全員の視線が、そちらに注がれる。キルシェもその方を見た。
花嫁の先導役、セシェルが、邪気を祓うという銀色の鈴を鳴らしながら進んでくる。その隣では、同じく先導を務めるティーナが、魔除けとされる、黄色い花を掲げている。
その後ろからやって来るのは、待ち焦がれたエレアスその人だ。
祭殿の段の前で、先導役の二人が左右に分かれ、花嫁に道を譲った。エレアスが段を上がり、キルシェの隣に立ったところで、彼女たちは壁際へはけていった。
花嫁衣裳のエレアスは、この世のものとは思えないほどの美しい輝きを放っていた。しくじらないようにとキルシェが必死で頭に叩き込んだこの後の段取りがすべて吹き飛んでしまいそうな程だ。
何もかも忘れて彼女に釘付けになりそうになるのを理性で抑え、キルシェは祭司長の方へ向き直った。
花婿と花嫁が共に、祭司長の方へ頭を垂れる。二人の頭上に、祭司長の手がかざされた。
「汝らは互いに伴侶と認め、命ある限り、共に生きると誓うか」
「いかなる時も魂を共にすることを、我が翼にかけて誓う」
キルシェとエレアスが声を合わせ、誓いの言葉を口にする。
「大いなる神鳥の御前にて、その志を示すべし」
祭司長の導きで、二人は顔を上げ向かい合った。
キルシェが、エレアスの細い顎に指を伸ばすと、エレアスが目を閉じた。顔を近づけ、唇を触れ合わせる。エレアスの手がキルシェの胸元に置かれた。
名残惜しさをこらえ唇を離す。祭司長の声が響いた。
「祝福あれ!」
それを合図に、祭殿が壊れるのではないかと思うほどの、拍手と歓声の雨が降り注いだ。
人々の弾けるような笑顔、感動して涙ぐむ顔、それを見渡すエレアスの瞳から、宝石のように透き通った涙が零れおちていく。
同じ日に生まれ、共に育ち、一度はそれぞれの道を歩んでいた。しかし、これからはずっと同じ道を進んでいける。
キルシェは手を伸ばし、その涙を拭ってやった。そして、エレアスの体を抱き寄せた。彼女が被っている花の冠から、甘い香りがした。
「……綺麗だ。エレアス」
妻となった幼馴染の耳元でささやくと、彼女は夢見るように微笑みながら、キルシェに身を寄せてきた。




