34章 いるべき場所に
「ティーナ! ティーナ!」
誰かが呼んでいる。
「ティーナ、目を開けてくれ!」
ティーナがゆっくりと目を開けると、自分を覗き込む顔がそこにあった。
「ラッシュ……?」
「ティーナ、良かった!」
ラッシュがティーナを起こし、強く抱きしめた。
「もう会えないかと思った……!」
「ラッシュ、息が、苦し……」
ティーナがやっとの思いでラッシュの背中を軽く叩くと、慌てて彼は体を放してくれた。
ラッシュの腕から解放され、ティーナは辺りを見回した。キルシェとエレアス、アルフィオンがそこにいた。
「キルシェ、エレアスさん、アルフィオン……」
「良かった。記憶は飛んでないみたいだな」
「ティーナ、見て」
エレアスが示した方へ、ティーナは顔を向けた。巨大な白い鳥が、こちらを見つめていた。かつて船から投げ出され、嵐の中で見た姿と同じだった。
「あなたは……」
ティーナは立ち上がり、鳥の方へ歩みを進めた。鳥が首を下げ、ティーナと視線の高さを合わせる。
その時、ティーナはあることに気づいた。
ティーナの体を覆っていた模様が消えている。
鳥の金色の瞳が、ティーナを真っすぐ見ていた。
今ここにいるのは、魂を取り戻し、目覚めた神鳥。そして、ただの人間のティーナだ。
「ありがとう」
ティーナは手を伸ばし、神鳥の白い羽毛に触れた。その柔らかさを感じた瞬間、小さく風が巻き起こった。
「ティーナ!」
ラッシュに呼ばれ、振り返ったティーナの目に、信じられないものが飛び込んできた。
それは翼だった。淡い金色の翼が、確かにティーナの背中から生えている。
ティーナはもう一度、神鳥の方を見た。神鳥は、ティーナを人間としてこの島に帰してくれただけでなく、翼を与えてくれた。 この島の民としての新たなる人生を与えてくれたのだ。
「本当にありがとう!」
ティーナが神鳥を撫でると、神鳥は心なしか嬉しそうに目を閉じた。そして間もなく顔を上げ、別の人物へ視線を移した。その先にいるのは、アルフィオンだ。
「……そうか」
神鳥に見つめられたアルフィオンは呟き、その場に膝をついた。
「裁かれるんだな」
「アル、どういうことだ?」
困惑しているラッシュに反して、アルフィオンは落ち着いていた。
「俺は、かつてこの島を追われた一族の末裔。ここにいてはいけない人間だ」
「何だって!?」
「俺は罰を受ける。一族が犯した罪をこの命で贖う」
「駄目だ。やめてくれ」
キルシェが、神鳥とアルフィオンの間に割って入った。
「アルが死ぬ理由なんてどこにもないはずだ。アルは島のために命を張ってくれた。アルは島の、俺の誇りだ」
キルシェは神鳥の目を見据え、はっきりと告げた。その顔には、恐怖も躊躇いもない。
「キルシェ、俺は」
アルフィオンが言いかけた時、神鳥が翼を広げ、何度か力強く羽ばたいた。白い羽が数本抜けて、ひらひらと宙を舞う。
抜け落ちた神鳥の羽は、まるで意思を持っているかのようにまっすぐ、アルフィオンの方へ飛んでいった。そして、彼の背中にすっと吸い込まれて消えた。
次にアルフィオンの背に現れたのは、美しい銀色の翼だった。
「これは……」
「アル、やったな!」
キルシェがアルフィオンを立たせ、その肩を叩いた。
「お前は罰なんて受けない。お帰り、アル!」
千年以上の時を経て、かつて裏切った一族の子が、正しい心を持って帰ってきたのだ。真の故郷、あるべき場所に。
「ああ……」
アルフィオンの目から、一筋の涙が零れた。
「ありがとう……!」
この島でただ二人、翼のなかった者が翼を得た。この島の民として、新たな生を得た。
神鳥は己の翼を広げ、ふわりと宙に浮きあがった。そして大きく羽ばたいて空に昇っていき、雲の間に姿を消した。
「どこへ行ったの……?」
ティーナの疑問に、エレアスが答えてくれた。
「いつでも近くにいらっしゃるわ。これからずっとね」
雲の合間から光が漏れている。じきに、空は晴れそうだ。
全員がほっと一息ついた後、キルシェが小さく呻いてその場に膝をついた。
「キルシェ!?」
エレアスが彼に駆け寄り、肩に触れた。
「……忘れてた。俺、結構手ひどくやられてた」
キルシェの衣服は、赤く染まっている。緊張の糸がほどけ、感覚が戻ってきたようだ。
「キルシェ、しっかりして、死んでは駄目よ!」
「死んでたまるか。……でも、一人で帰るのは無理かもしれねえ。ラッシュ、アル、悪いが手伝ってくれ」
ラッシュとアルフィオンが、それぞれキルシェの両脇に立って彼の体を支えた。
「ディオネスに叱られちまう……」
「キルシェ、頑張って歩こう。エレアス姉ちゃん、ティーナを頼むよ」
ラッシュと、一旦翼をしまったアルフィオンがキルシェを抱えるようにして、先に歩き始める。
あとには、エレアスとティーナが残された。
ティーナはもう一度、空を見上げた。神鳥の姿は見えなかったが、エレアスの言う通り、近くにいるのを何となく感じた。
「ティーナ、わたしたちも行きましょう」
「はい、あの、翼ってどうやって消すんですか?」
島の民は自由に翼を出したりしまったりしていたが、いざ自分の番になるとやり方がさっぱり分からない。困った様子のティーナを見て、エレアスが小さく笑った。
「消えて、って念じれば消えるわ」
彼女の言った通りにすると、背中に生えていた翼はあっという間に無くなった。
「飛ぶ練習が必要ですね」
「こつさえつかめばすぐ飛べるようになるわ」
皆に混じって、自由に空を飛べる日はきっとそう遠くはない。
ティーナはエレアスと共に、先を行くキルシェたちの後を追った。
***
城の前でティーナたちを待っていたのは、襲撃者と戦い続けていた仲間たちだった。
「帰ってきたー!」
フローレが、ティーナを押し倒さんばかりの勢いで飛びついてきた。
先ほどのラッシュの抱擁もなかなかのものであったが、フローレのそれはもっと強く、ティーナは本気で骨が折れるのではないかと思った。
「フローレ……もうちょっと……力抜いて……」
「あっ、ごめん……」
フローレは腕に包帯を巻いていたが、大怪我はしておらず元気そうだった。
「皆さん無事で良かったです。帰ってこなかったらどうしようかと……」
「ワート、頑張ってくれてありがとうな。ルイゼル、今の状況は?」
キルシェの問いに、ルイゼルは力強く頷いた。
「戦士たちも皆、戻ってきています。王の帰りをずっと待っていました」
ルイゼルは城の扉に手をかけた。
「手当をしなければ。さあ、こちらに」
***
「王が戻られた!」
聞こえてきた声に、セシェルははっと顔をあげた。ずっと付き添っていた子供たちと、戦士の父親の再会を見届け、自分はまだ戻らない大切な者たちを待っていたところだった。
広間にいた者たちが、わっと声をあげた。セシェルの目線の先に、兄がいた。
「兄さま!」
セシェルは全速力でキルシェのもとに走り寄った。
生きている。傷を負い、アルフィオンとラッシュに支えられているものの、キルシェは戻ってきた。
「兄さま! みんな……!」
不安で不安で仕方がなかったが、何とかこらえていた涙が、セシェルの目からあふれ出した。
妹の姿を見て、キルシェは満身創痍ながらも笑った。
「セシェル、よく頑張ったな。偉いぞ」
「キルシェ!」
ディオネスも駆け寄ってきて、王の姿を見るやいなや顔を引きつらせた。
「何て様ですか、どうしてこんな……」
「勘弁してくれ、ディオネス。約束通り生きて戻ってきただろ」
苦い顔をするキルシェのもとに、医者クロモドもやって来た。
「……また随分と派手にやったものだな。キルシェ」
「じいさん、俺、治るか?」
クロモドはふん、と鼻を鳴らした。
「わしが今まで何度、お前の怪我を診てきたと思うんだ? ……来なさい」
別の戦士たちに支えられ、キルシェはよろよろと歩いていく。去り際に、彼はアルフィオンに目配せをした。
「あ……」
アルフィオンは、その場でぐすぐすと泣き続けるセシェルの方を見た。自分の代わりに慰めてやってくれ、とキルシェが目で訴えてきたのだ。
アルフィオンはセシェルの体を腕の中におさめ、いつかしてやった時のように、彼女の頭を撫でた。
「セシェル、もう大丈夫だ」
「……アル、お帰りなさい」
泣き続けながらも、セシェルはそう言ってくれた。
後で、神鳥から与えられた翼を見せたら彼女はどんな顔をするだろう。アルフィオンはしばらく、セシェルを抱きしめていた。
「うぇぇ、ティーナ、ティーナぁ……」
ティーナはピュリーに抱きつかれていた。ピュリーは人目もはばからず、大粒の涙をこぼしている。
アルテナがその様子を見て、ため息をついた。
「ピュリー、離れなさい。みっともないわ」
「ぐすっ、だってぇ、ティーナが元気で帰ってきたんですよぅ。アルテナさんだってずっとティーナのこと心配してたじゃないですかぁ」
「それは、まあ、そうだけれど……」
ティーナがアルテナの方を見ると、彼女は気恥ずかしそうに目を逸らした。が、すぐに視線をティーナに戻して、普段、ほとんど見せない微笑を見せてくれた。
「お帰りなさい、ティーナ」
「お帰りなさぁぁぁい!」
「ありがとうございます。……ただいま」
泣き止む気配のないピュリーの背中に手をまわし、ティーナは笑顔で言った。
「父さん、母さん!」
夫に付き添い続けていたカーシャは、聞きなれた声に顔を上げた。
こちらにやって来る二人の息子の姿を見つけ、彼らのもとへ駆け寄った。
「ラッシュ、アル……」
「母さん、俺たちちゃんと帰ってきたぜ」
「心配をかけてすまなかった。……母さん」
もう長い間、アルフィオンはカーシャのことを、母さんと呼んだことがなかった。
家族が皆、生きて戻ってきた。カーシャは、自分よりうんと背が高くなった息子たちをまとめて抱きしめた。
「あんたたち二人は……いくつになっても……心配ばっかりかけるんだから……!」
「母さん本当にごめん。でも、俺たち頑張ったんだ。な、アル?」
「ああ。そうだな」
「本当によかった。父さんにも元気な顔を見せてあげて」
カーシャはそう言って、息子たちを夫のところへ導いた。
戦いで傷を負ったオーデリクは、体を起こせる程度には落ち着いていた。その傍らに、ラッシュとアルフィオンが腰を下ろした。
「父さん、ただいま」
「よく無事で戻った。ラッシュもアルも、男を上げたな」
オーデリクの手が伸びて、息子たちの頭をわしわしと撫でる。彼らが小さな頃から、良いことをしたり、新しいことができるようになると、オーデリクはいつもそうしていた。
「お前たちは、俺と母さんの自慢の息子だ」
「だってさ、アル」
「……ありがとう、父さん」
くしゃくしゃになった髪を整えながら、アルフィオンとラッシュは笑い合った。




