33章 神鳥の魂
途中でラッシュと合流し、ティーナは神鳥が描かれた石の床がある、崖の上にたどり着いた。その景色は、前に訪れた時と変わっていない。
ティーナの体の模様は、まだ光り続けている。
「どうしたらいいか、分かるか?」
ラッシュの問いに、ティーナは首を横に振った。確かに、声はティーナをここへ呼んだ。次にするべきことは何だろうか?
(こちらへ)
ティーナの頭の中に、声が響いた。呼ばれたその先は、石造りの広場の中央だ。
時は来た。行かなければいけない。ティーナは迷いなく、広場の方へ足を踏み出した。
「ティーナ」
その時、ラッシュに腕をつかまれた。
「ラッシュ?」
ラッシュは心配そうな顔で、ティーナを見つめていた。
「ラッシュ、わたしは行かなくちゃ。神鳥さまが呼んでいるの」
「それは分かってる。でもティーナは、どうなるんだ?」
「え……?」
考えたことがなかった。今、ティーナという人間の姿をとった魂の欠片が、神鳥のもとに戻ろうとしている。それは、ティーナと神鳥がひとつになるということだ。
「分からない……。もしかしたら、『わたし』は消えてしまうのかも」
ラッシュは、ティーナの腕を放さなかった。いつまでもこうしているわけにはいかないことは、彼もきっと分かっているはずだ。
「ティーナは、それでいいのかよ……!」
消えてしまえば、二度と仲間たちに会うことはできない。神鳥は目覚め、島はあるべき姿に戻る。しかし、そこにティーナはいない。かつてラッシュに語った、友達と楽しく過ごしたいという願いは叶わない。
「ありがとう、ラッシュ」
ティーナは穏やかに言った。
「これは最初から決まっていたこと。わたしはここで過ごせて、本当に楽しかった。幸せだった」
自分は誰からも必要とされていない、孤独な人間なのだと思い込んでいた時期があった。しかしこの島で、どんな時でもお互いに助け合う優しい人々に囲まれた。とても充実していて、毎日が楽しく思えた。
大切な仲間たちが、これからもこの場所で平和に過ごすことができるなら、それでいい。たとえ自分がそこにいないとしても。
「ラッシュ、わたしの友達でいてくれてありがとう」
嵐に遭い流れ着いたこの島で、初めて会い、幾度となく助けてくれたラッシュ。
本当は他の仲間たちにも別れを言いたかったが、最後もラッシュに見送ってもらえるなら満足だ。
「ティーナ……」
ラッシュが泣きそうな顔をして、ティーナの腕から手を放した。
ティーナは彼の方を見て微笑み、踵を返して石の床の中央へ真っすぐ進んでいった。
中央まで来たとき、ティーナの心臓が大きく跳ねた。誰からも教えてもらっていないのに、何をすればいいか分かった。
(あるべき姿に)
「そう、あるべき姿に」
声に答え、ティーナは呟いた。曇った空を見上げ、両手を広げた。
「わたしは、あなたに還ります!」
高らかに告げる。石の床に彫られた神鳥の絵が光を放つ。
「ティーナ!」
背後で、自分を呼ぶ声がした。キルシェの声だ。
襲撃者たちを退け、ここまで来てくれたのだろう。しかし、振り返ることはしなかった。
眩しい輝きに視界が覆われ、ティーナの意識は途絶えた。
***
城の広間の扉が開き、戦士たちが続々と戻ってきた。傷つき、仲間に支えられながら歩いている者もいる。
しかし、勝利したのは島の民だ。
「敵兵は?」
戦士の一人にディオネスは尋ねた。
「戦っている最中に突然、全員が海に向かっていき、身を投げました。全滅です」
「キルシェは、王はどこに?」
「敵将を追っていく姿を見たのが最後です。我々のところには戻っておりません」
「まさか……」
ディオネスが息を飲む。
傍らでそれを聞いていたエレアスも、全身が一気に冷えるのを感じた。
キルシェはまだ戦っているのだろうか、それとも、敵将と相打ちになったのか。
ふと、自分の左手の甲に目を落としたエレアスは、出そうになった叫び声を必死で飲み込んだ。
守護者の証が、跡形もなく消えていた。
自分は守護者ではなくなった。それが意味することは――
「ディオネスさま、ここをお願いします」
「どちらに?」
「すぐに戻ります!」
困惑するディオネスを後目に、エレアスは人の波をかき分けて走り出した。
***
城を出て全速力で飛び、エレアスは自分の住まいのある場所へと急いだ。
そこにいたのは、キルシェ、アルフィオン、ラッシュ。
そして、純白の体と長い尾、太陽のような金の嘴と瞳を持つ、見上げるほどに巨大な鳥だった。この島を守るもの、ずっと眠り続けていた神鳥が、石造りの広場の上に立っていた。
「エレアス……!」
キルシェがエレアスを見つけ、その名前を呼んだ。エレアスは彼の隣に立ち、神鳥に向かって頭を垂れた。
「お目覚めになられたのね……!」
神鳥は何も言わず、エレアスたちを見つめている。
その時、エレアスは気づいた。いるはずの人物が、いない。
「ティーナは……」
「消えた……」
小さな声で、キルシェが言った。
ティーナは神鳥の魂の欠片として、あるべき場所に帰ったのだ。
しかし、それはティーナという一人の少女が、島のために犠牲になったことを意味する。
「なんでだよ……」
呆然と立ち尽くしていたラッシュが口を開いた。
「ティーナは、家族がいなくて、自分が誰かも分からないで、ずっと辛い思いをしながら生きていたんだ。ようやく、ここで幸せになれるはずだったのに、こんな形でいなくなって……そんなのあんまりだ!」
アルフィオンが諫めようとしたが、ラッシュは神鳥を睨んだまま続けた。
「魂の欠片とは関係なく、『ティーナ』は確かに生きていたんだ! ティーナの気持ちを考えたことがあるのか! まだ生きていたかったはずだ。 返せよ、ティーナの人生を返してくれ!」
肩を震わせ、ラッシュは力の限り声を張り上げていた。
「なあ頼むよ、まだ、話したいことも、見せたいものもたくさんあるんだ。ティーナが帰ってきてくれるなら、俺は一生飛べなくなってもいい。だから頼む……」
神鳥の瞳が、じっとラッシュを見つめる。しばらくした後、その目が天を仰ぎ、白い光が神鳥の体を包んだ。
***
――ここはどこだろう。
何もない真っ白な空間、しかし恐ろしいとは思わなかった。温かく柔らかい空気が周りを満たしている。
記憶をたどり、ティーナは先ほどまで起きていたことを思い出した。
帰ってきたのだ。魂の欠片が、神鳥のところに。
これですべてが元通りになる。島はこれからもずっと、美しい自然であふれ、人々の笑顔が絶えない場所であり続ける。
そうだ、これで良い。これがあるべき姿だ。
安心感からか、ティーナは眠くなっていくのを感じた。頭の中がぼんやりし始める。自分が誰なのか分からなくなっていく。しかし不安はなかった。
ついに意識を手放しかけた、その時だった。
(ティーナ……!)
声が聞こえた。誰かが何か言っている。聞き取れたのは、自分の名前だけだった。
――ラッシュの声だ。
明るくて優しくて勇気がある、大好きな友達。
前に、景色の綺麗なところに案内する、と言ってくれたが、結局行けずじまいになってしまった。
それを思い出したことをきっかけに、仲間たちの顔が、次々と浮かんでくる。
立派な王様になったキルシェの姿を見てみたかった。
エレアスともっと色んな話をしてみたかった。
セシェルにまたお菓子を作って欲しいとせがまれていたのに、もう食べさせてあげられない。
アルフィオンとは結局、仲良くなることができなかった。
ピュリーとアルテナと一緒に、もっと仕事がしたかった。
一度は遠のいていた意識が、またはっきりしてきた。
もう一度、皆に会いたい。
(いるべき場所はどこか)
声が響いた。これまで何度もティーナを呼び、導いた声だ。その声の主が問うている。
(わたしの、いるべき場所)
青く澄んだ空と海、咲き誇る花、市場に響く人々の笑い声、台所からただよう香草の匂い、そして、友達の笑顔。
このまま、溶けてしまいたくない。許されるなら、またあの世界に。
(わたしのいるべき場所は、あの島、友達がいるところ)
ティーナが念じると、強い光がはじけた。ごうごうと、風のような音が響き渡る。
(生きなさい)
かすかな声が聞こえ、ティーナの目の前は真っ暗になった。




