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2章 空を飛ぶ人

「おい、大丈夫か! しっかりしてくれ!」


 誰かの声が聞こえる。男の声だ。


「生きてるんだろ? 目を開けてくれ!」


 声の主に言われるまま、ティーナはゆっくりと目を開けた。

 自分の顔を覗きこんでいる、明るい茶色の瞳と視線がかち合った。


「良かった! 起きた!」


 ティーナを呼び続けていたのは、彼女と同じくらいの年齢の青年だった。

 ティーナが目を覚ましたのを見て、青年はほっとしたような顔をした。


「あれ……」


 ティーナはゆっくりと体を起こした。いつの間に眠っていたのだろう。

 目の前では真っ青な海が、朝日を受けてきらきらと輝いている。

 今、座っているのは白い砂浜の上だった。


「ここは……」


 ティーナは傍らに膝をついている青年の方を見た。目の覚めるような、鮮やかな赤黄色(オレンジいろ)の髪をしている。

 簡素なつくりのシャツ一枚に、くすんだ緑色のズボン、軽そうな革の靴といういで立ちだ。

 彼は何者なのか、ここはどこなのか、未だぼんやりしているティーナの頭では何ひとつ分からなかった。


「なぁ、俺の言ってること、分かるか?」


 青年が心配そうにたずねてきた。言葉が理解できるか、という意味だと思い、ティーナはこくこくと頷いた。


「よしよし。俺の名前はラッシュだ。自分の名前は覚えてるか?」

「わたしの名前は、ティーナ」


 名乗ったところで、おぼろげながら記憶が戻ってきた。

 確か、嵐に遭って海に落ちて、力尽きかけたところで波に飲み込まれて……

 どうやら、この砂浜に流れ着いたようだ。

 死んでいてもおかしくなかった。生きているのは奇跡に近い。


「わたし……生きてる……」

「怪我はなさそうだけど、どこか痛いところはあるか? 気持ち悪いとかは?」


 先ほどラッシュと名乗った青年が、なおも不安そうに問うてくる。

 ティーナは自分の体を見下ろした。服こそよれよれになっているものの、五体満足で、不快感もない。

 長く眠った後のように、少しぼーっとしているだけだ。


「うん……大丈夫です」

「そっか! 本当に良かった!」


 ラッシュが大きく息をつき、どさっと砂の上に腰を下ろした。しかしそれもつかの間、でも、と身を起こす。


「分からないだけで、本当はどこか悪くしてるかもな……診てもらった方がいい」

「えっ……」


 立ち上がったラッシュを見て、ティーナは自分の目を疑った。

 いつの間にか、ラッシュの背に、彼の髪と同じ色の、鳥のような翼が生えていた。

 翼の生えている人間なんて、おとぎ話でしか聞いたことがない。もしかして、これは夢?

 目の前の状況が呑み込めずぽかんとしたままのティーナを、ラッシュがそっと持ち上げ、横抱きにした。


「えっ!? あ、あのっ……!」


 抱き上げられたのなんて子供の時以来だ。しかも相手は翼のある人間。予想していないことの連続で、ティーナはまともに話すこともできず狼狽えるばかりだった。


「ごめんな。すぐに着くから、ちょっとだけじっとしててくれ」


 ラッシュはそう言うと、翼を何度か羽ばたかせ、ふわりと地面から浮き上がった。

 ティーナが下に目をやると、先ほどまで座っていた砂浜からは大人ふたり分の身長ほど浮き上がっていた。

 本当に飛んでいる。

 ラッシュはティーナをしっかり抱えたまま、滑るように空中を移動し始めた。


***


 実際に飛んでいた時間は短かったはずだが、ティーナにとっては長いものに感じられた。

 空を飛ぶなんて初めてで、下を見るのは怖かったが、少しだけ地上を見下ろすと、いくつも集まった建物が見えた。

 ここはどこかの島で、人間が何人か暮らしているのだろう。ラッシュはきっとその一人だ。

 しかし、なぜ翼で空を飛ぶことができるのだろう? 他の人間も同じなのだろうか? ティーナの疑問は尽きなかった。

 ラッシュは、一軒の建物の前にそっと降り立った。彼が地面にしっかり足をつけると、背中の翼は瞬く間に跡形もなく消えてしまった。

 木で組み立てられた素朴な家で、屋根は固そうな板が何枚も重なってできている。

 ラッシュはティーナを抱えたまま器用に扉を開けた。

 部屋の中には誰もいなかった。中央にテーブルが一つと椅子が三脚置かれており、あとは棚と何かの道具が壁際に並んでいる。部屋の奥の壁に、扉がもう一つあった。


「クロモドじいちゃーん!」


 ラッシュがその扉に向かって、大きな声で呼びかけた。

 しばらくして、足音が聞こえ、部屋の奥から一人の老人が現れた。髪も眉も口ひげも白くなっているが、背筋は伸びており老いをあまり感じさせない。

 その後ろに、青い髪の青年もついていた。ティーナよりも少し年上に見える。


「ラッシュか?」

「じいちゃん朝早くにごめん。この子のこと診て欲しいんだ」


 ラッシュがつかつかと老人の方へ近づいていく。老人はティーナの顔を見て、眉をひそめた。


「見かけない顔だな……?」

「浜辺に倒れてたのを偶然見つけたんだ。どこも痛くないって言ってるけど、クロモドじいちゃんに確かめてもらった方がいいと思って……」

「まさか、島の外から?」


 青い髪の青年が言った。声は抑えているが、驚いているのが見てとれる。

 クロモドと呼ばれた老人は一瞬考え込むような素振りを見せたが、ラッシュに向かって頷いた。


「診てみよう。奥に来なさい」


***


 ティーナとラッシュは、家の奥の小さな一室に通された。

 椅子が二脚、机が一つ、簡易な寝台が一台と、液体や何かの植物が詰まった瓶が並んだ棚が置いてある。


「ティーナ、クロモドじいちゃんは医者なんだ。何でも治してくれるんだぜ」


 ティーナを椅子に座らせ、ラッシュがにっと笑った。


「そんな大層なものじゃないぞ。名前はティーナというんだな?」 

 

 クロモドがティーナの向かいの椅子に座り、優しい声で問うてきた。


「はい」

「顔色は問題なさそうだな」


 クロモドはティーナの喉の奥を覗き、下まぶたの色を確認し、耳の下あたりや手首の内側に少し触れ、うんうんと頷いた。


「まったく心配いらんぞ。……ただ少し栄養と休息が足りとらんな。なに、すぐに取り戻せる」

「安心したぜ……。最初に見た時はもうだめかと思ってさ」


 ティーナの後ろに立っているラッシュが、ほっと安堵の溜息をついた。


「ティーナ、目が覚める前のことは覚えているかな?」


 クロモドの問いに、ティーナは頷いた。


「船に乗っていたのですが、嵐に遭って、わたし、海に落ちてしまって……、気が付いたらここにいました」

「災難だったな。しかし、それで助かっていて怪我もないとは……奇跡に近いぞ」


 ――そういえば、荒れ狂う海の上にいたとき、大きな鳥を見た。

 だが、ティーナはそのことは話さなかった。信じてはもらえないだろう。あれはきっと幻だった。


「家族はその船に乗っていたのか?」

「……いいえ。わたし、家族はいません」


 あの時乗っていた船はどうなったのだろう。ティーナは死んだものと思われているはずだ。

 この島がどこにあるのかも、どうすれば元いたところに帰れるのかも全く見当がつかない。

 クロモドは難しい顔をしている。


「そうか……。ふむ、どうしたものか」

「おじいさん、とにかく王様にこのことを伝えないと」


 部屋の端で、一部始終を聞いていた青い髪の青年が口を開いた。クロモドの家族だろうか。


「この子、自分の意志で来たわけではないみたいだけど、あり得ないことだし」


 あり得ないとはどういうことだろう? ここは外部から訪れる人が誰もいない、絶海の孤島なのか。

 青年の話だと、どうやらこの島は王が治めているようだ。

 王だというのなら、この島で一番偉い人物だろう。自分がここにいることをその王様に伝えなければならないなんて、これからどうなるのか……ティーナの心に不安が募り始めた。


「君が悪いって言いたいんじゃないよ。こっちにも色々事情があるってだけで」


 ティーナの気持ちを察してか、青年が慌てて付け加えた。


「ラッシュ、今、他にティーナのことを知っている者はいるか?」

「いない。ここに来るまで誰にも会わなかった」

「うむ。王にはわしから秘密裏に伝えて、判断を待とう。ティーナは……ここにいてもらってもよいのだが、誰にも会わせないというのが難しいな……。王に伝わるまで、大っぴらにはしない方がいいが……」

「じゃあ、とりあえず俺の家にいてもらうよ。母さんなら分かってくれる」


 ラッシュの提案に、クロモドはそうだな、と同意した。


「それが一番よかろう。ティーナ、後はわしが上手くやっておくから心配しないで、安静にしていなさい」

「はい、あの、ありがとうございます」


 分からないことは山ほどあるが、ラッシュもクロモドも、今までティーナの周りにいた人間たちよりはるかに親切だ。ティーナは丁寧に頭を下げた。


「ははは。そんなに(かしこ)まらなくてもいいぞ。ラッシュ、何かあったらすぐに呼んでくれとカーシャに伝えてくれ」

「分かった。じいちゃんありがとな!」


 ラッシュが行こう、とティーナを部屋の出口へ促した。


「俺の家に行こう。歩けそうか?」

「はい、歩けます」


 ティーナは立ち上がり、クロモドにもう一度礼をして、ラッシュの後に続いて部屋を出た。

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