24章 二人で語る夢
「おーい、ティーナ!」
洗濯籠を持って城の廊下を歩いていたところ、ティーナはラッシュに声をかけられた。
「あ、ラッシュ」
「あのさ、ティーナ、今夜は暇か?」
「うん。特に何もないよ」
「だったら今晩、俺の家に来てくれよ」
ラッシュの家には、初めてこの島に来た時に泊めてもらって以来、訪ねていない。
「母さんがたまには連れてきたらどうだ、って言うからさ。もし、ティーナが嫌じゃなかったらなんだけど……」
「嫌だなんてまさか! でも、いいの?」
ラッシュは嬉しそうに歯を見せて笑った。
「勿論だ。じゃ、夕方に城の前で待ち合わせな!」
「うん、分かった!」
ラッシュが手を振って、足取り軽く去っていく。
今夜が楽しみだ。ティーナは洗濯籠を抱えなおし、仕事場へ向かった。
***
黄昏が島を覆う頃、ティーナは仕事を終え、城の前でラッシュを待っていた。
頭上を、自分の家へと向かう何人もの人影が通り過ぎていく。空を飛ぶ人々の姿も、すっかり見慣れたものだ。
「ティーナ、お待たせ!」
ティーナの背後から、ラッシュが現れた。
「ラッシュ、お疲れ様」
「じゃ、行くか」
ラッシュと共に帰路につく。途中、同じように家に帰る子供たちとすれ違った。この島の子供たちは、いつも笑っていて本当に幸せそうだ。
市場を通ると、店主たちが店じまいの準備をしているところだった。見知った顔が、ティーナとラッシュに声をかけてくる。
「お、ラッシュ、女の子を連れて今からどこ行くんだ?」
「俺の家! 今日は皆で飯なんだ」
「ほう、親も公認の仲かい!」
「ああ、俺たち親友だからな!」
大人たちから、にこにこと笑顔を向けられた。確かに、今回ティーナを連れてくるよう言ったのはカーシャのようだし、受け入れてもらえているのはありがたい話だ。
そのまま歩き続け、ラッシュの家に着いた。ティーナにとっては、どこか懐かしく感じられる。扉を開けて中に入ると、ふわりと美味しそうな匂いが漂ってきた。
「ただいまー!」
ラッシュが言うと、奥からカーシャがひょこっと顔を出した。
「お帰り。ティーナ、いらっしゃい」
「お邪魔します」
「気なんて遣わないで、自分の家だと思ってゆっくりしていってね」
カーシャが微笑み、また台所に引っ込んだ。
「俺、荷物を置いてくるから、ティーナは先に座っててくれよ」
ラッシュが二階へ上がっていく。ティーナは台所を覗いた。何かが焼ける音と、さわやかな香りがする。
「あれ、ティーナ、待っててくれたらいいよ?」
「いえ、迷惑でなければお手伝いさせてください。この香りは、ラムニルとエンツですか?」
両方とも、城の台所に常備してある香草だ。魚を使う料理によく入れられる。
「そうだよ。へぇ、ティーナもすっかりこの島の女だね。じゃあお願いしようかな」
ティーナはカーシャの隣に立った。この島で働き出してから、ティーナは料理をするのが大好きになっていた。自分の作ったものを、誰かが美味しいと言って食べてくれることがとても嬉しいのだ。
「わたし、お魚の香草焼きがとても好きなんです」
「良かった。じゃあたくさん食べてってね」
野菜の煮込み、魚の香草焼き、蒸した芋と、次々出来上がっていく。手際がさらに良くなったと、カーシャに褒められた。
「ティーナと結婚できた男は絶対に幸せになれるね」
「結婚、ですか……」
ティーナにとって、結婚なんて遠い夢のようなものだ。自分が誰かに見初められるところなど想像もできない。
「大抵の男は、胃袋つかめば一発だよ。うちだってそうだったからね」
「おう、帰ったぞ!」
よく通る声が台所まで響いてきた。オーデリクが帰ってきたのだ。
「よし、こっちも出来上がったし、運ぼうか」
「はい!」
料理を持って台所から出てきたティーナを見て、オーデリクがにっと笑った。
「ようティーナ、また来てくれたんだな」
「お邪魔してます」
「初めて会ったときより別嬪になったなぁ。いい男でもできたのか?」
「若い子にそんなことばっかり言ってると、そのうち相手にされなくなるよ。ただでさえあんたは煙たがられる立場なんだから」
ティーナの後ろからカーシャも現れて、料理の乗った皿をどんとテーブルに置いた。
オーデリクは島の王の護衛の他に、戦士たちを束ねる立場にある人物だ。ティーナも訓練中の彼と部下の戦士たちを見かけたことがあるが、その剣さばきと迫力は遠目からでも圧倒されるものであった。だが、家に帰ると、カーシャの小言に肩を丸めていたりする。
「家庭は女が強い方がうまく回るんだ。覚えておけ」
オーデリクが小声でティーナにささやいた。
ラッシュの家族と囲む食卓は、とても楽しい。皆、ティーナの体の模様のことや、神鳥のことについては触れてこなかった。
今だけは、責任も立場も忘れて、普通に過ごしてもらいたい、というのが伝わってくる。まるでティーナが本当の娘であるかのように接してくれる。
この島に来る前は、寂しくて仕方がなくて、こっそり泣いてしまう時もあった。しかし今は、もう寂しいと思わない。
片付けまで終えた時には、すっかり夜になっていた。
「そろそろ帰らないと。カーシャさん、オーデリクさん、ありがとうございました」
「あたしも楽しかったよ。ラッシュ、ティーナを送っていってあげて」
そうだな、とラッシュが頷いた。
「行こうぜ、ティーナ」
「大丈夫です、道はもう覚えましたから」
「やめとけ。若い嬢ちゃんがこんな時間に一人で歩いてると、悪い獣に喰われちまうぞ」
オーデリクがわざと怖い顔をして、唸ってみせた。
「まあそれは言い過ぎだけど、やっぱり何かあるといけないからね」
ラッシュが、外を歩くための小さな手持ちのランプを取ってきた。断ると気を悪くさせてしまうだろう。ティーナは甘えることにした。
「気をつけてね。またおいでよ」
「毎日来てくれたっていいんだぜ」
笑顔の夫婦に見送られ、ティーナはもう一度礼を述べて、ラッシュと共に家を出た。
「……ねぇ、オーデリク」
ティーナたちが出て行ったのを確かめ、カーシャは口を開いた。
「うん?」
「あの子たち、うまくいってくれると思う?」
「……どうだか。仲はかなり良いが、ラッシュはまだまだそっちの方にはケツの青いガキだからな」
片手で首の後ろを摩りながら、オーデリクは答えた。
「あんなに気立てのいい子なら大歓迎なんだけどなぁ」
まだまだ時間がかかるのかな、とカーシャは呟き、ため息を一つついた。
***
夜になると、島は一気に暗くなる。家々から、わずかな明かりが漏れるくらいだ。その分、星がとても綺麗に見える。
ラッシュが、城の裏手まで連れてきてくれた。
「ありがとう、ラッシュ」
「……ティーナ、まだ時間あるか?」
「え? どうしたの?」
「とっておきの場所があるんだ。もし良かったら行こう」
まだ遅すぎる時間ではないし、ラッシュなら、危ない場所に連れていくということもないだろう。
「うん。行ってみたい」
ティーナは頷いた。
***
小さなランプの明かりを頼りに、ティーナはラッシュと共に森の中を歩いていた。
ラッシュは迷うことなく、木々の中を進んでいく。ティーナが転ばないように、時々足元を照らしてくれた。
夜なのでどこを歩いているのかティーナには分からなかったが、少なくとも一人で来たことがある道ではない。
「こっちだ」
ラッシュが言い、木々をかき分けて深くへ入っていく。ティーナも急いでその後に続いた。
寄り集まった木の隙間を抜けて、そこに広がっていた光景を見てティーナは息を飲んだ。
「わぁ……」
一面に、何百もの小さな白い光が咲いていた。頭上に見える夜空と相まって、まるで星空の中にいるようだ。
「これ、全部花なんだぜ。すごく小さいんだけど、夜になるとこうやって光る。一番たくさん咲いてるのがここなんだ」
「綺麗。こんな場所があったんだね」
「小さい頃から、キルシェと色んな場所を探検してたから、こういう秘密の場所をたくさん知ってるんだ。絶対に見つからない隠れ場所とかな」
ラッシュが得意げに言い、ランプを自分の上着でくるみ、明かりを極力抑えてくれた。そうすると、花と星の輝きが一層際立つ。
二人でその場に腰を下ろし、しばらく幻想的な光景を楽しんだ。
「気に入ってくれたか?」
「うん。来てよかったよ。ありがとう」
ラッシュの嬉しそうな笑い声が聞こえた。
まだまだ、この島にはティーナの知らないことがたくさんあるのだ。
「……なぁ、ティーナがいたところにも、こんなに綺麗な場所はあったのか?」
どうだっただろう。ティーナがかつて過ごした孤児院の周りには緑があふれていたが、やがて下働きとして引き取られてからは、炊事場や洗い場、冷たい物置の床のことしか記憶がない。ゆっくり空を見上げて、星を綺麗だと思う心の余裕はなかった。
「……あんまり覚えてないの。わたし、元いたところに居場所がなかったから」
ティーナは自分の過去を、きちんとこの島の誰かに語ったことがない。家族がいないこと、体の模様のせいで悪く言われていたことを知っている人物が少しいるだけだ。ラッシュには、すべて話してもいいように思えた。
「わたし、生まれたばかりの時に捨てられていて、家族がいない子供を引き取る場所で育てられたの。それから大きくなって、あるおうちの召使になったんだけど、そこの皆とは仲良くできなかった」
暗くて隣にいるラッシュの顔はよく見えないが、心配そうにこちらをうかがっているのが分かる。
「ずっと、この模様も隠してた。だけどある時、出てきてしまって……怪物の子だって、言われるようになった。船に乗って海に出た時、嵐がきて、その時わたしは、また捨てられたの。嵐が起きたのはお前のせいだって、わたしは海に落とされた」
今思えば、それは適当な言いがかりで、単純にティーナが邪魔だったのかもしれない。何にせよ、ティーナの居場所はあの世界には用意されていなかった。
「ごめんね、暗い話になっちゃった。でも、それからこの島に来てラッシュに助けてもらって、友達もできたし、今はすごく楽しいよ。今日だって、わたしにも家族がいたら、きっとこんな感じだったのかな、って思えたし」
「……そっか」
ラッシュは短く答え、その後大きく息を吐きだした。
「……俺たちはみんな、ここで生まれてここで死ぬ。俺はずっと、少しでいいから外の世界を見てみたいって思ってた。だけど、そんなひどい奴しかいないんだったら、見ても意味はないな」
「きっと、優しい人もいたはずだよ。わたしがいたところが悪かっただけで」
「いや、やっぱりここよりいいところはないさ。よし、島の外へ行くっていうのは諦める」
ラッシュはきっぱりと言った。
「俺、誰よりも強い戦士になる。ここが、皆にとって一番幸せな場所であるように、どんな危険からも守ってやるんだ。ティーナにも、二度と悲しい思いをさせないようにする」
「ありがとう、ラッシュ」
この島に来てから、今に至るまで、ティーナは何度もラッシュに助けられている。彼は本当に良い友達だ。
「……まぁ、今の俺はまだまだ父さんの足元にも及ばないんだけどな。でも、いつか父さんみたいに強くなって、王様になったキルシェのことも守るんだ」
「ラッシュなら、絶対になれるよ」
他の戦士たちと一緒に鍛錬を積むラッシュをティーナは何度か見かけたことがあるが、その顔はいつも、誰よりも真剣だった。
「ありがとな。……ティーナには、何か夢はあるのか?」
「わたし?」
自分の夢、今までまったく意識したことがない。夢を描く余裕もなかったし、叶うはずもないと諦めていたのだ。
――どんな自分になりたいだろう。
「わたしは……素敵な友達と、これからもずっと楽しく過ごせればいいな。って、あんまり夢っぽくないかな」
「いいと思うぞ」
「ありがとう。そのためにも、早く見つけないとね。神鳥さまを目覚めさせる方法」
「そうだな……」
島をあるべき姿に戻すために、すべての人が幸せであるように。
視界一面に広がる花と星が、二人を応援するかのようにきらめいていた。




