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23章 母の追憶

 ティーナは市場に買い出しに出ていた。店の場所はもうすっかり頭に入っており、慣れたものだ。

 店先に立つ人々に、神鳥(かみどり)の目覚めはいつなのかと尋ねられることがあったが、はぐらかすような返事しかできないのが心苦しい。


「ティーナ!」


 名前を呼ばれ、後ろから肩を軽く叩かれた。ティーナが振り返ると、そこにはラッシュの母、カーシャが立っていた。

 彼女も買い物中のようで、膨らんだ袋を提げている。


「カーシャさん!」

「久しぶりだね。元気にしてる?」

「はい! その節はありがとうございました」


 この島に流れ着き、何も分からず怯えていたティーナを優しく迎え入れてくれたのはカーシャだ。彼女には、いくら感謝してもし足りない。


「あはは、変わってないね。まだ何か買うものはある?」

「いえ、これからお城に戻るところです」

「そう。あたしも今終わったところだから、途中まで一緒に帰ろうか」

「はい!」


 ティーナはカーシャと連れ立って歩きだした。カーシャが持っているのは、今日の夕食の材料だろうか。

 数年ぶりに口にした温かい食事の味を、ティーナは今もはっきり思い出せる。


「カーシャさんも、お元気そうで良かったです」

「男二人の面倒見ようと思ったら、元気じゃなきゃやってられないからね」


 ラッシュとオーデリクのにぎやかな様子を思い出して、ティーナはくすっと笑った。


「ティーナも、まさかセシェルのお付きになるなんてね。それに……」


 カーシャは、ティーナの首元に見える模様を見て目を細めた。


「ティーナ、ごはんはちゃんと食べれてる? 夜はちゃんと眠れてる? 王様がひどいことをするわけないと思うけど、辛い思いはしてない?」

「はい、大丈夫です。この島に来てからの方が元気になったくらいです」

「いつでもうちに来てくれたら、話は聞くからね。あたしに言いづらいなら、旦那でもラッシュでも、好きなだけ頼るんだよ。二人とも子供みたいだけど、それなりの度量はあるからさ」


 カーシャは、母親のようにティーナの身を案じてくれている。母親を知らないティーナにとっては、涙が出そうなほど嬉しかった。

 世界のどこかにいる、もしくはいたはずのティーナの本当の母親も、同じように思ってくれているだろうか。


「ああ、ごめんね、あたしったら口うるさくて。うちの子と同じくらいの年だから、どうしても気になっちゃってさ……」

「いえ、本当に嬉しいです。ありがとうございます」


 話しているうちに、城へ続く道と、居住区への道が分かれるところまで来た。カーシャとはここでお別れだ。


「カーシャさんとお話しできてよかったです」

「あたしも、ティーナが元気そうなところが見られて良かった。いつもラッシュと仲良くしてくれてありがとうね」


 そう言うと、カーシャはティーナの耳元に顔を寄せた。


「ラッシュがこんなに女の子と仲良くするのは、ティーナが初めてなんだよ」

「えっ?」


 きょとんとするティーナの顔を見てカーシャは笑い、ティーナの肩をぽんぽんと叩いた。


「それじゃ、体にだけは気を付けて!」

「は、はい」


 手を振り去っていくカーシャの背を見ながら、ティーナは先ほどの彼女の言葉の意味を考えた。

 確かに、ラッシュはティーナにとって仲のいい友達だ。向こうもそう思ってくれているならありがたい。

 そういえば、ラッシュが他に仲良くしているのは男の子ばかりのような気がする。女の子と仲良くなる機会が、今まであまりなかったのだろうか。

 彼にとって一番親しい女の子の友達だというのなら、それはとても嬉しい。


「……そうだ、行かなきゃ」


 こんなところでぼんやり突っ立っている暇はない。ティーナは城へ続く道を歩いていった。


***


 カーシャが住む家には、空き部屋が一つある。

 部屋の主は、二年前に突然出ていき、今も戻ってきていない。

 それでも、他の部屋と同じように掃除を続けている。

 十八年前、カーシャは双子を生んだ。そのうち一人の命の灯は、産声をあげることがないまま消えてしまった。

 その時はひどく沈んだが、夫であるオーデリクの励ましと、元気に声を響かせるもう一人の息子の存在に救われた。

 体の調子も落ち着いてきたある嵐の夜、島の王からの呼び出しがあり、夫は雨の中に飛び出していった。

 夜中を過ぎて、戻ってきた夫から聞かされたのは、島の外から、素性の分からない親子が流れ着いたという話だった。ただし、母親の方は海に落ちてしまったようで、見つからなかったという。


「子供の方は?」


 カーシャは思わず尋ねていた。


「生きている。ラッシュと変わらないぐらいの赤ん坊だ」

「その子は……どうなるの?」


 外の人間が、この島にたどり着くなどあり得ないはずのことだ。それを覆した人間は、どのような扱いを受けるのだろう。


「……分からん。ロークが決めることだ」


 揺りかごに寝かせていたラッシュが泣き声をあげた。カーシャが優しく抱き上げてやると、小さな息子は間もなく眠りに落ちていった。

 生まれたばかりの母親が、赤子と二人――絶対に何か理由があるはずだ。

 その母親は、自分の命の終わりを悟った時、何を思っただろう。

 我が子を二度と抱くことができず、成長していく様も見届けることができないと知った時、どれほど絶望しただろう。

 母親になったばかりで、感情が揺れやすいことは分かっていた。しかし、どうしても、他人事とは思えなかった。思いたくなかった。


「オーデリク」

「……ああ、放っておけないよな」


 彼も、カーシャと同じ気持ちでいたのだろう。


「カーシャ、とりあえず休め。明日、やれるだけのことをやろう」


 夫に言われ、カーシャは頷いた。ラッシュを揺りかごに寝かせ、自分も眠りについた。


***


 翌朝、オーデリクはもう一度、数人の仲間と共に島の周りを確認したが、赤ん坊の母親は見つからなかった。そのことを伝えると、ローク王はご苦労だった、と労ってくれたが、その表情は硬いままだった。

 彼の息子、キルシェが連れ帰ってきた赤ん坊は、これから守護者と魔術師によって調べられるという。

 王とは昔馴染みだが、まだ若い一介の戦士であるオーデリクはそこには入れない。

 一旦その場を離れ、数刻が経ってから、彼は妻カーシャを連れ、王のもとを訪れた。夫婦で現れたことにローク王は驚いていたが、追い返されはしなかった。


「赤ん坊は、どうだった?」

「……特におかしなところはなかった。普通の赤ん坊だ」

「殺す必要は、ないんだな?」


 まさか、という顔で、ロークが二人の方を見た。


「あたしたちが、その子を育てます」


 きっぱりと言ったカーシャの腕には、実の子が抱かれている。

 双子のうち一人は助からなかったという話はロークも知っていることだ。


「本気か?」

「もともと、二人育てる気でいましたから」

「しかし……」


 ロークはすぐには頷かなかった。


「この島で生まれた、身寄りのない子を引き取るのとは訳が違う。あの子供は、一生飛ぶことはできないのだぞ。成長すれば嫌でも、自分は異端の存在だと知ることになる。……受け止めきれるか」

「愛します。ラッシュと同じくらいに。そうすればきっと分かってくれます」


 カーシャの目はどこまでも真っすぐだった。オーデリクの決心も揺らいでいない。二人で話し合って決めたことだ。

 素性の知れぬ子供を引き取ったと、島の人々からも奇異の目で見られることだろう。家族で力を合わせ、乗り越えるつもりでいた。

 少しの沈黙の後、ロークは口を開いた。

 

「……赤ん坊を連れてこよう。帰りに、キルシェのところに寄ってくれないか。安心させてやって欲しい」


 オーデリクとカーシャに託された孤児は、黒い髪の男の子だった。

 キルシェによって、アルフィオンと名付けられ、家族は四人になった。


***


 カーシャもオーデリクも、二人を本当の兄弟のように育てた。

 悪戯をすれば叱り、手伝いをしてくれた時には褒めた。ラッシュだけを贔屓(ひいき)することは、絶対にしなかった。

 周りからは心配されたり、後ろ指をさされることもあったが、カーシャは何も気にしなかった。特別なことは何もない。自分は二人の子供を持つ母親だと思っていた。

 ラッシュは走り回るのが好きで元気いっぱいに、アルフィオンは考え事をよくする思慮深い少年に育ったが、二人の仲はとても良かった。

 ラッシュが十歳になった時、彼は翼を得た。無論、アルフィオンが翼を持つことはない。

 本当は、自分たちとは血の繋がっていない子供だという事実をカーシャとオーデリクが語った時も、アルフィオンは泣いたり、怒ったりすることはなかった。ただ黙って現実を受け入れていた。

 よその子供から、心無い言葉がアルフィオンに向くこともあったようだ。その時でもアルフィオンは、決して仕返しなどはせず、じっと黙って耐えていた。代わりにラッシュが食ってかかり、喧嘩傷を作って帰ってくることが度々あった。

 それから更に時が過ぎ、十六歳になった時、アルフィオンは家を出る、とカーシャたちに告げた。アルを邪魔に思ったことなどない、せめて十八歳で成人するときまで待ってはどうだ、とカーシャは言ったが、アルフィオンはそれを聞き入れることはなかった。


「あたし、何かを間違えたのかな……」


 彼が出て行った日の夜、カーシャは親になってから、まったく吐かなかった弱音を零した。


「二人とも、あたしの子供なのに……どっちか選べなんて言われてもできないくらい、大事なのに……」

「俺だって同じさ。お前は間違ってなんかいない。アルにも色々、思うところがあるだけだ。それを表に出すのが下手なだけなんだ」


 夫は優しく、カーシャを慰めてくれた。


「男もな、お前が思うほど単純じゃねえのさ。特にあれぐらいの年頃はな。心配いらねえよ。もし戻ってくることがあったら、その時に迎えてやればいい」


 それから二年が経つ。部屋の主だった彼女のもう一人の息子は、まだ戻ってきていない。この家に寄り付くことすらなくなった。

 最後に、母さんと呼ばれたのはいつだったか。遠い昔のように感じる。

 夫やラッシュから、元気そうにしているという話を聞いていることだけが救いだった。

 自分にできることは、いつアルフィオンが戻ってきてもいいように、部屋を綺麗に整えておくことだけだ。

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