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20章 射手の誇り

 ある日の午後、ティーナは空き時間に、城の裏手に広がる森を散歩していた。

 木漏れ日がまぶしく、優しいそよ風が吹いている。どこからか、鳥のさえずりも聞こえる。

 島を囲む青い海も絶景だが、ティーナは今歩いている森のような、緑にあふれた場所も好きだった。この島は、美しい自然で溢れている。大きく息を吸い込むと、さわやかな木々のにおいがする。

 少し進んだところで、ティーナは行ったことのない脇道を選んでみた。あまり奥へ行きすぎなければ、迷ったり危ない目に遭うことはないとキルシェに教えてもらっていた。

 歩いていった先に、先客がいた。物静かな弓使いの青年、ワートだ。弓に矢をつがえ、引き絞っている。その先には、木の板で作られた的が置いてあった。三重の円が描かれている。

 ワートが矢を放った。矢は真っすぐ飛び、円の中心に突き刺さった。


「わぁ」


 ティーナが思わずあげた感嘆の声に気づき、ワートが振り向いた。驚いていたようだが、ティーナだと分かった瞬間、その表情は緩んだ。


「ティーナさん、こんにちは」

「こんにちはワートさん。驚かせてごめんなさい」

「いえいえ。集中すると、周りが見えなくなってしまうんです」


 ワートはティーナの腕の模様に目をとめ、心配そうに問うてきた。


「ティーナさん、色々と大変だと聞いていますが……」

「大丈夫です。何も酷いことはされていませんから」


 ティーナが言うと、安心したようにワートは微笑んだ。


「良かったです。僕にも何かお手伝いできることがあればいいのですが……僕には矢を射ることしかできなくて」


 ワートは口数も多いほうではなく、先ほどまでのように一人でいたり、誰かの陰に控えていることがほとんどだ。一見、戦士向きではなさそうに見えるが、あれほどに正確に矢を的に当てられるのは、相当な鍛錬に耐えてきたということだろう。

 ティーナは彼とそれほど会話をしたことはないが、彼からにじみ出る穏やかな気性は感じられていた。


「的の真ん中にあんなに綺麗に当てるなんて、ワートさんはすごいですね」


 ティーナはワートが持つ弓に目をやった。実際に、人が矢を射る姿を初めて見たが、まず的に当てるのが難しいことはティーナにも分かる。


「ありがとうございます。そんな風に言ってもらえるのは、嬉しいです」

「小さい頃から、ずっと練習していたんですか?」

「いえ、始めたのは五年前です。この島では、弓矢は武器ではなく、狩人が獲物をとる道具だという考えが一般的なので、狩人の家に生まれなければ縁がないものなんですよ」


 そういえば、ティーナが城の周りですれ違う戦士たちは皆、剣や槍など、手に持って振る武器を携えている者ばかりだった。魔術師のルイゼルは例外として、遠距離から戦う方法をとるのはワートくらいだろう。


「何か決まりがあるとかですか?」

「いえ。決まりは特にはありません。武器を手に相手に立ち向かっていく、勇敢な人が好まれるんですよ」


 戦いとは縁のない生活を送るティーナには、いまいちぴんとこない話だった。


「……僕の家は代々、多くの戦士を出してきました。今はラッシュのお父さんが務めていますが、戦士長をしていた人もいました」


 ですが、とワートは続けた。


「僕にはまったく才能がなくて……剣や槍を持つと、どうしても腰が引けてしまったんです。どれだけ訓練してもうまく立ち回れなくて、あっという間に弟に先を越されて……段々、家の中に居場所がなくなっていきましたね」


 ティーナには家族の記憶がないが、本来、帰るべき場所であるはずの家に居場所がないということの辛さは想像できた。


「そんな時、たまたま、森で狩人と出会って、弓を持たせてもらった時に、すごく不思議な気分になりました。うまく言えないんですが、自分はこれを持つために生まれてきたんじゃないかって思えて……それからは、のめりこんでいきましたね。弓は譲ってもらって、矢や的は全部手作りで、一日中練習していました」

「あの的も手作りなんですか?」


 矢が突き刺さった的を指してティーナが問うと、ワートはええ、と頷いた。


「家族からはあまり理解されなかったのですが、それでもいいと思えました。何なら家を出て、一人で狩人として生きていってもいいだろうって。その時、偶然キルシェと会ったんです。キルシェは僕の腕を見込んで、戦士にならないともったいないって背中を押してくれて……今の僕があるのは、弓をくれた狩人と、キルシェのおかげです」


 そこまで話したところで、ワートははっと我に返ったような顔をした。


「す、すみません、僕の話なんか別にどうでもよかったですよね、つまらない話を長々と……」

「ううん、ワートさんのことを知れて嬉しいです。……家族の方とは、今も仲は良くないんですか?」

「いえ、今はそれなりに打ち解けていますよ。僕にどう接していいのか分からなかっただけで、僕が憎かったわけではなかったみたいです。剣の稽古をしている時より、今の方がよっぽど生き生きしていて安心だそうです」


 ワートはそう言って、弓を大事そうに撫でた。心から好きだと思えるものに出会えた彼は幸せそうだ。


「あ、そうだ、ティーナさん、一つ……聞いてもいいですか?」

「はい? 何でしょう」

「あの、えーと、その……」


 聞きたいことがあると言ったのはワートだが、彼は口ごもり、目を伏せてしまった。顔が少し赤くなっている。


「や、やっぱりいいです。すみません変なことを言って……。忘れてください」

「そうですか? 何かあったらいつでも言ってください」


 ワートは小さく、はいと答えるだけだった。


***


 自分には戦士になれる才能がない。

 ワートがそれに気づくのに、あまり時間はかからなかった。

 父も祖父も、剣をとり戦う勇敢な戦士だった。三つ下の弟も、その血が流れていることが分かる才能の片鱗を見せていた。

 しかし自分はまったく駄目だった。剣も槍も、持つと手が震えてしまう。相手の攻撃から己を守るのが精いっぱいで、攻める動きがまるでできなかった。

 ワートが持っていたはずの戦士への憧れ、目標はいつしか遠いものとなっていき、剣をとることをやめてしまった。何とか稽古を続けさせようとしていた父も、いつしか諦めて、弟の育成に力を注ぐようになっていた。自分が何の役にもたたない、透明なものになってしまったように思えた。

 運命の出会いをしたのは、ワートが十五歳の時だった。たまたま通りがかった森の中で、弓矢を用いて獣をとる、狩人の姿を見た。

 狩人が弓を引き絞る姿、放たれた矢が真っすぐに獲物を貫く様に、ワートはとても強く興味を引かれた。

 消極的で、自分から人に話しかけることがほとんどなかったワートだったが、勇気を振り絞り、弓を持たせてくれないかと狩人に頼み込んだ。

 初老の狩人は快く頷き、弓をワートに貸してくれた。

 その時の感覚を、五年経った今でもワートは覚えている。脳天を貫かれるような感覚。ずっと探し続けていたものが、ようやく見つかったときのような気分だった。

 狩人はワートに基本の型を教えてくれ、さらに気前よく弓矢も譲ってくれた。ワートはしばらく彼のもとに通い、弓矢の扱いを学んだ。手先の器用さには恵まれていたため、矢や練習用の的は自分で作った。

 熱心に弓術を学ぶワートを、家族は特に咎めることはなかったが、励ましも特になかった。

 それでもよかった。認められないのなら、家を出て、狩人として生きるつもりでいた。


***


 城があり、人々が暮らす島の周りには、他にも小さな島がいくつか浮いている。すぐに飛んでいけるほどの距離だ。

 射手としての実力も板についてきたある日、ワートは離れ島のうちの一つで修練をしていた。

 時折、狩人はここまで獣を狩りに来たり、木の実や資源を取りに来ることがある。ただし、魔物に出会ってしまうことがあるため、離れ島を訪れる際は戦士を伴うことが原則となっている。魔物は獣と違い、凶暴で人に出会うと間違いなく襲ってくる。

 ワートも本来であれば一人で来るのは好ましくないのだが、誰かに出会う確率の低い場所で集中したかった。島に降り立った時に何かの気配はしなかったため、ワートはそのまま練習をすることにした。

 持参した木の板で作った的に、矢を打ち込む。最初は地面に立った状態で射る練習をしていたが、最近は空中で羽ばたきながら射ることにも挑戦していた。地面と空中ではまるで勝手が違う。弓矢が武器として普及しないのは空中での扱いづらさもあるのかもしれないとワートは感じていた。

 連続で的に矢を当て、ワートはひと息ついた。集中するときと、それを緩めるときの波が心地いい。

 ふと振り返り、海の方を見た。少し離れたところに、もう一つ、そう大きくない島がある。


「ん……?」


 ワートは目をこらした。白い煙が、細い筋となって空へ昇っているのが見える。


「あれは……!」


 戦士や狩人、漁師といった役割を持つ者は、色々な材料を混ぜて作った、煙を発する玉を携帯する。危険な目にあって助けが欲しいときに、玉につけられたひもを引くと煙が起こる仕組みになっている。煙を見つけたときに駆け付けるのも戦士の役目だ。

 誰かが危険に晒されている。ワートは翼を広げ、目の前の島へ急いだ。


***


 立ち昇る煙のもとへたどり着いたワートは息をのんだ。

 一頭の魔物が人を襲っていた。丸々とした巨体は岩のようだ。熊を思わせる太い脚が生えている。襲われているのは男で、剣を持っているが、魔物に服の襟に食らいつかれて地面を引きずり回されていた。


(どうしよう……!)


 宙を羽ばたいているワートに、魔物はまだ気づいていない。だが、魔物と戦った経験などワートにはなかった。

 下手に刺激すれば自分も危ない。しかし、いつ助けが到着するかも分からない。待っていれば襲われている男の命が危ない。

 せめて、魔物を彼から引き離すことができたら――

 ワートは意を決し、矢筒から矢を抜いて弓につがえた。悠長にはしていられないが、外せば危険が増す。

 集中し、狙いを定める。周りの音が聞こえなくなり、景色がぼやけて、魔物の姿だけがくっきりと浮かび上がる。


(今だ!)


 ワートの放った矢が、魔物の片目に突き刺さった。魔物が、くわえていた男の服から牙を放し、耳をつんざく叫び声をあげた。

 続けざまに、ワートは矢を魔物の体へ打ち込んだ。暴れる魔物の体に、鋭い矢じりが突き刺さる。

 魔物の牙から逃れた男が立ち上がり、剣を握って魔物のほうへ向かっていく。目に刺さった矢を抜こうともがく魔物に馬乗りになり、剣の刃をのど元に沿わせて勢いよく引いた。

 魔物は断末魔の悲鳴をあげ、地面にどさりと倒れてこと切れた。


「大丈夫ですか!」


 ワートは男の隣に降り立った。まだ若い男は荒く肩で息をしており、服はところどころ破れて砂と血にまみれているが、しっかり己の足で立っていた。


「ああ。何てことない」


 男とワートの目があった。ワートは彼のことを知っていた。島の王の息子、キルシェだ。飛び回る姿を何度か見かけたことがある。


「ありがとう。まさか、狩人に助けられるなんてな」

「ええと……僕は……」


 狩人と名乗ってもいいものだろうか。しかし、少なくとも戦士ではない。


「狩人でも、戦士でもありません」


 ワートが言うと、キルシェは一瞬きょとんとした表情を見せた。


「じゃあ、名前は?」

「ワートです」

「俺はキルシェ。ワート、お前、戦士にならないか?」

「えっ……?」


 目を丸くするワートに、キルシェは続けて言った。


「狩人でもないのになんで弓矢が使えるのかは知らねえが、お前の腕前は大したものだ。使わないともったいないぞ。むしろ何で今までお前みたいなやつがいなかったんだろうな?」

「さ、さあ……」


 そう言われても、というのがワートにとっては正直なところだ。

 確かに、先ほどはよく、魔物の目に矢を当てることができたものだとは思った。魔物に立ち向かうなど、以前の自分には絶対できなかったはずだ。

 弓は自分に勇気と自信をくれた。そして、自分を評価してくれる人に出会えた。

 封じ込めていたはずの戦士への憧れが、再び蘇る。いつか、家族にも、この弓こそが自分の誇りだと、胸を張って伝えられるようになりたい。


「僕には本当に弓しかありません。それでも、役に立てるでしょうか……?」

「ああ。ワートが困った時は俺が助ける。だから、俺が困った時は、お前が助けてくれ」

「……はい!」


 弓をぎゅっと握りしめ、ワートは頷いた。

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