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1章 不思議な模様

 ティーナは一人、暗い船室の隅で、汚れた薄い毛布にくるまって座っていた。

 船室、とはいっても、実体は物置だ。野菜や果物が入った袋、備品が詰まった箱が積まれている狭い部屋で、体を横たえられるほどの空きはなかった。

 満足な明かりはなく、寒い。ぼろ布同然の毛布でしのぐには辛かった。

 ティーナは十七歳になったばかりで、親の顔を知らない。孤児院の前に捨てられており、「先生」に育てられてきた。

 孤児院での暮らしは、貧しいものだったが、楽しかったことを覚えている。先生は優しく、子供たちは元気で、年下の彼らをティーナは本当の弟や妹のように可愛がった。

 孤児院の子供は大抵、ある程度の年で、商人や貴族の家での働き手として引き取られていく。

 運がよければ、働き手ではなく養子としてもらわれていくこともあるが、ティーナは、なかなかどちらにも呼ばれることはなかった。

 理由はティーナの体にある。赤子の頃から、彼女の体には、不思議な模様があった。

 最初は、首の下の辺りに、小さな痣のような、青い印があるだけだった。

 しかし、成長するにつれ、その印はどんどん、複雑な模様となって体に広がっていった。

 今、模様は胸から肩、腕にまで及び、手首まで、濃い青で彩られていた。

 彫られているわけでも、ましてや痣でもない。ひとりでに現れたその模様に、先生も周りの子供たちも当初は驚いていたが、そのうち、受け入れてくれた。

 だが、孤児院を訪れる人々は、ティーナのその姿を気味悪がり、下働きにすることすら断った。

 このままではよくない、いつまでも孤児院にはいられない。ティーナは自分の体を睨み続け、やがて、その模様を「見えなくする」よう制御できるようになった。

 それはあくまでも隠すだけで、完全に消し去ることはできなかった。気分が高ぶると、模様は勝手に浮かび上がる。しかし、何とか普通の見た目となれたティーナは、十歳になったとき、とある金持ちの屋敷に、女中として引き取られることが決まった。

 これが、辛い日々の幕開けだった。

 勤め先の家は、裕福ではあったものの、主人も、その妻も娘も、召使たちを物のように扱う人であった。

 特に甘やかされて育った娘は、ティーナと同じ年であるものの大層わがままで、気に入らないことがあればものを投げて周りに当たり散らす、幼い子供のようだった。

 そのせいか、召使同士も空気が悪く、自分が叱られるのを避けようと、互いに面倒を押し付けあっていた。そして新入りとしてやってきたティーナは、彼らの格好の的となってしまった。

 やることなすことに文句をつけられ、毎日のように怒鳴られる生活が始まった。周りの召使が助けてくれることはない。孤児院での生活で、家事には比較的慣れていたはずのティーナですら、とてもこなせない量の仕事を言いつけられた。

 大人しく気の優しいティーナは、抗議することもなく、ただ黙ってじっと耐えていた。

 しかし、ある日、特に虫の居所が悪かった主人が、ティーナの仕事が遅いことに腹を立て、彼女の頬を張った時、取り乱したティーナは、今までずっと隠していた、体の模様を浮かびあがらせてしまった。

 その日から、彼女を取り巻く環境は一層ひどいものとなってしまった。

 主人からも他の召使からも気味が悪いと言われ、目を合わせられることもなくなった。寝るための部屋は物置に変えられ、何とか動けるほどの食事しか与えられなくなった。陰で、「怪物の子」だと言われているのも聞いた。

 そして今、暗い部屋の隅で震えている。

 主人の一家が、とある島に別荘を持つ貴族の晩餐会に招待されているのだ。

 船旅の間の世話係としてティーナも一緒に乗ることとなったが、寝台のある船室には入れてもらえなかった。

 朝になれば目的地へ着く。今はちょうど夜中くらいだろう。


(あともう少し……)


 少しでも眠ろうと、ティーナが目を閉じた、その時だった。

 部屋が大きく傾いた。積まれていた箱が一部崩れ、袋が倒れて中身がこぼれだす。

 驚いたティーナが部屋を見回していると、今度は反対へ部屋が傾いた。

 何かが起きている。

 耳を澄ませると、滝のような音が聞こえた。大雨だ。

 太鼓にも似た轟音や、ひゅうひゅうという音もした。

 ――嵐だ。

 ティーナは毛布をぎゅっと握りしめた。不安で心臓が早鐘をうっている。

 部屋の外に出るべきか? 出たところでどこに行けばいい? 船が沈んでしまったらどうする?

 これがティーナにとっては初めての船旅で、嵐に遭ったらどうしようなどと考えたことはなかった。

 結局、部屋の隅から動かなかった。少なくともここにいれば、雨や風に直接当てられることはない。

 そのままじっとしていると、不意に、物置の扉が開かれた。誰かが来たようだが、顔がよく見えない。


「いるか?」


 男の声がした。ティーナの知っている声だった。ティーナよりいくつか年上で、同じく召使のグレスだ。

 いつも、ティーナとは目も合わせようとせず、話しかけると舌打ちをされた。

 まさか様子を見に来てくれたのだろうか?

 ティーナは立ち上がり、箱の陰から顔を出した。グレスの隣にもう一人、召使のロランドがいた。ロランドとは、ほとんど口をきいたことがない。というより、きいてくれたことがなかった。

 ロランドが手にもっていたランプを顔の前にかかげ、部屋の中を照らした。グレスとティーナの目が合った。

 グレスが大股でティーナのもとに歩みより、腕を掴んで引っ張ってきた。


「来い」

「えっ?」


 ティーナは驚いてグレスの顔を見た。わざわざ自分を呼ぶなんて、一体何があったのだろう。


「いいから来い!」

「で、でも、嵐が……」

「口答えするな! 旦那様のご命令だ」


 きつい口調でグレスがすごんでくる。

 嫌がれば、きっと殴られる。本当に主人が呼んでいるなら、早く行かなければ叱られる。

 ティーナは毛布を床に置き、大人しく彼についていった。

 主人のいる船室へ連れていかれるのだと思ったが、なぜかティーナは甲板に連れ出された。

 外に出た途端、足元が激しく揺れ、ティーナはよろめいた。

 滝のような雨が降り注ぎ、真っ暗な空に稲光が走る。風が容赦なく吹き付け、荒れ狂う波が船体を揺さぶっている。数名の船乗りたちが、懸命に船を守ろうと動きまわっていた。

 グレスは、しっかりとティーナの腕を掴んでいた。ランプを持ったロランドは黙ったままだ。

 大荒れの中、ティーナは船のふちの方へ引っ張られていった。体を押され、眼下にしぶきを上げる波が広がった。


「あ、あの! 落ちてしまいます!」


 雨と風の音でかき消されないよう、ティーナは必死で叫んだ。


「旦那様のご命令だ! 怪物の子は海へ捨てろと!」


 あまりに突然のことに、ティーナは雨に打たれながら呆然とするしかなかった。

 グレスが荒っぽく怒鳴った。


「船乗りの迷信を信じこんでやがるんだ! 嵐が起きるのは海の怒りだとよ! 悪いものを乗せているからな!」


 ――嵐の原因が、わたし? そんなはずない!


「お願いします! やめてください! もっと働きますから! 何でもします!」


 今にも落ちそうなところを踏ん張り、ティーナは半泣きで訴えた。この海に落とされて、生きていられるはずなんてない。


「助けてください! 助けて!」


 今までに出したことがないほどの大声を張り上げたが、視界が悪く、ティーナに気づく船乗りは一人もいなかった。


「諦めな! お前には価値なんてないんだよ!」


 しびれを切らしたグレスがより一層腕に力をこめた。ティーナは抗うことができず、船のへりを乗り越えて、真っ逆さまに嵐の海へ落ちて行った。

 視界が真っ暗になり、息ができない。ティーナは必死で水をかき、顔だけを海中から出した。

 先ほどまで乗っていた船は目の前にある。しかし、グレスとロランドの姿はもう見えなかった。

 大きな波が押し寄せ、また沈みそうになったが、偶然、目の前に流されてきた木の板に何とかつかまることができた。船から落ちたものだろう。

 ティーナは死に物狂いで、板にしっかりとしがみついていた。うねる波と、寒さが容赦なくティーナの体力を奪う。

 このまま嵐をやり過ごせたとしても、広い大海原に独り残されて、生き延びることなどできるはずがない。海に落ちてしまった時点で、もう死んだも同然だ。

 孤児として育ち、不気味な模様が体にあるせいで、疎まれる日々。

 10年間、孤児院で過ごすことができただけ、幸せだったのかもしれない。

 孤児院の先生は、ティーナの模様を見て、「貴女には、なにか特別な使命があるのかもしれない」と言っていた。しかし、使命があったとしても、分からないまま命が終わろうとしている。

 両手の感覚がなくなってきた。もうこれ以上は耐えられない。

 手を放して、すべてをこの海に委ねようか、苦しいのはきっと一瞬だけ。

 ティーナが何もかも諦めようとした、その時だった。

 体の模様が、青白い光を放った。服の上からでも分かる程、強く輝いている。

 今まで、模様が光ったことなど一度もない。一体何が起きているのか、ティーナ自身にも分からなかった。


(生きなさい)


 どこからか声が聞こえた。ごうごうという嵐の中でも、はっきりと通る声だった。

 辺りは闇に包まれていて何も見えない。声の主を探し、ティーナは上を見あげた。

 頭上に、巨大な鳥が飛んでいた。大雨で視界は最悪なのに、その姿ははっきりと見えた。

 巨鳥は白い輝きを放ちながら、ティーナの頭上を羽ばたいていく。

 大嵐の中を飛べる鳥なんていないはずだ。ましてや、人間が数人は背中に乗れそうなほど大きな鳥がこの世にいるなんて信じられない。

 まさか、あの鳥が話しかけてきたのだろうか?

 呆然とするティーナをよそに、鳥は飛び続け、やがて空の向こうに消えて行った。

 先ほどの不思議な声も、もう聞こえない。

 その瞬間、一際大きな波が、ティーナの背後から襲い掛かってきた。

 波に飲み込まれたティーナは、そのまま意識を失ってしまった。

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