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13章 アルフィオン

 その日の晩はひどい嵐だった。雨と風と雷の音がひっきりなしに聞こえてくる。

 七歳になったばかりのキルシェは、自室で落ち着かない時を過ごしていた。嵐が怖いのではない。今日作ったばかりの、海辺に停めてある小さないかだのことが気になって仕方がなかった。

 両親も、エレアスも、住み込みの世話係たちも寝ている時間だ。キルシェは雨避けの外套(がいとう)を頭からすっぽり被り、薄い布で覆って極力明かりをおさえたランプを持ち、そっと部屋を抜け出した。

 暗い廊下を進み、世話係たちがものを運ぶのに利用する裏口を通り、城の裏手に出た。

 外套の存在も空しく、雨が容赦なくキルシェの小さな体を濡らしたが、構うことなく波止場に向かって駆けていく。

 風に吹かれて転びそうになりながら、キルシェは杭に繋がれたいかだのところへたどり着いた。漁に使われる船の間に紛れて、いかだは無事だったが、何かが上に乗っている。

 魔物かと思ったが、違った。人が、何かに覆いかぶさるようにして、いかだの上でうずくまっていた。

 キルシェが持つランプの明かりを受けて、その人物が顔を上げた。若い女性だった。黒く長い髪が、雨に濡れて体に張り付いていた。


「どうしたの!?」


 キルシェが驚いて叫ぶと、女性が体を起こし、守るように抱えていた何かを、キルシェに差し出してきた。

 それはキルシェがやっと両手で抱えられるくらいのかごだった。布がかけられており、中が見えない。ずしりと重かった。


「ア……ル……フィオン……」


 今にも消え入りそうな声で、女性はそう言った。

 訳が分からず、キルシェは布をずらしてかごの中を覗いた。

 その中に入っていたのは、赤ん坊だった。


「えっ!?」


 もう一度女性の方を見る。彼女はいかだの上に倒れ込んでいた。

 何とかしなきゃ、助けないと。しかし小さなキルシェには、赤ん坊の入ったかごと女性を同時に運ぶことなどできなかった。


「待ってて!」


 キルシェは女性に呼び掛け、かごを抱えて全速力で城へ走った。ぬかるんだ地面に足をとられて、何度もよろめきながら、それでもかごだけは決して落とさなかった。

 ずぶ濡れの泥だらけで部屋に転がり込んできた息子を見て、ローク王と妻のカロライネは寝台から飛び降りた。ローク王は、何をした、とキルシェを問い詰めようとしたが、彼が半泣きで差し出してきたかごの中を見て目を見張った。


「お母さんがいるんだ! 船が停まってるところのいかだの上!」


 キルシェは必死になって訴えた。ローク王が外套を羽織って、飛ぶように部屋を出ていく。何かを叫ぶ声が、どんどん遠くなっていく。カロライネが、かごの中の赤ん坊をそっと抱いた。

 何事かと、世話係たちが部屋を訪れた。カロライネの指示で、震えるキルシェを連れていこうとする。


「かあさん!」

「大丈夫。この子は生きているわ。あとはお父さんに任せましょう」


 世話係が数人でキルシェを風呂に入れ、体を乾かし、温かい飲み物を手渡してくれた。

 しばらくしてカロライネがやって来たが、赤ん坊を抱いていなかった。彼女はキルシェを部屋まで連れて行き、キルシェの頭を膝の上に乗せて横たわらせた。そして優しく、彼の背中を叩いた。

 赤ん坊は無事なのか、母親は見つかったのか……ローク王が戻ってくる前に、キルシェは眠ってしまった。


***


「駄目だ。見つからなかった」


 雨のしずくを外套から滴らせながら、苦々し気にオーデリクが言った。

 ローク王の命で、数人の戦士が波止場と海辺を探し回ったが、赤ん坊の母親と思しき人が見つかることはなかった。


「陸の方も探しましたが、誰もいませんでした」


 捜索を行っていた戦士の一人が告げた。


「そうか……」


 ローク王は目を伏せた。おそらく、母親は力尽き、海に落ちてしまったのだろう。


「ご苦労だった。休んでくれ」


 戦士たちに声をかけ、下がらせる。後にはオーデリクだけが残った。


「すまないな。オーデリク、こんな夜中に」

「気にするな。……しかし、これからどうする気だ?」


 今までの島の歴史の中で、外から人が訪れたことはない。母親の素性は分からずじまいで、残されたのは赤ん坊だけだ。


「キルシェが赤子を連れて帰ってきた。守護者と魔術師に調べさせるつもりだ」

「あいつ、小さいのに大した根性だな。あんまり怒ってやるなよ」

「分かっている。オーデリク、ありがとう。もう休んでくれ」

「ああ。明日の朝、もう一度何人かで島を見回っておく。お前も根を詰めすぎんなよ」


 何か、悪いことの予兆でなければいいのだが……未曾有(みぞう)の事態に、ローク王も戸惑っていた。

 明日は朝から有識者を集め、会議を開くことになる。ローク王は外套を脱ぎ、寝室へと向かった。


***


 翌朝、目覚めたキルシェは両親の部屋へ走った。昨晩出会った女性も赤ん坊も、そこにはいなかった。


「とうさん!」


 ローク王が片膝をついてかがみ、キルシェと目線を合わせた。


「キルシェ」


 その口調は重々しかった。


「子供の母親は、見つからなかった」

「え……」


 そんなはずはない。確かに自分はあの女性から、赤ん坊を託されたのだ。


「おれ、嘘ついてないよ……!」


 分かっている、とローク王は頷いた。


「もちろんだ。お前は嘘をついていない。すまない。見つけることができなかった。助けられなかった。わたしのせいだ」

「おれのせいだ……!」


 キルシェの目に涙がたまっていく。自分がもっと大きかったなら、力があったなら、もっと早く城に帰れていたら、二人とも助けられたはずなのに。


「泣かないで、キルシェ」


 カロライネが傍に来て、キルシェを抱きしめた。


「あなたはよく頑張ったわ。赤ちゃんは助かったのよ。お母さんはきっと喜んでいるわ」

「……赤ちゃんは?」


 涙をぬぐいながら、キルシェは父に問うた。


「……今、悪いところがないか調べているよ」

「赤ちゃん、これからどうなるの?」


 ローク王は何も答えなかった。

 この島の歴史、神鳥(かみどり)の伝説は、キルシェも聞かされていた。島の外から、人がやって来ることはあり得ないはずだ。流れ着いたよそ者は、どのような扱いを受けるのだろうか。


「ねぇ、とうさん!」

「これから、皆で決める」

「皆って誰? おれも入れてよ! あの子はおれの弟にする、それでいいよね!」


 ローク王はキルシェ、と静かに、だがはっきりと呼び掛けた。


「お前を入れてやることはできない。これはわたしたち大人の役目だ。だが、お前の気持ちはわたしがきちんと預かろう。約束する」


 じっと目を見据えて言われ、キルシェはそれ以上反論できなかった。父は厳格で、わがままを決して許さない。しかし分別を守っていれば、子供の考えでも真面目に聞き、尊重してくれた。


「……うん。とうさん、お願い」


 ロークは笑みを浮かべて、キルシェの頭を撫でた。

 さぁ、とカロライネがキルシェの手をとった。


「今日はエレアスと一日遊んでいていいわ。行きましょう」


 エレアスは守護者として学ぶことが色々あったため、普段は一日中、自由でいることはない。

 両親なりに気を遣ってくれているのだろう。キルシェは母に手を引かれ、部屋を後にした。


***


 その日、キルシェはエレアスと二人で、城の周りや中庭で過ごした。あまり遠くでなければ出かけてもいいと言われていたが、赤ん坊のことが気になって、城から離れる気になれなかった。

 エレアスは何も言わず、キルシェの傍についていた。昨晩起こったことを聞かせると、驚いていたが、すぐに赤ん坊の心配をしてくれた。

 世話係が作った食事を二人でとり、昼を過ぎたころ、中庭にやってくる人の姿があった。

 父の護衛をしている戦士のオーデリクと、妻のカーシャだ。二人には、生まれたばかりのラッシュという男の子がいる。

 だが、キルシェたちのもとへ現れた二人は、それぞれ布にくるまれた赤ん坊を一人ずつ抱いていた。


「キルシェ、あたしたち、この子の親になることにしたよ」


 カーシャがそう言って、腕に抱いた子を見せてくれた。黒い髪の赤ん坊が、すやすや眠っていた。昨日、キルシェが連れ帰った赤ん坊だ。


「ほんとに!?」

「ラッシュにも、兄弟がいた方がきっと楽しいだろうからな」


 オーデリクの腕の中の赤ん坊が、小さな手を伸ばした。オーデリクは自分の指をその手に握らせた。

 父、ローク王は約束を守ってくれたのだ。


「可愛い。名前は何ていうの?」


 カーシャの腕の中の赤ん坊を覗き込み、エレアスが問うた。


「そうだね……まだ決めてないんだ。キルシェ、何かいい名前思いつく?」

「……アルフィオン」


 キルシェは答えた。キルシェだけが出会った、赤ん坊の本当の母親。彼女が発したたった一言。それが赤ん坊の名前なのか、今となっては知る術はない。けれど名前を付けるなら、それしか考えられなかった。


「いい名前だな」

「そうだね。この子はアルフィオンだ。キルシェ、この子たちが大きくなったら、一緒に遊んでくれる?」

「うん、遊ぶ!いっぱい遊ぶ!」


 キルシェは元気よく頷いて、アルフィオンの小さな手を握った。

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