12章 翼なき者
ある朝、ティーナは朝食を終えたセシェルの髪をせっせと梳かしていた。銀色の髪は細く柔らかく、絹の糸のようだ。
「ねえ、ティーナ?」
「うん? どうしたの」
「あのね、今日は可愛い髪型にしてくれるかしら?」
セシェルは遠慮がちにもじもじしつつ言った。
「可愛い髪型……」
とは一体どのようなものか。
ティーナもお洒落に興味がないわけではないが、今まではとてもそんなことに勤しむ時間がなかった。ライラにもらったバレッタを一つつけるだけでも、ティーナにとってはかなりのおめかしだ。
銀色の長い髪を前にティーナは手を止め、考え込んだ。ピュリーかフローレならこういったことにも詳しそうだが、いちいち呼びに行くわけにもいかない。
派手だったり、手がこんでいればいいというものでもない。普段はなにもせず、髪を下ろしているだけだから、少し手をくわえるだけでも印象が変わりそうだ。
セシェルの髪の、まず右、続いて左、それぞれ上方の部分を手に取り、さっと三つ編みを作った。小さい頃、遊びで自分や他の女の子の髪を編んで遊んでいたこともあり、慣れたものだ。続いて、残りの髪を耳の位置でひとまとめにして軽く結び、作った三つ編みの先端を軽く巻き付けて留める。セシェルの持っている髪飾りの中から、赤い大きなリボンを選び、それを結んだ。
「これでどうかな……?」
ティーナはセシェルに鏡を差し出した。鏡をのぞいたセシェルが、わぁ、と声を上げた。
「素敵だわ、ティーナ、ありがとう!」
セシェルが振り向き、にっこり笑った。こんなに無垢な笑顔を向けられて、彼女のことを嫌いになる人なんていないはずだ。
しかし、なぜ急に髪型を変えたいと頼んできたのだろう。
「セシェル、今日は何かあるの?」
セシェルはすぐには答えなかったが、やがてはにかみながら口を開いた。
「今日はね、大好きな人に会えるの」
「へぇ……?」
どうやら、彼女には想い人がいるらしい。
一体誰なのだろうか、気にはなったものの、ティーナはそれ以上聞くことはしなかった。その人が今日のセシェルを気に入ってくれるといいのだが。
セシェルが好きになるなら、きっととても素敵な人なのだろう。上機嫌なセシェルを見ていると、ティーナまで嬉しくなってきた。
***
セシェルは何度も鏡を見て、今朝、ティーナに整えてもらった髪が乱れていないか、お気に入りの桃色のワンピースドレスに皺が寄っていないか何度も確かめた。はやる気持ちを抑え、中庭へ向かう。
中庭で一人、こちらに背を向けて黙々と剣を振る青年を見つけ、彼女は大声で呼びかけた。
「アル!」
アルフィオンが振り向く。駆け寄ってきたセシェルの姿を見て、慌てて剣をしまった。その顔にわずかに動揺が浮かんでいる。
「セシェル、それは……」
「どう、似合ってるかしら?」
セシェルはその場でくるりと回ってみせた。髪に結ばれた赤いリボンが揺れる。いつも鷹のように鋭いアルフィオンの目が泳いだ。
「あ、ああ」
「ありがとう、嬉しいわ」
あとでティーナにもう一度お礼を言っておこう。
会話に困っているのか、アルフィオンは何も話さない。二人きりで会う時はいつもそうだ。
「ねぇアル、飛ぶところを見てくれる?」
「調子が悪くならないか? もし落ちたら……」
「平気よ。今日は風もないし、落ちたら受け止めてくれるでしょう?」
「それは勿論だが……」
普通、島の民は、十歳ごろに翼を持つようになり、飛ぶ練習を始める。ひと月もあれば自由に飛び回れるようになるが、体が弱いセシェルはなかなかうまくいかず、練習できる時間も少ないため、やっと飛べるようになったのは十二歳になってからだった。今でも、あまり長い時間は飛べず、風の強い日は翼を制御できない。
セシェルは銀色の翼を生やし、ふわりと浮かび上がった。先ほどまで見上げていたアルフィオンの顔が、今は見下げる位置にある。
「ふふ、アルより高くなった」
ゆっくりと彼の周りを旋回する。アルフィオンもセシェルを目で追いながら、一緒になってその場で回っている。
悠々と空を飛ぶ兄キルシェは、まさしく鳥のようだった。セシェルは、自力では城の周りを短い間しか飛んだことがない。城の高さを超すほども飛べない自分は、さながらちっぽけな蝶のように思えた。
セシェルは手をアルフィオンの方へ伸ばし、降下していった。彼も手を差し伸べて、セシェルが地面に足をつけるのを支えてくれた。
「上手になったかしら」
「ああ。前よりも綺麗に飛べていた」
いつも口数少ないアルフィオンから褒められるのは嬉しい。
できるなら彼と一緒に飛びたいけれど、それだけはどれほど願っても叶わない。
セシェルは自分を支えてくれたアルフィオンの手のひらをじっと見た。傷と剣だこがいくつもある。兄の手と似ているが、彼の手は、それより更に痛々しかった。
「アル、また無理をしているでしょう」
「このくらい、どうということはない」
「父さまも兄さまも言っていたわ。アルは頑張り過ぎだって」
「……この島のためだ」
アルフィオンは、口を開けばいつもそう言う。いつからか、彼は周りと距離を置き、独りで行動することが多くなった。自分の手が、体が傷だらけになることもいとわず、血のにじむような鍛錬を続けていると聞く。危ないことはやめて欲しい、と言っても受け入れはしないだろう。
それでも、時々こうして話をしに来てくれる。セシェルにとっては小さい頃から変わらない、優しいアルフィオンだ。
「それじゃあ、いつもの元気が出るおまじない」
セシェルはそう言って、アルフィオンの手の平に軽く口づけを落とした。
こうするのは決して初めてではないが、今でもアルフィオンは耳を真っ赤にして、恥ずかしさを必死で隠そうとする。その仕草が見られるのは自分だけだと思うと、誇らしかった。
「ありがとう……」
掠れた声で、アルフィオンが礼を言った。
「そろそろ行く」
「アル、あんまり無理しちゃ駄目よ。アルに何かあったら、わたしとても悲しいわ」
アルフィオンは黙って頷き、セシェルの手を軽く握った後、中庭を後にした。
セシェルは何度か、彼に好きだと伝えたことがある。
その度にアルフィオンは、困ったような顔をして、否定も肯定もしなかった。もしかして嫌われているのか、とも思ったが、時々、会いに来てくれる。
なかなか本当の気持ちを教えてくれないのは、彼自身の真面目さ故か、生い立ちによるものか。
次に会ったときは何の話をしようか、考えながら、世話係が呼びに来るまでセシェルは中庭で過ごした。
***
「それで、キルシェも俺も頭から海に落ちちゃってさ……」
ラッシュと他愛ない話をしながら、ティーナは城の廊下を歩いていた。
向こうから、誰かがやって来る。黒髪の青年、アルフィオンだ。
「よう、アル!」
ラッシュが挨拶をしたが、アルフィオンはこちらを一瞥しただけで、黙って通り過ぎていった。
「……あいつ、感じ悪いよな。ごめん」
ラッシュが苦々し気に言い、頭をかいた。
これまでも、ティーナとアルフィオンが何度か鉢合わせたことはあったが、彼の態度はいつも同じだった。少しこちらを見るだけで、話しかけてこようとはしない。完全に無視をされたり、酷い言葉を投げかけられることは全くないので、気にしない方がいい、とティーナは自分に言い聞かせていた。
「ううん。わたし、何か気に障ることをしたのかな……」
しかし、アルフィオンとちゃんと顔を合わせて一緒に行動したのは、初めて城を訪れた時だけだ。彼に何をしてしまったのか、まったく心当たりがない。
「いや、絶対それはない。あいつ、もともと人と仲良くするのがあんまり上手くないんだよな……。にしたってひどい態度だぞ」
「ラッシュは、アルフィオンと仲は良いの?」
「ああ。俺たち、一緒に育った兄弟なんだ」
「えっ!?」
初耳だった。ラッシュの家族は、オーデリクとカーシャだけだと思っていた。
「あー、とはいっても、本当の兄弟じゃない。親を亡くしたアルを、父さんと母さんが引き取ったんだ」
「そうなんだ。もう一緒に住んでないの?」
「うん。突然出ていくって言いだして、今は、あいつ一人で暮らしてる」
「何かあったとか……?」
「いや、何にも。まあ、色々思うところはあるんだろうけどな……。実は、アルは島の外から来たんだ。だから、あいつには翼がないんだよ」
島の外から来た孤児なのはティーナと同じだ。
「嵐の晩に赤ん坊だったアルが流れ着いてて、一緒にお母さんらしき人もいたんだけど、助からなかったんだってさ」
本当の親の顔を知らずに育った境遇も、ティーナそのものだ。
「俺、本当は双子だったんだ。けど、もう一人は生まれてすぐに死んじゃって……父さんと母さんはアルのことを放っておけなかったみたいだな」
ラッシュに本当は兄弟がいたという話も初めて聞いた。
優しい育ての親のもとでずっと暮らしてこれたなら、アルフィオンは幸せ者だ。ティーナにはそう思えた。
「俺とアルは、小さい頃からキルシェの後ろにくっついて、色んなことして遊んでたんだ。でもある時から、あいつ、皆と距離を置くようになって……多分、自分は飛べないこととかを気にしてるんだと思う。俺はアルのこと、ずっと兄弟だと思ってるんだけどな」
どれほど周りに恵まれていても、同じように育ったのに、自分にだけ翼がない、出自も分からないのでは、複雑な気分になるだろう。
何とか歩み寄ることができないか、ティーナは考えたが、アルフィオンの様子を見る限り難しそうだ。




