11章 言えぬ想い
「エレアス、もしも守護者にならなくていい、って言われたらどうする?」
幼馴染の少年の問いに、エレアスは首を傾げた。
「大人になっても守護者じゃなくて、何でも好きなことしていいって言われたら、何がしたい?」
「何でも、好きなこと……」
物心ついたころから、自分は守護者なのだと聞かされ育ったエレアスは、他の人生を歩むことなど考えたことがなかった。まだ七歳だが、己の使命は守護者として、島を支え生きることだと自分なりに理解はしていた。
「そうね……何をしようかな……」
考えてはみたが、なかなか思いつかなかった。更に悩んでみたが、出せた答えは一つだけだった。
「わたし、キルシェのお手伝いをする」
「おれの?」
予想していた答えではなかったようで、キルシェは目を丸くした。
「キルシェは、大人になったら王様になるでしょう? 王様のお仕事は大変だって聞いたことがあるの。だから、わたしがお手伝いをするわ。そうしたら、キルシェと毎日一緒にいられるもの」
「そっか……」
キルシェは少しの間、目を伏せて黙り込んだあと、じゃあさ、と切り出した。
「お手伝いじゃなくて、お嫁さんになってくれよ」
「お嫁さん?」
「王様にはたくさんお手伝いがいるけど、お嫁さんになれるのは一人だけだ。だったら、おれはエレアスがいい。毎日、一緒にいられるぞ」
つまり結婚するということだ。
守護者は結婚することができない。一生、島に身を捧げる。もし、その役目が解かれたなら――
「いいわ。もし、守護者にならなくていいって言われたらキルシェのお嫁さんになる」
「ほんとか!? よし、じゃあ約束な!」
「うん、約束!」
しっかりと手を握り合ったあの日から、十八年が経つ。
***
夜の静寂の中に一人でいると、時々、どうしても昔のことを思い出してしまう。
左手の甲に守護者の証をもって生まれたエレアスは、すぐに城に引き取られた。物心ついた頃から、この島のこと、神鳥のこと、そして自分の使命について、何度も聞かされて育った。
そして、気づいた時からいつも傍にいたのは、同じ日に生まれた王の息子、キルシェだった。
こっそり城を抜け出して、二人で森や海に出かけた。夜にはエレアスの部屋で、小さな明かりだけを灯し、二人で架空の物語を作って笑いあった。
遊び過ぎて守護者の勉強をおろそかにしてしまい、先代の守護者に叱られた時、キルシェは悪いのは自分だと言ってかばってくれた。
八歳で城を出て、本格的な修行のために、先代とともにこの小屋に移り住んでからも、キルシェは時々来てくれた。修行が辛くてたまらない時、不思議と彼が現れて、どこからか見つけてきた花や綺麗な石をエレアスに握らせては、お前ならやれると励ましてくれた。
島の民は、守護者や守護者見習いに必要以上に接してはいけない決まりになっている。しかし周りの大人も、二人の間の強い絆を感じたのか、あまり咎められることはなかった。見て見ぬふりをしてくれていたのだろう。
十八歳で成人し、無事に一人前の守護者となることができたのは、キルシェがついていてくれたからだ。
しかし、彼に感謝するとともに、エレアスは許されない気持ちを抱いてもいた。
守護者は例え誰かに恋をしても、叶うことはない。
もう会わない方がいい、何度も自分に言い聞かせてきた。それでも、共に過ごした幼い日と同じ、無邪気な笑顔で様々な話を聞かせてくれるキルシェを、どうしても無下にできなかった。
キルシェはいつか王となる。誰かと結ばれ、子を成す。破天荒なときもあるが、思いやりのある彼を慕う娘ならきっとたくさんいるだろう。
一方のエレアスは、このまま守護者として生きる。老い始めてきたころに、次の守護者となる子供が生まれるはずだ。その子を守護者として育て上げ、成人する頃に、守護者の座を渡して死んでいく。
かつて交わした約束を果たすことができないなら、せめてその役目を全うするべきだと分かっている。
それでも、時が来るまで、もう少しだけ彼の傍にいたい。
その時かすかな物音がして、エレアスは窓辺に近づいた。窓を開け、ランプで外を照らしてみたが、何も見つからなかった。
風の音だろうか。窓を閉め、寝台へ向かおうとすると、また音がした。もう一度窓を開けて様子をうかがったが、やはり何もない。
今度は窓を開けたまま、エレアスは窓に背を向けた。背後に、誰かの気配を感じた。
「こんな時間に女性の家の周りをうろつくのは、褒められたものではないわね?」
そう言って振り向く。窓の外に立っていたのは、銀の髪と金の瞳の幼馴染だった。
「驚くかと思ったのによ」
キルシェはつまらなさそうに言った。もう二十五歳だというのに、やることがまるで子供だ。
「何か用?」
「起きていたいんだが一人は退屈でさ。付き合ってくれるのはお前くらいだろ」
「わたし、守護者なのだけれど?」
「ずっといい子でいるんじゃあ、疲れるだろ?」
何とも不思議なもので、会いたいと思った時に、いつも彼はやって来るのだ。お陰で断るのが難しい。
エレアスは小さく息をつき、傍らにかけてあった外套を羽織った。
***
海が一望できる丘に、エレアスはキルシェと肩を並べて座った。
月明りに照らされて揺らめく海は、別の世界への入口のようだ。昔、二人で、海の底には魚の尾とひれを持った人間が住んでいる、などと想像して遊んだものだ。
あの時に比べて、キルシェは、背がうんと伸びて、逞しくなった。
「なんだ?」
見られていることに気づき、キルシェもエレアスの方へ顔を向けた。
いつでも活力と好奇心にあふれた瞳だけは、何年経っても同じだ。
「……セシェルは元気? きっと貴方に似てきたでしょう」
セシェルが生を受ける前にエレアスは城を出た。生まれたばかりの彼女を見に城を訪れ、初めて抱かせてもらった時のことは覚えている。それから、遊んでやれたのはごくたまにだが、セシェルはエレアスにとても懐き、帰らないで、わたしの姉さまになってと縋られた時もあった。
「ああ。何とかやってる。お前に会いたがってた」
「お花の冠を作ってあげたことがあったわね」
病気がちでなかなか外に出られなかったセシェルのため、キルシェが花を集めてきて、エレアスがそれを編んで冠を作ったことがある。
「あいつ、すごく気に入ってさ。ずっと手放そうとしなくて、とうとう枯れた時にはこれでもかってくらい泣いたんだ」
あの時は大変だった、とキルシェは苦笑した。
「……エレアス、何か足りてないものとかないか?」
一人離れて暮らすエレアスのもとには、定期的に、生活に必要なものが王の使いから届けられる。
「いいえ。ローク様はとても気を遣ってくださるわ」
「……ならいい」
ロークは立派な王だ。民一人ひとりのことを真剣に考え、不平等がなるべく起きないよう気を配っている。民も、ローク王を慕っている。もちろんエレアスも、彼を深く尊敬している。
キルシェが、父に少なからず劣等感を抱いていることも、彼女は感じ取っていた。楽観的に見えるが、自分が次の王になることは意識している故だろう。
今だけは、守護者の使命も、次期王のさだめも忘れて許されるはずだ。
「キルシェ、海の底には何が住んでると思う?」
「ん? ……知らねえのか、海の底にはな、魚の尻尾とひれが生えた人間が住んでるんだ」
「それ、本当?」
「ああ。海の中に、そいつらの国があって、魚を飼い慣らして暮らしてる」
「……よく覚えてるわね。この話をしたの、もう随分前よ」
「ははっ。俺、こういう馬鹿みたいな話が好きだからな」
「ふふっ。そうね、貴方、変わってないわ」
昔と変わらぬ笑顔につられて、エレアスも笑みを浮かべた。
十八年前の約束を覚えているか、聞こうかと思ったが、その言葉は飲みこんだ。
答えがどちらだったとしても、お互いの歩む道がこの先、交わることはないのだ。
***
エレアスを家に送り届け、自室に戻ってきたキルシェは、どさりと寝台に身を横たえた。
気づいたときには、エレアスと一緒にいるのが当たり前になっていた。守護者になるのだと教えられて育った彼女は、年のわりに大人びていて、感情を表に出すことが少なかった。
それでも、キルシェの言うこと、やることには、楽しそうに笑ってくれた。
二人で遊びに出かけた先で、エレアスが怪我を負ってしまい、帰ってきて父にひどく怒られた時があった。その時、エレアスは大粒の涙をこぼしながら、わたしが遊びたいって言ったから、わたしのことも叱って下さいと訴えた。彼女が泣いた顔は後にも先にも見ていない。
八歳になった時、彼女は修行のため城を出た。キルシェの心にはぽっかり穴が空いて、寂しくてたまらなかった。
神鳥の失われた魂の欠片が見つかれば、エレアスは守護者の身分から解き放たれる。それがどんなものかも分からないのに、キルシェは島中を飛び回り、泥だらけになりながら探し回った。魂の欠片は見つからないまま、年月だけが過ぎていった。
いつも傍にいることが叶わなくても、せめて、彼女には笑っていて欲しかった。自由のほとんどない修行の生活に耐えるエレアスのもとを訪れ、懸命に笑わせようとした。綺麗な石や花を見せたり、美しい羽根を持つ蝶を大量に捕まえて箱に入れ、彼女の目の前で開け放ったりした。
いつまで経っても小さな子供のようなことばかりしてくるキルシェを、成長した彼女は、仕方のない人ねと少し呆れた顔で笑ってくれた。
いつからエレアスに恋をしていたのかは分からない。彼女は美しかった。島のため、民のために強くあろうとする姿勢が、彼女を美しく見せていた。
もしも自分が王の息子でなかったなら、一生独り身でエレアスに寄り添って生きる道もあっただろう。
しかし、キルシェはいつか父の後を継がねばならない。妻を娶り、子を成して、民を束ねる王として生きなければならない。たった一人のために、すべてを捧げることは許されない。
せめてその時が来るまでは、彼女の傍にいたい。
かつて、ある約束を交わした日のことを、昨日のことのように思い出せる。
「……覚えてないだろうな」
キルシェは独り、呟いて、静かに目を閉じた。




