発作
【二】
ちゃんとかんがえろと、自分に言われたって、なかなか難しい。そこで、まず漢和辞典を使って考えることとした。スマホの漢和辞典を使う。まず、玲子の玲の字。玲は、宝石がすれあって成るという意味らしい。よいぞ。この字だ。
しかし、玲子はありふれている。なんか、もっといいなまえはないのか?そこで、佳子という名前を思いついた。佳は優れているという意味だ。なるほど、なるほど、一挙に結論が出たようだ。玲佳、れいか、だ。むむむっ、よいぞ、よいぞ、俺は興奮してきた。
と、その瞬間、あれが襲ってきた。あれか、あれか?めまいだ。持病のめまいだ。あ、あ、あああーっ。たまらん。たまらん。めまいと共に、キーンという耳鳴りが聴こえてきた。さらに、鼻腔の奥に痛みが走った。いつものやつだ。電気だ。三叉神経の中を異常電流が流れ出した。どこから発したインパルスだ?このStressはいったいなんなのだ?Stressは、神経を電気信号のパルスとなって伝達する。そして、シナプスに達する。そこで、ドーパミンという神経伝達物質に変わるのだ。ドーパミンは新しいパルスをその先のニューロンに発生させる。
つまり、ドーパミンはStressを継続的に伝達させるわけだ。そこで、人間のからだの調節機能が働き、もう一つの神経伝達物質であるGABA神経伝達物質も出る。GABAはシナプスでStress信号の発生を抑える役目を果たす。つまり、ドーパミンと反対にStressを伝達させないのだ。この働きで、人間のStressへの抵抗力が生まれるわけだ。しかし、俺の奇病はこのGABAを受け取るはずのシナプスの受容体が不足する病気だ。従って、抑えるべくStressが抑えられず、ドーパミンのまともな働きがGABAで減衰されずに、そのまま拡大されてしまい、Stressが何百倍にも増大されてしまうのだ。それが、めまいと耳鳴りを起こさせ、さらに鼻腔粘膜の三叉神経に異常電流を流させるのだ。それで、鼻腔奥がまるで、100ボルトの電圧に感電したように痺れる。
たまらん、たまらん。鼻腔粘膜が呼吸の動作と共にツービートのリズムで痙攣しだした。ああーっ、苦しい、苦しい。プスッ、プスッっと、まるで、障子紙を鉛筆の先で突き破るような音を出している。息を吸ったり吐いたりするたびに痛みが走る。たまらん、たまらん。俺は強いめまいとともにカウンターの椅子とともに倒れてしまった。すると、女の声が聴こえた。
「あっ、お客さん、お客さん。大丈夫? 大丈夫? しっかりして。」
俺は倒れたまま、手はワイングラスを握っている。俺は眼を声の方に向けた。女の顔はリサではない。クワガタの娘でもない。だ、だれだ?俺は、はーはーしながら女に聞いた。女は、落ち着きがあり、しっかりした口調で答えた。
「さおり、です。」
女の腕は俺の背中をしっかりと支えていた。しかし、その腕はかぼそい。顔は、りさとは違い、丸顔だ。その顔は、まるで大船観音のように見えた。俺の顔を、いたわるような眼差しで観ていた。突然、俺の脳内に、岩崎宏美の声で、聖母たちのララバイの歌が流れた。これもニューロンを流れる異常電流のせいか? 幻聴か? 俺は益々息が苦しくなっていく。頭は朦朧となってくる。
しだいに、顔から血の気がなくなり、俺の瞼はゆっくりと閉じていく。このまま死んでいくのかという想念が浮かび、消えて行く意識の中で、女の顔が次第に俺に近づいてくるような気がした。遂に意識が完全に消え去ろうとするその刹那、暗闇の中で俺の冷たい唇に、まるで、温かいおでんのこんにゃくが触れるような感触が感じられた。すると、口の中にローズの香りのするトロッとした甘いアロマオイルのような液体が入り込んで来た。その液体は、舌に熱を与えながら、徐々に温度を高めて、咽喉を通り食道の下へ落ちていった。