エピローグ 『残された者たち』
1
灯さんは生きていた。
でも姿を消してしまった。
新たな存在のせいで。
「そろそろ行きましょう? もうここにいても何も出来ないわ」
俺たちに出来できることはない。
あるとすればすぐにこの場から立ち去ることだ。
でも動けない。
何かないかと考える。
でも結局は何も出来ないのだ。
「くそ!」
汚い言葉が口から出てくる。
「どうしてこうなったんだよ!」
大声を出し、壁を叩く。
大声を出すと喉は痛み、壁を叩くと腕は痛む。
そして体の内側も痛む。
心が痛むというものかもしれない。
傷ついたのは自分の体だけだった。
それは無駄な行為だとしても、ぶつけずにいられない。
何も出来なかった自分に怒りがあふれてくる。
「ちょっと、うるさいわよ」
ココロの声で呼びかけられる。
その怒りはココロの呼びかけによって中断された。
「すこし落ち着きなさい。とりあえず座りなさい」
俺は地べたに座らせられる。
それから十分ほど静寂が続く。
「落ち着いた?」
無言でうなずく。
「今回、あなたは頑張ったわ。役目を果たしたのよ。でもあなたの望む結果にならなっかただけ」
ココロが優しく説明をしてくれる。
「灯さんを取り戻すことは出来るか?」
「今すぐには無理よ。まだ彼女は生きている。だから時間も猶予もあるわ」
今すぐに出来ないことは分かっている。
でも待ってなんかいられない。
「何かあっただろ! 他の方法が!」
俺はまた怒りをぶつける。
行き場のない怒りをぶつける。
やめろ。
分かっているだろ。
そんなことは聞かなくても。
「そんなも方法も何もなかったわよ」
ココロは冷たく言い放つ。
「コウ! あなたが話しているのタラレバの話よ」
くそくそ‼
壁を殴りつける。
これでも憂さ晴らしにはならない。
「コウ!」
呼ばれて気が付くとココロが俺の体を抱きしめてくれていた。
「落ち着きなさい。コウ、あなたは頑張った。結果が報われない日だってあるわ」
「なにが言いたい」
俺は冷たい声で言い放った。
「結果が報われる日だってある。だから自分を傷つけるのはやめて。自分を大切にしてよ」
そう言われて俺は気が付いた。
自分の心が黒く染まっていく寸前であったことに。
「コウ、あなたは良くやった」
髪が撫でられる。
彼女の体温が直接、身体に伝わってくる。
それは温かく、心地が良い。
彼女の腕は義手だ。
義手に体温は存在しない。
でも彼女の体は温かった。
褒めてもらっているのでは無い。
ただ慰められている。
彼女の先輩としての力なのだろうか。
それでも、今はそれにすがりつきたい。
荒んだ心が溶かされていく。
俺は大粒の涙を流した。
他者の前で大きな声を上げて泣いてしまった。
それをココロは黙って受けてとめる。
大声で泣くと気持ちが楽になった。
恥ずかしさと引き換えではあるが、それを受け止めてくれる誰かがいるときと一人の時とは大違いだ。
一人で重荷を抱えていたつもりだった。
でもそれは違った。
俺が勝手に重荷を背負っていたのだ。
しばらくすると涙が自然と消えた。
「もう大丈夫?」
無言で頷く。
もう大丈夫だ。
とりあえず今は。
「必ず取り戻しましょう!」
「あぁ。俺は強くなって必ず見つける」
「まずは外に出ましょうか。もう朝よ」
彼女はあきれ顔で答える。
2
俺は初めて外の景色を見た。
そこで見たものは電灯よりも明るい空。
静かな施設とは違い音が鳴り続けている。
色んな音が聞こえる。
これが外の音。
何もかも新鮮だった。
この世界は広かった。
それを一瞬で理解した。
「どう初めての外の世界は?」
「灯さんは俺にこれを見せたかったのかな?」
「きっとそうね。これを見ると何か変わると思ったのかもね」
俺はこれを見せつけられて、美しくもあり、残酷だと感じ取った。
今日は世界と向き合う日だ。
そして今日が俺の始まりの日となる。
「コウ改めて聞くけど、今後もこういうケースがありえるわ。それでも戦っていく覚悟はある?」
本当ならば二度とやりたくはない。
けれど、そのせいで他の誰かが傷つくのを見たくない。
まだ二人しかいないけどね。
「俺はココロや灯さんが傷つくのを見たくない。そして灯さんのようになってしまう者を出したくない! だから戦える! その俺にはその動機がある」
「あなたの覚悟は理解できたわ」
ココロは手を指し伸ばす。
「改めて、これからよろしくね」
「ああ、よろしく!」
俺はその手を握った。
その手には不思議と温かなものが宿っていた。
「じゃあこの世界で協力して生きていきましょう!」
俺はココロと誓った。
この世界を生きていくこと誓った。
例えこんな残酷な世界であろうと……。
それでも生きていきたい。
生き続けたい。
俺は生きるために戦い続ける。
何が起こったとしても……。
灯さんに会って伝えるのだ。
世界を見せてくれて「ありがとう」と。
それまでは死ねない。
自分を救ってくれた、ただ一人の恩人。
初めて教えてくれた、優しさや、寂しさ。
それは施設にいれば味わうことの出来なかったものだ。
施設での怠惰な暮らしは二度と望まない。
ただ生かされているだけ。
それは生物としての尊厳を奪われているようなものだ。
永遠なんて欲しくはない。
与えられるだけの生活なら自分で手に入れてみせる。
俺はこの日、世界と向き合うことを決めた。
3
これからもこんなことが続くのだろう。
死を近くで眺め、それに自身で対処する。
それは辛いものだ。
しかしそれは自分たちも同じことだ。
死ぬのは自分たちかもしれない
もう後戻りはできない。
進むしかない。
先のない見えない道を進んでいく。
いや道ですらない。
足に地がつかなければそれは道ではない。
ただの進路だ。
辿り着く先はどこなのか?
それは分からない。
進まなければ。
最近、幸せなことと、不幸なことが同時に起こった。
幸せはそのままに。
不幸は無くなればいいのに。
そう思っていた。
だが、そうはいかない。
不幸は必ず幸せ指数をマイナスにまで追いやる。
幸せが消えて無くなってしまったわけではないのに。
その二つは不思議なことに両立してしまう。
プラスになることなどない。
この世は残酷だ。
俺は全力で生きて、最後に生きていて良かったと思いたい。
今は生きることに夢中だ。
死に触れてしまったせいだろうか?
死は必ず訪れる。
それが早いか遅いかそれは分からない。
でも死は誰にとっても平等だ。
死を迎えた後に意味など無い。
死んだら何も出来ないからだ。
だから限りある生を謳歌しなければならない。
そして必死に足掻かなければならない。
それは命を与えられたものの義務だ。
生き続ける。
それは死に対して抗うということ。
途中で堕ちてしまいたいと思ってしまった。
そうすれば楽になれる。
堕ちてしまえば、それは一直線に向かう。
しかしそれは許されない。
それは必死で生きている者に対して失礼なことだ。
死後の世界に夢見るなんて、あってはならない。
死に希望なんてものは無い。
希望を持っていていいのは、必死に生きたものだけだ。
ある本で死後の世界を読んだことがある。
だがそれは創作物に過ぎない。
誰かが作り上げた虚像。
そうであって欲しいという単なる願望。
異世界なんてものもない。
住む世界が変わって何になるっていうんだ。
俺はこの閉ざされた世界で生きていくしかない。
だが今ある現実は創作では無い。
少なくとも目の前には現実が存在する。
俺にとっては辛い現実。
現実から逃げることは愚策だ。
逃げるのではなく突破しなければならない。
逃げても追いかけられる。
だったら障害物を回避しろ。
もしくは突き破れ。
どちらかだ。
問題は放置すると悪化する。
「さあコウ、そろそろ帰るわよ」
「帰るってどこに?」
俺に帰る場所など無い。
「決まってるでしょ! 『DE』に帰るのよ」
そういえば俺は『DE』という場所に身を置くのだったな。
そこが居場所になるのか……。
「迎えが到着してみたいだから早く行きましょう」
そうして、俺たちはこの地獄から抜け出した。
俺はコウ。
『忌能者』だ。
さぁこの世界を全力で生きよう。
自分のために。
そして命あるものの義務として。