四十八話 不正
ご感想を頂いて、暖かい声援を頂いて、咽び泣いて書いております。
翌朝、メイドとの話の後ぐっすりと眠る事の出来た俺は、何時もよりも少しだけゆっくりと目を覚まし、軽く身支度を調えて、部屋を出た。
部屋を出て直ぐの、昨日の話し合いに使われたリビングに入ると、皇女が惚けた様にお茶を呑んでいた。
その直ぐ後ろには、メイドの様にリゼ少尉が立っていて、ティーポットを持っていた。
「おはようございます兄さん」
リビングの奥の台所から姿を現したアルフレッドは、両手に皿を持っていて、俺を見るなり挨拶してきた。
俺は、アルフレッドに返事を返しながら、何故給仕の真似事をしているのかと疑問に感じた。
そんな俺の感情を読み取ったのか、アルフレッドが自分の状況を答えた。
「実は、料理が出来るのが僕しかいなくて」
そう言って、テーブルの上に皿を置くと、アルフレッドが俺に向かって言った。
「今、兄さんの分も作りますね」
そう言って、台所に向かった。
アルフレッドの置いた皿には芋とベーコンの炒め物と、小麦粉を練って焼いたナンの様なパンが盛られていて、湯気を放っている。
「団長」
「ん?」
「お茶です」
リゼ少尉が何時もよりも殊勝な態度で俺の前にお茶の注がれたカップを置き、会釈をした。
俺は、何だか気味が悪いと思いながらも、お茶を啜るが、一口啜った瞬間、驚愕の余りにカップを落としそうになった。
「!?」
「どうかされましたか?」
俺は、不思議そうに訪ねてくるリゼ少尉に対してぎこちない笑顔を返して、何事も内容に振る舞った。
「・・・」
リゼ少尉の入れてくれたお茶は、俺が今までに呑んだ事が無いほどに苦く、また、後に引く渋味やえぐみも強烈で、正に目が覚める様な味だった。
「・・・一体どうやったらこんな味に・・・」
「何か言いましたか?」
俺が小声で呟いた事に少尉が反応するが、俺は何とか誤魔化してアルフレッドが料理を持ってくるのを無言で待った。
「・・・」
お茶を飲み終えた皇女が、先程よりも少しシャキッとしてきて、自身の前の更に盛られた料理を、フォークで突き始めた。
あのお茶を呑んで平気なのかと訪ねたい思いに駆られるが、懸命に堪えてその様子を見ていると、程なくして、アルフレッドが同じ物を俺の前に置いた。
「どうぞ」
腹も減ったことだし、何よりも口の中の味を変えたくて、取り敢えず目の前の炒め物を口に運ぶと、程よい塩加減と共にピリッとした辛みが口の中に広がった。
よく見れば、所々に黒い斑点の見て取れるこの炒め物は、豪勢な事に胡椒が少量振られている様だった。
「お味は、どうですか?」
「まあまあだ」
味の感想を求めるアルフレッドに簡単に答えた俺は、ナンの様なパンも合わせてさっさと胃の中に全てを収めて、食後に自分で淹れたお茶をゆっくりと飲んだ。
俺がお茶を入れようとすると、リゼ少尉が自分が入れると言い出したのを必死で止める一幕があり、少尉が少し不満げに俺のお茶を呑む姿を見詰めてきた。
「お前しか料理が作れないと言ったが、あのメイドは如何なんだ?」
リゼ少尉に見詰められながらも、それを無視して俺が疑問に思った事を聞くと、アルフレッドが皿を重ねて運びながら答えた。
「エルの事ですか?実はエルは色々事情がありまして・・・」
言葉を濁すアルフレッドに対して、俺は確信を突いた言葉を発する。
「どこぞの暗殺者か曰く付きの奴隷でも拾ったのか」
「・・・」
「暇が出来たら俺の所に来い」
黙り込んでしまったアルフレッドとティーポットを持つリゼ少尉を余所に、手早く皿を片づけた俺は、一言言い残してリビングを出た。
家の外に出て、適当に彷徨こうかと思っていたら、家の前の庭でエストとクリストフの二人が対峙していた。
「・・・」
「・・・」
エストは普段通りにレイピアを構え、クリストフは刃渡り90㎝程の諸刃の剣を上段に構え、互いに無言のまま見つめ合っている。
張り詰めた空気に俺も飲み込まれてしまい、ただ見ている事しか出来なかった。
「っ!」
先に動いたのはクリストフの方だった。
クリストフは鋭く息を吐きながら大きく踏み込んで、落雷の如き勢いで剣を振り下ろした。
「・・・」
それに対してのエストの対応は、見事と言わざるを得ない物だった。
クリストフの一撃はスピードと言い、気迫と言い、全く申し分の無い素晴らしい一撃ではあったが、エストはその迫力に対しても些かも怯まずに、冷静さを失わなかった。
そして、真っ直ぐよりは、やや袈裟気味の振り下ろしのタイミングに合わせて、小さく踏み込みながら剣を躱して、クリストフの喉元に左手で抜いたダガーの切っ先を突きつけていた。
「・・・僕の勝ちですね」
「・・・その様だな」
同時に剣を引いて鞘に収めると、クリストフが不満げに言った。
「しかし、ダガーを使うのは少し卑怯では無いか?」
クリストフの言い分も分かる気がする。
今回のエストのダガーは、正に意識外の一撃で、クリストフはエストの腰に差されていたダガーには一切注意を払っていなかった。
それは、エストがこれ見よがしにレイピアを抜いて構えていたからであり、それこそがエストの狙いでもあったのだ。
「クリスは少し猪突猛進な所があるからね、だから必ず先手を取るだろうと踏んでいたんだ。別に踏み込むのに合わせて下がってから反撃しても良かったけど、長時間の打ち合いになったらこっちが不利だし、態々付き合ってやる事も無いだろ?」
簡単に言ってのけているが、要するに面倒くさいからさっさと決着をつけようと思ってやったと言う事である。
クリストフ自身は若手とは言え、帝国の騎士であり、今回の皇女殿下の護衛として抜擢されている事から、その実力は帝国の若手騎士の中でも間違いなく上から数えた方が早い物の筈で、そんな実力者を相手にこれ程の余裕を見せるエストに、俺は戦慄した。
「だが、やはり反則気味だろ」
と言う、クリストフにエストは簡単に返す。
「だって、武器の指定はしていなかったじゃないか」
「むぅ・・・」
実は決闘を初めとする一対一の勝負と言うのは、ルールの明文化や両者の合意、確認と言うのが非常に重要で、突き詰めて言うと、ルールとして決めていない事であれば何をやっても良いし、それで負けても文句は言えないのである。
その為、正式な決闘を行う場合は、数日から数十日前から両陣営の協議でルールを決め、勝敗の決着で揉めないように第三者を審判に据えるのが通常になっている。
どうやら、今回の二人の試合では、武器の指定などのルール決めをちゃんとしていなかった様だ。
「後から文句を言っても聞かないよ」
「うぬぅ・・・」
そんなやり取りをする二人に俺は、声を掛けた。
「何故試合をしていたんだ?」
俺が声を掛けるとエストが反応して返してきた。
「団長、見ていたのかい?」
「まあな・・・それで、何故?」
俺の問い掛けにはクリストフが答えた。
「いや、何。殿下を護る際に腕前を見て興味が出たのだ。それで私から勝負を挑んだのだが、見ての通りの結果だ」
悔しそうな、それでいて少し嬉しそうな風にクリストフがエストをべた褒めにする。
「いや~あんまり褒められると照れるな」
そう言って、クリストフに向いたエストは、もう一度やろうと言ってレイピアを抜き、クリストフも応じて、剣を構えた。
「・・・まあ、ほどほどにな」
再び対峙する二人に別れを告げて、俺は、村の近くを流れる小川のほとりの岩の上に座り、せせらぎに耳を傾けた。
「やはり少し冷えるな・・・」
今だ雪が降らず、帝国よりも温暖な気候とは言え、気温は体感で氷点下近く、小川の辺と言う事もあって、厚着をしても尚、寒さが身に堪えた。
そんな当たり前の事をしみじみと呟くと、後ろから砂利を踏む足音がして、その足音の主が声を掛けてきた。
「余り寒いと傷に障りますよ。兄さん」
そう言って、アルフレッドは、俺の側まで寄ってきて、立ったまま俺と同じ方を向いた。
俺は、何も言わずに無言のまま川の流れを眺め続け、アルフレッドも俺が何かを言い出すのを待って、口を噤んだ。
「なあ、アルフレッド・・・お前は自分のした事が分かっているのか?」
二人で川を眺めて幾ばくかたった頃、俺は口を開いて、そう言った。
それに対してのアルフレッドからの返事は返ってこず、俺は更に続けて言った。
「お前のあのメイド。暗殺者の類いか」
「・・・はい」
漸く声を発したアルフレッドは、ただ一言、俺の質問に対しての肯定の意を示すだけに留まった。
「あのメイドから話は聞いたぞ。小娘の兄貴にあのメイドを張り付かせて居たらしいな」
「はい・・・」
「一つ聞かせてくれ、伯爵の暗殺は指示したか?」
俺が言った瞬間、勢い良く俺の方を向いて否定の言葉を口にする。
「そんな筈はありません!僕が指示したのは・・・」
言葉を続けようとする、アルフレッドに被せるように、俺が声を上げた。
「本当だろうな。本当に暗殺の指示はしていないだろうな」
「・・・誓って」
一瞬、俺の気迫に押された様に黙ったアルフレッドは、唇が少し紫色になっていて、掠れる声で確かに伯爵の暗殺を否定した。
「・・・なら良い」
俺は努めて身体から発していた殺気を治めて、更に話を続ける。
アルフレッドは、俺から発せられていた殺気が薄くなった事で、露骨に疲弊した様子を見せて、荒くなった息を整えた。
「この先の事だが、今回お前のメイドが伯爵邸に居た事は誰にも言うな」
「・・・えっ?」
「幸いにして、あの場にいた中で正体に気付いているのは俺だけで、他の者は謎の暗殺者位にしか思っていない。俺も上に対しては、その様に報告する」
「・・・」
明らかに状況を飲み込めずにいるアルフレッドを余所に、俺は更に続ける。
「メディシア家の関係者が反乱に関与している等と言う事が知られれば、お家はお取り潰し、俺達は揃って斬首刑だ。それは何としてでも避けねばならない」
「・・・」
「筋書きはこうだ。あの日の戦いで俺は謎の暗殺者に敗れ、その正体を知ることが出来なかった。同時刻、お前とお前の仲間達は逃げる皇女殿下の助太刀に入り、その逃走を助けた。伯爵は自身の身柄を政治的に利用されるのを恐れて自害した。正直言って心苦しいが、そう言う事だ」
要するに事実の隠蔽であるが、真実を知っている者は殆どおらず、真相は恐らく闇の中へと葬られるだろう。
アルフレッドは何も言わず、ただ無言で頷き、同意を示した。
「あの晩、あそこにお前のメイドは居なかった。俺とメイドとの間には何の因縁も無い」
「・・・すいませんでした」
アルフレッドが頭を下げて謝罪の言葉を述べるが、俺は何も無かったと言うだけで、言外にこの件は問題にするつもりは無いこれ以上この事は話題には上げないと示し、アルフレッドも頭を上げてからは何も言わなくなった。
「・・・話は終わりだ」
その後に続く言葉は言わなかったが、アルフレッドは察して、立ち去ろうと後ろを向いて、歩き出そうとする直前に、俺に言葉を掛けてきた。
「余り長居はしないで下さい。お体に触ります」
「おう・・・」
砂利を踏む足音が遠ざかり、川のせせらぎだけが鼓膜を揺らすようになると、俺は大きく息を吐いて空を見上げた。
「・・・」
空は暗い鉛色で、見上げ続ける俺の心情を表しているかの様だ。
「・・・」
空を見上げ続ける俺は、無言で考えを巡らせる。
それは、ある事が俺の中で引っかかっていたからだ。
「伯爵を殺していない・・・か」
アルフレッドは明確に伯の暗殺を否定した。
メイドも、伯の暗殺に関与しているとは一言も言ってはいなかった。
嘘を吐いている可能性は大いに有るが、何となく二人とも本当の事を言っている様な気がして、二人を疑う気にはなれなかった。
「・・・俺も甘いな」
そう呟きながら、俺はあの日の事を可能な限り思い出す。
迫り来る領民共、屋敷を護る為に備えていた使用人達、脚を引き摺りながら戦支度をする伯爵、そして俺の指揮下で戦う部下。
そこまで思い出す度に、何かが引っかかって、ならなかった。
「・・・やめだ、俺が頭を捻っても答えなんて出るはずが無い」
そろそろ、寒さが身に染みて来て、傷の疼きが酷くなって痛み出した。
少し癪だがアルフレッドの言に従って、移動することにした。
「・・・如何してこうなったんだろうな」
その言葉は、果たして今回の一件に向けた物か、それとも出征のあの日まで遡っての事か、あるいは俺が目を覚ました時の事か、その答えは俺も分からなかった。




