十二話 唾
「では、カイルよ聞かせてもらおう。何故に其奴の助命を願うのか」
まるで、たった一人で一軍の前に立たされているかの如き重圧だったが、それは、ただ一人の御方から発せられる物だった。
そんな俺の隣にはエストとアダムスが同じ様に膝を着き、後ろにはアダムスの配下の騎士達が、目の前にはアレクト殿下とペイズリー卿それにレナス宰相がその御方の左右の椅子に腰掛け、その後ろにはローゼン公爵が立っている。
「さあ、申せ」
「カイル殿・・・」
「僭越ながら国王陛下に申し上げます」
そう言って更に深々と頭を下げた。
アウレリア王国国王アスラン・アウレリア。
彼は我がアウレリア王国史上最強の国王と呼ばれている。
彫りの濃い、迫力のある顔に獅子の鬣を思わせる金色の髪。
身の丈190程もある逞しい身体は、55と言う年齢を些かも感じさせるものではなく、その屈強な肉体から繰り出される拳打蹴撃で人のみならず、魔物の類すらも打ちのめす。
そんな彼の方の前に跪く俺は、正直なところ逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。
「さあ、申してみよ。何故その男の助命を請うのかを」
「も、申し上げます・・・彼、アダムス・オルグレンは・・・」
その後の言葉を吐き出すことが出来ない。
体に受ける威圧感は、俺の体の全ての筋肉を緊張させて、僅かな震えも、呼吸や瞬きさえも許してはくれなかった。
「どうしたのだ、早く申せ」
一体俺は何をしているのか。
何で俺がこの男を庇わなければいけないのか。
そんな事を思うも時は既に遅すぎる。
あの時この男を、アダムスの事を見捨てる事が出来なかった瞬間に、今の俺の現在の状況が決定してしまったのだろう。
こんな事ならさっさと見捨てりゃ良かったのだ。
しかし、俺にはそれが出来なかった。
アダムス配下の騎士達に嘆願され、エストにも何とかならないかと言われ、遂に押し切られてしまった俺は、陛下の眼前にてアダムスの事情を説明し、助命嘆願をすることになった。
「早く申してみよ」
「・・・恐れながら陛下に申し上げます。」
覚悟を決める。
腹に力を込めて唇を動かして喉を震わせる。
獅子に睨まれているかのごとき重圧の中、口から吐き出される言葉は震えも霞みもせずに、王の耳に入っていった。
「彼、アダムス・オルグレンは我が国の将来において必要な人物となります。故に、ここで彼を殺すのと生かすのとでは、生かした上で使う事が我が国と王家にとって最良だと愚考します」
「一体何を根拠にそのような戯れ言を言うのだ」
そう言って俺に懐疑的な言葉を投げ掛けてきたのは、ペイズリー卿だ。
レナス宰相も言葉にこそしていないものの、思う事はペイズリー卿と同じ様だ。
一方で、後ろにいる騎士達の生唾を呑み込む音が聞こえ、隣のアダムスからは微かな震えが感じられた。
俺は再び口を開いて、アダムスを擁護する。
「彼は正体不明の魔術師によって操られ、本来味方である筈の我々を敵だと認識して攻撃してきました。それが果たして本当の事であるかどうかは定かではありません」
そこまで言ってから、一旦言葉を区切り深く息を吸って話を再開した。
「しかし、彼は我々の想定を超えた手腕を持って良く持ちこたえ、しかも、その兵力は予想の半分程度でした。この事から、彼の指揮統率力と戦術眼が如何に優れているかが、お分かりになると思います。また、個人の武勇においても優れる他、この類い希な面相に文学や芸術にも精通しています。彼は参謀にも騎士にも学者にも政治家にも成れる逸材です。それも、どの分野においても歴史に名を残す程の者になるでしょう。そんな彼を失うことは最大の損失であり、そんな彼を国の行く末に役立てないと言う事は考え得ない事であります」
俺がそう言うと王は少し考えた風にしてから言った。
「確かに、アダムスは得難い人材であるようだ。しかし、人と言うのは、その犯した罪に対して、その責任を取らねばならない」
「・・・」
「それに、我を前にして我が判断を愚策と言うお前の発言にも当然、責任が生じる。お主はその責任をどう取るつもりだ」
「それは・・・」
王の言葉に何も言い返せずにただ頭を垂れる俺に視線が集まり、皆が俺の言葉を待っているのが感じられた。
「・・・カイルよ。お前の活躍はアレクトから聞き及んでおる。発言を撤回して後は口を噤むのならば聞かなかった事にしよう。お前お働きに対する褒美も良く取らせよう」
「・・・せん」
「何だ?」
王の言葉は、まさに王としての偉大さと度量の大きさを示しており、そのお人柄が良く窺える物だった。
しかし、その言葉を聞いた俺の口から漏れ出たのは、余りにも不敬で不遜な言葉で、聞き返してきた王に対して再度、良く聞こえる声で言い放った。
「一度吐いた唾は、飲み込めません」
「貴様ぁ!!」
俺の吐いた余りにも不敬な物言いに、激昂したペイズリー卿が怒声を上げて俺に掴み掛かろうとしたが、それを王が無言で押しとどめた。
「カイルよ。その言葉の意味を良く理解した上での発言であろうな」
「・・・」
俺は何も答えず無言で王の目を見た。
「・・・」
「・・・」
そうして暫く見つめ合うと、王が剣を抜き放ち、俺の首めがけて振り下ろした。
「・・・」
「・・・ふむ」
振り下ろされた剣は、俺の首を跳ねる事は無く、首の薄皮一枚の所で寸止めにされて微動だにせず、全く反応出来なかった俺の目を見詰めてきた王が鞘に収めるまで俺の命を脅かし続けた。
「カイルよ、お前の意気に免じてこの件は不問に処す。しかし、アダムス死刑とし、刑の執行に当たってはお前一人で行い責任もってアダムス・オルグレンを処刑しろ。執行に当たっては立会人は設けず、刑の執行完了の証として髪を一房持ってくることとする。以降はアダムスとオルグレン家に対する追求は一切せず、仮にアダムス・オルグレンらしき人物を見掛ける事があっても、それはただの他人だ。死者の尊厳を踏みにじる事は私が許さん」
そう言い終わり、立ち上がった陛下は、此方を見て右目で一度だけ瞬きをした。
「全く、冷や汗物だったぞカイル」
「ワシも久しぶりに肝を冷やしたわ。余りこの老人をいじめてくれないでくれ」
あの後、俺はアレクト殿下とローゼン公爵に呼ばれて天幕に入り、こうして二人から責められている。
「父上を前にしてあんな物言いなど良く出来た物だ」
今にして思うと、良く生きていた物だと自分でも感心する。
多分、今まで生きてきた中で一番怖かったと思うが、余りにも恐怖が多き過ぎて最早、現実の物と思うことすら出来ないでいた。
「さて、アダムスの事じゃが・・・如何するのじゃ?」
そう言われると、如何すれば良いのかと今更になって頭を悩ませる。
とりあえず、アダムスの髪を一房切り取ってきて、それを殿下に渡したのだが、これから奴を如何扱ったものか実に悩ましい。
「殿下の配下に・・・」
「それは無理だ」
「では公爵は」
「無理じゃな」
「デスよね~」
「カイル、お前のその責任感は美徳であるが、背負い込み過ぎるのは悪徳だ」
俺を心配してか、殿下が俺の今回の行動に対しての説教を始める。
「だいたいにしてだな・・・」
「まあまあ、殿下。そのくらいで許してやりましょう」
いい加減に説教が長くなってきた所で公爵が助け船を出し、俺は漸く解放されると、公爵が俺に向いて口を開いた。
「まあ、アダムスの事はお主が責任を持って身柄を預かり、扱き使ってやるしかないの」
「ですかね」
「まあ、それしか無いな」
「良かったでは無いか、優秀な人材がお前の物になったのだ。士官が増えれば兵団の規模も大きく出来るぞ」
とは言うが実際の所、俺としてはこれ以上戦いたくないし、さっさと帰って平和に暮らしたいのだが、そんな俺の思いとは裏腹に、翌日に陛下に呼ばれたかと思えば、俺と兵団を常設の兵団とその指揮官として認め、軍旗まで渡されてしまった。
どうしてこうなった。