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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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87 思いがけない、つかの間の再会

 青年の手にしたリボンの端がひらひらと風になびいて揺れる。


「すみません」


 慌ててサラはリボンを手にする青年の元に走り寄った。そして、青年を見上げサラは口を開けてその場に固まってしまう。いや、思わずその青年に見とれてしまったという方が正しいかもしれない。

 すらりとした細身の長身。

 細面の整った顔に透き通るような白い肌。

 瞳は鮮やかな翡翠色。

 穏やかな雰囲気と、優しげな面差し。

 腰には二本の剣。

 剣を扱うような感じの人にはまったく見えない。


 あ、でもそれをいうならハルだってそうよね。


 それにしても、綺麗な人……。

 この国の人ではないわ。

 もしかして、レザンの人。

 年はファルクと同じくらいかしら。

 二十歳半ばくらい?

 でも、ファルクとは全然違う。落ち着いた雰囲気で大人の男の人って感じ。

 あれ? でも私、この人とどこかで会ったような気がするのは気のせいかしら。

 どこで……?


 青年は手にしたリボンをサラに手渡した。

 ほっそりとしたしなやかな指先から、するりと藍色のリボンが抜けていく。


「あの……ありがとうございます」


 たどたどしくレザン語で礼を言うサラに、青年は目元を和らげふわりと微笑む。その微笑みにサラは思わず頬を赤くしてしまった。

 レザンの人間をこの国でみかけるのはまれであるのに、サラには目の前の青年がハルのいた組織の者かもしれないということは、少しも疑うことはなかった。


「どういたしまして」


 と、相手もレザンの言葉で返してきた。

 落ち着いた口調に優しい声音。

 サラの胸がとくんと鳴る。


 わあ! 私、ハル以外のレザンの人と会話してる。ちゃんと通じてるみたいだわ。


「あの……えっと、レザン・パリューの、人、ですよね?」


「ええ、そうですよ」


 やはり、たどたどしいサラの問いかけに、青年はかわらない笑みを浮かべたまま答える。


「えっと……」


 言葉が通じたことが嬉しくて、もっと話をしてみたいと思ったのに、残念なことに、今のサラでは相手と会話を繋げていくことは難しかった。結局、それ以上言葉が続かなくなってしまい、サラはどうしようと視線を泳がせる。頭の中が混乱する。それでも、何か喋らなければと焦ったサラの口から出た言葉は。


「こんにちは」


 ただの挨拶でだった。

 それが精一杯であった。


 やっぱり無理だわ。

 片言だって会話を続けるのは無理。


「こんにちは、お嬢さん。レザン語がお上手ですね」


 青年はゆっくりと、サラにも聞き取れるように挨拶を返した。

 サラのレザン語は上手というにはほど遠いのだが、まったく嫌みに聞こえないのが不思議であった。

 サラはもう一度ありがとうございますと言って頭を下げる。

 そこへ。


「こんにちはー」


 突然、ひとりの少年が首を傾けながらひょっこりと横から現れた。

 おそらく年はハルと同じくらい。けれど、にこにこ笑った顔はまだどこか幼さを残した感じである。小柄で銀髪の髪に色素の薄い石灰色の瞳が特徴だ。少年の登場にすぐに反応したのはキリクであった。キリクはサラが挨拶を返すよりも早く、厳しい顔でサラをかばうように少年の前に立つ。


「サラ、さがって」


「え? どうしたの……」


「いいからさがって!」


 語気を強めるキリクに、サラはわけがわからずうろたえる。


「あ! 君がキリクくんだね。こんにちはー。僕はクランツっていうんだ。あれ? そんな怖い顔してどうしたの?」


 しかし、キリクは挑むような目で、自らクランツと名乗った少年を上目遣いで睨みつける。


「何しにきた」


 レザンの言葉で問いかけるキリクに、クランツは目を細めた。が、すぐに愛想のよい、にこにこ顔に戻る。


「観光だよ」


「そういう意味じゃない! 何故、俺たちの前に現れたんだって言ったんだ!」


「へえ、キリクくん、もうレザン語が喋れるんだ。短期間でよく頑張ったね。すごいなあ。ねえ、誰に教わったの?」


「誰だっていいだろ!」


 そんなこと答える必要などないと、キリクは鋭いまなざしで少年を見上げる。もはや、サラにはレザン語で会話する二人が何を話しているのかさっぱりわからなかった。けれど、二人の間にあまり友好的とはいえない空気が漂っていることだけは察することができた。いや、キリクの方が目の前の少年に食ってかかっている様子だ。


「サラには指一本触れさせない。サラは俺が守る!」


 ハルの代わりに俺が!


 キリクの手が腰の剣にかかる。

 慌てたのはサラであった。


「キリク! 何してるの。だめよ!」


「サラ、逃げるんだ。ここは俺が食い止めるから。早くハルの元に!」


「食い止めるって?」


「こいつらは……っ」


 そこでキリクの言葉が途切れる。クランツが鋭くまなじりを細めてキリクを見下ろしたからだ。一瞬だが、その石灰色の瞳に冷ややかなものが過ぎる。しかし、クランツはすぐに人好きのする笑みを口許に浮かべた。


「へえ、もしかして言葉を教わったのは、そのハルって人かな?」


 キリクはしまったという顔をする。うっかり、ハルの名を口にしてしまった。

 大失態だ。


「ハルはレザンの人なの?」


 にこやかに問いかける相手にキリクは口を引き結ぶ。これ以上、余計なことを口走ってしまわないようにと。


「ま、いっか。それにしても、キリクくん、男らしいね。女の子を守ろうなんて感心感心」


 クランツの右手がすっと持ち上がった。

 キリクはびくりと肩を跳ねあげる。そろりとクランツの手がキリクの目の前に伸びて……。伸びたクランツの手が、キリクの頭をよしよしとなでた。


「……っ」


 まったく動くことができなかったキリクは苦渋に顔を歪め、唇から悔しげな呻き声をもらす。


「そんなに怯えなくても僕、何もしないよ。でも、怖がらせちゃったかな? ごめんね」


 クランツは可愛らしく小首を傾げた。そして、側にいる青年に厳しい目で見られていることに気づき、ぺろっと舌をだしてえへと笑う。


「行きますよ」


「えー! 僕、もう少し二人とお話ししたいのに」


 クランツはむうっと唇を尖らせた。


「クランツ」


 有無を言わせぬ青年の口調に、クランツは、はあい、と答えて肩をすくめる。心底残念という表情であった。

 キリクは両脇に垂らした手をきつく握りしめ、下を向いて唇を噛んでいた。

 クランツがキリクの顔を下からのぞき込むようにして腰をかがめる。


「キリクくん、ほんとうごめんね。そんなに落ち込まないでよ。大丈夫、キリクくんはまだまだ強くなれるよ。だって、ハルに剣を教わっ……」


「クランツ」


 クランツの先の言葉を遮るように青年はとどめる。

 クランツは、あ、という表情で口許に手をあてた。

 青年はサラたちに軽く会釈して去ろうとする。


「あの……」


 サラとすれ違おうとしたその時、青年はサラの耳元に唇を寄せた。


「気をつけなさい」


「え?」


「人前でレザンの言葉をあまり使ってはいけませんよ。相手がレザンの人間ならなおさらです。彼らはどこに潜んでいるのかわからないのですから」


「彼ら?」


「いいですね? 約束してください」


 流暢なアルガリタ語だ。そして、サラはようやく目の前の相手が誰なのかを察する。


 もしかしてこの人!


 立ち去って行こうとする青年の袖口を、サラは待って、とつかんで引き止めた。


「あなた……レイよね? そうよね?」


 レイは立てた人差し指を口許に持っていく。何気ない仕草の一つ一つが柔らかで美しい。

 違うと言われたらどうしようと思ったが、青年は否定しなかった。


「私たちのことは、あの子には内緒にしてくださいね」


 ハルのことをあの子って……。

 でも、やっぱりこの人はレイ。そして、ハルの師匠であり、ハルが絶対にこの人にだけは勝てないと言っていた人。そういえば、レイはフィクスレクス国の王子様だったとも言っていたわ。確かに、どこか気高い雰囲気を持った人。


「どうして? ハル、とても会いたがっていたわ。時々、あなたの話を聞かせてくれるの。あなたのことを話すハルはとても嬉しそうで、でも寂しそうなの。会いたいのに会えないって……ねえ、ハルとても喜ぶわ。だから……」


 けれど、レイは静かに首を振る。


「あの子のことをよろしく頼みますね。少し強情なところがありますが、根は優しい子です。でも、そうですね。もし、あの子が意地をはるようなことがあったら、口を利いてあげないとでも言ってあげると効果的ですよ。特にあなたなら、なおさらでしょう」


「ハルはとっても優しいわ。でも、意地っ張りなところは確かにあって、私その時、ハルのこと大っ嫌いって思わず言ってしまったの」


 カーナの森でハルが暗殺者たちを倒したあと、ひとりで去っていこうとした時だ。

 レイはおかしそうにくすりと笑う。


「それは、あの子もこたえたでしょうね」


 そうよ。

 私、この人に以前会ったことがあるわ。

 そう、あれはずいぶん昔、私がまだ幼かった頃。


「ねえ、私の思い違いかしら。昔、あなたと会ったことがあるような気がするの。私がまだ小さかった頃、お屋敷の庭の片隅であなたはとても具合が悪そうに木に寄りかかって座っていた。私、持っていた飴をあなたにあげたわ。これ食べて元気出してねって。そうよね?」


「もちろん覚えていますよ。あの時、あなたが差し出してくれた飴の味は今でも忘れられません」


「やっぱり……やっぱりそうなのね」


「小さくて可愛らしかった女の子が、きれいになられましたね」


 レイはそっとサラの肩に手をかけた。


「幸せになりなさい。サラ」


 レイはふわりと笑い、去っていってしまった。


「じゃあ、またねー。今度、お茶しようねっ!」


 と、サラとキリクに無邪気に手を振り、クランツもレイの後を追いかけていく。


「待って、レイ! 待って」


 しかし、レイが振り返ることはなかった。



 ◇



「あの子がハルの恋人かあ。可愛い子だったね。それに、僕たちのこと、ちっとも疑おうともしないし、素直な子なんだね。でも、素直すぎるかな。あんな可愛い子が炎天の餌食になってしまうのは気の毒だね。僕、ちょっと頑張っちゃおうかな。昔、レイのことを救ってくれたあの子のためにも。何より、ハルには幸せになって欲しいしね」


「クランツ、あの少年怯えていましたよ。かわいそうに」


 クランツは肩を揺らして笑った。


「怯えさせるつもりなんて全然なかったんだけど、あんな挑むような目で僕のことを見上げるからついね。僕元々、好戦的な性格だし。それに、キリクくんがハルと仲良く一緒に暮らして、ハルから剣を教わったりしてるんだと思うと僕、ちょっと嫉妬しちゃって。僕だって教えて欲しいのになあ」


「クランツがハルから教わることなど何もないでしょう? むしろ、教えていた立場ではないですか」


 確かにそうだけど、とクランツは頬を膨らませる。


「でも、会えてよかった。キリクくんもいい子みたいだしね。そういえば、ハル、この街の食堂で働いてるんだって。ねえ、ちょっとだけのぞきに行こうよ。のぞきにいくだけだから。ほんとうは、抱きしめて、ぎゅうっとしたいところだけど我慢する。それに僕、ハルの給士姿見てみたい!」


 レイは静かに首を振る。


「やっぱり、だめ? そっか……レイがそういうならやめておく。それで、レイはこれからどうするの?」


「そうですね」


 と、答えたままレイは言葉を発することはなかった。

 クランツはくすくすと笑う。


「じゃあ、寂しいけどレイとはいったんここでお別れかな。レイは組織の追っ手を自分に引きつけるつもりなんだよね。組織の長が、それも二人も抜けるなんて前代未聞だもん。あいつら今頃馬鹿みたいに慌ててるよ。きっと、ハルのことにかまってる余裕なんてあまりないかもね」


「クランツはどうなさるおつもりで?」


「僕? 僕はしばらくここにいるよっ! さっき頑張るって言ったでしょ? 港を見張って船からおりてきた組織の人間をことごとく蹴散らしてやるつもり。遠いレザンからやってくる船は限られてるからね。誰一人ハルとあの子には近づけさせないよ」


 そう言ったクランツの表情から、あどけない笑顔が消えた。


「皆殺しにしてやる」



 ◇



「待って、レイ!」


 去って行くレイを追いかけようとするサラの腕をキリクはつかんで引き戻す。


「だめだ。サラ」


「だって!」


 あの人が、レイが行ってしまう。


「あいつら、ハルの敵だ」


「だけど……」


「俺たちのこと、もうすでにばれてるんだよ」


 キリクはきつく手を握りしめ、去って行く二人の姿を凝視する。


「あいつ、あの銀髪の奴、名乗ってないのに俺の名前を知っていた」


 サラは今さら気づいたとでもいうようにはっとした表情になる。


「それにサラ、銀髪の首筋みたか?」


 サラはいいえ、と首を振る。


「あいつ、首筋にハルと同じ入れ墨をいれていた。あんな目立つ場所にどうどうと! 隠すこともしないで!」


 それはつまり、あのあどけない顔をした少年もレザンの暗殺組織の人間ということである。


「ハルが言ってた。目立つところに入れ墨をいれている奴ほどやばいって!」


 キリクはぎりっと奥歯を噛む。


「俺……サラを守るって言ったのに、何もできなかった。あいつに睨まれただけで足がすくんで一歩も動くことができなくて。怖くて。それどころか、頭をなでられて。俺……」


「キリク……」


「俺、情けないよ! 何が以前よりも強くなってる気がするだよ! 全然、あいつに勝てる気がしなかった!」


 うなだれるキリクの足元にぱたぱたと涙が落ちる。

 サラは落ち込んでいるキリクの手をつないだ。


「帰ろう。ね?」


 それでも身を挺して自分をかばおうとしてくれたキリクは頼もしいと思った。だけど、今のキリクに何を言っても慰めにもならないだろう。

 キリクの手を引いてサラは歩き出す。泣きながらキリクもついてくる。


「あのね、キリク。このことはハルに内緒にして」


「どうして! あの男に言われたからって素直に従うのか?」


「たぶん、あの人たちは大丈夫だと思うの。私たちに危害を加えたりはしない」


「そんなのどうだか!」


「それに、今はハルによけいな心配をかけたくないの。キリク、お願い」


 真剣なサラの表情にキリクは口をつぐんでしまった。そして、わかったよ、と呟く。


「ありがとう、キリク」


「……俺、今日はこのまま自分の家に帰るよ。こんな顔ハルに見せられない。泣いてたのすぐばれてしまう」


「そっか……じゃあ、後で夕飯届けてあげるからね」


 サラはもう一度、二人が立ち去った方向を見やる。


「レイ……」


 遠ざかっていくレイの背中を見つめ、サラはその名を呟いた。


 レイ……またあなたに会える?















 やがて、レイはレザンパリュー、フィクスレクス国の王となる。ハル亡き後、サラがレザンに渡り、フィクスレクス国の王妃となるのは、もっとずっと先のこと。

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