85 暗殺組織レザン・パリュー -2-
炎天はレイの元へと歩み寄り、腰の剣に手をかけた。
それでも、レイは動じる素振りすらみせない。それどころか、軽く眉根を寄せ、首を横に振って小さくため息をもらす。
信じて貰えないのが心底残念だという表情である。
「炎天」
それまでこの成り行きを黙って見続けていた別の男が炎天を止める。
「わかっている。長同士の殺し合いは組織の掟として絶対に禁じられている。だが……黒天自らが自分の命を差し出すと言ったのだから、問題はないはずだ。そうだろ?」
「好きになさるといいでしょう」
「ふ、余裕だな。その余裕の意味は何だ? 俺がおまえを殺すわけがないと思っているからか? ああ、そうだな……貴様が土下座をして許しを請うなら、命だけは助けてやってもいいぞ。黒天の座を降り、俺の下として働くというのならな。この俺が思う存分貴様をこき使ってやる」
「ご遠慮いたします」
即座に切り返したレイに、炎天はぎりぎりと歯を鳴らした。
「ならば死ね! 安心しろ、貴様が死んだ後、黒天の座はハルに継がせる。奴はまだまだ使える。俺が奴を教育し直して可愛がってやる。おまえの代わりにな!」
炎天は怒りのままに腰の剣を抜き放ち、その切っ先をレイの首筋へと突きつけた。
男の動きは素早い。
逃げきれなかったのか、それともあえてそうしようとは思わなかったのか、レイは微動だにしない。
鋭い剣の切っ先がレイの首筋を薄く裂き、ぷつりと赤い血の玉が浮きあがる。
それでもレイの表情には少しの動揺も驚きも浮かんではいなかった。だが、甘んじて男の不遜な行為を受け入れるつもりはないようだ。
それはゆるりと放たれた、レイの身を取り巻く気配から察知された。
たおやかな見かけと、およそ剣を振るって戦う雰囲気のないレイの身に、じわりと静かな殺気がにじみ始めた。
レイのまなじりが細められる。
再び爆ぜた暖炉の炎がレイの瞳に映り込み、極上の翡翠に底知れぬ危うい光が揺れ動く。
その時、怒りにまかせて剣を振り上げようとする炎天の手首を銀髪の少年がつかんだ。つかまれた手首の痛みに炎天は顔を歪める。
「どういうつもりだ〝白天〟」
レイに視線を据えたまま、炎天は割り込んできた少年に言い放つ。
「おまえの、推測にしかすぎないどうでもいい話を延々と聞かされたけど、まだその人物がハルだと確定したわけじゃない」
「本気でそんなことを言っているのか? もはや、決まったようなものだ」
「レイはちゃんと任務を果たした。組織から脱走したハルを捕らえようとしたって何度も言っているのに。なのにどうして」
疑うのかなあ? と白天と呼ばれた少年は、首を傾げて背の高い炎天を見上げる。
まだ幼さを残した顔立ちに、無邪気な仕草の少年であった。
「それでも文句があるなら、レイのかわりに僕が相手になるけど」
すっと目を細めた少年の、色素の薄い灰色の瞳の奥に底知れぬ危険な色がゆるりと過ぎっていった。あどけない表情と仕草とは裏腹に、得たいの知れない狂気じみた本性を垣間見せる。
「おまえが俺の相手をするだと?」
「何? 不服はないでしょ?」
その顔はにっこりと笑っているが、目が本気であった。
「この場でおまえを肉塊に変え、狼の餌としてレザンの山に捨ててやる。言っておくけど僕、強いよ。おまえなんかよりもね」
少年の石灰色の瞳が冷たく光る。
それまで強気だった炎天がたじろいだ。
レイをのぞく他の者も、椅子から腰を浮かせる。
「白天やめるんだ」
先ほど炎天を止めた男が今度は銀髪の少年を止める。
「僕を止めさせたいならこいつを説得しな」
炎天から視線をそらさずに少年は言う。
炎天はふん、と忌々しげに顔を歪め、つかまれた少年の手を乱暴に振り払う。
「ふん、まあいい。どのみちハルを捕まえればすべてがわかることだ。奴を拷問にかけ三年前、組織を抜けた時のことを洗いざらい吐かせてやる。レイ、貴様を殺すのはそれからでも遅くはない。奴の目の前で貴様を殺してやるよ」
炎天はくつくつと肩を揺らして笑い、大きく右手を払いみなに言い聞かせるように声を上げる。
「ハルを組織に連れ戻す!」
それに対し、反対する者はいなかった。
「それと、ハルとかかわりのあるトランティアの小娘も一緒に連れて来い」
「その子は関係ないんじゃないの? あまり、無関係な人間を巻き込むことに僕は反対だね。それに、サラって子はトランティア家の唯一の跡継ぎでしょ? その子が行方不明ってことになると、いろいろ組織にとっても面倒くさいことになるよ」
「おまえは黙っていろ。関係ないかどうかは小娘に会ってから俺が決める」
「なら、僕が行くよ」
「おまえがだと?」
「そう、もし、ハルが生きているなら僕が連れ戻す。おまえや、おまえの配下の人間じゃ、ハルを捕らえるなんて無理。返り討ちにあうだけだからね。おまえも無駄死にしたくないでしょ?」
そして、白天は満面の笑みを浮かべてレイを仰ぎ見る。
「ねえ、レイ。ハルの処罰は僕が代わりに引き受けるからさあ」
「おまえが処罰を受けるだと?」
炎天は鼻で嘲笑う。
「そだよ。だって、ハルが拷問されるとこ僕見たくないし、痛いのかわいそうだし。だからレイ、その代わり、ハルを僕のところにちょうだい! 僕、ハルのこと大切にするから。もちろん、生きていたらの話だけどねっ!」
冗談とも本気ともつかない、無邪気なことを言う白天にレイはまぶたを半分落として静かに口許に笑みを刻む。
「おまえは信用できない。おまえも黒天と同様、ハルに目をかけていた者のひとりだからな」
少年は肩をすくめた。
「それはそうと、そのサラという小娘。世間知らずの貴族のお嬢様がいったい何に自分が首を突っ込みかかわってきたのかわからせてやる。ハルの目の前で、奴の心が壊れるまで、思う存分いたぶってやる」
「相変わらずいい趣味してるよね」
少年は底嫌そうに顔を歪めた。
「ハルの奴がどんな顔をするか、どんな声で泣き叫ぶか想像するだけでもぞくぞくするよ。そうだ、女はいためつけた後、俺の奴隷にでもしてやろう」
◇
部屋を退出したレイは、中庭をぐるりと取り囲む冷えた石造りの回廊を歩んでいた。
濁った灰色の空から静かに粉雪が舞い落ちる。
レザン・パリューの冬は長くそして、厳しい。
たとえば、アルガリタがそろそろ秋を迎えようとする頃、この地には雪が降り始める。
きらきらと輝く美しい大地だと、誰が言ったのだろうか。
灰色に染まった空は、息もつまるかのような憂鬱な色。太陽の光さえ、その重たい雲に遮られ光は地上へと届かない。青空が広がることじたいまれだ。
特にこの季節は。
ふと立ち止まり、レイは空を見上げた。
身を切るほどの冷たい風が通り過ぎていく。
後頭部のあたりで束ね背に垂らしたレイの長い黒髪が風に揺れる。
漂う雰囲気は儚げで、女性と見間違えるほどのたおやかな姿。
レイは回廊の手すりに歩み、手のひらを差し出した。
白くしなやかなその手に、ひらりと雪が舞い落ちる。
その仕草のひとつひとつが、優美で人目をひきつけた。
手のひらを見つめるレイの口許には穏やかな微笑み。それは作り物ではない、心から嬉しさをたたえた。先ほど炎天に向けた冷たい光を放つ翡翠色の瞳も、今は穏やかであった。
ハル……大切な女性を見つけることができたのですね。
安心しました。
その手を、大切な人の手を決して離してはいけないですよ。
二度と手放しては。
あなたの力で守っておあげなさい。
できるでしょう?
あなたになら。
溶けた雪が小さな水滴となって手のひらに広がっていく。
その手を握りしめ歩きだそうとしたレイの背に。
「レイ!」
と、呼びかける少年の声。
レイは振り返る。
離れた場所から、先ほどの銀髪の少年がこちらに向かって駈け寄ってくる姿が見えた。
ここは暗殺組織。
その殺伐とした空気には不釣り合いな、あどけない笑顔。
無邪気に笑う姿はどこにでもいる普通の少年ではあるが、それでも彼は暗殺者。
それも、この闇の世界を仕切る長のひとり〝白天〟。
「どうされたのですか? クランツ」
クランツと呼ばれた少年は、軽く息をはずませ背の高いレイを見上げる。
「炎天がね、自分の配下の人間の大多数を使ってアルガリタに向かわせるらしいよ。必ずハルを捕らえて連れ戻すんだってすっごく鼻息荒くしてる」
「そうですか」
と、静かに声を落とすレイの口許には、他人にはそうとは気づかせない程度のかすかな笑み。
「ハル、大丈夫かなあ。つかまったりしないかなあ」
クランツは手すりに両手をつき、片足をぶらぶらとさせながら暗い灰色の空を仰ぎ見る。
「心配はないですよ」
「ほんと? ほんとに?」
「ええ、あの子をそんな弱い子に育てた覚えはないですから」
先ほど浮かべたレイの笑みの理由。
それは、炎天ごときがハルをどうこうできるわけがないという、嘲笑を込めたものであった。たとえ組織の長である炎天自らが動いたとしても、ハルを捕らえることはできないであろう。他の誰にも、ハルの自由を奪うことも組織に縛りつけることもできはしない。
『ハルは貴様が自ら手をかけて最高の暗殺者として育ててきた男。だが、それは組織のためではない。ハルがいつか外の世界に抜け出すためにだ』
あなたの仰るとおりですよ、炎天。
私がどれだけあの子を大切に育ててきたか。
「だよね」
クランツはにこりと満面の笑みをたたえる。
「それとね、こんなことも言ってた。アイザカーンの組織に出向いて生き残った暗殺者の一人が誰かを突き止めるって。炎天はハルがそいつをうっかり殺し損ねたって思い込んでいるみたい。他のみんなはそうじゃないって気づいているけどね。ハルが一人だけを殺し損ねることなんかあり得ないのに。情けをかけたんだよ。ハルは容赦ないようにみえて、そうでないところがあるから。僕、ハルのそういうところが大好き! そして、その相手は女か子ども。アイザカーンの組織には女性の暗殺者もいるけど戦闘向きじゃないから可能性は低いかな。だから、僕の考えだと相手は子ども。さらに、その子は間違いなくハルの側にいる。ハルのことだから、その子を生かしてしまった以上、レザンの組織に追われる可能性が高いと考えて手元に置いて守ろうとすると思うんだ。ていうのが僕の考えだけど、レイはどう思う?」
「おそらく」
クランツの問いかけにレイは静かに眼差しを落とす。
「アイザカーンの暗殺者が子どもであったのなら、その子の命を助けたのはハルと一緒にいたサラという娘でしょう」
ああそうか、とクランツは納得したようにぽんと手を叩く。
「彼女にお願いされて、助けたってことだね」
助けてしまった以上、その子を放っておくことなどハルの性格からしてできない、というのはクランツの言ったとおりであろう。
その子は間違いなくハルの側にいる。
「うーん、でも惜しいなあ。せっかく組織から逃げ続けてきたのに、ここでばれちゃうなんて。僕にお願いしてきたら、ハルの代わりにアイザカーンの暗殺者全員、僕が始末してあげたのに。こんなことなら、ハルの行方くらいはつかんでおくべきだったかなあ」
クランツは頬を膨らませ残念そうに言う。
その口調はまるで組織から抜けたハルのことなど、探す気になればいつでも探し出すことができたのだというものであった。
「あ、でも、僕なら一人も生かさず全員殺っちゃってたけど。だけど、解せないのは、何故ハルはその貴族の男を生かしたんだろうってこと。もっとも、廃人同然となったんだから、生きているというのも微妙だけど。単純に好きな女の子を助けるためだけっていうわけじゃなさそうだね」
そこで、クランツは眉間を寄せしばしうーんと考え込む。しかし、どんなに考えたところで答えはでないと諦めたのか、クランツは顔を上げた。そして、クランツの口から出た言葉は……。
「僕、アルガリタに行くことに決めたよ」
瞬間、わずかだがレイの翡翠色の瞳に冷たい光が過ぎる。そのことに気づいているのかいないのか、クランツは続けて言う。
「そうえいえばさっき、サラって子の名前を聞いてレイ一瞬、動揺したよね。誰も気づかなかったみたいだけど、僕はすぐわかっちゃったよ。その娘、レイの知ってる子?」
クランツの問いかけに、レイは肯定も否定もしない。
ただうっすらと、その口許に微笑みを浮かべるだけ。しかし、クランツはレイの静かな笑みを肯定ととらえたようだ。
「そっか、レイの知り合いの子が今はハルの恋人か。何か運命的なものを感じるね。僕、サラって子に興味があるから会ってみようかな。ついでに、アイザカーンの暗殺者を雇ったその馬鹿な貴族の男を殺してくる。これ以上〝漆黒の疾風〟なんて騒がれたらハルが迷惑するだろうし」
「アルガリタの王宮に忍び込むつもりですか?」
クランツはそだよ、と何でもないことのように言ってにっこり笑ってうなずく。
「あまり、無茶なことはなさらないように」
レイが自分の身を心配をしてくれている。そう思ったクランツの表情が嬉しそうにぱあっと輝く。
「レイが心配してくれるなんて嬉しいな。うん、安心して。アルガリタの王宮に忍び込むのも、そいつを片付けるのも難しいことじゃないけど、レイがそう言うなら無茶はしない。でも、僕のこと気遣いながら、レイ、僕を殺そうとしているね」
あたりでしょう? と、クランツはとくに警戒をするふうでもなく小首を傾げてレイを見上げる。クランツの石灰色の瞳が悲しげに揺れる。
「まさか、ご冗談を」
「いいよ、隠さなくて。だって、レイすごい殺気を放ってるよ」
と言って、クランツは手を伸ばし、レイの腰に下げられた二本の剣に手を添えた。
「さっき、僕がアルガリタに行くっていったから、レイは僕がハルをここへ連れ戻そうとしていると思っているんだよね。それで、僕を殺そうとしている」
表情を変えることなく、レイは静かな眼差しでクランツを見下ろした。
「そして、レイは組織を抜けようとしてる。それもあたりでしょう? 心配なんだねハルが……というより、そのサラって子のことがかな? ねえ、その殺気を解いてくれないかな。僕がレイのこと大好きなの知ってるでしょう。僕はレイとは戦いたくなし、戦うつもりもない。それにハルを連れ戻そうなんてそんな考え、これっぽちもないから。ハルの好きな子にも危害を加えるつもりもないよ。本当だよ」
ね? とクランツはどうにかレイに信じてもらおうと、必死に言いつのる。
「ねえ、ひとつ聞いてもいい? サラって子はレイにとってどういう存在なの?」
「彼女は昔……」
サラと出会った昔のことを思い出したのか、ふと、レイの眼差しが遠くなる。
「私がアルガリタへ仕事で行った時に危ないところを助けてもらいました」
「へえ」
まさか本当にレイが答えてくれるとは思っていなかったクランツは、驚いた顔をする。
「もう、十年も前のことです」
そこでクランツは首を傾げた。
十年も前ということは、サラはまだほんの小さな子ども。そんな幼い子がレイの危機を救ったとはどういう意味なのか。しかし、クランツがその疑問を口にして踏み込んでくることはなかった。
正直にサラのことをクランツに打ち明けたレイの真意は……。
昔の恩人である彼女に何かあったら、この私が許さないという意味が含まれていた。
うん、とクランツは何かを決意したようにうなづく。
「レイが組織を抜けるなら、僕も抜けるって決めた。レイまでいなくなっちゃうんじゃ、ここにいても意味がないからね。ねえ、一緒にアルガリタに行ってハルに会って驚かせてあげようよ」
「だめですよ」
「ええーどうして?」
クランツはぷうと頬を膨らませた。
「違う意味でハルが驚いてしまいます」
それもそうであろう。組織の長、それも二人が突然目の前に現れたら驚くのも無理はない。いや、驚くというよりも、怯えてしまうだろう。
「じゃあ、ハルが元気でやってるかこっそり見に行くだけでもいいよね。ハルが好きになった娘も見てみたいし、ハルが助けたアイザカーンの暗殺者もどんな子か気になるし」
レイは困った人ですね、と静かに笑いようやく緊張を解く。
「安心しました」
「安心?」
「できることならあなたとは剣を交えたくはないと思っていましたから。本気であなたとやり合えば、おそらく私も無事ではなかったでしょう」
組織を抜けようとしていたことも、この少年に読まれてしまった。そして、これからそれを実行しようとする時に、クランツと戦い痛手を負うのはかなり厳しい。
敵にはしたくない相手だ。
「やだなあレイ、それ本気で言ってるの? 組織でも一、二を争う実力の〝漆黒の双剣〟に僕が適うわけないじゃないか。だいいち、僕そんなつもり全然なかったし、大好きなレイに剣を向けるなんて、あるはずないよ」
突然、クランツが両手を広げ抱きついてきた。
切実な目で訴えかけるようにレイを見上げる。
「僕はレイのことだけは裏切ったりはしないよ。本当だよ。信じてくれるよね?」
その目に嘘や偽りは見られなかった。
レイは静かに笑い、うなずいた。




