84 暗殺組織レザン・パリュー -1-
アルゼシア大陸より遙か海をへだてた北方の大陸、レザン・パリュー。
一年のほとんどが雪と氷に閉ざされた、厳しくも美しい雪原の大地。
大陸のほぼ半分近くが、人の手の加わっていない山と森と湖に囲まれた大自然の地。
よく晴れた日のその美しさはまた格別で、樹氷、霧氷のきらめき、光を受けてはじく氷の柱、花のように舞う雪。全てが幻想的な世界をかもし出していた。
なかでも大陸北部、遙か天際に望む白雪を頂いた銀雪山は、厳として人を寄せつけぬ雰囲気をもちながらも、その美しさは見る者の心を引きつけた。
まさに神聖にして侵すことのできない禁足地、といっても過言ではない。
その銀雪山のもっとも奥深く、閉ざされた地に〝姿なき者〟と呼ばれる者たちが住まう城塞がある。
堅牢な石造りの城は外からの進入を防ぐものではなく、内部から逃げだそうとする者を阻止するためのもの。
ぐるりと高い塀に囲まれた城郭には八つの門があり、それぞれの門を、組織の頂点であり絶対的権力を持つ八人の〝天〟と呼ばれる長が管理している。八つの門はまさに八人の〝天〟の象徴。
過去、組織から逃れようと脱出を試みたものの、その誰もがこの最終の砦である門の前に散ったことか。さらに、長である天が逃亡することも考えて、それぞれの門の鍵を別々の長が持っているという厳重ぶりであった。
そして、その城の一室に八人の長が顔を揃えていた。
彼らはそれぞれに与えられた城の一角に配下を従えて暮らす。故に、こうして組織を仕切り支配する長が顔をつきあわせることは珍しいことであった。
つまり、よほどの事態が起こったということがうかがえる。
暗殺組織の長というからには、いかつい風情の男たち、を想像させるが、居並ぶ顔ぶれはみな若く、驚くほど美形揃いであった。そして、そのうちのひとりはまだ十六、七の少年である。
みなを呼び出したのは長のひとり〝炎天〟だ。その男は残り七人が部屋に集まり席につくと、得意げな顔で切り出した。
「おもしろい情報がはいった」
炎天はもったいぶったように言葉をきり、集まった七人の顔を一人一人ゆっくりと見渡すと、最後に自分の座っている席から一番遠く離れた場所に腰をかける青年に視線を据えた。
青年はゆっくりと伏せていた顔を持ち上げた。
年の頃は二十歳過ぎ。すらりとした長身にほっそりとした肢体。たおやかな雰囲気を持つ美形であった。
漂う緊迫した空気の中、炎天の濃い茶色の瞳と青年の翡翠色の瞳が、かちりと噛み合う。
炎天は含むような笑いを口許に刻んだ。
「とくに、おまえにとって興味深い情報だ。〝黒天〟」
そこへ。
「もったいぶらずにさっさと言いなよ。こっちはおまえのつまらない話につき合ってるほど暇じゃないんだよね」
八人の長の中では一番年下の少年が不機嫌そうな口調で言う。
彼は〝白天〟。
銀髪に石灰色の瞳を持つ少年であった。
まだ子どもといってもいい年齢だが、暗殺組織の長と選ばれるからには、それなりの実力はあるのだろう。見た目も口調も仕草もまだ幼さを感じさせるが、少年の言動にはちらちらと危うい影がちらついていた。
炎天は一度だけ少年を一瞥したが、相手にすることはなかった。
「アルガリタの馬鹿な貴族がアイザカーンの暗殺者、二十人を雇った」
口を開いた炎天の言葉に、先ほどの少年がふーん、と興味なさそうに答える。
それが何? と言いたげな様子だ。
「が、その暗殺者のうち十九人が殺された。それも、たったひとりの奴に。殺ったのは誰だと思う?」
誰だ? と問う者は誰ひとりいない。何故なら、誰だと聞かずとも、その場にいた全員が、それが何者かを察することができたから。
「そう、ハルだ」
炎天の目がテーブルの端に座る青年の気配を探るように見据える。
表情、目の動き、何もかもすべて、わずかな動揺も見逃さないという隙のない目であった。炎天のねっとりと舐めるような視線など意にも介さず、青年は顔色ひとつ変えることはなかった。
炎天が青年に注意を向けるには理由があった。
何故なら、その青年こそ、組織に連れられて来たハルを幼い頃から面倒をみ、暗殺者として育ててきた男であったから。
そう、彼の名はレイ。
彼もまた組織の長のひとり〝黒天〟であった。
ハルが特別に慕う相手であり、もっとも脅威と恐れている男。
再び部屋を包む空気が張りつめる。
「どうしてそいつがハルだと結びつくわけ? 短絡的だね」
そこへ、横から銀髪の少年が口を挟み、呆れたように肩をすくめた。
「大勢のアイザカーンの暗殺者をたったひとりで倒した。そんなことができる人間など限られている。よほど腕のたつ者。そんな人間がそうそういるわけがない。だがそうだな、それだけでハルの仕業だと決めつけるのは、あまりにも浅はかだ」
炎天の長々とした喋りに少年は苛立ちをあからさまにし、しきりに指でテーブルを叩いている。それがどうやら気に障るらしく炎天は眉間にしわを刻む。文句のひとつでも言いたいところをぐっとこらえ、代わりに炎天はにやりと片方の頬を歪めた。
その笑みは確かな確証があるという、自信に満ちたものであった。
「そのばかな貴族の男が譫言のように繰り返しているそうだ。〝くろいかぜ〟とな」
〝漆黒の疾風〟はハルの暗殺者としての二つ名だ。
「ハルが生きていた。そして現在、奴はアルガリタにいる。これはどういうことだ? 〝黒天〟」
炎天の目が再びテーブルの端に座る青年に向けられた。
暖炉にくべられた薪がぱちりと音をたてて爆ぜ、炎が一瞬燃えあがる。
「それも、酔狂なことに奴は貴族の男が雇った暗殺者から、一人の小娘を救うために戦ったという。あいつは外の世界に出てずいぶんと変わったようだな。人殺しをやめて人助けが趣味となったか? それとも、これまでの罪滅ぼしのつもりか? 舐めた真似をしやがって! どうやら、生ぬるい外の世界で暮らしているうちに、組織の恐ろしさを忘れてしまったようだな。そうそう、奴が助けたその娘の名は、サラ・ファリカ・トランティア」
炎天がその名を口にしたと同時に、銀髪の少年はテーブルを叩く指を止め、ちらりと隣に座るレイに視線を走らせる。
「確か貴様は三年前、組織から逃亡したハルを追い、始末したと言ったはずだが」
「いいえ、お忘れになりましたか? 斬り合っているうちにハルが崖から足を滑らせたと言ったはずですが」
ようやくレイが口を開く。
落ち着いた声であった。
炎天はふんと小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「だが奴は生きていた。もっとも、俺は貴様の言葉を信じたわけではなかったがな。何が崖から足を滑らせて落ちただ!」
「もはや助からないと思っていましたが、奇跡的に命を繋ぎとめたようですね」
「は! 白々しい! 奴が組織から逃げ出したあの日、奴は早朝一番のアルゼシア大陸経由のアイザカーン行きの船に乗った。ところが、その船は最終目的地であるアイザカーンへ辿りつく直前で爆破され海に沈んだ。さらに、奴の行方を追うために手に入れた乗船名簿に書かれていた名は、すべてでたらめ。それは、奴の足どりを消すため、あらかじめ貴様がすり替えていたからだ。船が沈んだのも事故ではない。貴様が沈めた。ハルとかかわったであろう乗組員さえも貴様は消してしまった。とんでもない男だな、おまえは。ハル一人のために無関係な人間まで巻き込んで心が痛まないか?」
「心? おかしなことを仰る」
「何?」
「わたしたちレザンの暗殺者に、心などあるのでしょうか?」
レイの言葉に炎天は頬を歪めた。
「おかげで奴を追う手立ては何もなくなった。すべては貴様が奴を組織から抜けさせるために用意周到に仕組んだ計画だった! ハルは貴様が自ら手をかけて最高の暗殺者として育ててきた男。だが、それは組織のためではない。ハルがいつか外の世界に抜け出すためにだ」
そうだな、と問いかける炎天に、しかし、レイは静かな微笑みを口許に浮かべるだけであった。
肯定とも否定ともつかないその微笑からは、彼の心のうちを探ることは不可能であった。
ゆっくりと瞬きひとつ、レイの瞳が目の前の男を静かに見つめ返す。
息をのむほどに鮮やかな翡翠色の瞳は一点の曇りもない。引き込まれるほどに美しく、けれど、背筋を凍らすほどに冷たい輝き。そして、極上の翡翠は相手の心を惑わせる。
「何がおかしい!」
「炎天殿は、よほど私を裏切り者に仕立て上げたいようですね」
「事実だ。おまえはハルを特別目をかけていた。弟のように可愛がっていた」
端正な顔をうつむかせ、レイは心底おかしそうに肩を揺らして笑う。
レイが笑うたび、後頭部のあたりで結んだ長く腰まである黒髪が背に揺れた。
炎天と呼ばれた男はかっと目を見開く。
レイの態度がよほど癇に障ったらしい。
「だから! 何がおかしい!」
「それは、特別目をかけもしますし、可愛がりもしますでしょう。組織のため、彼をあそこまで育てあげるのに、どれだけの手間と多大なお金をかけたとお思いですか? 彼は有能な部下だった。なのに突然、このわたしに刃を向けてくるとは……わたしとて正直、衝撃を隠せないでいるのですよ」
「今さら何を言おうと、貴様がやつの逃亡に手を貸したことは明白だ。そして、おまえは三年前、奴が組織を抜けた時にこうも言った。もし、ハルが生きていたら自分の命を差し出すと。そうだな?」
真っ向から睨み据えてくる相手の目を、レイはゆるりと顔をあげて見つめ返す。
動揺の欠片すらうかがわせない、落ち着き払った態度。
「ええ。申し上げました」
「ならば、約束通り死んでもらおうか。今、この場で」




