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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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81 離さない、離れない

 地面に座り込むファルクに背を向けたハルはわずかに足をふらつかせた。ひたいに指先をあてる。


「……っ」


 目眩がする。

 全身の力が抜けてしまいそうで、気を緩めた瞬間、足元から崩れてしまいそうだった。

 眉間を引き締め、奥歯を強く噛みしめる。耐性はあるとはいえ、毒によってはまったく平気でいられるというわけではない。


「ハル、大丈夫……?」


 立ち上がり駆け寄ってこようとするサラを来るなと、手で制する。


 何でもない。

 たいしたことではない。


 そう答えたものの、果たして声になったかどうか、自分でもわからなかった。


「ハル……終わったの? 今度こそほんとうに? あの人は、ファルクはどうなってしまったの?」


 馬車の側で座り込んでいるファルクの様子がおかしいと気づいたサラは、いったい何か起きたのか確かめようと首を傾けのぞき込もうとする。しかし、ハルは見るなと緩く首を振ってとどめる。


 終わったよ、サラ。

 何もかも。

 そして、お別れだね。

 今度こそ、本当のお別れ。


 そう思った瞬間、胸の奥にずきりとした痛みが走った。その痛みを遠くへと押しやり、ハルは御者台に横たわる男にちらりと視線を向ける。


「そいつは気絶しているだけだ。怪我ひとつしていない」


 よかった、とサラはほっとした表情で胸に手をあてる。


「この森を出たら、シンか、もしくはシンの仲間たちがいる」


「シンが?」


 どうしてシンが? と言いかけたサラの言葉を遮りハルは続ける。


「彼らに屋敷まで送ってもらうといい」


「ちょっと待って……屋敷って……」


 突然何を言うの? とサラは怪訝な顔をする。


「そして、おまえも」


 と、今度は少年に視線を移す。


「サラと一緒にこの森を出た後は自由だ。どこへでも、好きなところへ行け」


 自由と呟いて、少年は何故か戸惑いをみせる。


「俺、お姉さんに命を救われた。だから俺、お姉さんの側にいてお姉さんのことを守り……」


「必要ない」


 にべもなく言い切られ、少年はしゅんと頭をうなだれる。


「彼女は大貴族の令嬢だ。本来なら、俺やおまえごときが容易く口をきける相手ではない」


 そして、ハルはもう一度サラを見る。


「それと、俺のことは誰にも口外するな。もし、誰かに何を聞かれたとしても知らないと答えろ」


「ハル……」


「そして、今夜のことはすべて……忘れろ。俺のことも含めて」


 そう言って、ハルはサラに背を向ける。一瞬だけ、サラの泣きそうな表情が視界に入り、再び胸に痛みが走った。


 これでいい。

 何もかも、すべて忘れてしまえ。

 俺たちは出会ってなどいない。

 そう、最初から。


「……どうして?」


 大股でサラはハルの元へと歩み寄る。


「ハル!」


 こっちを向きなさいと、サラの手に肩をつかまれ振り向かされる。振り向いた瞬間、サラの右手が大きく振り上げられた。


「どうして、どうしてそうなの? まだそんなことを言うわけ? ハルのわからずや……っ!」


 が、ハルの頬を打つはずだったサラの手が、振り上げられたまま虚空で止まった。

 サラがかすかに息を飲む。


「ハル……?」


 うつむいたハルの足元に、二つのしずくが落ちる。


「泣いているの……?」


「どうしても……!」


 振り絞る声を出すハルの頬に再び涙が伝う。


「……アイザカーンの暗殺者を生かすわけにはいかなかった。だけど、これだけのことをして、レザンの組織にばれないはずがない! 奴らは必ず俺を探しにやってくる。必ず……もう、逃げ切れない。その時、サラが俺の側にいたらどうなるか……サラを巻き込んでしまう。危険な目にあわせてしまう! だから! もうサラとは一緒にはいられない」


 サラは驚いたというように目を丸くし、そして、口許に手を持っていきくすくすと笑った。


「ハルがこんなに感情的になって声を荒げたのを初めて見たわ」


 そして、サラの手がハルの握っていた剣に近づく。


「触れてもいい?」


 遠慮がちに訊ねてくるサラに、ハルは小さくうなずく。


「ねえ、ハルがいなくなってしまったら、困る人がもうひとりいるのでしょう?」


 サラがおそるおそる手に触れたのは、剣に括りつけられた真紅の飾り紐であった。


「ハルのほんとうの気持ちを私に聞かせて?」


 伸ばしてきたサラの両手が頬に添えられる。


「……サラと離れたくない」


 サラはふわりと微笑んだ。

 顔を上げたハルの双眸から、涙がこぼれ頬を濡らした。


「離れないわ」


「ずっと、一緒にいたい」


「ずっと一緒よ。どうして、そんなことを言うの? 離れないのも一緒にいるのもあたりまえでしょう?」


 ばかね、とサラは言い聞かせるように声を落とし、袖口でハルの涙を拭った。


「そんな顔をしないで」


 脇に垂らしていたハルの手から剣が離れ落ちた。

 ハルはがくりとその場に膝をつき、サラの腰に腕を回して抱きつく。

 小刻みに肩を震わせるハルの唇から、こらえきれずに嗚咽がもれる。


「泣かなくていいの」


 ハルの頭を何度も優しくなで、サラは胸に抱え込む。

 包み込むように優しく。


「大丈夫よ。ずっとハルの側にいるから。ずっと……この先何があったとしても、私たちは一緒。決して離れたりしないの。ね?」


 そうでしょう?


 優しい声が耳元に落ちる。

 何度も大丈夫よ、と繰り返しながら頭をなでてくれるサラの手が温かくて。

 心地よくて。

 ずっと求めていた安らぎ。

 包み込んでくれる優しい手と温もり。

 手放したくないと思った。



 ──もう、離れない。


 ──もう、離さない。



 翌朝、カーナの森で廃人となり果てたファルクが発見された。

 そして、ハルとサラ、二人の姿がカーナの森から消えた。

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